儀式の残響
館は、静かだった。
メイが去ってから、誰も住んでいないはずだった。
だが、その日、再び扉が開いた。
「よし、準備は万端ですぞ!」
ブーンシューンが、満面の笑みで館に入ってきた。
その後ろには、オグリーン夫妻が続いていた。
「誰もいないのに、またやるの?」
オグリーン夫人が言った。
「“誰もいない”からこそ、やるのです」
ブーンシューンは、真顔で答えた。
「記憶とは、空白にこそ響くもの。
そして、我々の儀式は、空白にこそ意味を持つ!」
「では、いきますぞ! 第三型、最終段階!」
ブーンシューンが、スプーンを高く掲げた。
オグリーン氏は顎をしゃくれさせ、
夫人は香を焚きながら、スプーンを円の中心に置いた。
「記憶よ、記憶よ、記憶よ……」
三人の声が重なる。
「この館に残された残響よ、
我らの顎角度と遠心力に応えたまえ!」
沈黙。
……何も起きなかった。
「……また失敗ね」
オグリーン夫人が、スプーンを拾い上げた。
「いや、これは“静かな成功”です」
ブーンシューンは、真顔で言った。
「何も起きないということは、
すでに何かが起きているということです」
「それ、前にも言ってたわよ」
「つまり、我々は“何かに近づいている”のです!」
「何かって何?」
「それがわかれば苦労しません!」
三人は、また円の外に腰を下ろし、
ぬるくなった紅茶をすする。
そのときだった。
廊下の奥から、足音が聞こえた。
ゆっくりと、確かに、誰かが歩いてくる音。
現れたのは、メイドだった。
彼女は、何も言わず、
静かに掃除道具を持って現れた。
「おや、また来てくれたのですね」
ブーンシューンが声をかけたが、
メイドは軽く会釈しただけで、何も言わなかった。
彼女は、いつものように、
静かに、床を磨き始めた。
その瞬間――
部屋の隅に置かれた、古びた姿見の鏡が、
かすかに光を帯びた。
誰も気づかなかった。
だが、鏡の中には、確かに映っていた。
暖炉のそばに立つムージュン。
窓辺に座るケイン。
そして、中央で紅茶を飲むメイ。
三人は、何も言わず、
ただ静かに、互いを見ていた。
メイが、ふと笑った。
ケインが、肩をすくめた。
ムージュンが、目を伏せた。
そのすべてが、鏡の中だけに存在していた。
「……この館、やっぱり何かあるわよね」
オグリーン夫人が言った。
「そうでしょうとも!」
ブーンシューンが、勢いよく立ち上がった。
「我々の儀式は、確実に“何か”を呼び起こしているのです!」
「でも、何も見えないじゃない」
「“見えない”ということは、
“見えていないだけ”ということです!」
「……それ、意味あるの?」
「ありますとも!」
三人のやりとりの背後で、
メイドは、静かに鏡の前を通り過ぎた。
その瞬間、鏡の中の三人が、ふっと消えた。
まるで、埃を払った瞬間に、
夢が醒めるように。
メイドは、何も言わず、
掃除を終えると、静かに部屋を出ていった。
ブーンシューンは、満足げに頷いた。
「よし、次は第四型の準備に入りましょう!」
「まだやるの……?」
「当然です! 記憶とは、繰り返しの中にこそ宿るのです!」
三人の声が、また館に響いた。
そして、誰もいないはずの鏡の奥で、
メイが、そっと微笑んだ。




