私、ひみつ
私が自分の「特殊性」に気付いたのは16歳の夏、高校生活にも慣れ始めた7月の事だった。私があえて特殊性と呼ぶのは、それが世間一般においては、そう、特に日本においては、「かなり」がつくほどの少数派だからだ。
私が生まれたのは富山県。山に抱かれた美しい町だ。地震も少ないし、台風もこない。高校生にとってはいささか刺激に欠ける場所ではあるけれど、土着傾向が強いのもうなずける。立山の頂から流れる雪解け水は、やがてその姿を川へと変え日本海へと注ぐ。時間は河口の河流のようにゆるやかに、しかし着実に進むべき方向へ流れていく。
そこでは「受験戦争」と呼ばれるものは存在しない。せいぜい小競り合い程度。学生達は公立高校を目指して常識的に勉強する。私もそうだった。命を削るような覚悟で睡眠時間を割き、悪魔と戦うような剣幕でペンを動かすことは一度もなかった。1日8時間は確実に眠った。
高校入学時に平均よりも少しだけ低かった身長は高さを競うたけのこのように伸びていった。大きく変化をとげる体にあわせるかのように、私の心に変化が起こった。いや、変化なんて生温いものではない。転換期、とでも呼んだほうがいい。それは唐突にやってきた。まるで道路を杖で適当につついたら温泉が湧き出てきたみたいに。
私はクラスメイトに対して特別な感情を抱いていることに気が付いた。思春期なんだからそんなことは当たり前だ、なんて思わないでもらいたい。私が通っていたのは女子高で、もちろん私も女の子だった。そして私が恋心を抱いた彼女の名はユキナといった。そう、私は同性に恋をしたのだ。数学の授業に疲れた私は、片肘をつき左前に座るゆきなの白いうなじを見るともなく眺めていた。すると突然、体の中で何かがうまれたような感じがした。最初は微かなうずきのような感覚だった。しかしそれは次第に大きく、そして重たくなって、私の中に地響きのような震えを呼び起こした。それは何かを決定的に変えてしまった。私はユキナに恋をしていた。その発見は私を驚愕させ、体の芯を揺さぶった。ひんやりとした汗が体中から噴きだし、対照的に顔が熱くなるのがわかった。でも気付いた瞬間の衝撃が過ぎ去ってしまうと、後には事実だけが晴天にぽかりと浮かぶ孤陋の雲のように残った。
ユキナは姿勢のよい女の子だった。歩いているときも座っているときも背筋はぴんと伸びていた。彼女の頭はまるで空に浮かぶ星を指し示すかのように、天に向かっていつも固定されていた。色白の顔には大きな1対の漆黒の目がぽっかりと浮かんでいた。彼女と向かい合って話をしていると全てを見透かされているように感じることがあった。その視線は私が見につけている装備の全てを一瞬にして剥ぎ取ってしまう力を持っていた。
ユキナと私は友達として高校生活を過ごした。私は彼女への恋心を心の一番奥深くにしまいこみ、細心の注意を払いながらユキナを思い続けた。2年生になった時のクラス替えで別々のクラスになってしまうまでの毎日、私は暇をみつけては彼女のうなじを飽きもせずに眺めていた。それは私をとても幸せな気分にしてくれた。冬になる頃には彼女のうなじを見るだけで多くがわかるようになっていた。彼女のうなじは彼女の体調や機嫌を実に正確に私に語りかけてきた。2年になってクラスが離れてからも私たちは仲のよい友人であり続けた。
私は自分が同性愛者であることを恥ずかしいと思ったことはない。私はどこまで行っても女性に恋をし続けるだろうし、男性に対して性的な欲求を抱くことは決してないだろう。だからといって、私は自分の特殊性に関してオープンなわけではない。むしろ逆といってもいいくらいだ。私は頑なに自分の秘密を押し隠してきた。母親にも言っていない。父親は私が中学生の時に交通事故で死んでしまったので、打ち明けるチャンスすらなかった。父が生きていたからといって状況が変わるわけではないと思うが、女手一つで育ててくれた母親にむかって「私は同性愛者だから、結婚することも、子供を生むこともないと思うわ。残念だけど」なんて口にすることはできない。絶対にできない。
私の秘密を知る人物が一人だけいる。彼女の名前はナオコという。私たちは同じ高校に通っていた。クラスも部活も違っていたので、学校での接点は全くといっていいほどなかったが、犬の散歩中に偶然公園で出会わせ、それがきっかけで仲良くなった。学校でも話すようになり、犬の散歩にも一緒に出かけた。彼女はヨークシャー・テリーを、私はコリーを連れて公園で待ち合わせをし、井戸端会議でもするかのように最新の噂話などを三十分程話すのが私たちの日課になった。
ナオコは小柄で活発な子だった。そして何よりも幸せそうな子だった。彼女はよく笑った。その笑顔は、何か幸運な出来事を予言しているようにみえた。彼女の黒髪はいつも櫛をいれたばかりのように輝いていて、肩に届くか届かないかというところで、絶妙な曲線を描いて内側にカールしていた。それは達人が最高級の墨汁と筆を使って書き上げた、カタカナの「ノ」のように見えた。彼女と公園で過ごす時間は私にとってかけがえのないものになっていった。他の何かで置きかえることはできない時間。それはナオコにとっても同じであったはずだ。私にはそれがわかっていた。私は彼女を必要としていたし、彼女は私を必要としていた。だからといって私はナオコに恋をしていたわけでは決してない。私はあくまでも密かにユキナを想い、あくまでも静かに彼女のうなじを眺めていた。そして私とナオコはあくまでも友人であって、その線を越えることは私の望むところではなかった。
私がナオコに秘密を打ち明けたのは高校2年の秋だった。公園で初めて顔を合わせてから1年が過ぎようとしていた。紅葉の季節は終わり、色合いが抜けた公園は冬を静かに待つだけといった様相で、空はといえば蓋をかぶせたような雲がこれから始まる北陸の冬を静かに、それでいて決定的に暗示していた。私は覚悟を決めていた。私は彼女に事実を、自分のありのままの姿を提示する義務があるし、ナオコはそれを知らなければいけない。いつもより長い時間をかけて公園に着いたとき、ナオコはいつのもベンチに座っていた。
砂を踏みしめる足音がいつもよりも乾いている気がする。ステップに合わせて聞こえているはずの足音が、どこか遠くから聞こえてくる。ナオコはすぐに私に気付いて小さく笑う。私も小さく頷いて応じる。そして10センチほどの間を空けて隣に座る。
言うしかない。
「今日は聞いてほしいことがあるの―」
私が話し終わるまでの間、ナオコは何も言わずに聞いていた。静かにまばたきをし、そして時々思い出したように小さく頷いた。それまで誰にも打ち明けたことがない事実。それは一旦私の口から発せられてしまうと他人事のようだ。次々と言葉が溢れてきた。どのくらい話していただろうか。布にインクが染み入るように、時間の感覚は意識の中に埋もれていった。十分かもしれないし、1時間かもしれない。途中で手袋を外したことを異様にはっきりと覚えている。私は全てを話した。幾重にも包装された包みを剥がしていくように、1つ1つの事実をナオコに提示した。自分が同性しか愛せないという発見がいかに衝撃的な、しかし同時に自然な事実として私に訪れたのか。どれだけユキナのことを想って毎日をすごしているのか。ユキナのうなじを眺めた幸せの日々についても包み隠さずに話した。私が全てを話し終わったとき世界がひとまわり小さくなった気がした。
しばらくの沈黙の後で、彼女は一つ大きく頷いた。そして口をしっかりと結んでから、もう一度強く頷いた。私の目からは涙が落ちていた。ナオコは私を受け入れてくれた。彼女は私を、この私をしっかりと抱きしめてくれた。ガラス細工を手のひらで包むように優しく私を抱きしめてくれた。一度あふれた涙はとどまることを知らなかった。それまで自分一人の心で担いできた重荷。いったいどれほどの荷物を背負っているかさえ知らなかった。一旦荷物を下ろしてしまうと、それまで背負って歩いていたものの重さが感じられる。背中は軽い。荷物はすでに地面の上だ。それでも、重さの不在を通して、軽さを通して、私はその重さを知ることができた。
ナオコに打ち明けたおかげで、私の気持ちはずいぶん楽になった。もちろん打開策が見つかったわけではない。状況は何一つ変わっていない。私はユキナに想いを打ち明けることはできないし、異性を好きになるわけでもない。それでも、ナオコが私を理解してくれていると思うだけで心が軽くなった気がした。
ナオコは私を受け入れてくれたんだ。
そこには抵抗もなく、嫌悪もなく、偏見もなかった。