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試される者

夜が深まっていた。

別館の空気は、儀式の煙の名残と、誰も語らなかった沈黙で満ちていた。


ケインは、暖炉の前に座っていた。

火はすでに小さくなり、薪の赤い芯だけが、部屋の輪郭をかすかに照らしていた。


メイは、窓辺に立っていた。

その背後には、ムージュンがいた。

彼女の肩越しに、ケインを見ていた。


「……ねえ、ケイン」


メイが、静かに言った。


「あなた、私のこと、どれくらい知ってる?」


「……何の話だ」


「私が、何を好きで、何を嫌いで、

 どんな嘘をつくか、どんなときに黙るか。

 あなた、どれくらい知ってる?」


「……そんなの、今さら試すようなことか?」


「ええ。今さらよ。

 でも、今さらだからこそ、試したくなるの」


ムージュンが、メイの耳元で何かを囁いた。

メイは、ふっと笑った。


「彼が言ってるわ。

 “君が彼を試すなら、僕も協力する”って」


「……なんだよ、それ」


「ゲームよ。

 あなたが、私をどれだけ“見てるか”を試す、ちょっとした遊び」


メイは、ゆっくりと部屋を歩き始めた。

まるで舞台の上の女優のように、静かに、しかし確信を持って。


「たとえば――」

彼女は、ケインの机の引き出しを開けた。

中から、封筒を一枚取り出す。


「これ、私が書いた手紙。

 あなた、まだ捨ててなかったのね」


「……それは」


「“それは”?」


「……忘れてたんだ」


「忘れてたのに、封は切ってあった」


ムージュンが、笑った。


「“彼は、忘れたふりが得意だ”って」


メイは、封筒をそっと暖炉の火にかざした。

紙の端が、じりじりと焦げていく。


「やめろ」

ケインが立ち上がった。


「どうして?」


「……それは、俺にとっても大事なものだ」


「じゃあ、どうして隠してたの?」


沈黙。


ムージュンが、また何かを囁いた。

メイは、今度はケインの方をまっすぐ見た。


「彼が言ってるわ。

 “君は、彼にとって“都合のいい秘密”だった”って」


「……違う」


「じゃあ、何?」


「……お前は、俺にとって――」


「“お前”?」


その言葉に、メイの声が少しだけ鋭くなった。


「私、あなたにそんな呼ばれ方、されたことあったかしら」


ケインは、言葉を失った。


ムージュンが、暖炉のそばに歩み寄った。

もちろん、ケインには見えない。

だが、メイの視線がそれを追っていることが、彼にははっきりとわかった。


「彼が言ってるわ。

 “君は、彼の中で“誰でもない誰か”になりかけてる”って」


「……ふざけるな」


「ふざけてないわ。

 これは、私たちの“確認作業”なの」


「“私たち”?」


「ええ。私と彼。

 そして、あなた」


メイは、暖炉の前に立ち、燃え残った手紙をそっと火に落とした。

紙は、音もなく燃え、灰になった。


「……これで、ひとつ消えたわね」


「何が?」


「“あなたが私を知っていた証拠”」


ムージュンが、静かに言った。


「“彼は、君を持っていたつもりだった。

 でも、君は、彼の中にいなかった”」


メイは、ケインを見た。


「ねえ、ケイン。

 あなた、私のこと、どれくらい知ってる?」


ケインは、答えられなかった。


そしてその沈黙の中で、

メイとムージュンは、まるで鏡の中の二人のように、静かに向かい合っていた。


ケインは、部屋の隅にいた。

彼の存在は、もはや“第三者”に近かった。


「……ねえ」

メイが、ムージュンに語りかけるように言った。


「あなた、さっきの“手紙”のこと、覚えてる?」


ムージュンは、頷いた。

声はない。だが、メイにはわかっていた。


「私、あれを書いたとき、ほんとうは渡すつもりなかったの。

 でも、彼が“見つけてくれる”って思ってた。

 勝手に、ね」


ムージュンが、何かを囁いた。

メイは、ふっと笑った。


「“彼は、君の沈黙を“都合のいい余白”にした”って。

 そうね。そうだったかもしれない」


ケインが、ようやく口を開いた。


「……何の話をしてる」


「私たちの話よ」

メイは、振り返らずに答えた。


「“私たち”って……お前と、あいつか?」


「ええ。私と彼。

 私の中にいる彼と、私の中にいる私」


「……それ、どういう意味だ」


「あなたには、わからないわ。

 だって、あなたは“私の中”を見ようとしなかった」


ムージュンが、メイの肩に手を置いた。

もちろん、ケインには見えない。

だが、メイの表情が、わずかに変わった。


「彼が言ってるわ。

 “君は、もう僕の言葉を借りなくても、僕の声を話せる”って」


「……何だよ、それ」


「つまり、私たちはもう“通訳”じゃないの。

 “共鳴”してるの。

 彼の思考と、私の感情が、ひとつの輪になってる」


ケインは、立ち上がった。


「……ふざけるな。

 お前は、俺の――」


「“もの”じゃない」

メイが遮った。


「私は、誰のものでもない。

 でも、彼となら、“誰のものでもないまま”でいられる」


ムージュンが、微笑んだ。

その笑みは、勝利ではなかった。

ただ、静かな確信だった。


「彼が言ってるわ。

 “君は、僕の中にいるんじゃない。

 僕が、君の中にいるんだ”って」


ケインは、言葉を失った。


メイは、ゆっくりとムージュンの方へ歩いた。

そして、誰もいない空間に、そっと手を伸ばした。


「……ねえ、ムージュン。

 私たち、もう少しだけ、彼を見ていようか」


ムージュンは、頷いた。


「彼が、どこまで“見ようとするか”。

 それを、もう少しだけ、見ていたいの」


ケインは、ただ立ち尽くしていた。

その視線の先に、メイと、誰もいない空間があった。


だが、彼にはもうわかっていた。

そこには、確かに“誰か”がいる。


そして、彼女は、その“誰か”と、

同じ呼吸をしていた。




火は、もう消えていた。

暖炉の中には、灰だけが残り、部屋の空気は冷え始めていた。


ケインは、椅子に座っていた。

背筋を伸ばしていたはずの姿勢は、いつの間にか崩れ、

両肘は膝に乗り、指は組まれていた。

その手の中に、何かを握っているわけではなかった。


メイは、窓辺に立っていた。

その背後には、ムージュンがいた。

彼女の肩越しに、ケインを見ていた。


「……ねえ、ケイン」

メイが言った。


「あなた、まだ“私を選べる”と思ってる?」


ケインは、顔を上げた。

その目は、疲れていた。


「……違うのか?」


「ええ。違うわ」

メイは、振り返らずに言った。


「今、選ばれるのは、あなたの方よ」


「……誰に?」


「私に。そして、彼に」


ムージュンが、何かを囁いた。

メイは、頷いた。


「彼が言ってるわ。

 “君は、まだ“選ぶ側”の顔をしてる”って。

 でも、もうその椅子には、誰も座ってないのよ」


ケインは、立ち上がった。

だが、その動きには、かつてのような勢いはなかった。


「……俺は、まだここにいる」


「ええ。

 でも、“ここにいる”ことと、“ここに選ばれる”ことは違う」


「……じゃあ、どうすればいい」


「何もしないで」

メイは、静かに言った。


「ただ、見ていて。

 私が、あなたを選ぶかどうかを」


ケインは、言葉を失った。


ムージュンが、メイの耳元で何かを囁いた。

メイは、微笑んだ。


「彼が言ってるわ。

 “君は、彼にとって“選ばれる価値”があるかどうかを、

 もう一度、確かめたいだけだ”って」


「……それは、試されてるってことか」


「ええ。

 でも、試されてるのは、あなたの“存在”そのものよ」


ケインは、拳を握った。


「……俺は、ここにいる。

 それだけじゃ、足りないのか」


「足りないわ」

メイは、はっきりと言った。


「“いる”だけなら、誰でもできる。

 “見ている”だけなら、もっと簡単。

 でも、“見られる”覚悟がある人は、少ないの」


沈黙。


ケインは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

今度は、背もたれに体を預けず、ただ前を向いていた。


「……じゃあ、見られてやるよ」


「それは、覚悟?」


「いや。

 ただ、逃げるのをやめただけだ」


ムージュンが、微かに笑った。

その笑みは、どこか懐かしさを含んでいた。


メイは、ケインを見た。

その目は、もう“選ばれる者”を見る目だった。


「……じゃあ、始めましょうか」


「何を?」


「“あなたが、ここにいていいかどうか”の、確認作業」


ケインは、頷いた。


そしてその瞬間、彼はようやく理解した。

自分はもう、“選ぶ側”ではなかったのだと。



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