八木沢紗理奈の幸福
私が幼稚園に入園したばかりの頃、父が亡くなった。スキルス性の胃がんで、発見されたときにはすでに手遅れだったそうだ。
葬式では大泣きしたらしいが、私には実の父親の記憶がほとんどない。
亡父の生命保険のおかげで住んでいたマンションのローンは完済され、さしあたり困らないくらいのお金も残ったらしい。
それでも母は看護師として働き続け、私は、時として寂しい思いをすることはあったけど、生活に不自由することなく小学生になった。
私たち母子の生活に大きな転機が訪れたのは、私が小学校五年生の時だった、
母の木下優香が草野球でアキレス腱を断裂して入院していた八木沢健司と恋仲になり、再婚することになった。私は木下紗理奈から八木沢紗理奈になった。
一人暮らしをしていた八木沢のお兄ちゃんが新しいパパとして私たちの住むマンションに引っ越してきて、家族三人の新しい生活が始まった。
父親という存在を知らなかった私にとって、ママの再婚は嬉しいことであり、私は新しいパパにすぐに親しんだ。義父も私を実の娘同様にとてもかわいがってくれた。
それまで友達が父親の話をするたびに寂しい想いをしてきた私にとって、ママより五歳年下の若々しいパパは私の自慢だった。
それは、ママが再婚して間もない、とある夜のことだった。
尿意を感じて目が覚めた私がトイレに行こうと部屋を出ると、両親の寝室から母の獣じみた唸り声が聞こえてきた。ママに大変なことが起きたのではと、私はおそるおそる寝室に近づき、ドアを少しだけ開けて中を覗いてみた。
さして広くない両親の寝室は、そのほとんどのスペースを真新しいダブルベッドが占有していた。そのベッドの上で、裸になった逞しい身体の義父が、やはり裸のやや肉付きの良い母を組み敷いていた。
最初はママが狐憑きになって、パパがそれを調伏しようとしているのかと思った。
ベッドサイドの仄かな灯りに照らされたママの顔は、口を半開きにして、間の抜けた、でもどこか神々しいような表情をしていた。これは、ママは苦しんでいるのではない、気持ちよくて悦んでいるのだと気が付いた。
いったい二人でなにをしているのか、普段の両親からは想像もつかないグロテスクな行為に、私の目は好奇心で釘付けになった。
パパが来る前は、この部屋でママと布団を並べて寝ていたのに、パパが来てこのベッドを買ってからは、ママは私と一緒に寝てくれることはなくなった。
それは二人でこんなことをするためだったのだと私は理解した。
そして私はママが心底羨ましくなった。
私を仲間外れにして、こっそりパパを独り占めして、ママはずるいと思った。私もママみたいにしてもらいたいとも思った。
ママがひときわ大きな雄たけびを上げ、身体を痙攣させてパパにしがみつくと、ぐったりとその身体をベッドに投げ出した。
私はそっとドアを閉め、部屋に戻った。
しっかり者のママと優しいパパが裸で絡み合う姿は、私にとって、網膜から消し去ることができない、あまりにも強烈で衝撃的な映像だった。
大人のママと違ってまだ幼い私の身体。それでもパパにママと同じことをされる自分を想像して自分の敏感な部分をそっと撫でると、甘美な感覚がじんわりと身体に沸き上がってきた。