私、過去と未来の同義性ー(前)
母が私に事実を告げた夜からしばらくの間を私は何もせずにすごした。まるで世界がその回転を止めてしまったような日々だった。もちろん私は毎日仕事に行った。お客と会話だってした。でも私はそこではないどこか別の場所にいた。
ふと気がつくと、意識がどこかを彷徨っていることもしばしばだった。気がついて時計を見てみると、一時間たっていることもあったし、一分しかたっていないこともあった。感覚が途方もなく平たく引き伸ばされているような気がした。全ての物音はゆっくりと私の耳に届き、人々の声は鈍く響いた。そう、まるで深海で聞く鐘の音のように。
朝になると目を覚まし、服を着て、家を出た。極めてシンプルで起伏のない一日。仕事が終わると家に帰って眠りにつく。どうしても必要な時以外は誰とも口をきかなかった。朝と夜に母とは顔を合わせた。言葉も交わした。でも、あの夜以来、病気に関する話題が私達の間で交わされたことはなかった。何度かナオコからの着信が残っていたが、折り返す気にはなれなかった。いつもは何かがあれば、私はナオコに電話をかける。彼女は私の親友であり、全てを分かち合える唯一の人間だから。でも、今回ばかりは無理だった。少なくとも、まだ無理だ、と私は思った。私は自分自身とすら話せていなかったのだ。自分自身を一つの存在としてつなぎとめておけるかさえ確信がもてないでいたのだから。そのような状態で誰かと話をすることは不可能だろう。そう、それがたとえナオコだったとしても。
私はいろんな事を思い出した。奇妙なものだけれど、将来についてはほとんど何も考えなかった。考えなければいけないことはいくらでもあったはずだ。母がいなくなったらどこに住めばいいのだろうか?この広い一軒家で私1人になるのは嫌だ。どこかにアパートでも借りればいいのだろうか?母の治療費はどうすればいいのだろう?回復することはあるのだろうか?挙げていくときりがないほどに問題は山積していた。それは疑いようのない事実だった。それをきれいに並べていけば、万里の長城のような城壁を視界の限りに築くことができただろう。でもそんな状況で、私の頭を占めていたのは思い出ばかりだった。何歳だったか正確に思い出すことはできない。母といった公園の風景。私と母の近くで、同じ年くらいの男の子が父親とフリスビーをして遊んでいる。私はそれをとても羨ましく眺めている。そんなどうしようもないような思い出。そういうものが鮮明に記憶の流砂のなかに浮かび上がってきた。
母の様子にはいつもと変わったところは見られなかった。私以上に動揺しているに違いない。なんといっても実際に癌にかかっているのは母なのだ。死と向き合わなければならないのは彼女なのだ。それでも彼女は気丈に振舞っていた。私に気を使っていたのだと思う。私の口数が少ないことにも気がつかない様子で、私に話しかけてきた。余りにも普通すぎて、もしかしたらあの夜に母の口から告げられたことの全てが私の頭の中だけで起こったことなのじゃないかと思えてくるほどだった。でももちろんそんなことは、ない。癌細胞は、今この瞬間もせっせと彼女の体を蝕んでいる。突然私は癌細胞が憎くてたまらなくなった。ついさっき掘り当てたばかりの井戸から湧き出る水流のように、私の中に憎しみが湧き出てくるのが感じられた。どうして私の母が癌にならなければいけないのだろうか?父親が他界した後、彼女は懸命に働いて私を育ててくれた。文字通り眠る時間を惜しんで働いたはずだ。そうでもしなければ、女手一つで子供を育てるなんて無理だろう。そしてやっとの思い出ひとり立ちさせた娘。これからは自分のための時間が持てたはずなのに。そう考えると怖いくらいに憎かった。そして私は残されてしまう。母がいない世界に、たった1人で。