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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第四章 水平線に望む
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第五十話

 視界は霞み、体の震えは止まらない。呼吸は浅く早く、頭の中は白んで何が起きているのか把握できないでいた。

 握りしめた拳が痛む。ゆっくりとそれを開くと、掌の肉は焼け焦げ、一部は溶けていた。

 掌の傷が次第に痛み始める。痛みを誤魔化していた脳内麻薬の分泌が抑えられ、次第に晴也の意識を明瞭な状態へと推移させる。

 全身を襲う猛烈な痛みに泣きそうになる。しかし、未だ倒れ込む訳にはいかなかった。

「――どうする、つもりだ」

 地面に突き刺さった聖剣を引き抜く晴也を見たアースターが、そう訊ねる。

 アースターのほうを振り向きながら、晴也は答える。

「この戦いで、あんたが認めてくれたのかはわからない。けど、意地を通したのは俺だ。なら勝者として、やるべきことをやるだけだ」

「……そうか。何をやるかは知らないが、今のワタシに、それを止める権利も気力もない」

 好きにしろと言わんばかりにそう言ったアースターを余所に、晴也はエルンティカの中心にそびえる塩の柱へと向かう。

 エルンティカの底にいる彼女の問題を、アースターが処理することを止めた晴也が次に行うべきは、時間稼ぎだった。何せこのままでは、遠くない未来で、塩の大地を砕き、底に封じられた彼女が這い出てくるだろう。今のエルダフィートの人間に、すぐさまこの問題について考えろと言っても、頭は回らないだろう。故に、彼らの持つ権利を、正当に判断できる頃までの時間稼ぎ。それは、晴也が勇者として最初にするべきこと――エルダフィートを守ることだった。

「――なるほど、貴様はこの下に誰がいるのか悟った訳だな」

 晴也の中で声が響く。大いなる声の正体を、晴也は把握していた。

 その名はロジェンカ。この世界の天と地を創り上げた創造神。エルシェ教とロジェンカ教が崇める経典に記載された神様だ。

「あんた、ほとんど俺に教えてたじゃないか」

 彼は夢で自らの名前を告げ、そしてその場にいた彼女を全ての元凶と謗った。そして、聖剣・ラシャティーカの名を告げたときに、奴を封じ込める楔とも言っていた。それらを元に、ジェーン司教が残した手記に書かれていた、神が二柱いるという考え。そこまでくれば、自ずとエルンティカの底にいるのが何なのか察することができる。

「彼女はあんたと同じ神なんだろ。あんたと敵対しているのかまでは知らないけど、あんたは聖剣を使って彼女を地の底に沈め封印した。彼女の名前は……多分、エルシェンディカ」

 晴也の言葉に、ロジェンカは答えなかった。しかし、その沈黙が肯定であることを、姿の見えないながら晴也は察していた。

 聳え立つ塩の柱に向けて、聖剣を突き刺す。すると、塩の柱がバラバラに砕け散り、塩の粒子となって地面に落ちる。

「それでも、流石にわからないことがある。あんたは彼女のことを全ての元凶って言ったが、どういう意味なんだ」

 砕け散った塩の柱の中心部に立つと、そこには小さな穴が開いていた。そこからは大量の水が流れていた。そこが、エルンティカの源泉だ。恐らく、元々聖剣はここに収まっていたのだろう。

 晴也の内側で、ロジェンカの声が響く。

「まず、この世界の人々が経典と呼ぶ物に書かれた、塩を与えた神というのは俺ではなく、奴のことだ」

「エルシェンディカが」

「そうして、人々は魔法の力の源を得た。多くの人間はそれをディンと呼ぶ」

 この世界の文化は、魔法によって支えられていると晴也は見ていた。それ故に、エルシェンディカの行為は人々を助けるようなものだった。しかし、ロジェンカは忌々し気に言うのだった。

「ディンは本来、俺の力だ。それを操る権利を奴は勝手に人間に与えた」

「自分のものを勝手に使われて怒ってるのか? なんとも小さな理由だな」

 晴也の言葉に、ロジェンカが怒りを向けているのが内側から伝わった。刺々しい感覚に晴也はすぐに謝辞を述べる。

「ディンはこの世界を構成する最小単位だ。それを自在に操り、構造を無理くり変えられれば、世界が破綻してしまいかねない。人間の魔法とは、そう言った危険性をはらんだ技術だ」

「そう言うところは科学と変わらないんだな」

 地球でも、発達した科学技術によって地球の環境が壊されていた。科学も魔法も、技術が発展すれば、負担を強いられるのは自然――世界なのだろう。そうして、何時か世界が壊れてしまう。

 晴也の言葉に、ロジェンカは訝しんだように告げる。

「果たして、貴様の言う世界が本当にあるのかも怪しいがな」

「どういうことだよ」

 晴也の頭の中には、確かに地球の常識が存在した。自分の中に確かに存在するそれらを否定されるというのは、些か気持ちのいいものではない。

「貴様をこの世界に呼んだのは奴だ。より正確に言うならば、奴が自らを封じる聖剣を引き抜かせるために鋳造した、使い捨ての泥人形。それがお前だ」

「……何言ってるんだよ」

 思わぬ言葉に、晴也の口から弱々しい反駁が出る。しかし、それを押し込めるようにロジェンカは語る。

「どこか不可解に思っていたのではないか。言語の違うこの世界の人間と言葉が通じること。何より、この世界に来てから、今まで一度も元の世界に帰りたいと強く思わなかったことが」

 確かな懸念が晴也にはあった。

 晴也の頭には地球の知識があった。そこで培った常識があった。それを否定することは難しい。停滞しながらも平穏な、ぬるま湯のような世界。そこで過ごしてきた記憶がある。しかし、最初にそこに戻りたいとは思わなかった。この世界で最初に感じたことは、この世界で生きねばならない。そのために、聖剣が必要だと考えた。

 順序が違う。現実と物語が違うことは把握している。それでも、重なる部分が必ずある。物語とは現実の人を模した登場人物が織りなすものだ。故に、その精神性は現実に準拠した部分がある。

 現代の日本から異世界に飛ばされる物語は数多に存在する。しかし、その多くの主人公が、元の世界に帰ることを最初に望んだはずだ。しかし、晴也はそれを望まなかった。そんな考えを、本気で望んでいなかった。

 最終的に戻れるならば、その程度のあやふやな考えだけが、晴也の中にあった。そんなあやふやな望郷が、晴也の懸念だった。

 何時か学校で眠っている夢を見た。懐かしさを覚えるそこは、しかしすぐさま海に囲まれ、その景色は波間に溶けていった。

 どうしてあんなにもあっさりとした夢で思い出せたのか。どうしてその場所への執着や望郷を覚えなかったのか。それがずっと気がかりだった。

「俺が、造られた人形?」

 しかし、そう考えれば納得もいく。端から地球上にいなかったために望郷の念が薄く、この世界で言葉が通じたのもの、彼らの発する言葉と共通のものを喋れるように造ったのだろう。文字だけ読めないのは、エルシェンディカが文字を見たことがないため。故に、晴也は潮田晴也というモノが含有している、この世界の文字とは別の文字の知識しかなかった。

「じゃあなんで、異世界人なんていう知識で俺を造ったんだ。聖剣を引き抜かせたいなら、この世界の人間をそのまま模したっていいはずなのに」

「さあな。俺は奴じゃない。奴の意図などわかる訳もない。だが奴は狡猾だ。特に人の心を読むのが上手い。大方、異世界人として造ったほうが、御しやすいと考えたのだろうよ。周りに味方のいない環境が、貴様を自分に依存させるのに適しているとな」

「……ろくでもないな」

 あるいは神というのはそう言う物なのかもしれない。そんな苦笑が晴也の表情を歪ませる。

「貴様が聖剣を引き抜けたのは選ばれたからじゃない。元より聖剣を引き抜くという機能があったためだ。それがなされれば、お前の役目は終わるはずだった。だが、お前は聖剣に認められた。それが、奴の誤算だろうな」

 使い捨ての人形が、まさか聖剣に認められ力を振るうなどとは考えも及ばなかっただろう。それは余程滑稽なことなのか、姿の見えないロジェンカが気味の悪い声で笑っている。

「俺がどういう存在で、あんたがかなりエルシェンディカのことを嫌ってるのはわかった。なら、なんで俺を認めて、聖剣の名前を教えたんだよ」

「今貴様が言っただろ。ろくでもないと。神とがそういうものだ。だが、同時に平等でもあるのさ。例えお前が奴の信奉者であれ、奴に造られた人形であれ、そこに宿った意識が見せる輝きが、聖剣に合うと思ったまでだ」

「……じゃあ、なんで握れなくなったんだ」

「まだわかってないのか? あのときは俺が正式に認めてないって言うのもそうだが、巫女がお前とエルシェンディカの繋がりを断ったからな。聖剣を引き抜く機能が損なわれたんだろう。そして、俺とお前が繋がれた」

 晴也の中にあった疑問のほとんどが氷解していった。答えを出されるとなんともあっけないもので、それを知った晴也は少しだけ呆けてしまった。

「知りたいのはそれだけか?」

「……まあ、そうだな」

「どうして巫女を死なせた元凶が奴なのか、聞かないのか」

「どうあれ、エルノアさんを死なせたのは俺の罪だ。それまで神様に盗られたくはない」

 晴也の言葉に、ロジェンカは何も答えなかった。

 湖の水が湧き出る穴を見る。晴也は聖剣を構え直し、大きく上に持ち上げた。まるで、底に聖剣を突き刺さんとするように。

「それを果たせば、貴様は聖剣を担う権利を失う。構わないのか?」

「構わないさ」

「ならば、これ以上は何も言うまい。勇者シオタよ」

 ロジェンカの口から初めて、自分の名前が出てきた。

 誰かに価値あるものと認めて欲しかった。そんな欲求すら、エルシェンディカが作り上げた物なのかもしれない。だとしても、そうして得た喜びは晴也のものだった。そこに決して嘘はない。

 晴也の脳裏に、甘いナニカが触れた。すると、目の前に夢で見た女性の影が見える。

 涙する彼女の手には、人を象った泥人形が握られている。それが晴也自身の体であることを、晴也は察した。

「脅すつもりか」

 晴也の声に、彼女は答えない。答えられないのか、答える気がないのかわからない。彼女はただ涙を流すだけだった。

「あんたには悪いと思うよ。自分が造ったモノに裏切られるっていうのは、きっと辛いだろうさ」

 エルシェンディカに対して晴也が抱く憐憫は、母親に向ける感情に似ているのかもしれな。罪を犯した母親を憐れむ息子の感情。心の底で虫のように囁く、助けたいという衝動。しかし、それは彼女のためにならないと晴也は考えている。

「俺はあんたを助けることはできない。あんたが造った俺には、その権利がない」

 あるいは彼女の投獄は、ロジェンカの気ままなものなのかもしれない。ろくでなしの神の考えなどわかるはずもない。しかし、例えどのような理由で彼女がそこにいようと、晴也は考えを改めることはない。

「いつか、あんたをどうするのかこの国の人々が決める。もしかしたらそれは、あんたの望むものじゃないかもしれない。けど、信じて欲しい。その選択は、間違いではないんだと」

 聖剣の刀身が今までにない光を放つ。空を覆っていた赤雷のまとう暗雲を散らすほどの白光が天に立ち上り、夜の闇を昼の日差しが照らしつけていた。

 その輝きを見たエルシェンディカは、瞳を閉じ、そしてそのままどこかへと消えていった。

 納得した訳ではないだろう。涙を流す彼女の最後の表情は、どこか不満げだった。

「案外子供っぽいな」

 思えばロジェンカもそうだ。神様というのはろくでなしではなく、子供のようなものなのかもしれない。殊更たちが悪い。

 何はともあれ、後は聖剣をそこに突き刺すだけだった。

 何時かエルノアがしたように、地表を塩で侵す。あるいはこれは、その究極系だろう。

 このような形でしか国を守れないなどと、やはり自分は勇者として相応しくはないのだろう。この守り方は、エルノアの望むものではないのかもしれない。それでも、晴也は躊躇わない。自分にできる方法で、晴也はこの国を守ると決めたのだから。

「――彼方を望め。我らの故国はそこにあり」

 それは神へ捧げる祝詞とは違う。それは、この国の人々へ捧げる標。この場で立ち止まった人々に告げた送辞。

「『塩の箱舟(ラシャ・ノーア)』」

 聖剣をそこに突き刺す。そして、白光が王国を包み込んだ。


    *


 エルダフィート王国の滅亡。巷では『塩の厄災』と呼ばれる出来事が起きてから、半年が経つ。

 ジルバは久方ぶりに、全てが塩と化した故国の地を踏んでいた。

 エルンティカから立ち上る白光は、そのときエルダフィートにいた全ての人が見ていた。さながら昼間の陽光のように明るいその輝きは、紛れもなく聖剣のものであった。

 その光に照らされたエルダフィート王国は、大地から植物、建物に至る全てのものが、その形だけを残して塩の結晶となった。その場に居合わせた人間だけを残して。

 そのような異常事態に戦っていた両軍の動きは止まった。否、止めざるを得なかった。何せ、エルダフィートの騎士団が守っていた国は塩となり、ガグランダが滅ぼそうとした国はその瞬間に滅んだのだ。

 戦争の終焉は、そんな呆気ないものだった。むしろ、慌ただしかったのはその後だろう。

 最初に、聖槍の担い手である聖人、アースター・ヴァインがエルシェ教を認めたことだった。正確に言うのなら、ロジェンカ教の一教派、ラシャティーカ教派として迎合を提案され、エルシェ教の司教であるグロムウェルがその提案を呑んだ。形式上はエルシェ教がロジェンカ教に与したという形になるが、その実、ロジェンカ教はエルシェ教の存在を正しく認識しなくてはならなくなった。深く根付いた問題は、エルダフィートの意見を通す形で終息を見せた。

 次に、ガグランダ公国についてだった。ガグランダ公国にとって、卓越した魔法技術を有するエルダフィート王国は、何時攻め入って来るかわからない不気味な存在だった。そのため、宗教的問題を利用し、聖剣の存在が周辺国に露呈するよりも先に、エルダフィート王国を滅ぼそうとしたらしい。結果として、ガグランダ公国はエルダフィート王国を滅ぼしたが、しかし前提であった、聖剣の存在の隠匿には失敗した。

 エルダフィートとガグランダなど諸国同盟の間に起こっていた宗教問題は、より遠い国でも認識されていた。そして、それらの国にも、かの白光は目撃された。見識ある者はそれが、聖槍とも聖鎚とも違う神威であると判断を下した。つまり、彼らから見てガグランダ公国ら諸国同盟が行ったことは、間違いを認めず、自分勝手に一つの国を滅ぼした邪悪な国家という認識だった。

 それによって最も被害を被ったのは、ガグランダ公国だ。ガグランダ大公は、今回の戦争で秘密裏に聖剣を回収し、同盟国よりも優位を保ち、且つ他の大国とそれを材料に取引を持ち掛けていた。しかし、先の通りガグランダの印象は最悪であり、取引を持ち掛けていた大国はそれを反故。何より、諸国同盟からも白い目で睨まれ、同盟の中で酷く危うい立場へと追いやられていた。

 そして最後。恐らく、それがこの半年で最も忙しかったことだろう。それは、滅んだエルダフィート王国再興のために、エルメリアを中心に結成したエルダフィート連盟。その樹立のために、各国各組織との折衝が、ジルバの精神を削っていた。

 エルノアの近衛騎士として、エルノアが執り行ってきた政治的なやり取りに混じったことがあったため、まだ耐えることはできる。しかし、同僚でありエルメリアの傍付きであるシャーンは随分と消耗を見せていた。最初の幾月かは、暇な時間はいつも突っ伏して寝ているということが多かった。

 今のエルダフィート王国に必要なのは、剣を振ることではない。無くなってしまったエルダフィートという国が、まだ生きているということを国々に伝える発信力だ。

 その上で、塩のまま残った王国の土地は便利だった。王国は物理的に滅んだ。しかし、そこにその影が塩という形で残っていれば、誰しも思うだろう。ここに国があったと。そして、そこにエルダフィート連盟の人間の言葉を聞けば、エルダフィートが滅んでいないことを誰もが納得してくれる。

「お前は、お前なりの方法でこの国を守ったんだな」

 かつて、聖地であった場所。エルンティカ。厄災の爆心地を前に、ジルバはそう口にした。

 きっとあのまま戦争で国が滅んでいれば、この土地は焼かれ、不毛の荒野と化していただろう。そう言う意味では、今の王国も気味の悪いほど純白の地平が広がる不毛の地だ。しかし、この滅び方は形を残している。エルダフィート王国が、その形のまま影として塩となっている。その綺麗な滅び方は、戦争による滅亡では決して起こり得なかっただろう。

 連盟内でも、最初は晴也の行いに随分と否定的な意見も出た。しかし、半年と時が流れれば、誰しもがそうした形で国が残っていることに安堵する。

 エルダフィートの民の誰しもの中に故国はある。それでも、それが物質として存在することに対しての安心感は計り知れない。

「エルノア様の望みを守ったんだ。大した奴だよ、お前は」

 かつてエルンティカであった場所は、今はその全てが塩の結晶で埋められ、閉ざされ、湖の原型は一切なかった。

 その中心。塩の結晶が氷のように透き通った場所がある。そこを覗くと、そこには聖剣の姿があった。僅かに太陽のような白光を刀身から零すそれは、未だに神威を放っている証拠だった。

 聖人アースターは語った。エルンティカの底にはおぞましいものがある。あるいはエルシェンディカとは、その名前なのかもしれないと。それを認めることは今のジルバにもできそうにないが、このようにエルンティカに蓋をしたことを否定する気もなかった。

「私は、自分の手で仇を討つこともできなかった。惨めな女だよ」

 聖剣の埋まる透明な塩の結晶を手で撫でながら、ジルバはあの夜のことを思い出す。

 グライダムに気絶させられたジルバの目を覚まさせたのは、駆け付けたハーロゥだった。彼と共にオーセムが逃げたほうへ向かうと、そこには殺されたオーセムの姿と、腹に剣を突き刺し、既に事切れたグライダムの姿があった。

 状況から見て、グライダムがオーセムを斬り殺したのは間違いなかった。そうしたあと、自分の腹にジルバから奪った剣を突き刺して自決。

 グライダムにとってそれは、自らの罪の清算なのだろう。彼の心の中にも、守るべきエルダフィートが確かにあったことがジルバには喜ばしく思えた。しかし、それを理由に、ジルバがエルノアに償う機会を奪ったことを許すことはできない。何より、成し遂げることができなかった自分が許せなかった。

「それでも、前には進まなくてはいけないからな。だから、今はエルダフィート王国再興に力を入れているよ。エルノア様もそれを望むだろうしな」

 僅かに風が吹く。嗅ぎ慣れない磯のような臭いにジルバは眉間に皺を寄せる。そんな彼女の耳元には、晴也がエルノアに送るために購入した、翡翠海洋石の耳飾りが着けられていた。

「この土地も次第に、塩が無くなって元の姿になるだろうってハーロゥ殿は言っていた。それが何年後になるかわからないが、私達はまたこの国に帰ることができるみたいなんだ」

 事実、国境の検問に設けた外壁は、その一部の塩が剥げ、元の石に戻っていた。聖剣が放った神威の効力が薄れているのか、そもそも時間制限があるのかどうかはわからないらしいが、この土地が復活することは明らかなようだ。

 土地は元に戻る。その頃までにはエルダフィート王国も再興するだろう。そうして、彼女らは帰ってくることができる。

「――お前は、いつ帰ってくるんだよ。シオタ」

 ジルバは行方不明の晴也にそう訊ねる。吹き抜ける風が、どこかにいる晴也の元に、その問いを届けてくれるかもしれないと願いながら。


    *


 塩の厄災から、あるいは数年が経っているかもしれない。

 ある男が、それを前に立ち尽くしていた。

 ぼさぼさに伸びた髪は珍しい黒色で、尊き身分の人間が着る黒袖黒穿きは随分とズタボロ。その中の白襟は着古したのか、かなり汚れがこびり付いていた。

 男の目の前には水が広がっていた。それは寄せて返すを繰り返し、波たった水が白い泡となって幾度とさざめく。

 そこは海だった。この世界の人間が、誰も辿り着いたことのない、世界の最果て。

 ここに至る道中は、男にとって過酷なものだった。ロクな装備もなく旅を始め、ひたすらに川を下って行った。道中には苛烈な国の領土や、残酷な盗賊の隠れ家。貪るヴォンターの巣などがあり、それを通り抜け、さらには未開拓地すらも踏破した。そうして幾年月を掛けて、男は海へと至った。

 もはや、きっかけを与えてくれた女性の姿は思い出せない。それでも、首元に吊り下げる金色の遺髪品を握り締めれば、昨日のように思い出す。彼女は、海を見てみたいと子供のように言っていたことを。

「――なあ、どうだ。これが海だ」

 靴を脱ぎ、素足を晒して海の中に入る。冷たい水の感触にくすぐったものを感じながら、晴也はその遺髪品の女性に語りかける。

「見たいって言ってただろう。川を下れば行けるって安易に考えてたんだけど、思いの外遠かったよ」

 押し寄せる波の水を掬い、それを少しだけ口に含む。辛いほどの塩の味に懐かしさを覚え、男は笑った。

「やっぱり、この世界の海もしょっぱいや」

 男の笑顔はどこかあどけないものだった。それを見れば、彼を知る者ならすぐに悟るだろう。その男こそは、塩の厄災を引き起こしたエルダフィートの勇者・シオタだった。

 海に辿り着いた達成感は、彼にとって計り知れないものだった。しかし、それ以上に彼は感じていた。その光景を、実際に見せたかったと。

「ごめん、ごめんな。ごめんなさい」

 彼の瞳からは涙が溢れる。それはいつの日かの後悔。あるいは彼はこの日、初めて彼女の死を悼んだのかもしれない。自分が犯した間違いから来る罪悪感でもなく、背負った罪から生じる義務感でもなく、ただ大切な人を悼み、泣いていた。

 彼の涙が頬を伝い、それが海へと落ちていく。

 涙の雫越しに見る彼の体を、金髪の少女が優しく抱きしめていた。その光景は、まるで永遠に続くかのようだった。

 涙が海にとけるまで――


第五十話、および本作「アクロス・ノア 涙が海にとけるまで」を読んでいただきありがとうございます。


この話を以て、勇者シオタの物語は終わりとなります。

しかし、エルダフィート王国の再興や、ロジェンカとエルシェンディカの確執は、この世界では続いていきます。


ネット上で読むものとしては非常に読みづらいものだったかもしれません。盛り上がりに欠ける展開が多かったかもしれません。それでも、最後まで読んでくださった方は、本当にありがとうございます。


今後も、何かしら作品を投稿したいと考えています。もしまた私の見るに堪えない作品を見かけたときは、そのときはお付き合いくださいますようお願いいたします。


最後になりますが、未熟な私と、エルノアの死を乗り越えて前へ進む決断をした勇者シオタの物語を読んでいただき、誠にありがとうございました。


フジアキ



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