幻影の統率者、水瀬の異能
「よく来てくれたね、八神君。常々水瀬君から君のことは聞いているよ」
多少は打ち解けた?東雲に屋敷を案内されること五分あまり。
まさに和の奥ゆかしさを体現したかのような大部屋へと通された。
洋風の家具は排され、座布団や掛け軸といった水瀬の屋敷とは違った趣がある。
そして、どこかノスタルジックな畳の井草のにおい。
……幻影には裕福な人が多いのだろうか。
そこには壮年に差し掛かったばかりといった金色の瞳を持つ男が茶を飲んでいた。
そこでの第一声が「よく来てくれたね」だったのだ。
「……あんたなんであたしの日本茶飲んでんの? 蹴られたいの?」
東雲が怒鳴ると、男はゆっくりとした動作で立ち上がる。
どこへ行くのかと見ていると茶こしを手に取り、チャッチャッと小気味良い音を発生させながらお茶をたて始めた。
そして何食わぬ顔で完成したそれを東雲の正面に置いた。
ついでとばかりにオレと水瀬、そしてお替りであろう自分の分まで用意している。
「さあ、疲れただろう。三人とも座るといい。今日は我々にとっての歓迎すべき日だ。少し話そうじゃないか。ああ、八神君には私の名がまだだったね。私は結城熾という」
――この人は図太いに違いない。
あそこまで普通に、まるで自然の摂理であるかのように東雲を躱した。
そのうえ彼女を無視して、話を振ってくる。
東雲を見ると、怒り顔ではあったが、お茶に口をつけると今までにないほど口元が緩んでいた。
「オレの名前は……知っている、よな。でも一応オレの口から名乗るよ。オレの名前は八神零」
「ふむふむ、礼儀正しい子は嫌いじゃないよ。聞くところによると、八神君は東雲君と模擬戦をしたそうじゃないか。結果までは知らないのだが、どちらが勝ったのかね?」
オレはあえてなのだろう、距離を開けて正座する東雲の表情をうかがう。
オレは戦闘において空気を読むことは得意だが、人間関係において空気を読むことは苦手だ。
果たして正直に言って、彼女の機嫌を損ねないのだろうか。
だがその心配は無用なようだった。
東雲はオレに視線を合わせることなく、結城に言い放つ。
「あたしの完敗よ。悔しいけどそいつは強かったわ。既存の流派には存在しないような技を使ってきたし。……次やったら絶対にあたしが勝つけど」
それを聞いた結城は豪快に笑いだした。
「ははは! ……いや失礼。それは面白いことを聞いた。東雲君は幻影の中でもかなりの実力者だ。その彼女が言うのなら間違いはあるまい。私はなおのこと君を歓迎しよう」
結城が差し出してきた右手をオレは握り返す。
「それで早速なんだが、幻影のリーダーとして君に聞きたいことがある。なに、身構える必要はない。楽に答えてくれればそれでいい。――君はこの組織で何を見つけたい」
「なに、を?」
急な問いかけに思わず答えに窮してしまう。
立ち合いの結果を聞いた後は、これか。
オレは何かの面接にでも来ているのだろうか。
「君の脳裏に浮かぶ疑問はもっともだ。私がこれを聞く理由はただ一つ。君という人間を知るのに最適だからだ。私に嘘は通じない。しかし、いきなりというのも戸惑うだろう。東雲君言ってくれるかい?」
「まあ、お茶美味しかったし。今日だけだかんね。あたしの願いはお父様に認めてもらうこと。立派だって褒めてもらうこと」
「東雲君の御父上は幻影のバックボーンなんだ。大企業のトップでね、なかなかに忙しい日々を送っている。娘の東雲君にも一年の特別な日に数回顔を合わせる程度。それに彼は人格者だが、とても厳しい人でもあるから滅多なことでは人を褒めない。それが実の娘であったとしてもだ。だから東雲君はその願いを叶えるために御父上の支援する幻影に所属したんだ」
叶うにせよ、叶わないにせよ確かに願いの形でその人間の本質――その一部を見ることができる。
幻影のリーダー――結城熾はオレと近い手札を持つのかもしれない。
「……水瀬の願いも聞いていいのか?」
水瀬は少し考えるそぶりを見せたが、口を開いた。
「私の願いは、孤独を忘れること」
「孤独?」
以降は黙りこくってしまった。
地雷を踏みかけているらしい。
いつか聞くにしても、今この場でこれ以上の深入りは禁物だ。
「いや言いたくなければそれで構わない。人が強制するものでもないからな」
「ごめんなさい」
この雰囲気を変えるべく話題をオレに集める。
「大体はわかった。なんでもいいのか?その願いは」
「どんな願いであろうとも願いは願いだ。それは本人の自由で誰にも縛ることはできない。人の数だけ願いがあっていいはずだ」
さきほど結城は嘘が通用しないと言った。
それは水瀬に説明された固有能力によるものなのか、オレのように人の表情や声の震え、不自然さなどから推定しているのか。
あるいは嘘をけん制するためのブラフか。
いずれにせよ、明確な答えが分からない以上正直に答えるのが無難だろう。
「……オレはある人を探している。今は生きているのかも死んでいるのかもわからないが、その人に会って話したい」
極力――と言ってももとから無表情だが――感情を殺し心の静穏を保ちながら伝えた。
「では、それが君の願いだね?」
「ああ」
結城は正面からじっとオレを見る。
「――合格だ。八神君を幻影の一員として認めよう」
確かにオレには幻影に所属することで魔法を会得するというメリットがあるが、幻影に所属しなくていいならその方がいい。
第一オレは水瀬に頼まれたから”仮”という形でついてきただけだというのに、まるでオレが入りたがっているかのような言い草に少し違和を覚えた。
直接口になど出さないが。
「――ではこれから水瀬優香および八神零の両名に指令を下す。過激派魔法テロ組織――通称“GAIA”が今より八日後に人々への大規模な虐殺を計画しているとの情報が入っている。故に両名にはこれの討伐、可能ならば生きたまま捕縛することを命じる。それまでは二人とも自由に行動していい。できれば水瀬君は八神君に魔法の行使の仕方、能力の発現などをレクチャーしてあげるように」
「了解」
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オレと水瀬は和の大部屋から退出した後、和の庭園が見える縁側に腰を下ろしていた。
今日も今日とていい天気だ。
遠くに雲が湧いてはいるもののはっきりとした青空が広がっている。
「……八神くんには知っておいてもらわないといけないわね」
そう唐突に切り出した。
手にはコバルトブルーの刃を持つ漆黒の大鎌が握られていた。
一月のあの夜に見たものと同じものだった。
「私の異能は“魂の綻び(ソウル・ティア)”。この戦鎌で負った傷は決して治ることはない。それどころか徐々に身体を蝕みやがて死に至る。この大鎌は身体を傷つけることでそこに宿る魂を直接傷つけてしまうの」
突然の暴露の内容にオレは戦いた。
ただ傷を負わせただけで死に至らしめる能力。
そんなものが存在したら、世の中が大きく変わってしまう。
「それは凄い能力だな」
「全然すごくないわ。むしろこれは私にとっての呪いよ。私が望まなくても人を傷つけてしまう」
哀し気に大鎌を見つめ、その刃の横腹に触れる。
深く踏み込んでもいいものかと一瞬ためらったが、水瀬からは聞いてほしそうな雰囲気を感じたので突っ込むことにした。
「……何かあったのか?」
「ええ。私に対する茜の態度は見たでしょう? 茜だけじゃない、他の守護者も内心では私を嫌っている。表向きは仲良くしてくれる伊波くんもね。その原因は私自身が作ってしまったのだから自業自得だけど……」
一度言葉を切ると大鎌を魔力に帰す。
オレは伊波も、という点が気にかかった。
水瀬を嫌っているのなら師事する必要がない。
でも彼は水瀬の側にいる。
これはひどい矛盾だ。
水瀬は言葉を続ける。
「二年前の夏に工場地帯で大爆発があったのは覚えてる?」
「ああ、覚えている。かつてこの国で起こった爆発事故の中でも最大級の事故だったからな。確か原因は保管してあった高濃度LPガス缶の一つに引火したことだったはずだ。そこから次々に引火して大爆発を起こしたと聞いた」
あの事故のことははっきりと覚えている。
一瞬青色の光が見えたかと思うととてつもない爆風に顔を打たれたものだ。
受け身を取っていなければ全身打撲は免れなかったに違いない。
あとで一キロ先の工場が爆発を起こしたと聞いて目を見開くくらいには驚いた。
「そう、あの出来事は表向き事故とされているけれど、魔法テロの実行犯とその鎮圧のために動いていた私が衝突した出来事なの」
「……そうだったのか。だがそれと守護者たちに敬遠される理由に何の繋がりが?」
「その時に、一般人四名が私の能力の暴発で亡くなったの。そして幻影の戦闘員一名が傷を負った。その時命を落とすことはなかったけれど、まともに大鎌の傷を受けてしまった。だから、今はもういない……っ! 彼は笑顔が素敵な人だった……!」
死者のことを明確に覚えている、それだけでもかなりの負担のはずだ。
それだけに不憫だ。
水瀬はその瞳から二筋の涙を零していたが、それを拭こうともしない。
「涙、拭かないのか?」
「わ、私には本来泣く資格すらないっ! でも、止められないっ。ならせめてその無様をさらすだけ……!」
「……」
確かに不憫ではある。
だがオレは水瀬の自罰に付き合う気はない。
オレには水瀬の気持ちを知識としてトレースすることはできても共感ができない。
とっくの昔にオレの心は壊れている。
オレは無言のまま自前の手巾を差し出す。
水瀬はそれに気づいているはずだが受け取らない。
……言い方はきつくなってしまうが仕方がない。
オレは人の慰め方を知らないし、泣く姿を見たくもないのだから。
「その懺悔の仕方に文句はない。だがオレの前で泣かないでくれ。対応に困る」
オレは無理に手巾を握らせると一言置いてその場を後にする。
「……落ち着いたら連絡をくれ」