38 お迎えの日
天梨に癒されたまさかの金曜日から2週間が経った。
あまなちゃんに癒されつつ、悪夢のような激務の日々を乗り切った俺へのご褒美というべきか、ようやくこの日がやって来た。
今日から3日間は天梨が出張でいないため、休みを取ってあまなちゃんを俺の家で預かることになっているからだ。
もちろん、この役目は他ならない天梨が俺を信頼して頼ってくれたことだから、誓ってあまなちゃんに手を出すような愚かなことはしない。
本日に備えて部屋の片付けも万全だし、あまなちゃんを退屈させないようにプランも練ってある。
楽しみ過ぎて昨日はあまり眠れなかったが、癒してもらえばチャラになるので問題は無い。
部屋を借りているアパートの駐車場に停めてあるマイカーを走らせて、何気に仕事以外で初めて訪れる『マンションエブリースマイル』に着いた。
時刻は天梨が出張に行く30分前の午前8時過ぎだ。
前もってこの時間に来るように彼女と打ち合わせをしているので、向こうも準備を終えているだろう。
意気揚々と車を降りた俺は、184号室のインターホンを押す。
『はーい!』
「ウミ──じゃなくて、おはよう、あー、早川だ」
『あ、おにーさん! いまいきまーす!』
今日はオフなのに習慣で会社名を言いそうになってしまうという、何とも締まらない出だしになってしまったが、応対してくれたあまなちゃんは来客が俺だと解って嬉しそうに声を弾ませていたので、早々に忘れることにしよう。
そう間もなく、玄関のドアが開かれる。
「おはよーございます、おにーさん! きょーからみっかかん、よろしくおねがいします!」
「あぁ、おはようあまなちゃん。こちらこそよろしく」
琥珀のように綺麗な茶髪をツーサイドアップにしたあまなちゃんの礼儀正しい挨拶に、俺も挨拶を返す。
服装はウサギがプリントされたピンクのTシャツにジーンズのスカート、靴は白とピンクのスニーカーだ。
そして外泊用なのか、黄色と青色のチェック柄のリュックサックを背負っていた。
今背負っているってことは、早い内からずっと身に着けていたということだろう。
天使かな?
「……おはようございます、早川さん」
「おはよう、天梨……」
こちらに満面の笑みを向けるあまなちゃんに続いて、これから出張なためスーツ姿の天梨が出て来た。
だが、その表情は何故か拗ねているようで酷く不満気だ。
「あのさ、なんでそんなに機嫌が悪いんだ?」
「……悪くありません」
何かあったのかと心配して尋ねるが、本人はこちらと目を合わすことなく否定した。
けれど悲しいかな、誰がどこからどう見ても彼女は不機嫌だと丸分かりである。
余程出張に行きたくないのか、信頼しているとはいえやっぱりあまなちゃんを預けるのが不安なのだろうか。
う~ん……憶測ばかりじゃ埒が明かないな。
ぶっちゃけお手上げだ。
そう思っていると……。
「これから仕事ですから機嫌が悪いなんてことはありません。ええ、出張の件で寂しそうな天那にその間は早川さんのところに泊まることになると話した途端、私が居ない寂しさを上回ったかのように、期待に胸を膨らませて嬉しそうにされたことなんて、私はまっっっったく気にしていませんから……」
向こうから打ち明けられた。
いや、めちゃくちゃ引き摺ってんじゃねぇか。
賢いあまなちゃんのことだから、天梨に心配掛けないように気遣ったかもしれないだろ。
それはそれとして、俺と一緒に過ごせることを喜ばれたことは嬉しいけども。
「良いんです。元はと言えば仕事で家を空けがちにした結果、娘に寂しい思いをさせている私が悪いんですから……過去にも出張に向かったこともありますし、天那だって慣れもするでしょう……」
うわぁ、拗ねてんなぁ……あまなちゃんの面倒をちゃんと見れる方より、このまま出張に行かせる方が不安になって来たよ。
あまりの様子に見兼ねた俺は、そっと隣に立つあまなちゃんに耳打ちする。
「それだけでいいの?」
「あぁ。それでお母さんは元気になるよ」
「わかったー」
その内容を聞いたあまなちゃんは率直な疑問を投げ掛けるが、俺は自信を持って保証する。
向こうが俺を知っているのと同じように、こっちだって天梨のことは少しずつ知っているんだ。
残念ながらその見知ったことを実践して効果を発揮出来るのは、娘のあまなちゃんだけだが。
「ねぇ、ママ」
「はい?」
あまなちゃんに声を掛けられた天梨は、俺とは違い表面上は至って平静を装って目線を合わせるために屈み、続きに耳を傾けた。
このあからさまな扱いの差は今に始まったことじゃないし、あまり気にならない。
俺の感慨など構わず、あまなちゃんは天梨に笑顔を向けて……。
「あまな、ママにしんぱいかけないようにいいこにしてるから、ママもおしごとがんばってね!」
「──ええ、私は天那の自慢の母ですから」
激励の言葉を送られると、天梨は一瞬で立ち直った。
あまなちゃんからの応援が単純ながら1番効果が出るというのは、簡単に分かっていたことだ。
だって気持ちは痛い程分かるしな。
調子を取り戻した天梨は先の姿を見せてしまったことが恥ずかしいのか、頬を赤くしながら咳ばらいをする。
「コホン……天那の荷物の中に、預かって頂く際の注意事項を書いたメモがありますので、それを参考にして下さい。それでも分からないことがあれば午後8時以降でしたら自由時間ですから、定期報告も兼ねて連絡をして伝えて下さいね」
「ああ、出来るだけ煩わせ無い様に努力するよ」
何気に大事なことだ、しっかりと覚えておこう。
そんなやり取りの後に、あまなちゃんを車の後部座席に座らせる。
キチンとシートベルトを着けてっと……これでいつでも出発できるな。
すると、何故か物珍しい光景を目の当たりにした様に車内を見渡し始めた。
その好奇心が伝わって来る様子が可愛すぎてずっと見ていたい気もするが、一方で何か気になることでもあるのかと不安にもなる。
一応、こうしてあまなちゃんを乗せることになるからと洗車はしてあるんだが……。
「あまなちゃん、何か気になることでもあるのか?」
「あのねおにーさん、あまなね、くるまにのるのはじめてなの! だからすっごくワクワクするんだよ!」
「え、そうだったのか?」
意外な返答だ。
思い返せば天梨が車を運転しているのなら、授業参観の時にあんな風に焦っていなかったと気付いた。
そうなると彼女は車を持っていないどころか、免許を持っていない可能性もあるのか。
なんて俺の疑問を察したのか、見送りの天梨が聞かれるより先に答えてくれた。
「天那の言う通り、公共機関を除いてこの子が車に乗るのは初めてなんです。育児のために運転免許を取得する時間が取れなかったので……」
「あー、なるほど」
天梨が天那ちゃんを妊娠したのは高校卒業の半年前……旦那とは結婚前提の付き合いだっただろうから、出産してから免許を取ろうと思っていたんだろう。
シングルマザーとして働いていたら、そりゃ教習所に通う余裕なんてないのは明らかだ。
となると、ある懸念事項が出て来る。
「それじゃ車酔いをするかどうかも分かんないよな」
「バスや電車で酔ったことはないので、大丈夫だといいのですが……」
「そうなったらこっちで何とかするよ」
「お願いします」
とりあえずそういうことで落ち着いた。
気付けば天梨の出勤時間も近付いて来たので、いよいよ出発だ。
「それでは、3日間天那のことをよろしくお願いします」
「ああ、任せとけ」
「ママ、いってらっしゃーい!」
「ええ、天那もあまり早川さんにご迷惑を掛けないようにして下さいね」
別れの挨拶を済ませて、俺はアクセルを踏んであまなちゃんを乗せた車を走らせる。
配達先での交流だけだった少女との3日間に、俺はひっそりと期待に胸を躍らせるのだった……。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回も明日のお昼の12時に更新します。
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