私、なくてはならないもの(後)
そしてもう一つ、私には考えるべきことがある。私を刺した男についてだ。あの場面を思い出したくはない。でもしっかり記憶をたどらなきゃいけない。思い出しておく必要がある。
頭が鈍く痛む。無意識が私を守ろうとしているのかもしれない。もしかしたら私は思い出すべきじゃないのかもしれない。
私は目を閉じて深呼吸をした。
それでも知らなきゃいけない、と私は心の中で反復した。私はもう一度ゆっくりと息をはいて、自らを記憶の中の展望台へと導いた。
私は刺されて地面に倒れ込んだ。胸を見ると血が流れ出ている。喉から呼吸とも言葉ともとれない空気が流れ出る。視界の端が次第にぼやけてくるなかで、何とか犯人の顔を見なければと顔を上げる。徐々に狭まってくる視界の中央に、血の滴るナイフをもつ男が立っている。私は意識を集中する。鼻筋が通っている。目は二重だ。特に特徴はないけれどハンサムな顔だ。しっかりとした顎をしている。体つきもいい。学生時代に、運動部に所属していた体だ。いや、彼は実際に運動部に所属していたのだ。私は彼がハンドボール部に所属していたことを知っている。彼が笑顔で映っている写真をよく覚えている。幸せそうに、ピースサインをカメラに向かってしている彼。そして、その隣に映っている女性を私はもっとよく知っている。とゆうか、誰よりもよく知っているといっていいかもしれない。彼はナオコの横で幸せそうに笑っていた。それはナオコが私に最初に見せてくれた彼氏とのツーショットだった。自慢げに写真を見せていた。
コウだ。
間違いない、私を刺したのはコウだ。
目を開けた時、世界が歪んでいた。そこはすでにさっきまで私がいた病室ではなかった。表層的には変わらない。硬いベッド、無機質な窓、無愛想な壁。全ては同じだ。でも私の全細胞が私に告げていた。
何かが起こっている。私の周りで何かが入れ替わってしまったのだ。
ナオコに会いにいかなきゃいけない。今すぐに。今ならまだ終電に間に合うはずだ。
私は誰にも言わずに病院をでた。