僕、偉大な芸術家の寂しい最期ー(前)
それからの2日間を僕は落ち着かない気持ちで過ごした。もしかしたら今にも彼女がきて、「やっぱり日曜はやめます。犬は他をあたってみます」と言うかもしれない。いや、もしかしたら彼女は2度と姿を見せないかもしれない。そんなことを考えながら僕はドアを眺めて1日を送った。結局その日はドアが開かれることはなかった。彼女だけではなく、誰も店に来ることはなかった。無理もない。12月の寒空の中、しかも平日に誰がペットショップになんて立ち寄るだろう。世の中の人たちはそれほどまでに時間を持て余してはいないはずだ。僕は新聞を広げながら、10分に1度は、そして閉店間際には5分に1度は顔をあげて店内を見回し、それからまた新聞に目を落とした。
日曜日は前日までのことを忘れてしまったように晴れあがっていた。鳥も空の少し高いところを飛んでいる気がした。僕は少し早目に家を出て、「オオタニ」でモーニングセットを食べた。それから店に向かい、ドアに「本日休業」のはり紙をした。店内を回ってエサを取り替えてしまうと、他にすることもなかったので新聞を読んだ。
約束の時間になっても彼女はやってこなかった。10分が30分になり、30分が1時間となった。彼女は他の誰かに犬を任せることにしたのだろうか。だとすれば彼女が今日ここに来る理由はない。
その考えは、僕が思っていた以上に僕を落胆させた。自分でも驚くほどに。
今からでも店を開けることはできる。ドアに下げた本日休業のサインを裏返せばそれで終わりだ。それだけで僕は「営業中」となる。少しだけ考えたあとで、その考えを振り払った。そもそも休もうと思っていたからか、どうしても開店する気にはなれない。それにどうせ誰もこないんだ。
僕はもう一度「オオタニ」に行くことにした。おいしいコーヒーと落ち着ける場所が必要に思えた。新聞だけを手に僕は店を出た。
※
僕には探しているものがある。正確には、探している人だ。それも、ただの人ではない。
6ヶ月前の今日、6月15日に僕の彼女はいなくなってしまった。僕たちが出会ってからちょうど5年目だった。ちょうど、ぴったり5年。「いなくなった」という表現は多くの可能性を内包している表現だろう。そこには意識的、無意識的に関わらず曖昧さが介在している。でもそれ以外の言葉を見つけるのは至難の業だ。そこには一定の曖昧さが必要とされている。なぜなら、彼女の「失踪」が、自己の判断でなされたものなのか、それとも、そこには何かしらの外的な力の関与があったのかがわかっていないからだ。一つだけわかっているのは彼女はもういないという事実だけだ。
僕と彼女は遠距離恋愛をしていた。彼女が住んでいたのはスペインのバルセロナだ。3年前の7月、スペインの偉大な建築家アントニオ・ガウディの作品群に魅せられた彼女は繁殖期のネコのような目をして日本を発っていった。それ以降、彼女はガウディが残した建築物を描き続けた。バルセロナの街にはガウディの作品が散りばめられていて、それは宝石のような輝きをもって街を彩り飾っている。ヨーロッパの中でも前衛的なバルセロナの街。ガウディが建築という形式を通してバルセロナというキャンパスに描き出した独特な曲線は異様なまでの存在感を放っており、そして美しい。
彼女は未完の大作サグラダ・ファミリアをスケッチブックに描き綴った。
硬さの違う数種類の鉛筆だけを使って彼女はスケッチを続けた。彼女はくる日もくる日も描いた。朝はとても早く出かけた。鉛筆とスケッチブックの収まったショルダーバッグと簡単な折りたたみ式イスだけが彼女の持ち物だった。そして所定の位置に陣をとる。サグラダ・ファミリアの全景を望める絶好のスポットだ。スペイン到着後の3ヶ月間を費やし探し当てた。途方もない距離を歩いた。自分が三蔵法師か何かになったような気がしたわ、と彼女は僕に向かって言った。もう歩けないわ、と。しかし、それを語る彼女の声は秘宝を見つけた海賊を僕に思い起こさせた。
一年がたとうとしていた頃、彼女はちょっとした話題になった。毎日サグラダ・ファミリアだけを熱心に描くアジア人が地元メディアの関心をひき、ニュースで紹介されたのがきっかけだった。僕は直接その特集を見たことはない。放送の翌日、彼女が嬉しそうに僕に電話で報告してくれた。彼女の声は、まるで彼女が隣の部屋にいるかのようにクリアに聞こえた。タイムラグもなにもない。雑音がはいるわけでもない。国際電話だと気付かせるような要素は存在しない。録画したテープを送るね、と彼女は言った。しかし日常の雑事の中に紛れてしまったのだろう、結局それが届くことはなかった。
アントニオ・ガウディはその生涯を通して数多くの建築をバルセロナの街に残した。どれも当時の既存の建築物からは一線を画するような奇異な外観を備えていた。彼は自然を常に開かれている本と考え、自らの建築デザインに取り入れていった。木々の根が持つうねりの曲線。垂れる枝が描く優雅な曲線。自然を師と仰ぐ彼は自らの建築をもってバルセロナの街に見事な曲線を描いていった。
ガウディの人生は彼の作品同様に風変わりなものであった。幼い頃は病弱な体質に苦しめられたガウディは、大人になってからは億劫な性格に悩まされ女性恐怖症となってしまう。同じく病弱だった兄弟たちとも死別をしたため、彼は孤独な人生を送ることになった。それはもしかしたら幸運なことだったのかもしれない、と僕は思う。芸術家は生来孤独でなければいけない。結局のところ、芸術とは自身の内面を描く物だからだ。誰かの写しではなく真にオリジナルの物を生み出そうとした場合、人は自身の内に向かうしかない。外的影響を受けずに守られている自分の核のような部分に降りていかなければいけない。そしてそこから何かを掬い上げてこなければいけない。そうすることで初めて生まれたての赤ん坊のような純粋で独創的な芸術が生み出される。
建築に捧げたガウディの人生の終わりは唐突に訪れた。彼は仕事場であるサグラダ・ファミリアに向かう途中で路面電車に引かれて死んでしまう。
偉大な芸術家の寂しい最期だ。