日常:始まり3
元々、期待などされていなかった。
魔力の才能は幼少の時期にはもうほとんど決まっていると言ってもいい。
稀に後天的に著しく成長する事もあるが、そのケースは稀で、条件も曖昧だ。
その有無が価値を分けるこの世界では、無いものに求める事など多くは無い。
別に期待されたかったわけではない。
期待など己を縛る鎖でしかなく、事を成し得るに最も必要なのは己の意思だということが分かっている。だから生まれ持った自分の環境を呪うことは無い。
求められていないのであれば、自分でやるべきことを決められる。そう割り切っていた。
その中で自分が見つけた唯一の道、そんな道ですらも裏切ることがある。その時は気付いていなかったのだ。
ライザー=レイステッドは目の前の光景に僅かな怒りを覚えていた。
入学してからの数カ月でもここは多少なりとも居心地の良い場所になっていた。
その場所にいるあきらかな異物。
掃除の直後に汚されたような、そんな感覚に似ていた。
そこにあるのは2つのグループ、見るからに相対した位置関係で、お世辞にも世間話をしているようには見えない。
一方は二人組、小綺麗な制服を身にまとっているが、どちらも着崩している。
もう一方は6人ほどのグループ。薄汚れた作業着姿の面々は、どれも見覚えがある。
服装は違えど、柄が悪いことがどちらも共通している事である。
よく味わう緊張感を覚え、直ぐに今の状況を理解する。
電気を扱ううちの家系は昔から勘がいい。
歴史が他の名門より浅く、強い力のものが生まれないながらも、そこの部分があったため、短い期間でここまで発展した。
才のある兄に比べれば微々たるものだが、自分にも備わっている。
そんな勘を頼りにフラフラと来てみればこの状況であった。
明らかに数的有利があるにも関わらず、気圧されているのは多数派のグループだった。
優位に立つ二人組の薄ら笑いがヤケに感に触った。
「…何のようだ?」
沈黙を破ったのは、作業着のグループの中心に立つ男だった。
周りより僅かに格が上に見えるのはこのグループのリーダーであるからであろう。
「ここはお前等の来る場所じゃねぇだろ!魔術科さんよ!!」
沈黙を破った男の口調は、蛇口を徐々に緩めていくように強くなっていく。
「何とか言ったらどうだコラァ!」
顔を間近まで近づけ威圧する。
その一見野蛮な行為にライザーは感心した。
そんな明らかな威圧行為にも二人組は僅かな動揺もなく薄ら笑いを続ける。
明らかな侮蔑である。
多数の方の集団は行き場の無い怒りを覚える。
その光景にライザーは舌打ちをし、ため息をつきゆっくりとその集団に向け歩き出す。
それなりの距離があるため、ライザーの存在に気付くものはいない。
「いやぁ、こっちも上から命令されてね」
二人組の一方がようやく口を開く。小馬鹿にした喋りは相手の感情を逆撫でするのに十分である。
「俺たちもこんな小汚い場所には来たくなかったんだがねぇ」
言葉までも相手を蔑む。
流石に我慢できなくなったのか作業着の一人が拳を握り二人組に近づこうとする。
その瞬間、リーダー格の男が掌でそれを冷静に制した。
それを見て、ライザーは静かに笑うとその場で足を止めた。
「こっちの縄張りまで勝手に来て、ずいぶんな言いようじゃねぇか」
けして徹底して冷静でないことは、その浮き出た血管と握り拳から分かる。
「別にここはお前らのモンでもないだろ」
二人組のもう一方が口を挟む。どちらも癇に障る声である。
まるで可視化されたかのように分かりやすく作業着姿の集団の怒りのボルテージが上がっていく。
ライザーはこの連中がけして気の長い方ではない事を
知っていた。それでも抑えているのはこの後の結果が容易に想像できるからであろう。
抑えているものはもう一つ、この矢面に立つリーダーの男の存在であろう。
「で、誰に、何を命令されたんだ」
あくまでも冷静さを装い、会話を続ける姿にライザーは更に感心し、今までの評価を改めた。
「いつ来ても、クセェなここは」
相手の言葉を無視し放たれた言葉は、明らかな挑発行為。あと僅かで関は決壊する。
再びライザーは気付かれぬよう近づく。
「悪いな、ここはあんたらお坊ちゃんが来る場所じゃないんでね」
挑発し返すその言葉は明らかに相手より弱い。
「…それに汚ねぇ」
鼻をつまみ、手をひらひらと横に振る。
挑発を続ける二人組。
その姿にもう一人はケタケタと品の無い笑い声を上げる。
それは、許されざる行為だたった。
ライザーの目の色が変わる。
ようやく居心地が良くなってきたこの場所。
『魔導技術学科』通称『技術科』
魔力の才が無く、落ちこぼれのレッテルを貼られた集団。しかしながら自らの力を嘆く事なく、模索し進もうとする連中。
柄も悪く、頭も悪い、鬱陶しい連中であるが、その懲りない姿勢は嫌いでは無かった。
自分の好むものを否定されるのは唯一怒りを覚える事である。
怒りとは反対に、冷静に頭は働く、行動を見極め、また足を止める。
「……誰の命令だ?」
絞り出した言葉は怒りで微かに震えている。
「言えるわけねぇだろ」
相手が挑発に応じない事で、二人組の方も苛立ち始める。
その集団の十歩程先にライザーは居る。腰元のホルスターに収められているものに手をかけ、何時でも取り出せるようにする。
わずかな距離で睨み合う集団。森の一角、開けた場所にそれらは居る。人目につかないこの場所はこういったことには恰好の場所であった。
「誰に命令されたかは言えないが、何を命令されたかは言えるぜ」
その言葉に作業着の集団のリーダー格の男は眉間にシワを寄せる。
限界の彼らに次はもうない事を理解していた。
「……ゴミ掃除!」
これまでで最大の侮蔑、こちらを指差しながら放たれた今の言葉、我慢の関を壊すには余りある言葉だった。
次の瞬間にはもう拳は放たれていた。
仲間の思いをまとめるその拳にためらいは無かった。
加減などは無い。
しかし、
確実にとらえた側頭部に直撃したにも関わらず、相手は微動だにしなかった。
痛がることもなく、それどころか含み笑いすら溢れ出している。
「……強化か」
リーダー格の男が呟く。
その言葉、それは後悔だった。
「…先に手を出したのはそっちだからな」
目の前に振り上げられる拳、覚悟を決める。
無駄な事は分かっているが、両手で顔をガードする。
時間がゆっくり流れる中、後から飛び出してくる他の作業着姿の面々、始まろうとする乱闘、しかし、
「……っっつ!」
振り下ろされた拳は途中で止まる。
拳の痛みに苦悶の表情を浮かべるその男、驚く作業着姿の男、そのわずかな距離の間に、立つ一人の男。
そこに来るまで、誰も気づくことはなかった。
銀色のナイフ状のもの、その面の部分が拳を止めていた。
「馬鹿力だな、コレ越しでも震えてるぜ」
拳を跳ね返し、見せつけるようにナイフ状のモノを振る。
「…レイステッド」
作業着のリーダーの男がつぶやく。
その名前に二人組の男達の表情が変わる。
「お前が、レイステッドか」
その言葉にライザーは訝しげに二人組を見る。
「何だ、俺の事しってんのか?」
名を呼ばれたことに、僅かに苛立つ。
ライザーの感情を敏感に察したのか、また、先ほどまでの薄ら笑いを浮かべる。
「ああ、お前有名だもんな」
ろくな言葉が出ない事は誰が見ていても分かる。
ライザーは冷静に相手を見返す。
「レイステッドの落ちこぼれ」
次の瞬間、ライザーの姿は目の前から消えていた。
真後ろに気配を感じたときにはもう遅かった。
後方から強烈な蹴り、予期せぬ場所に放たれた一撃によりくらった相手は大きくバランスを崩し吹き飛ぶ。
痛みを感じる間もなく、衝撃の強さに我を失う。
「てめぇ!!」
かろうじて踏ん張り、なんとか状況を理解した男は振り向きざまに威圧する。
自らの魔力を高め、臨戦態勢に入る。
周りはこの急激な変化に、ついていけない。
間を開けず、ライザーはホルスターから新たにナイフ状の物を相手に投げつける。
「舐めんな!」
それを男は叩き落とすと、地面に深く刺さる。
それを見てライザーはニヤリと笑う。
「てめぇ、武器を!」
ライザーの不意打ちに男は怒る。
「猛獣相手には武器を持つもんだろ?」
その挑発の言葉に男は距離を詰める。
ライザーは一歩飛び下がるが、それ以上は動かない。
そしてもう一度同じものを相手に投げつける。
男は前に進みながらもそれを予期していたようで、手を振りかぶり、また叩き落とそうとする。
男の手がそれに触れようとしたとき、
「…猛獣には電気も使うんだぜ」
ライザーが呟いた瞬間、
「何!」
その物体から流れたのは高圧の電気、相手はしびれ動きを止める。
少しして流れる電気が止まる。
顔の前で手を出し、ガードの姿勢を取っている男の手がゆっくりと下がる。
そこから出てきた顔は笑っていた。
「おいおい、全然効かねぇぞ!」
自分の優位を悟った男は勝ちを確信したのか、全力で飛びかかる。
「……ホントに獣並みの知能しかねぇな」
鋭い視線が相手を射抜き、ライザーの体が紫色に輝く。
バチバチと弾ける音がした瞬間、ライザーから放たれ、男を通り抜けるように走った一本の紫電の線、それをなぞる様にライザーの体、厳密に言えば膝が相手の男の鳩尾に突き刺さる。
ゆっくりと崩れ落ちる男。
「……な、ん、で…」
見下ろすライザーを見上げる。
「馬鹿が、自分の魔力が削られたもの分からなかったのか?」
心底呆れた声を聞き、男は崩れ落ちる。
「あの電気でお前の魔力を中和したんだよ」
その言葉はもう聞こえてはいないだろう。
決着は短かった。
この場で唯一いきる男。
「さてと」
ライザーは遠くから、今度はもう一人の男を見る。
「……っく!」
二人組の残った、もう一人。今の光景を見せつけられたためか、怯んで声が出ない。
その男は距離がある事で僅かな安心感が生まれたのか、ライザーに向け構える。
掌には圧縮された空気の塊、目には見えないそれに、ライザーは脅威を感じなかった。
想像するに容易い。
ライザーは笑う。
「それじゃあ無理だな」
ライザーのその言葉を合図に、相手の男は振り被り、投げつけられる空気弾。
その軌道を計算し、ライザーは余裕を持ってかわす。
「その距離じゃいくら見えなくても当たんないぜ、投げるんじゃなくて操作したらどうだ?」
多くをしゃべらないライザーにしては長く話す。
「まあ、操作できないから投げたんだろうけどな」
手の内を読まれ、ジリジリと下がる男。
その男に向け、先ほどと同じようにナイフ状のモノを投げる。
その勢いは強く一直線に向かっていく。
先ほどまでの戦いで、その効果を知っている男は、学習し、叩き落さず避ける。
そのまま通り抜け、奥にある一本の木に突き刺さる。
「あぁ、最後の一本だったんだけどな」
わざとらしく肩を竦めるライザー。
その言葉に男は油断する。
だが、それはすぐに終わる。
ライザーの手には先ほど投げた物と同じ形状のものと同じものを手に持ち切っ先を相手に向けている。
ナイフを持った手、握られている指の中で唯一上げられている親指、見せつけるように、最後にそれを握り込む。
それを合図に先ほどと同じような紫電の線が木に刺さっているものと共鳴でもし始めるように、
繋がる。
ライザーは軽く地面を蹴ると、ふわりと体が浮く。
そして、勢いを徐々に増し線の先にあるものに引き寄せられるように飛んでいく。
その勢いは先ほどの飛び膝蹴りの時の比ではない。
その道中にいる男は何が起きているか理解できず狼狽える。
ライザーは引き寄せられる短い時間の間にナイフを持った逆の腕を広げる。
相手が近づく。
「ぐぇ!」
広げた手を包み込む様に相手の首を巻き込み連れ去る。その際に出た声は間抜けなものだった。
1人から2人になり、落ちたもののその勢いはまだ健在だった。
それを利用し終着点である木に相手を打ちつける。
「っち、まだ出力が足りねぇか」
器用に着地したライザーは不満げに言葉をもらした。
「……何しやがる」
見た目以上にダメージが少なかったのか、やられた男はすぐに態勢を立て直す。
そんな相手をライザーは無感情に見ていた。
淡々と詰め寄るライザーはその色のない表情のまま、瞬発的に持っていたナイフを相手の首に突きつけた。
「…こんなことして、ただで済むと思ってんのか?」
突きつけられたナイフを見て、怯える男。
「最初に手出したのはこっちだ、どうせ後でぐちゃぐちゃ言われんなら、今徹底的にやっちまったほうが良くないか?」
ライザーのその笑みは狂気を帯びていた。
相手の頬には冷や汗が流れる。
ライザーの表情から脅しでは無いことは理解できる。
ナイフに力を込め、わずかに肉にのめり込む。
「やり過ぎです」
その言葉で状況が変わった。
凛と静かな声が響く。
その声を合図にライザーは手を下ろす。
「あんた、性格悪いな」
木の奥から出てきた少女に驚きもせず、ライザーはそちらの方向を向いた。
「生徒会ってのは暇なのか?」
その言葉に少女は答えない。
髪をかきあげると、無言のままライザーを見つめる。
「あんたは、誰の命令できたんだ?」
元々期待もしていなかったが、言葉に対する少女の反応はなかった。
ライザーは諦め、木を背もたれにし、へたり込んでんいる男に向け言葉を放つ。
「あんたの親玉に伝えな。今度はあんたが来なってな」
この状況に飽きたのかライザーは背を向けこの場を離れていく。
「このままの行動を続けるのであれば、容赦は出来ませんよ」
その背に少女の言葉がかかる。
「歓迎するぜ」
振り向かず歩いていく。
「…後悔しますよ?」
その言葉は予言か、ライザーは笑っていた。
この状況は期待すべきものだった。