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僕と私。  作者: なつめ
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私、仕事についての考察

 卒業後に私は富山での就職を決めた。自宅から車で15分の距離にある花屋だ。

 子供の頃よく母に連れられていったスーパーの中にその花屋はある。店先にはいつでも色彩豊かな花が飾られていた。店先から5メートルほど離れて店頭ディスプレイを眺めるのが私の一番のお気に入りだった。まるで展示物が毎日変わる美術館を訪れているようだった。花の配置は私が訪れるたびに変わっていて、母が買い物をする間に、その景色を眺めるのが幼い私の日課だった。高校になる頃には、私はすでに花屋で働くことを胸の内に決めていた。だからといって可憐なイメージだけで決めたわけじゃない。何より私を惹きつけたのは、花が人に与える影響の強さだ。花の色と種類によって作り出される花束は、人をとても幸せな気持ちにさせることができる。それはアレンジする人の気持ちや意図を見事なまでに反映し、見るものの心を強く動かす力を持っている。

 大学時代に私はフラワーアレンジメントに関する本を読みあさった。夏期休暇を利用してフラワーアレンジメント教室に熱心に通いもした。そのかいあって、大学卒業間近の私には莫大な知識が蓄積されていた。私は慣れ親しんだ花屋の店長であるヨリエさんに、彼女のお店で働きたいと勇んで伝えた。ヨリエさんは考える様子もなく、いいわよと言ってくれた。

 彼女は毎日お店の前で花を眺めていた少女を覚えていてくれた。いつか必ず花屋で働くだろうなって思ってたのよ、と彼女は笑みを浮かべて言った。「すごく楽しそうにディスプレイを見てたのを今でも覚えてる。こっちが緊張しちゃうくらい一生懸命にね。あなたは知らないだろうけど、プレッシャーだったんだから。あの子の期待を裏切らないようなアレンジをしなきゃっていつも思ってたのよ」

そう言ったヨリエさんは、私が覚えているよりもいくぶん落ち着いて見えた。記憶の中の彼女は、ピンク色のエプロンが似合うお姉さんだった。若さという有り余るエネルギーを周囲に放っていた。でも目の前にいる彼女にそれはない。外見が老けてしまった訳ではない。30代前半であろう彼女の体型は以前と変わらずにスリムなままだ。顔も髪型以外に変化は認められない。それでも4年の歳月は目に見えないものを変えるには十分なのかもしれない。若い私にとって時は常に私の味方をしてくれるものだ。それは何かを与えてくれるものであり、私から何かを奪うことは決してない。でもれが永遠に続くことはないのだ。それはわかっている。ある時点で転換点は確実に、そしておそらくは唐突に、訪れる。後戻りはできない境界線。完全なる一方通行。その地点を越えてしまえば、時は手の平を返したように私達から多くのものを奪い始める。

 就職が決まったその夜、私はナオコに電話をかけた。彼女は私の就職を心から喜んでくれた。彼女は私が花屋の前で過ごした日々を知っていたし、私がどれほど狂信的なまでにフラワーアレンジメントを勉強していたかを知っていた。

「ユイは最高の花屋さんになれるよ」と彼女は電話口で声を高めた。「それだけ花が好きなんだから、まさに天職だよね。私も無事に貿易会社に就職が決まってるし、これで2人は安泰だね」

 私たちはそれぞれ冷蔵庫から冷えた缶ビールを出して、電話越しに乾杯をした。

「2人の未来に」


 花屋での仕事は楽しかった。アレンジして販売するだけが仕事じゃないのは始からわかっていたので、理想と現実の差に落胆することもなかった。私が大学時代に読んだ本の中には、花屋の業務内容に関するものも多く含まれていたからだ。日々はおおむね私の期待通りに流れ、充実した生活を送ることができた。ただ慌しく過ぎていった1年目と違い、2年目になると顔なじみのお客が増え、その中の何人かは私のアレンジをとても気に入ってくれた。彼女達は、何か入り用があるたびに、私にそれに見合ったアレンジを依頼した。私は彼女達のイメージをできるだけ損なわないように、念入りに話を聞いた。どのような場面で、誰に渡すのか。そしてどのような気持ちで送るのか。それらのリクエストを私の中で消化し、そしてアレンジ案を膨らませた。

 そして7年がたった今では、私は店長となって毎日を忙しく送っている。

 とても充実した毎日だ。


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