序章
この世界は歪に固まってしまった。
昔の偉人だかが言った言葉だっただろうか、この世界を語るもっと有名な言葉をぼんやりと思い出していた。
果たして、誰が言ったものだったのか、知識の中に無いものは思い出せないことを理解し早々に諦めた。
のんびりと、この果てのない道を歩く。
すべてを包む青のコントラスト、上と下で大きく2色に分かれる。そしてそれを分断するような白く大きな一本の線、それがこの景色の全てだった。
その線上にいる自分、見渡す雄大な景色の中、存在するのは自分一人、そこを歩く。
この世界にいるのは自分ただ一人、そう錯覚するのに十分なほど周りには何も無い。
いったいどのくらいの時間一人で歩き続けてきたのだろうか。
ふと思う。
ただ何かを考えるだけの時間なんてあっただろうか、考えても思い出せなかった。
ならばこの時間をもう少し楽しむのも悪くない。
ゆっくりと目的地に向け歩く。
暫く歩いていただろうか、
すると、いままで何も変化のなかった景色に動きがあった。
それは急に現れた蜃気楼か、もしくはかかっていた靄が強風で一気に晴れたかのように、今まで何も見えていなかったのが嘘のように大きなそれが姿を現す。
「おお」
感嘆の声が漏れる。
そこにあった2色の青、
空と海だけの景色の中、突如姿を現した巨大な緑、それを彩るように薄桃色が覆うように散りばめられていた。
そこが終点だった。
目的地が見えないことに不安は感じていないつもりだったが、それを見て安堵の気持ちがあることに気付く。
不安と期待、一丁前にそんなものが自分に備わっている事に、嬉しさと、そんなことを考えてる自分にわずかな恥ずかしさを覚える。
自分の歩いてきた線、この巨大な橋の終わりはすぐに訪れた。
それを惜しむより、その先の景色を楽しもうと考え、特にためらうことなくその終わりをむかえる。
その時、強い突風が身体を通り抜ける。
それを、歓迎と捉え、1人笑う。
確か、桜と言う名前だったか、この島を彩る鮮やかな木々の花の名前を思い出す。
色鮮やかな景色、そして生命が満ち溢れるにおい、歩き続けてきた足を止めるには十分だった。
「ようこそ」
景色にばかり気を取られ、全く気配に気が付かなかった。
驚きを隠しながら、その声の方向を向く。
そこには人の良さそうな老人が、人の良さそうな笑みを浮かべこちらを見ていた。
「本当にここまで歩いてくるとはね」
穏やかな声だった。表情もずっと微笑んだまま崩さずにいる。
出会って一瞬ではあるがこの老人のひととなりを感じるには十分だった。
「そうなのか」
無難に返す。
老人との会話も半分に改めて景色を見渡す。
この世界は歪に固まっている。
それはこの世界を表す言葉の冒頭の部分だった。
それを思い出す。
その言葉に同意する。
有名になるだけはある。
長く綴られた、その言葉の結びの部分
「しかしこの世界は美しい」
言葉が漏れる。
かなり小さいはずの言葉だったが、老人には聞かれたようで、僅かに口角を上げる。
照れを隠すように、合わせて笑う。
「確かに美しい景色だ」
こちらの気を知ってか知らずか老人はそう言った。
「そして、それを含むこの世界もね」
意味有りげなセリフではあるが、そんなことはどうでも良かった。
その言葉の後、しばらくの沈黙、
聞こえるのは自然が奏でる音だけ。
この空間が心地良く、暫くこのままでいたいと思う。
自ら望んだものなどほとんどなかった。
流されるよに、駆け抜けるように、これまでと、これから、色々なものが体の中を渦巻く。
期待と希望の混沌。
長い時間、そこに立っていた。
だがその時間も永遠ではない。
自分でもどのくらいこうしていたのか分からない。
「遅刻だね」
老人の今までで一番穏やかな言葉、
その一言で現実に帰るのだった。