私、かならずどこかに(1)
私が駅に着いた時にはもう東京行きの特急電車は終わっていた。駅員は申し訳なさそうに、翌日の始発の時間を教えてくれたが、私はどうしても一晩何もせずに過ごす気にはなれなかった。不満そうな顔をしている私を見た駅員は、寝台列車ならあと30分後に出発するものがあると教えてくれた。私が話せないことに気づくと、いっそう申し訳なさそうな声で、すいません、と言った。
私は寝台列車のチケットをすぐに購入した。
プラットフォームにはほとんど人気はなかった。学生らしい男がベンチに座って、コーヒーを飲んでいる。南極に取り残された男が必死で残り一つのホッカイロにしがみつくように、大切そうにコーヒーを抱えていた。私はその男から少し離れた場所にある柱に寄りかかって、ポケットから携帯を取り出した。やはり母には言っておくべきだろう。といっても、声が出ない状況では無言電話に終わってしまうためメールで伝えるしかないのだが。
母はかんかんになって怒るだろう。でももうどうしようもない。私はここにいるし、なんとしてでもナオコに会いに東京にいく。
携帯はすでに充電が切れてしまっていた。ボタンを押しても、ただ黒い画面が静かに私をにらんでいるだけだった。考えてみれば、昨日の夜から充電していない。結婚式に出かける前に充電したきりだ。もちろん充電器もない。会ったとしても深夜のプラットホームで充電なんてできる訳がない。私は公衆電話を探して家に電話をかけようかと迷ったけれど、結局やめてしまった。しかたない。今かけるのも、明日の朝かけるのも、たいした違いはない。ナオコにも連絡できないけど、彼女の家はわかっているし、大丈夫だろう。
私は携帯をカバンに放り込んで、電車がくるまでの時間を柱の影で震えながら静かに待った。
電車は控えめに言ってとてもすいていた。車両にはまばらに3人が座っていた。みんなうつむき加減で、これからあの世に向かう魂の一団のようだ。電車は、一瞬金属がきしむような音を出した後で、静かに滑り出した。いくつかの夜光灯が白く灯しだす富山駅が徐々に小さくなっていく。車内同様に車外にも無音の世界が広がっているような気がした。雪がすべての音を包み込んで消してしまったようだった。
私はシートを大きく後ろに倒し、座席においてあったブランケットを顎の下まで持ち上げた。眠れないと心配していたのが、嘘のように強烈な眠気が私を眠りの中へと引きずりこんだ。
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短い夢の中で、私は魂の一団の一員となっていた。厳かな気持ちで、あの世へと向かう列車に静かに揺られていた。ただ、私は悲しくはなかった。なぜならそこにはナオコがいるとわかっていたから。彼女は私を待っているのだ。やがて顔のない車掌らしき男がやって来て、私に切符を見せろといった。もちろん、その男に口はない。だから、実際に音を発した訳ではない。でも、確かにそういったように私には聞こえた。切符はないと私は答えた。残念ながら、切符を買ったような記憶はないし、だいたい自分がいつからこの列車に乗っているかも覚えていない。しかし、顔のない車掌はもう一度、切符を見せろと無音に言った。切符はない、と私は繰り返した。そうすると、顔のない男は、それまでなかったはずの口を大きく開いた。何の予兆もなく、何もなかった場所が、ぱくりと割れて口になってしまったのだ。そしてその口しかない男は、金属音のような甲高い奇声をあげ始めた。頭が割れてしまうかと思うほどに不快な音だった。やがてそれまで顔をうなだれていた乗客たちが顔をあげてこちらを見た。彼らは車掌と同じように、顔のない人々だった。彼らは、存在しない目で私に軽蔑の視線を向けていた。
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「まもなく大宮駅に到着します。お忘れ物のないようにご準備ください」という車内アナウンスで私は目を覚ました。