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19/23

記憶の裁き

館の空気が変わった夜、

メイはひとり、書斎の椅子に座っていた。

紅茶は冷め、窓の外には誰もいなかった。


だが、彼女は知っていた。

“彼ら”が、またそこにいることを。


「……出てきて」

メイは、静かに言った。


暖炉の火が、音もなく揺れた。

その前に、ムージュンが現れた。

窓辺には、ケインが立っていた。


「あなたたち、私を追い出そうとしてるわね」


沈黙。


「現実で何が起きてるか、私は知ってる。

 誰かが動いてる。

 誰かが、私を“ここにいられなく”しようとしてる」


ケインが、ゆっくりと口を開いた。


「……君がここにいる限り、

 君は“現実”を見ない」


「それが、いけないこと?」


「いけないとは言わない。

 でも、君は“記憶”に逃げてる。

 俺たちを“保存”することで、

 自分を止めてる」


ムージュンが続けた。


「君は、僕たちを“使う”と言った。

 でも、記憶は道具じゃない。

 君が“ここに居続ける”限り、

 僕たちは“過去のまま”閉じ込められる」


「……それが嫌なの?」


「嫌ではない。

 だが、それは“死”だ」


メイは、立ち上がった。


「私の記憶よ。

 私の中にある、私のものよ。

 あなたたちが、私を追い出す権利なんてない」


ケインが、少しだけ笑った。


「でも、君はもう“ここ”にいられない。

 君自身が、そう感じてるはずだ」


「……感じてない」


「ほら、また瞬きを二回した」

ケインが言った。

「君が“何かを決める前”にする癖だ」


メイは、目を伏せた。


ムージュンが、静かに言った。


「君は、僕たちを“並べておく”ことで、

 自分の感情を守っていた。

 でも、もうそれは限界だ。

 君の中で、僕たちは“共存”できなくなっている」


「……だったら、どうすればよかったの?」


「選ぶことだ」

ムージュンが言った。


「捨てることだ」

ケインが言った。


「……そんなの、できるわけないじゃない」


「だから、僕たちが“君を出す”ことにした」

ムージュンの声は、静かだった。


「君がここにいられないように、

 君の現実を、少しだけ揺らした」


「あなたたちが……?」


「僕たちは、君の記憶だ。

 君の中にある“罪悪感”や“恐れ”を、

 少しだけ刺激しただけだ」


「……ひどい」


「でも、必要だった」

ケインが言った。

「君が“ここ”に閉じこもってる限り、

 君は“物語”を書けない」


メイは、何も言えなかった。


「君は、物語の中に逃げた。

 でも、君は“書く人間”だ。

 逃げるだけじゃ、終われない」


沈黙。


メイは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。


「……あなたたち、私のこと、嫌いになったの?」


ムージュンは、首を横に振った。


「君が僕たちを“記憶”として残したこと、

 それ自体は、嬉しかった」


ケインも、頷いた。


「でも、君が“自分を止めるため”に俺たちを使ったのは、

 ちょっとだけ、悲しかった」


メイは、目を閉じた。


「……私は、どうすればよかったの?」


誰も答えなかった。


だが、その沈黙の中に、

ひとつの“終わり”が近づいている気配があった。




「……私の記憶なのに、なぜ私を追い出すの?」


メイの声は、怒りとも悲しみともつかない揺れを帯びていた。


ムージュンは、暖炉の火を見つめたまま答えた。


「君がここにいる限り、僕たちは“過去”であり続ける。

 でも、君がここを出れば、僕たちは“物語”になれる」


「物語……?」


「そう。

 記憶は、閉じ込めればただの箱庭だけど、

 外に出せば、誰かに届く。

 君が書くことで、僕たちは“誰かの記憶”になれる」


「……それって、私に“使われる”ってことじゃないの?」


「違う」

ムージュンは、はっきりと言った。

「君が“使う”のではなく、“手放す”んだ。

 君の中だけにいた僕たちを、

 君の外に解き放つ。

 それが、君にできる唯一の誠実さだ」


メイは、ケインの方を見た。


「あなたも、そう思ってるの?」


ケインは、少しだけ笑った。


「俺は、君の中にいたいよ。

 ずっと、君の都合のいい記憶でいたい。

 でも……それって、君のためにならないんだろ?」


「どうして、そんなこと言うのよ。

 あなたたち、私の中にいてくれればいいじゃない。

 私が寂しいときに、思い出せるように。

 私が苦しいときに、話しかけられるように。

 それじゃ、だめなの?」


ムージュンが、静かに言った。


「それは、君のための“檻”だ。

 君が僕たちを閉じ込めているようでいて、

 実は、君自身が閉じ込められている」


「……私は、そんなに弱くない」


「そうだろうか?」

ムージュンの声は、優しかった。

「君は、強くあろうとして、

 そのぶん、誰よりも逃げている」


「逃げてる……?」


「君は、選ばないことで、

 すべてを“保留”にしてきた。

 でも、保留は永遠には続かない。

 いつか、どちらかが崩れる」


ケインが、少しだけ前に出た。


「君が俺たちを“保存”したとき、

 君は自分を守った。

 でも、俺たちはそのたびに、

 少しずつ“君の外側”に押し出されていった」


「……それでも、私はあなたたちを愛してた」


「知ってる」

ケインは、微笑んだ。

「だから、俺はここにいる。

 でも、君が“ここにい続ける”なら、

 俺はもう、君を愛せない」


その言葉に、メイは息を呑んだ。


ムージュンが、最後に言った。


「君がここを出るとき、

 僕たちは“記憶”になる。

 でも、君がここに留まるなら、

 僕たちは“幻”になる」


沈黙。


メイは、目を閉じた。

そして、ゆっくりと息を吐いた。


「……私、ずっと怖かったの。

 あなたたちを失うのが。

 でも、もっと怖かったのは――

 あなたたちが、私の中で“変わってしまう”こと」


「変わることは、終わりじゃない」

ムージュンが言った。



「変わらないことが、終わりなんだ」


ムージュンの言葉が、部屋に静かに沈んだ。


メイは、しばらく何も言わなかった。

その沈黙の中で、彼女の指先がわずかに震えていた。


「……ねえ、あなたたち。

 私がここを出たら、あなたたちはどうなるの?」


ケインが、少しだけ首を傾げた。


「どうなるって?」


「消えるの? それとも、残るの?

 私の中に、あなたたちは“いなくなる”の?」


ムージュンは、暖炉の火を見つめたまま答えた。


「それは、君が決めることだ。

 僕たちが“記憶”になるのか、“物語”になるのか、

 それとも、ただの“幻”になるのか」


「……そんなの、怖いじゃない」


「怖いのは、“終わること”じゃない」

ムージュンの声は、静かだった。

「“終わらせないまま、続けること”だ」


ケインが、少し笑った。


「君は、俺たちを“保存”した。

 でも、保存されたものって、

 だんだん色褪せていくんだよ。

 冷蔵庫の奥にあるジャムみたいにさ」


「……例えが最低ね」


「でも、わかるだろ?」


メイは、目を伏せた。


「私は、あなたたちを忘れたくなかった。

 忘れたら、私が“あのとき”何を感じてたか、

 全部なかったことになる気がして」


「忘れることと、終わらせることは違う」

ムージュンが言った。

「君が僕たちを“終わらせる”ことで、

 初めて“思い出”になる」


「でも、思い出って、触れられないじゃない」


「触れられないから、美しいんだ」

ムージュンの声は、どこか遠くを見ていた。


ケインが、少しだけ前に出た。


「俺は、君にとって“間違い”だったかもしれない。

 でも、君が俺を思い出すとき、

 少しでも笑ってくれるなら、それでいい」


「……あなた、ずるいわね」


「うん。

 でも、君もずるいよ。

 俺たちを“並べておいて”、

 どっちも選ばないまま、

 “愛してる”って言うんだから」


メイは、顔を上げた。

その目には、涙が浮かんでいた。


「私は、あなたたちを愛してた。

 でも、それは“同時に”じゃなかった。

 “別々に”だったの。

 でも、今は……同時に、愛してるのかもしれない」


ムージュンが、ゆっくりと頷いた。


「それは、君の自由だ。

 でも、僕たちは“同時に存在する”ことに、

 もう耐えられない」


「……じゃあ、どうすればいいの?」


「君が、僕たちを“過去にする”こと」

ムージュンが言った。

「それが、君の愛の証明だ」


ケインも、頷いた。


「君が俺たちを“終わらせる”ことで、

 君は前に進める。

 そして、俺たちは“残る”」


「……残る?」


「そう。

 君の中じゃなくて、君の“外”に。

 君が書く物語の中に。

 君が語る記憶の中に。

 君が、誰かに伝える言葉の中に」


メイは、ゆっくりと息を吐いた。


「……それって、あなたたちが“私の登場人物”になるってこと?」


「そうだ」

ムージュンが言った。

「君が、僕たちを“登場人物”にしてくれるなら、

 僕たちは、君の中で“終わらずに残れる”」


沈黙。


メイは、目を閉じた。

そして、静かに呟いた。


「……それなら、書くわ。

 あなたたちのこと。

 私の記憶の中で、いちばんわがままで、

 いちばん愛しかったふたりのことを」


ムージュンは、微笑んだ。

ケインは、少しだけ目を伏せた。


そして、三人のあいだに、

ようやく“終わりの気配”が訪れた。



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