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再生、されなかった記憶



チリン――


銀のベルが鳴った瞬間、部屋の空気が変わった。

暖炉の火が、ふっと揺れる。

ワインの香りが、どこか遠くへ引いていく。

そして、静寂。


誰もが息を止めた。


《レプリカ・コア》が、掌の中で脈打つように光る。

金の文様が、ゆっくりと明滅を始める。


「……来ます」

ブーンシューンが、低くつぶやいた。


「“とっくに死んだ誰か”が、今――」


沈黙。


誰もが、何かを“視よう”としていた。

しゃくれたままのオグリーン夫妻。

眼鏡の鈴をチリンチリン鳴らすメイ。

腕立て伏せで息が上がったままのケイン。


そして――


何も、起きなかった。


《レプリカ・コア》の光が、ふっと消える。

部屋の空気が、元に戻る。

暖炉の火が、静かに揺れる。


「……え?」

ケインが、床に手をついたまま顔を上げる。


「……終わった?」

ユウが、しゃくれたまま首をかしげる。


「……いや、まだ……」

ブーンシューンが、球体を覗き込む。


「……あれ?」


「“あれ”じゃないわよ」

メイが眼鏡を外し、鈴をつまんで言った。

「これ、ずっと鳴ってただけなんだけど」


「……私たち、しゃくれ損?」

オグリーンが顎を戻しながら言う。


「……俺、200回やったんだけど」

ケインが床に崩れ落ちる。


「……失敗?」

ユウが、笑いながら言った。


「……いえ、これは“未遂”です」

ブーンシューンが、急に真顔で言った。


「“誰か”は来ようとした。

 でも、来なかった。

 それは、あなた方の心が――まだ、準備できていなかったから」


「……また詩的なこと言ってごまかしてる」

オグリーンが冷たく言う。


「ごまかしてません!

 ただ、そういうことにしておいた方が、後味がいいかなって!」


「……それ、完全にごまかしてるわよ」

メイが冷ややかに言った。


「でも、何か……音、しなかった?」

ユウが、ふと真顔になる。


「……音?」


「うん。最後の方。誰かが、階段を上がるような……」


「……それ、気のせいでしょ」

ケインが、疲れた声で言う。


「……そうね。気のせいよ」

メイが、眼鏡をそっとテーブルに置いた。


「でも、“気のせい”って、だいたい本当の始まりなのよ」


「……やめてよ、そういうこと言うの」

ケインが小さく震える。


「私はね」

ブーンシューンが、静かに言った。

「“何も起きなかった”っていう現象が、一番怖いと思ってるんです」


「……どういう意味?」

ユウが眉をひそめる。


「だって、何も起きなかったのに、

 空気が変わった。

 火が揺れた。

 音がした。

 ……それって、“何か”が来て、でも“見えなかった”ってことじゃないですか?」


沈黙。


「……それ、今言う?」

ケインが震えながら言う。


「今言うから、怖いんです!」


「……この人、ほんとに詐欺師だわ」

オグリーンがため息をつく。


「はい! でも、詐欺師って、だいたい真実の周りをうろうろしてるんですよ!」


「……それ、ちょっとだけ納得しそうになるのが腹立つわね」

メイが笑う。



「では、今夜の再生会は――これにて、閉幕です」


そう言って《レプリカ・コア》を懐にしまったブーンシューンは、

満場の沈黙を前に、帽子を胸に当てて深々と頭を下げた。


……誰も拍手しなかった。


「……ねえ」

ユウが、しゃくれを戻しながら言う。

「これ、ほんとに終わり?」


「はい! 終わりです! でも、始まりでもあります!」


「……どっち?」


「“終わり”と“始まり”は、だいたい同じ顔してるんです!」


「……また詩的なこと言ってごまかしてる」

オグリーンが冷たく言う。


「ごまかしてません!

 ただ、そういうことにしておいた方が、後味がいいかなって!」


「それ、三回目よ」

メイが指を立てる。


「では、皆さま。ここで“何も起きなかった理由”を、

 私なりに、三つにまとめてご説明いたします!」


「……説明する気はあるのね」

ケインが床に座り込んだまま言う。


「まず第一に――“湿度”です!」


「湿度!?」

全員が声を揃える。


「はい! 今夜は少し乾燥しておりまして、

 記憶体が“喉を潤す”前に、引き返してしまった可能性がございます!」


「……記録体って、喉あるの?」

ユウが真顔で聞く。


「ありません! でも、そういう気分になることはあります!」


「……気分で来るの?」

ケインが絶望的な顔をする。


「第二に――“しゃくれの角度”です!」


「……私たちのせい!?」

オグリーン夫妻が同時に叫ぶ。


「はい! お二人のしゃくれが、あと3度深ければ、

 記憶体との波長が完全に一致していた可能性がございます!」


「……しゃくれで失敗する儀式って何よ」

ユウが眼鏡を外しながら言う。


「でも、あのしゃくれ、素晴らしかったです!

 “記憶の門番”という称号を差し上げたい!」


「いらないわよ!」


「そして第三に――これは非常に重要な要因ですが……」

ブーンシューンは、急に声をひそめた。


「……ケイン様の腕立て伏せ、199回で止まっていたのでは?」


「えっ!?」

ケインが跳ね起きる。


「いや、やったよ!? ちゃんと200回やったよ!?」


「でも、199.5回だったかもしれません。

 最後の一押しが、記憶体の“扉”を開ける鍵だったのです!」


「……それ、今言う!?」


「今言うから、意味があるんです!」


「……この人、ほんとに詐欺師だわ」

メイが笑いながら言う。


「はい! でも、詐欺師って、だいたい“真実の周り”をうろうろしてるんですよ!」


「……それ、さっきも言ったわよ」


「繰り返すことで、説得力が増すんです!」


「……増してないけどね」


「でも、皆さま。こうして“何も起きなかった”という体験を、

 “全員で共有した”という事実こそが――

 最も貴重な記憶になるのではないでしょうか!」


沈黙。


「……それ、ちょっとだけ感動的に聞こえるのが腹立つわね」

メイがつぶやく。


「ありがとうございます! それが私の芸風です!」




---






「では、改めて今夜の再生会は――これにて、閉幕です」


そう言って《レプリカ・コア》を懐にしまおうとしたそのときだった。


――カチッ。


球体の中で、何かが“噛み合う”ような音がした。

誰もが、思わず動きを止める。


「……今の、なに?」

ユウが小声で言う。


「……起動音です」

ブーンシューンが、急に真顔になった。


「でも、遅すぎる。

 これは……“記録体が迷っている”音です」


《レプリカ・コア》が、再び淡く光り始める。

金の文様が、ゆっくりと脈打つように明滅する。


そして――


低く、かすれた声が、球体の奥から漏れた。


「……メ……」


一瞬、空気が凍る。


「……メ?」

ケインが眉をひそめる。


「“メ”って……メイの“メ”?」

ユウが振り返る。


「違うわ」

メイが即座に言った。

「“メ”なんて、いくらでもある。

 “メロン”かもしれないし、“メメントモリ”かもしれない」


「……メロンはないと思うけど」

オグリーンがぼそっと言う。


「それに、声……なんか、聞き覚えが……」

ケインがつぶやく。


「やめて」

メイの声が、ぴしゃりと空気を切った。


全員が、彼女を見た。


「……やめて。

 “誰か”を、私に結びつけないで。

 これは“匿名記録体”でしょ?

 だったら、誰でもないままでいて」


《レプリカ・コア》の光が、ふっと消える。

まるで、メイの言葉に従ったかのように。


「……拒絶されましたね」

ブーンシューンが、静かに言った。


「記録体は、呼ばれることを望んでいた。

 でも、呼んだ人が“来るな”と言った。

 だから、帰ったんです」


「……そんな都合よくできてるの?」

ケインが言う。


「できてません! でも、そういうことにしておいた方が、後味がいいかなって!」


「またそれか」

メイが、眼鏡の鈴を外しながら言った。


「でも、あの声……」

ユウが、まだどこか引っかかっているように言う。


「“メ”って、呼びかけだった気がする。

 “メイ”の“メ”……」


「やめてって言ったでしょ」

メイが、今度は静かに言った。


「……あれは、ただのノイズ。

 記録体のバグ。

 意味なんて、ない」


「……でも、意味がないものほど、怖いのよね」

ユウが、ぽつりとつぶやく。


「そうです! だから私は、こう言うんです!」

ブーンシューンが、急に元気を取り戻す。


「“意味のない現象”こそ、最も意味深である!」


「……それ、名言っぽく言ってるけど、ただの言い訳よね」

メイが冷たく言った。


「はい! でも、言い訳って、だいたい真実の周りをうろうろしてるんですよ!」


「……それ、四回目よ」


「繰り返すことで、説得力が増すんです!」


「増してないけどね」


沈黙。


誰もが、笑いながら、どこか落ち着かない。


そして、誰もが、

「何もなかった」と言いながら、

“何かが始まった気がする”という感覚を、

胸の奥にしまい込んでいた。







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