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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第一章 水平線を望む
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第六話

 聖剣を引き抜くことができた。

 誰にもできなかったことができた。その事実が、晴也の胸を満たしていた。

 自分にはそう言う価値がある。他の誰にもすることのできないそれを、晴也にだけはできる。日本にいては味わうことのできない充足感に、晴也の顔は緩み、思わずにやけ顔になってしまう。

 もはや、引き抜くまでは感じていた熱さを感じない。それが、しっかりと自らの手に収まったのだという実感に思えた。

 空に掲げていた聖剣を下ろすと、自然と刀身の輝きが弱くなる。それでも輝きを放っているのは、常に何かしらの力を放っているということなのだろうか。

 晴也は振り向いて、エルノアのほうを見て笑う。エルノアの期待に応えることができた。それがまた嬉しかった。晴也を見てエルノアも、表情に笑みを浮かべる。

「まさか、本当に抜いてしまうとは。流石、エルノア様の慧眼です」

 晴也の様子を見たジルバは、隣にいるエルノアに対しそう称賛の言葉を送った。

「それで……これはどうすればいい?」

 晴也は聖剣を見せながらそう訊ねる。鞘でもあればそれに収めておくのが道理なのだが、如何せんそう言うものは見られない。晴也の問いに答えたのはガートルンだった。

「俺が本部に持って行こう。このことを、早く陛下に知らさなくてはいけない」

 そう言いながらガートルンが晴也に近づく。正直、自分が引き抜いた聖剣を、すぐに誰かに渡すことに躊躇いはあった。しかし、この聖剣は元々晴也の物ではないし、そもそも剣など持っていても、晴也には使いこなせない。名残惜しさはあったが、ガートルンに渡してしまうのが一番適当だろう。

 晴也はガートルンに聖剣を差し出す。ガートルンはそれを、割れ物を扱うかのような慎重さ聖剣に触れる。

 ガートルンがしっかりと聖剣を持ったのを確認して、晴也は聖剣から手を離した。

「――熱ッ!?」

 瞬間、ガートルンは聖剣を宙に投げた。いきなりのことで晴也はその様子を眺め、再び聖剣は塩の柱に突き刺さる。

「ちょ、何やってんだよあんた!?」

 晴也は再び柄を握り、聖剣を引き抜く。先ほどとは違い、聖剣はすんなりと引き抜くことができた。これでまた引き抜けない状態にでもなったら、笑い話では済まない。

「な、なんだ……今のは」

 一方のガートルンは、聖剣を持った瞬間の感覚に疑問符を浮かべていた。聖剣を受け取った瞬間、掌が焼けるような熱を感じた。掌からガートルンの全身を燃やし尽くさんとばかりに、猛々しい熱。それにガートルンは、思わず大事な聖剣を投げ飛ばしてしまった。

 投げ飛ばすと掌に感じた燃えるような熱は収まった。それどころか、その余韻すらも感じられない。まるで、端から熱などなかったかのように、体には何ら異常がなかった。

「ガートルン、どうしたのですか?」

 そんな様子に、エルノアがそう訊ねた。

「そ、それが、彼から聖剣を受け取ったとき、聖剣が物凄く熱くて……」

「熱い? 今はそんなことないけど」

 確かに、先ほどまでは猛烈な熱さを感じていた。しかし、今はそこまでの熱量はない。晴也の感覚では、熱を持ったパソコンくらいにしか感じられなかった。

「……シオタ様、もう一度聖剣を、柱に突き刺してください。もう、先ほどまでのように容易に引き抜けない、ということはなさそうなので」

 エルノアにそう言われ、晴也は先ほどと同じように塩の柱に聖剣を突き立てる。

「ジルバ、試しに聖剣を持ってみてください」

「承知しました」

 今度はジルバが聖剣の柄を掴む。そして、すぐに柄から手を離した。彼女もガートルンと同じように、自分の手を一度確認し、首を傾げる。

「どうでした」

「確かに、クレイヴェス・ファーリスの言う通り、持つことは愚か、触れることも難しいほど、聖剣は熱を帯びています。……しかし」

 そう言いながらジルバは腕の防具を一度外し、全員に掌を見せる。ジルバの手は少女らしく小さかった。それとは裏腹に、長らく剣を振るい続けたせいなのか指が随分とボロボロだった。

「聖剣からは焼けるほどの熱を感じました。しかし、それほどの物に触れれば、普通皮膚が赤く変色します。ですが、ご覧の通り皮膚は白いままなのです」

「勘違いじゃないのか? 俺は全然そんなの感じないけど」

 ジルバの説明に対して、晴也はそう言いながら、柱に突き刺した聖剣を握り、再度引き抜く。軽やかに聖剣を扱う様子に、ジルバやガートルンが感じていた熱に耐えているようには見えなかった。

「……つまりこれが、エルレイクスの選別、ということなのでしょう」

 柱を登る前に、グロムウェルは言った。聖剣を引き抜けないのは、この場に神に見初められる素養を持った者がいないためだと。ジルバやガートルンが感じた猛烈な熱は、塩の柱から引き抜かれた聖剣――すなわち神が、それでも担い手を選別しようとしている反応なのだ。そして、それを感じずに、軽々と聖剣を持つ晴也こそは、神に見初められた稀人。

「つまり、本当に神の采配だったということか……」

 どこか悔しさを滲ませながら、ガートルンはそう呟く。

 王より与えられた責務を、自分が果たせなかった。そんな感慨がガートルンに拳を握らせる。思わず先ほどまでいたドクテルの顔を思い出し、振り払うように首を振った。何はともあれ、聖剣は引き抜かれた。それでよかったのだ。何ら成果も得られなかったよりも。神に選ばれなかったよりも。

「ひとまず、移動しましょう。皆さんに報告しないと」

 ともかくとして、聖剣が引き抜けたのは良い成果だ。それを、聖剣の回収に当たってくれていた人員、そして、国王にも報告しなくてはいけない。

 塩の柱を下り、船で湖のほとりにまで戻ると、大勢の人間が晴也の持つ聖剣に釘付けになっていた。

「皆さん。聖剣は見事引き抜かれました」

 胸を張りエルノアがその場にいる人間にそう告げる。堂に入った態度、静かながら響き渡る声が静寂に行き渡り、次第にその場にいる人間の心に波紋を広げた。

 次第に誰かが叫び声をあげる。歓喜にむせぶ声だ。それは徐々に人へと伝播し、何時しかその場にいる全員が喜びに打ち震え声を上げていた。

 晴也にはそれがどういう意味なのかはっきりわからなかった。それでも、目の前にいる人達にとって、自分のしたことはそれほど価値のあることだったのだと改めて実感でき、胸が満たされるのを感じた。

「まさか、本当に抜かれるとは」

 喜びに沸き立つ騎士や魔法使いの集団から出てきたのは、濃紺の外套をまとったグロムウェルだった。

 聖剣を眺めた彼は、一度晴也のほうを見ると、深々と頭を下げた。最初に見たときは眼中にない、と言った様子で何も喋らなかったのに、とんだ掌返しだ。内心でそんなことを思っていた。

「神に選ばれし者、聖剣に見初められた勇者よ。どうか我らをお救いください。あなた様のあることが、我々の正しさを世に知らしめる、唯一の光なのです」

 頭を下げ、祈るように両手を組みながら、グロムウェルはそう告げた。懇願だろう。そこにどんな想いがあるのか、彼のことも、この世界のこともほとんど知らない晴也には推し測ることはできなかった。

 これまでの晴也は、全て自分本位だった。最初に、この世界のことを知るためにエルノアを利用しようとした。次に、自分の価値を定めるために聖剣を利用した。それでいいと思っていた。物語のように、自分に何か特別なモノがあれば、この世界のために何かができるだろう。けれど、晴也には何もない。何もなかったのだ。そんな人間にできるのは、ただ自己優先的な保身だけだった。

 晴也は思わずエルノアのほうを見る。彼女の紺碧の瞳は不安げに揺れている。けれど、何に対しての不安なのかまではわからない。それでも、わからないなりにわかることもある。

 つい先ほどまで、周囲は歓喜にざわめいていた。しかし、今はその喜びを忘れたかのように静まっている。誰もが、晴也の答えを求めているのだ。

 誰もが望んだ聖剣。それを引き抜いた人物に望む答えなど、事情を知らずとも察せられた。

「……何をすればいいのかはわからないし、何ができるのかも知らない。それでも、何かできるなら、協力したい、と思ってはいます」

 酷く遠回りで、どこか曖昧な言い回しだと晴也は少しだけ自分の言ったことを後悔した。

 もっと端的にシンプルに言い切ったほうが、誰が聞いてもわかりやすかっただろう。何より、格好がついた。それができなかったのは、未だ晴也には自信がなかったからだ。

 しかし、そんな晴也の言い回しでも、グロムウェルは感嘆の声を上げ、晴也の手を両手で握った。

「ありがとうございます」

 感動に声を震わせるグロムウェルに、晴也は少しだけ戸惑ってしまった。

 二人が手を取り合う様子を見て、グロムウェルの後ろにいる騎士や魔法使いも、一斉に歓喜の声を上げた。それは、聖剣を引き抜いたとエルノアが宣言した瞬間以上に大きな衝撃だった。


    *


 既に太陽は大地の底に沈み、薄暮の空は次第に冷たい藍色を滲ませ始めていた。

 晴也は未だこの国の状況というものをよくわかっていない。それでも、ここまでかなり急いでいた印象があった。故に、聖剣を引き抜いたという報告のために、王城にとんぼ返りするものとばかり考えていた。

 しかし、実際に王城へ向かったのはガートルンで、晴也とエルノア、ジルバの三人は、エルンティカの近くにあるという神殿にいた。

 神殿というから、何か特別な施設なのかと思っていたが、なんてことはない。この世界で言う神殿は、地球で言うところの教会に近い。信ずる神のために民草が集う場所。神の教えを説く場所。ここはそう言う場所だ。

 案内された部屋の窓から、晴也は空を眺める。

 次第に夜の香りを強めていく空。しかし、不思議なことに空に浮かぶものは変わらなかった。沈む太陽。輝く月。煌めく星々。果てを感じさせない宇宙の黒。それら全て、日本で見られるものと何ら違いはない。強いて言えば、東京で見る夜空よりも、この国の夜空はとても明るいくらいだろうか。

「……これから、どうなるんだろう」

 思わず言葉として出てしまった不安に、晴也は慌てて部屋の中を見回す。部屋には晴也一人しかいない。当然だ、ここは晴也にと案内された部屋で、エルノアもジルバも別室で休んでいる。

 今の言葉を聞いたら、あの二人はなんと言うだろうか。失望するか、あるいは当然だと励ましてくれるか。ジルバは前者――というより、そもそも期待などしていないとまた言うか。エルノアは、わからない。聖剣を引き抜くお膳立てをしてくれたということは、期待はしてくれていただろう。けれども、まだ晴也は、彼女から何も聞いていないのだ。

 果たして彼女は、本当に晴也が聖剣を引き抜くことを望んでいたのか。その答えを知らないことが、心の隅に恐ろしさとして残っている。

「考えすぎかなぁ」

 よくわからない内に、全く知らない場所に来て、聖剣なんて大事な物を引き抜いてしまった。そんな出来事に遭遇して、慣れないことをし続けてしまっている。それぐらいのほうがいいのかもしれないが、考えすぎるのは体に毒なように思える。

「……風呂、入りてぇ」

 ここに来る前にも入ったが、何故だか今は無性にお湯に浸かりたい気分だった。

 話を聞くに、この教会にも浴槽というものはあるらしいが、何でもそれは、巫女(マーティカ)が儀式のために、身の穢れを清めるために用いる祭具であるため、一般的な入浴に用いることができないらしい。

 体の汚れを落とすのだから似たようなものだろうとも思ったが、あまり駄々をこねるようなものでもないと考えて引き下がったのだ。

 考えてもしょうがないと、晴也は窓辺から離れてベッドに寝転がる。

 晴也の家のベッドよりも硬いものだが、妙に疲れた晴也には、どんな場所でも一級の寝床のように思えた。

 横になった晴也は、壁に立てかけられた聖剣に視線を向けた。

 聖水とやらで清めたという布を巻きつけて、刀身を覆って光を封じ込めた聖剣。なんとも格好のつかない見た目だが、これのおかげで、聖剣が絶えず放っていた『力』というものを抑えることができているそうだ。

 晴也にとって聖剣は、自らの価値を量る天秤だ。そして、自らの価値そのものでもある。この世界――エルダフィート王国にとって、聖剣のない晴也など、異世界人などとのたまう不審者でしかない。なら、王国にとって聖剣は何なのだ。何のために、聖剣を求めているのか。

 本当に自分のことしか考えていない。いや、考えているようで流れに乗っていたのだ。自分の知る物語の流れに沿うように。本当に物事を考えていたのなら、聖剣がなんのために必要なのか聞いておくべきだったのだ。

 今更になって恐れている。もし、この聖剣を戦争にでも使うと言いだされたら、間違いなく晴也は戦争に駆り出されるだろう。何せ聖剣は晴也にしか扱えないのだ。扱える者が一人しかいないのなら、その一人を使うのは道理だ。

 自分の身の安全を求めながら、その先が戦争というのは、間抜けにも程がある。

「ホントに、これからどうなるんだろ」

 そんな不安を言葉にすると、押しつぶされそうな心が少しだけ楽になったように思えた。そんなまやかしに頼りながら、晴也はそのまま眠ろうと思った。

 瞼を半分まで閉じたあたりで、ノックの音が部屋に響いた。誰だろうか。晴也は目を開き、ゆっくりと体を起こした。

「はい?」

 ドア越しでも聞こえるように、少し大き目な声で誰何する。

「エルノアです。今、大丈夫ですか?」

 帰って来たのは、エルノアの声だった。晴也は慌てて起き上がり、急いでドアを開けた。

 ドアを開けると、紺碧の瞳をまっすぐ晴也へと向けるエルノアがいた。極めて真面目な表情で、それを見た晴也も、思わず背筋を伸ばしてしまった。

「と、とりあえず、どうぞ」

「失礼します」

 夜中に女性を自分の部屋に招く。部屋の中に入ると、エルノアは椅子に腰を下ろし、晴也は他に座る場所がなかったため、ベッドに腰を下ろした。

「それで、なんの用ですか?」

「……シオタ様の、今後についてです」

 エルノアは少しだけ視線を逸らしてそう言った。

「今後、ですか」

 晴也にはこの先のことは何も見えない。ひとまず、今自分がいる場所でも固めなくてはと、聖剣は引き抜いたが、その先のことは何も考えていなかった。

「はい。シオタ様は見事聖剣を引き抜かれました。遅くなりましたが、本当にありがとうございます」

 エルノアのその言葉に、心の中にあった恐怖は少しだけ和らいだ。だからこそ、浮き上がるのは自らの浅慮だった。

「や、やめてください! 俺、自分のことしか考えてなかったんですから……」

 自分の価値を量るためだけの行い。それはきっと、あの場で誰もが望んだ勇者としての形ではない。それなのにいい気なった自分は、やはり滑稽だ。所詮、その程度の熱に浮かされてしまうような人間なのだ。

「しかし、シオタ様は聖剣を引き抜かれました。誰にもなしえなかった偉業、エルレイクスの選別を通った。つまり、神に見初められたのです。それは誇るべきことなのですよ」

 そうは言うが、と言いかけて晴也は止めた。この感じ方の差は、やはり文化の差だろう。彼女らエルダフィート王国の民は、神というモノの実在を信じているのだ。一方で、信教していなかった晴也には、神という存在は眉唾に過ぎない。だから、神に選ばれた、の意味の重さが二人の間で大きく違っている。

 そんな認識の差を知ってか知らずか、エルノアが話を進めた。

「ともかく、シオタ様は聖剣を抜かれました。誰にも抜けぬ聖剣を引き抜いた者としての箔がどのようなものか、シオタ様は既に経験されたかと存じます」

「……はい。みんな、すごく喜んでいた」

 晴也にはその喜びの源はわからない。それでも、彼らにとって聖剣という物がどれだけ重要なのかは理解できた。

 我々をお救いください。グロムウェルの言ったその言葉だけでも、彼らが聖剣に何を求めているのか、理解させられた。

「エルノアさん。エルダフィート王国は、聖剣を何に使おうとしてるんですか」

 この質問は、本当なら聖剣を引き抜く前にするべきだったのだ。自分の今の確保よりも、その先に目を向けるのなら、自分が利用しようとしている物がどういった物なのか、もっと正確に理解したうえで利用するべきだったのだ。

 晴也のその質問に、エルノアは眉間に皺を寄せる。訊ねるべきことではなかったかと一瞬焦った晴也だが、エルノアがすぐに口を開いた。

「本来ならば、シオタ様がことをなす前にお伝えするべきことでした。そして、その機会は幾らでもあった。それでも私があなたにお伝えしなかったのは、あなたが聖剣を抜くことを、拒んでしまうかもしれないという危惧があったためです」

「……それは、なぜ?」

「我々エルダフィート王国は、神の涙たるエルレイクス、聖剣を戦争に用いようとしています」

 絶句、というのはこのことを言うのかもしれない。晴也とてその可能性は考えた。むしろ、物語として考えるのならばそれが妥当なのだ。しかし、どこかで思っていたのだ。自分は戦争に介在できるような英雄ではない。何より、本当に争いが起こるとも限らないと。この世界は物語ではないのだから。

 事実は小説より奇なり。そんな言葉を思い出した。物語のような出来事など起こらない。そんな常識的考えは、晴也がこの世界にいる時点でなんの役にも立たなかったのだ。

 そんな晴也の反応を見て、エルノアはより申し訳なくなる。きっと、聖剣を抜く前に説明していれば、晴也は聖剣を抜かなかっただろう。エルノア個人としては、そちらのほうがきっと平穏に生きることができるだろうと考えた。しかし、王女エルノアとしては、晴也に聖剣を抜いてもらわなくてはいけなかった。可能性のある者を、みすみす逃す手はない。

「じゃあ、俺はこれから……戦うのか?」

 晴也の声はどこか震えていた。エルンティカで英雄と持ち上げられた晴也の様子はどこにもない。本当にただの少年だと、エルノアは改めて感じた。

「それはまだわかりません。まだ起こるかもしれないという段階ですから。ですが、戦争が起きれば、きっとエルダフィートは……」

 負け戦。俯くエルノアを見て、その言葉が脳裏を過る。そんな戦争に聖剣を利用する。きっとこの国にとって、それが希望なのだろう。エルンティカにいた人も、この国の王様も、誰もが聖剣の輝きが、希望であると信じている。

「な、んで――」

 それを先に言わなかったのか。言えば聖剣なんて引き抜かなかった。そう怒鳴り散らそうとエルノアを見て、声を呑み込んだ。

 目の前にいる彼女の顔は、酷く歪んでいた。何かを堪えるように歯を食いしばり、噴き出る怒りを抑えるように眉を顰め、悔しさを覆い隠すように拳を握っていた。

 それがどういう意味なのか、理解できない晴也ではなかった。晴也はエルノアのことをまだ知らないのだと悟った。晴也がわかるのは、彼女が少女であるということ。王女であるエルノアを、知らな過ぎた。少女の一面が、彼女の全てだと思っていたのが違ったのだ。

「……戦わない可能性も、あるんだよね」

 怒りに任せて持ち上げていた腰を再びベッドに落ち着かせた晴也は、誤魔化すようにそう言った。

「はい。この戦争は、エルダフィートと周辺諸国との認識の差が招いたもの。それが正されれば、我々に争う理由はありません」

「じゃあ、その認識の差って何? 一体何が、相手方は気に入らないのさ?」

 気が付けば、晴也はエルノアに対して砕けた口調をしていた。もはや、体裁を考えられるほど頭が回っていないのもある。それ以上に、晴也の中にある未だ呑み込めていない怒りが、無意識にそうさせていた。

 それを咎めることなく、エルノアは口を開く。

「我々エルダフィートは、この世のありとあらゆるものを創造した神、エルシェンディカを信奉するエルシェ教を国教としています」

 この国やエルノアの名前に付いている『エル』という単語の由来となった神の名前。晴也にそれを聞いてもどういう意味があるのかはわからなかった、彼女らの言葉では、きっと何かしら特別な意味がある言葉なのだろう。

「しかし、周辺諸国が信ずるロジェンカ教は、天地を創造した神をロジェンカとし、エルシェ教を認めないのです」

「それが差? けど、違う宗教なんでしょ? そこまでいがみ合う必要ないんじゃ……」

「いえ、エルシェ教とロジェンカ教は、同じ『経典』を用いているのです。しかし、我々の祖先と、周辺諸国の祖先との間に、決定的な解釈の差が生まれ、そこから対立し、今に至るのです」

 晴也にとって宗教とは、よくわからないものだった。いるかもわからないナニカをいると信じて祈る、というのが受け入れ難かった。だから、神様の名前が違う程度で、戦争になるというのは信じ難いことだった。

「名前だけではありません。エルシェ教では、エルシェンディカは涙を流し、それを剣と変えて世界の中心を定めたと『経典』を読み解きました。しかしロジェンカ教側は、そのような記載は『経典』に存在しないとしています。むしろこちらが、強くいがみ合っている理由でしょう」

 自分達が信じてきたことを、他人から違うと言われる。その腹立たしさは、少しだけわかるかもしれない。

 それでも、相手の解釈が気に入らないから戦争をしようだとは思わない。むしろ、どうしてそこまでして自分の正当性を示そうとするのだ。どちらも間違っているかもしれないというのに。

「シオタ様にとって、このような諍いは所詮他所の世界の揉め事。本来、関わる必要のないものです。その上で、私はシオタ様にお願いしなくてはいけないことがあります」

 そう言うとエルノアは立ち上がり、深々と頭を下げる。

「お願いします、シオタ様。聖剣に見初められた勇者様。どうか私達をお守りください」

 エルノアの言葉を聞いて、晴也は懊悩する。

 躊躇いがあった。一蹴することは簡単だ。晴也にはそうする権利がある。自らの想いに身を任せるとすれば、それ一択だ。けれども、それをエルノアに告げるのは酷だとも思った。

 この結果が彼女の望むものでないことなど理解している。彼女は自分の過失も、晴也の事情も、すべて理解している。その上で頭を下げているのだ。

 事実として、晴也は聖剣を引き抜いた。それは変えようがない。故に、この世界は晴也を、聖剣を抜いた勇者として見続けるだろう。元の世界に戻るまで。

 結局のところ、晴也は元の世界に戻るまでは、この世界で生きていかなくてはいけない。この世界で生きていくなら、その戦争を関係ないとは言っていられないのだ。

 そう考えると、晴也のやることは最初と何ら変わらないのだ。どうしてを問うのではなく、何をすべきかを問う。晴也がこの世界でできることなど、それくらいしかないのだ。

「……頭を上げてください」

 エルノアにそう声をかける。彼女はゆっくりと頭を上げ、晴也を見る。

 晴也は壁に立てかけていた聖剣を持ち上げ、聖水で清めた布を剥ぎ、輝ける刀身を露にした。

「正直、聖剣を引き抜いたから戦えって言われても、はいそうですかという訳にはいかない」

 それはどうしようもなく、晴也の本心だった。戦争なんて知らない、遠い世界の話でしかない日本で生まれた晴也にとって、血が流れる戦争は、物語の中のフィクションでしかない。それを、実際にしてみろと言われても、できる訳がない。

 晴也の言葉にエルノアは思わず俯いてしまう。「だけど」と続けた晴也の言葉に、エルノアは再び顔を持ち上げる。

「俺が聖剣を引き抜いた事実は変わらない。それが、この国にとってとても重要なことなのも理解した。……だから」

 思えば、晴也は既にその答えを口にしていた。とても遠回しで、格好の悪いと思っていた答えだが、それがこの世界でできる精一杯なのだと、晴也は直感した。

「できることをするよ。何ができるのかわからないし、戦えないかもしれない。それでも、聖剣を抜いた人間として、できることをしようと思う」

 きっとこれは、この世界のことを知りもしないのに、この世界のモノを利用しようとした罰だ。この世界で生きるために聖剣を引き抜いたのなら、晴也はその罰に受けなくてはならない。

 もっと酷い言葉を浴びせられると思っていた。もし、エルノアが晴也の立場であったのなら、そんなことは口にできなかった。

 彼はどうしようもなく普通の人間だ。神に見初められるような要素なんてないように見える。けれど、やはり彼は神が選んだ人なのだろう。そう思わざるを得なかった。

「ありがとうございます、シオタ様」

 エルノアは再び頭を下げた。晴也がその意気を見せたのなら、ここから先はエルノアの領分だ。

 戦争を回避する。それが、聖剣の回収という任を終えた、エルノアの次の使命だった。


第六話を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。

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