オッドアイの少年
朝食はパンとそれに付けるソースみたいなもの、それにサラダとスープ。至って健康的だ。
冒頭でこの旅行はただのレクリエーションだと言ったが、一部訂正する。
二日目は各班で、その国にある養護施設、老人ホーム等を訪問して、ちょっとしたボランティア活動をする。方法はさまざまだ。ヘルパーの仕事を手伝ったり、ギターを持ちこんでミュージック・セラピーをしたり。
カレンを部屋で寝かせたまま、俺達はホテルを出た。彼女に必要なのは休養だ。荷物を盗む心配も無いだろうと判断した。
トラムに乗ってムーステクに向かう。
ホームと地面の高さが同じ為、電車が来ると埃が目に沁みた。
ガタゴトと鳴る揺れに身を任せて寝る暇も無く、トラムはムーステク駅に到着した。
バロウベク記念養護院は、自身も貧困に喘ぐ生活を送った経験のあるハルムート・バロウベク(〇五年死去、享年八七歳)が創設した。親を亡くしたり、もしくは見つからない子供などを引き取り、社会に適応する教育を行い、並びに新しい育て親を募る活動を行っている。運営資金は、ハムルート・バロウベクの遺産とボランティア連盟の投資によって成り立っている。
受付に行くと、案内役らしい男性が出迎えた。
「本日ここバロウベク記念養護学校の案内を承ります、ヴァーツラフ・ホリーといいます。大学で日本語を専攻しておりました」と流暢な日本語で言った。「どうぞ、こちらへ」
俺達は、廊下を歩いき、ある一つの部屋へ着いた。
「ここは〇~三歳までの子供が集まる部屋です」
ハイハイしている赤ん坊や涎を垂らしてヨチヨチ歩いている幼児が10人ぐらい居た。皆胸に名札が付いている。
その中に気になる名前を見つけた。
ある一人の2歳児(推定)の胸に付いている名札を読んだ。
【Job Nolis】
ヨブ・ノリス。
ファミリーネームを女性詞に変形すると、ノリソヴァーとなる。そう、ノリソヴァー。聞き覚えがあり過ぎる。
いや、名前だけで決め付けるな。ノリスなんて名前、どこにでもあるじゃないか。それに彼女は、息子は三週間で死んだと言った。
しかしこの幼児は年齢的にも計算が合うし、鼻や目元の印象がカレン・ノリソヴァーがそっくりだ。ただの思い込みか?
単純に考えれば、子供は実は生きていて、今ここで普通に元気に暮らしているということになる。が、経緯が分からない。
顔の特徴は覚えた。帰って彼女にに確認してみようか。
「どうした?」という神代の声で俺は我に帰った。「ボーッとして」
「ん? ああ。いや、別に」
「……そうか」
「ここは新しい親を見つける為の部署です。中では静かにお願いします」
中に入ると、20人ぐらいのスタッフが電話を掛けていた。
「ファックスで候補のお宅に子供の写真を送り、引き取り手を探します」
なるほど。
「それでは次に行きましょう」すぐに歩き始める。「こちらです」
食堂だった。テーブルがあり、カウンターの前には食器とお盆、奥にはなべやフライパンが置かれている。
「まあ、見ての通り、食堂です。こちらは子供達の為のもので、隣が職員用になります」
中はクラスごとに分かれているようで、合同で給食を摂っているような感じだった。
「それでは次に」
進めるの早いな、と小声で呟いた。まあいい。それよりやはり、最初の部屋の少年が気になる。
「やっぱり何かあったな」和久井が言った。「あの子の事か?」
「……ああ、まあ」
「ここで彼女に関係する事って言ったら……息子か?」
「何だ?」と松山。
「カレンの子供かも知れない幼児が」
「死んだ筈だろ?」神代が言った。
「彼女からはそう聞いた。でも、死んでなかったのかも」
「何だってそういう事があり得る?」と和久井。
「分からない。だからさっきからずっと引っ掛かってる」
沈黙が起こる。
「皆さん、早く来て下さい」ホリー氏が廊下の向こうで言った。
「顔は覚えた。帰って、特徴を彼女に」
「辛い過去を掘り返すような事して大丈夫なのか?」神代が言った。「それに本当にそれが息子だとして、どうする?」
「会うべきだ。親子は一緒に居ないと」
「彼女は今、帰る家も――」
「それでも」勿論その事も考えた。「守るべき者が居れば切り抜けられる。違うか?」
「……彼女次第だ」松山が言った。「確認しない事には何も始まらないしな。行こう、ホリーさんが待ってる」
今日俺達はこの施設に、不足している筆記用具を寄付し、子供たちに折り紙を教えた。
「あの、ちょっと、聞きたいんですけど」帰り際、俺はホリー氏に尋ねた。
「はい、何でしょう」
「一番初めの部屋に居た、ヨブ・ノリソヴァーって子の事です」
「ああはい、あの子がどうしました?」
「ここに来た時、どんな状況でした?」
「すみません。ここにいる子達の個人情報は、口外出来ないんです」
「あの子を引き取るべき人物が知り合いに居るかも知れないんです」
「しかし……」
「なら」何を訊けば手がかりになるか。「……彼を連れて来たのは、どんな人でしたか?」
「母親です」
「歳は?」
「四〇代始め、といったところでした」
多分、それは祖母だろう。
「děkuju. Nashledanou.」
「Ano.」
夕刻。
ホテルに戻ると、カレンはベッドに座ってテレビを見ていた。
「おかえり」彼女は言った。
「ただいま」俺達はそれぞれのベッドに腰掛けた。俺は彼女の隣に。
「カレン。ちょっと、訊きたい事があるんだ」
「何?」
「……子供の事」
「ああ……」
「大丈夫?」
彼女は頷いた。
「どんな顔をしてたか、覚えてる?」
「猿みたいだった」彼女は笑った。「目が変わってたの。片方が青くて……」
「もう片方は黒。オッドアイだった」
「どうして知ってるの?」
俺は彼女をじっと見た。
「……まさか」
俺は頷いた。
「生きてたの? そんな――」
「今日行った養護施設に。名前は、ヨブ・ノリス?」
「ええ、そうよ」
「君は彼が死んだと思った時、どういう状況だった?」
「朝起きると、お母さんがヨブは死んだと。それでベッドを見たら、横たわってた。まだ立てなかったんだもの、寝てるように見えたわ」
「寝てたんだ。いつものようにね」
「でも、胸に耳当てたら、心臓の音、聞こえなくて……」
「毛布は? どけてから耳を当てた?」
「……Ne.」
「毛布の中か、服の下に目立たないクッションを仕込んだんだろう」
「じゃあ、あの子は……」
「元気だ。もう歩いてるよ」
「良かった。本当に」
「彼を……引き取る?」
「分からない。返してもらっても、二人で生活するだけのペニー(お金)が」
「……そうだな。とりあえず、生活が落ち着くまでは、ときどき会いに行けばいい。面会は許される筈だ」
「ええ」彼女は俯いた。「ありがとう」
膝に幾つか、涙が落ちた。
俺は彼女の頭に手を置き、三人を見た。彼らも何も言わず、こちらを見ていた。
翌日。
俺は日の出と共に目が覚めた。
他の者はまだ寝息を立てている。
洗顔用具を持って、バスルームの鏡の前に立つと、目の下に隈が確認出来た。
やるべき事がある。
冷たい水で顔を洗って、少し眠気の残る目をこじ開けた。
剃刀を取り出し、据え付けの石鹸を使って髭を剃った。失敗して少し切って、赤い血が滲んだ。
洗面所を出てふとベッドを見た。そこに居る筈のカレンが居なかった。
ドアが閉まるのが見えて、廊下に出ると、彼女が歩いていた。
「どうした?」
声を掛けると、彼女は小さく肩を震わせた後、こちらを向いた。
「……出てくのか?」
「あなた達には、もう十分良くして貰ったから。宿泊費も出してくれて、子供の事だって……」
「やりたくてやってるって言ったろう。それに払った宿泊費は三日分、元も取れない」
「ごめんなさい」
「謝るな。それに、君の母親の事もある」
「どういう事?」
「君に子供が死んだと偽って、施設に送った。問い詰めるべきじゃないか?」
「どうやって?」
「飾り窓へ」
「まさか……何にもならないわ。それに、子供は施設にいた方が幸せ。私のとこに来たら、生きてけないじゃない」
「本当にそう思うのか?」
「どういう事?」
「養護学校に居るヨブぐらいの子供は、ほとんどが一人遊びをしてた。どうしてだと思う?」
「どうして?」
「人との付き合い方を知らないからだ。教えてくれるのは誰だ?」
「……親?」
「そう、親だ。子供は親の背中を見て生き方を知る。あそこは先生は居るが、親として愛する事の出来る相手は居ない。良い育て親が見つかればいいけど、それも保障されない」
「……」
「別に無理強いはしない。けれど、君がもし息子との新しい生活を望むなら、何かしらのアクションは起こさないと」既に無理強いしている気分だったが。「とりあえず、今日は外で朝飯にしようか」
二人でホテルを出た。俺は携帯を取り出して、神代に電話を掛けた。
「もしもし」
『起きたら二人とも消えていて驚いた」
「すまない。ちょっとな」
『彼女とは一緒か?』
「ああ。今日はちょっと出てるから、顧問によろしく言っといてくれるか?」
『おいおい、抜け駆けか?』
「そんなんじゃない。孫を養護施設に送った女に会う」
『やっぱり抜け駆けじゃないか』
「最初に関ったのは俺だ。責任を取るだけだよ」
『早めに帰れよ』
「ああ」
電話を切った。
財布片手に、朝からやっている店を探した。カレンはこの辺のことをよく知っていたので、あまり時間はかからなかった。
「こんなとこに入ったの初めて」日本でいうところの定食屋みたいなものだったが、カレンは言った。メニューには、他の東欧諸国と同じように、グラムでの量が記されている。二人とも、Hemenexと呼ばれる、ハムエッグがチェコに入って若干変化したものを頼んだ。
「こりゃ当たりだ」そう言うと、カレンは頷いた。
食べ終わって、店員を呼んだ。
「Zaplatím prosím(勘定を)」
二人で一〇六コルナを支払った。日本円にして、約五〇〇円。かなり安い。
道をひたすら歩いてゆく。
「歩くの、ちょっと速いよ」カレンが言った。
「ああ、ごめん」俺は立ち止まった。「飾り窓に行くとは言ったものの、どの辺りだ?」
「ドイツとの国境が見えるの」
「端の方か」
「でも、今も彼女がそこにいるかどうか分からない」
「母親?」
彼女は頷いた。「かなり歳だもの。娼婦としてはね」
再び歩き出す。今度はカレンの左斜め後ろを。追い越しそうになると肩が当たって気付くように。
国境へ行くには、郊外のここからでは無理だ。まずプラハ中心地に行って、そこから列車に乗らなければならない。しかし今日の行動は見切り発進だ。どれだけの期間を要するかも分からない。
とゆうことで、俺達二人は地下鉄の乗り場へ来た。ここからプラハ中心地へ行き、国境への列車のチケットを買う。
列車に揺られている間、カレンはうつらうつらと舟を漕いでいた。朝によっぽど早く起きたのだろう。
プラハ中心地へ到着。チケットを買おうとするが、よくよく考えてみればどこまでのチケットを買えばいいのかも分からない。カレンもヒッチハイクを経由したらしく、列車の経路の全ては頭に無い。ヴィシェフラドへ戻って、調べてから出直す事になった。
俺は再び神代に電話を掛けた。
「もしもし、俺だ」
「どうした?」
「朝、言っといてくれたか?」
「まあ、なんとかな。本当になんとか」
「恩に着るよ」
「おう。それで、今どこに居る?」
「プラハ城が見えてる」
「中心地か」
「飾り窓へ行く列車のチケットを買いに来たけど」
「んじゃ、行こ」俺は言った。頷いて、カレンは一緒に歩き出す。
「子供には?」
「今から?」
「見るだけ見たかったら、ムーステクに。どうする?」
「……会いたい」彼女は切実に言った。
「分かった」
再び地下鉄に乗る。ヴィシェフラドで一旦降りて、昨日と同じ道順でバロウベク記念養護学校へ向かった。
「Mr.Horry is here?」受付の女性に英語で尋ねたが、すぐに内線を繋ぎ、ホリー氏を呼んでくれた。
「ああ、昨日の。どうしました?」
「少し、お願いがありまして。ヨブ・ノリスの姿をこの子に」
「昨日言っていた、知り合いの方ですか?」
「ええ、まあ……」
部屋へ向かって、中に入ると、カレンは正味三秒で息子を見つけた。
「Job.――」カレンは感嘆の息を漏らした。
「確かなんだな?」本当に彼女の息子かどうか、という問いかけだ。彼女はしきりに頷いた。
「そうか。まあとりあえずは、良かった」
カレンは口を押さえた。正直なところ、俺は今まで何の苦労も無い生活を送ってきたから、彼女の正確な心情を掴み取ることは出来ない。しかし、カレンは今この上無い安堵を感じている事は分かった。
「もう、行くわ」カレンは言った。
「もういいのか?」
「今は見てる事しか出来ないから、あまり長く居ると辛いわ」
「……そうだな」
彼女は息子に見えない所で小さく手を振って、その場を離れた。
「どういう関係ですか? まさか弟さんとか」ホリー氏が言った。
「親です」
「……はい?」
俺はカレンと、また歩き出した。
ヴィシェフラドの、古城公園に戻ってきた。
「今日はとりあえずこれで終わりだ。また明日、ある程度進めていこう」
「うん」
今日は、殆ど俺が一人でベラベラ喋っていた気がする。やはりこうゆうのは余計なお節介とゆうものなのだろうかと、自信を無くす。
「なあ、こんな事するのは、嫌か?」
「いいえ。私もお母さんに会いたいわ。あの子から愛を奪ったんだから」
「そうか?」
彼女は強く頷いた。
「なら、良かった」
「おかえり」和久井が言った。「どうだった?」
「うん、まあヨブをカレンに見せに行って、今日はそれで終わりだ」
「やっぱり息子だったか?」
「ああ。泣いてた」
カレンはトイレに立った。「明日は飾り窓へ。国境近くだ」
「遠いな。谷田がどう言うか分からないぞ」松山が言った。
「まあ、日帰りで帰って来れるだろう。高校生の修学旅行じゃないんだから、谷田にはあまりとやかくは言わないで貰いたいな」
「でも、親に会って、それからどうする?」と和久井。
「カレンを家から出した事とヨブの死亡偽装の理由を訊く」
「なるほど」
「そろそろ飯か」和久井が言った。