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通訳される記憶

ケインは、眼鏡をテーブルに戻した。

ムージュンの姿は、やはり見えなかった。

だが、メイの目線の先に、確かに“誰か”がいることだけは、もう否定できなかった。


「……なあ、メイ」


「なに?」


「そこに……本当に、いるのか?」


メイは答えず、ただカップを持ち直した。

その仕草は、まるで“彼”に返事を委ねているようだった。


「……もし、そこに“彼”がいるなら……俺の言葉、伝えてくれる?」


メイは、ゆっくりとムージュンの方を見た。

暖炉のそば、影の中に立つその男は、静かに頷いた。


「聞こえてるって」


「……じゃあ、俺の質問。

 “君は、まだメイを愛してるのか?”」


メイは、ムージュンの表情を読み取るように見つめた。

彼は、少しだけ目を細めた。


「彼は、“それは君が聞くことじゃない”って」


「……は? なんだよそれ。

 俺が聞いちゃいけないのか?」


「“彼女が答えるべきことだ”って」


ケインは、メイを見た。


「……じゃあ、答えてよ。

 君は、まだ彼を愛してるの?」


メイは、少し黙ってから、微笑んだ。

その笑みは、どこか曖昧で、どこか確信に満ちていた。


「……それは、あなたが聞くことじゃないわ」


ケインは、思わず笑った。

だが、その笑いは乾いていた。


ムージュンが、何かを言った。

メイは、ふっと吹き出した。


「彼が、“君はずいぶん素直になったな”って」


「俺が? どこが?」


「“昔の君なら、怒って帰ってた”って」


「……それ、ちょっと当たってるのがムカつくな」


ムージュンがまた何かを言った。

メイは、少しだけ目を伏せた。


「“でも、今の君は、彼女をちゃんと見てる”って」


ケインは、黙った。


「……それ、褒めてるのか?」


「“たぶん、皮肉半分”だって」


「……あいつ、性格悪いな」


「ええ。

 でも、そこが好きだったのよ」


沈黙。


ムージュンが、ゆっくりとメイに何かを囁いた。

メイは、目を細めた。


「……彼が、“そろそろ奥さんにバレるんじゃない?”って」


ケインは、凍りついた。


「……何が?」


「“昨夜、あなたの書斎の机に、私の手紙が開いたまま置いてあった”って」


「……それは……」


「“封もしてなかった。筆跡で、すぐにわかる”って」


ケインは、言葉を失った。


「“それに、あの香。

 あなたの上着に、私の香が移ってた。

 奥さん、気づいてたわよ。

 “あら、これは誰の香?”って”」


「……おい、やめろ」


「“それとも、もうバレてる?

 あの視線、こないだの晩餐のときの”」


ケインは、立ち上がった。


「……ふざけんな。

 こんな茶番、もうやめよう」


「じゃあ、やめる?」


「……」


「でも、やめたら、彼はもっと喋るわよ。

 あなたのこと、私に全部、教えてくれる」


ムージュンは、静かに笑っていた。

その笑みは、挑発でも怒りでもない。

ただ、真実を知っている者の余裕だった。


ケインは、拳を握った。

だが、何も言えなかった。


ムージュンがまた何かを言った。

メイは、ふっと笑った。


「“君、そろそろ誰かに相談した方がいいんじゃない?”って」


「……誰に?」


「ブーンシューンとか、オグリーン夫妻とか。

 “あの人たちなら、君の“霊的な不倫”にも理解があるかも”って」


ケインは、しばらく黙っていた。

そして、深く息を吐いた。


「……わかった。

 呼ぶよ。

 ブーンシューンと、オグリーン夫妻。

 君のこの“状態”を、どうにかするために」


「状態?」


「……病か、呪いか、演技か知らないけど。

 俺は、君を“戻したい”んだよ」


メイは、ムージュンを見た。

ムージュンは、何も言わなかった。


「……戻すって、どこに?」


「“俺の隣”に」


メイは、答えなかった。

ただ、カップの中の紅茶を見つめていた。

その表面に映るのは、ケインでもムージュンでもない、

彼女自身の、揺れる輪郭だった。






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