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自分の引き際について

先日、ダイブロの方で絡んでいる方のブロ友さんが亡くなられました。長く更新がないので、心配していた矢先のご遺族からの訃報更新だったそうです。


最初、ご遺族は報告からしばらくしてそのブログを閉鎖するつもりだったようですが、長く貼られていたその方の訃報に、ぞくぞくと寄せられる故人を偲ぶコメントの多さとその内容に、とても消すことができなくなり、

『これは〇〇が生きた証。そのまま放置させていただくことをお許しください』

との一文を載せ、公開続行を決められました。


その記事を読みながら電脳社会が長く続けば、そうした「箱の中の墓標」も増えていくのかなと思うと同時に、「さて、自分の引き際はどうしよう」と考えていました。


一応、称理にはそうなったら代理でその旨を更新するように言ってありますが、早めに死亡記事書いて、自分へのお悔やみコメ見て……なんて不遜なことも考えたりします。


ま、そういう状態で、記事が書けるかどうかは甚だ疑問ではありますが。(そこで揶揄する記事を見たら凹むんだろうなぁ~、絶対に)


だって、小説は……ネタがなくなれば「閉店」せざるを得ませんが、このたすくの性格ではどーでもいいことはつらつらと書き続けると思うんですよね。

不慮の事故とかは別として、分かっている場合はちゃんと自分で幕を引きたいなと。

その上で、生きてきた証としてネット上にひっそりと咲いていたい、なんてね。


「落ちたらそれまで」のネット社会。その反面、その片隅で肉体は消えても想いだけがずっと生き続けている。


それともあと何十年かした時には「〇年以上更新されていない放置ブログは切る」なんてこともあるのかも知れません。それ以前にシステムやプロバイダ本体が変わって変更手続きを経ないから消えていくなんてのもあるかも知れませんね。


数日前から庭で鈴虫が鳴き始めました。少しずつ秋の気配を感じて、ちょっとセンチになってるのかも知れません。

                              (昨年9月の記事を転載しました)









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