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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第四章 水平線に望む
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第四十六話

 神殿を出た晴也とジルバは、馬に跨り平原を駆けていた。

 手綱を握り、馬を駆けさせるジルバの腰を強く掴みながら、晴也は訊ねる。

「……今の、聞こえたか」

 それに対してジルバは、短く答えるだけだった。

 異世界から来た晴也が、エルダフィートの民と名乗れるのかわからない。それでも、確かに晴也の内側でエルガンダは繋がり、その言葉を託した。エルダフィートの民に対する信頼の証を、晴也にも示したのだ。

 となれば、もはや自分は異世界人などという逃げ道は捨てなくてはならない。

 この世界に呼ばれた瞬間から、この世界で生きていくしかない。そんなことは最初からわかっていた。けれど、それは本当の意味でその言葉を理解していなかった。この世界で生きるということは、この世界の住民になるということ。そして、この国の民になるということ。

 もはや晴也の中にも、エルダフィートはあるのだ。そして、それを託された。ならば、守らなくてはならない。それはこの国の民の義務であり、何よりエルノアに選ばれた勇者に託された願いでもある。

「重いもの、託されたな」

「ああ。だが、苦ではない」

「……そうだな」

 夜の平原は、されど普段の静けさとは遠い場所にあった。燃え盛る王城、西の空で幾度と瞬く戦火。何より、エルダフィートの民全員が心の内に燃やす、この国への想いが、この夜を熱いものにしていた。

 そして、その熱は言わずもがな二人の胸の内にも宿っていた。あるいは、二人の跨る馬にすら燃えるものがあるのか、さながら突風の如き速さでその馬は平原を駆けていた。

「この調子なら、すぐにでも着くはずだ」

 王城に赤雷が落ちる前に見えた赤い流星は、西部の森から放たれたものだった。晴也はそれが聖槍であることを確信していた。

 グリムシャニスから南東にある森。そこにアースターはいる。神殿からそこに辿り着くまでは、早馬を走らせたとて一日かかるところだろう。その距離を、ほぼ半日ほどで進もうとしている。

 馬にかかる負担は計り知れない。しかし、ジルバがどれだけ速度を落とそうとしても、馬自らその足を速めてしまう。

「……お前も、エルダフィートの民の一員なんだな」

 然らば、その想いを汲むのもまたエルダフィートの民の責務であった。故に、ジルバは馬の好きに走らせることにした。

「シオタ。先ほどの件だが」

 今の内にと、ジルバはエルメリアの魔法を塩に変えた現象について説明を求めた。

 聖剣から拒まれた身であり、尚且つ聖剣を抜くこともなく、ジルバの剣で魔法を塩に変えた。ジルバにとってそれは不可解なことに見えた。

「聖剣の力が使えるかは賭けだったんだ。けど、俺が初めて聖剣の力を使ったのも、エルノアさんを守るためだったから、もしかしたらって思ったんだ。……誰かを守ろうと身を挺したときに、聖剣は俺のことを認めてくれるのかもしれないって」

 そして、見事その賭けに勝った。聖剣は晴也を認め、魔法を塩へと変えた。

「なるほど。だが、どうして聖剣を抜くことなく力を使えたんだ」

「理由はよくわからない。けど、アースターも同じことができたんだ。聖槍を持ってないのに、あの赤雷を体から起こしてた。だから、聖剣の力も同じようにできるかもって思ったんだ」

 何より、あの段階では晴也は聖剣に拒まれていた。その灼熱故に、聖剣を引き抜くことはできず、そのためジルバから剣を借りたのだった。

「何はともあれ、再び聖剣に認められたというのは朗報だ。流石に、聖人相手に無策で挑むのは自殺行為だからな」

 それでも、戦力差が絶望的であることは変わらない。アースターは晴也以上にエルレイクスを使いこなし、グライダムは足の片方を失ったとて、すぐにそれを補完するだろう。そうなれば、ジルバの実力では敵いはしない。

「無謀な戦いだな」

「それでも、俺達は生き残らなくちゃいけない。王様にそう託された。そして、成し遂げなくちゃいけない」

「……それが、今の私達にできる最初の償いだからな」

 敵がどれほど強大であっても、怯え逃げることはない。お互いにそれを確認できると、そこから二人の間に会話はなかった。

 ただひたすらに、熱い夜の平原を駆ける。もはや二人に、不安という陰りは心の中にはなかった。


    *


 オーセムにとって想定外だったのは、聖槍の一撃でエルガンダが即死しなかったことだ。

 いくら裏切っていたとしても、オーセムもエルダフィートの民だ。それは、例えエルガンダが否定したとしても変わらない。故に、オーセムとグライダムの内側とも、エルガンダは繋がっていた。そして、そこで示された王の信頼は、国民に要らぬ義勇を与えてしまうとわかりきっていた。

「エルガンダは死んだ、だが……」

 きっとエルダフィートは滅びない。ガグランダはこの土地を手に入れるだろう。しかし、この国から逃げ延びたエルダフィートの民は、再び結集し、そしてこの土地を取り戻すために旗を挙げるだろう。新生エルダフィート王国として、新たな王エルメリアが再びガグランダに戦いを挑むだろう。

 ガグランダが最も求めていたエルガンダの殺害はなされた。王族に関しても、巫女としての才覚を有するエルノアを殺した。それら全てがオーセムの功績とは言い難いが、どれもオーセムが王国内で工作を働いたために得ることのできた功績だ。それが評価されることは確かだろう。だが、エルメリアがいる。彼女を殺さなくては、完璧ではない。むしろ、彼女が残っていることが一番の問題だった。

「まさか、この状況で王城にいなかったとは」

 本来ならば、先の聖槍の一撃でエルメリアも殺し、王族はその血を絶やしたはずだった。しかし、エルガンダが次代の王としてエルメリアを名指ししたということは、彼女が生きていることに他ならない。

「アースター様、グライダム君! 行きますよ」

 留めていた馬に跨ると、オーセムはその二人を呼ぶ。

「どちらに行かれるのです? 既にワタシ達の仕事は終わりましたけど」

「……エルメリア殿下の元か」

 アースターの質問に続けて、グライダムがそう訊いた。

「その通りです。エルメリアが生きていれば王族が絶えることはない。王族が絶えなければ、エルダフィートは滅びない! それじゃあ意味がない!」

 それだけ言うと、オーセムはそのまま馬を走らせた。いきなりの豹変に意味がわからなかったアースターに、グライダムは事情を説明する。

「エルダフィート王に神から与えられた権能? 俄かには信じ難いですが……」

「それでも、確かに自分達は陛下の声を聞いた。あれを聞けば、彼がああも取り乱すのもわからないでもない」

 それほどまでに、エルダフィート王国という国の滅亡を成すために本気になっていた。それが破綻しかけているともなれば、焦りを覚えずにはいられないのだろう。

 ここまで密かに進めてきたこの計画を、オーセムは完璧な形で結実させたいと考えている。しかし、完璧な形でのエルダフィートの滅亡はあり得ないだろう。グライダムはそう確信していた。

「もう少し付き合ってはくれないか、アースター殿」

「……まあ、少し気になることもあります。付き合いましょう」

 先に馬で駆けて行ったオーセムを追うように、二人は馬を走らせる。

 森を抜け、平原をまっすぐに駆けると、しばらくしてそこで止まっているオーセムの姿を見つける。あれほどまでに意気込んでいたオーセムが止まっていることに怪訝に顔を見合わせた二人は、彼に近づいてすぐにその理由がわかった。

「――なるほど、確かに」

 そこにいたのは、晴也とジルバだった。

 二人の顔は覚悟を決めたひとかどの戦士のものに相応しかった。何より、かつて恐怖して膝を折った勇者が、短い期間にそのような表情を浮かべるとは思いもしなかった。

 そして、そんな表情でアースターらの前に立ちはだかることの意味を、アースターとグライダムは即座に理解した。

「スーリロム殿、エルメリア第二王女の命は諦めなさい」

「なっ、しかし――」

「あなたを庇って戦えるほど、聖剣の能力は甘くないんだ」

 勇者の使い方であれば十分に対処できる。しかし、エルノアが放った全開の出力は、聖槍の力を以てしても完全に防ぎきることは叶わず、グライダムに至っては左脚を失った。

「オーセム・スーリロム。そこにいるということは、そう言うことで構わないんだな」

 ジルバはオーセムを睨みつける。殺意の籠った、刃物のように鋭い眼光に、オーセムは思わず首に手をあてがった。その視線だけで首を斬られる。そう錯覚するほどに、ジルバの殺気は際立っていた。

「グライダム殿、オーセム殿を頼みます」

「……ここは任せる」

 そう言うと、グライダムはオーセムの馬の手綱を強引に掴み、そのまま自分の馬と並走させるように走り始めた。

「いけっ、ジルバ!」

 晴也は馬から飛び降りてそう告げると、ジルバは逃げる二人を追うように馬を走らせる。

「行かせると思いますか」

「やらせると思ってるのか」

 体から赤雷を起こし、ジルバへと放つアースター。晴也は二人の間に割って入り、赤雷を生身で受ける。

「――ッ」

 全身を焼く熱と震えるような痺れ。しかし、直撃している訳ではなく、体に触れる寸前にそのほとんどが塩と化し、地面に落ちていた。

「ほう、聖剣を抜かずにそこまでの権能を発するとは。……聖剣に認めれたということでしょうか」

 腰から聖剣を引き抜く晴也に対して、アースターは聖槍を天より赤雷と共に呼び寄せた。

「何はともあれ、このような結果になったことは残念です」

「じゃあ、あんたはどんな結果になれば、満足が行くんだ」

 晴也のその問いに、アースターは周囲に赤雷を瞬かせながら答える。

「かの乙女に守ってもらった命を無駄にしなければ、どのような選択であれ、これほどまでに失望はしなかったでしょう」

「なら、あんたが今抱いている失望は杞憂だ。俺は命を無駄にしに来たんじゃない。この国を守りに来たんだ。あんたみたいな奴からな!」

 晴也が聖剣を振り上げながら斬りかかる。アースターは赤雷を弾かせ、その攻撃を防ぐ。

 二の太刀、三の太刀と放つ晴也の攻撃を、アースターは赤雷や槍そのものでいなし、隙を見て赤雷をまとう穂先で薙ぐ。紙一重でそれを回避した晴也は、呼吸を整えながら聖剣を構え直す。

 恐れを抱いていない晴也の姿に、アースターは舌を巻く。あるいは、以前見せた彼の姿は幻で、これが本当の勇者の姿だったのかもしれない。だとすれば、目の前にいる相手はもはや加減の必要な相手ではない。同じ神の力を振るう、人ならざる者だろう。

「――神よ、その意を叫べ」

 その言葉と共に、聖槍が赤雷をまとう。濃密な赤雷は、次第に聖槍の形が見えないほどに束ねられ、圧倒的なまでの力の奔流に、エルディンを感じ取れない晴也ですらただならぬ圧を覚える。

 それを見て、晴也は生唾を呑む。以前はそれを向けられ、確定した死への諦観を覚えた。しかし、今回はしっかりと体は動く。諦めてもいない。逃げたりしない。

「――だが、心だけでアレは防げんぞ。何せあれは、無を穿ち空を作り上げた一撃の模倣。出力は低いが、神威は神威でなければ相殺できないだろう」

 まるで試すように、あの声が晴也の中で響く。内側で誰かと繋がっている感覚はない。しかし、晴也はその声の正体に気づいていた。否、既に知っていた。何せ、彼は夢の中で既に名乗っていたのだから。

「わかってるさ」

「なら、貴様はどうする?」

 聖槍と正面から打ち合うには、アースターと同じ土俵に立たなくてはならないのは明らかだ。そのためには、晴也は知らなくてはならない。聖剣の名前を。

 しかし、例えそれを知らずとも、晴也はそれに立ち向かう。それを示すように晴也は聖剣を構える。それを見て、声は面白くなさそうに告げる。

「貴様を認めるのは癪だ。だが、それでも貴様が見せたものは確かに良いものだった。かの巫女にも引けを取らない、卑屈ながら純粋な光――身を挺する程の、他人への優しさ」

 あるいはそれは、自己犠牲と言い換えることができる。神は聖剣を通じて、人のそれに呼応する。誰かを守りたいという強い想いと、そのためならば犠牲になることも躊躇わない覚悟。今の晴也にはそれが確かにあった。

「聖剣とはすなわち、我が心臓。奴に塩を授けられた者を鏖殺するための結晶。奴を封じ込めるための楔。海を枯らす太陽。叫べよ、その名は――」

 声が聖剣の名を告げる。それと同時に、アースターが聖槍の神威を放った。

 聖槍の穂先から直線状に超高出力の赤雷を放つ『怒る稲妻(アドーラ・グルム)』だ。初速はもしかしたら音すら超えているかもしれない。それほどの速さで放たれる赤雷に対して、晴也は怯えることなく、聖剣を頭上に掲げ、そして今しがた教えられたそれを叫んだ。

「――ラシャティーカ!」

 刹那、聖剣が発する太陽の如き輝きがより強まる。その輝きは、夜でありながら辺りを真昼の如く照らし出し、そして、その光に包まれたアドーラ・グルムは、光が止む頃には塩の結晶となって地面に落下していた。

 それが聖剣の真の力。最大出力であれば城ですら破壊する一撃をも、一瞬で塩に変える力――否、それがエルディンに由来するものならば、その全てを蒸発させ塩にする太陽の如き力。それが聖剣・ラシャティーカの力だった。

「これは……不味いですね」

 聖槍の神威をかき消されたことに冷や汗を掻きながらアースターはそう呟いた。

 もはや目の前にいる男は、紛れもなくエルダフィートの勇者。そう言わざるを得ないほどに聖剣を使いこなしていた。


第四十六話を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。


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