第五話
しばらくもしない内に、塩の柱で聖剣の回収作業をしていた人員の撤収が終了した。彼らはエルノアの前に整列し、背筋を伸ばしている。彼らの様子を見ると、エルノアという少女は王女様という、自分とは天と地ほども差がある存在なのだと晴也は実感し、エルノアと少しだけ距離を感じてしまう。
「エルノア殿下」
彼女の名を呼んだのは、壮年の男性だった。特徴的な装束をまとっている。ポンチョのような見た目の濃紺の外套。その上から袈裟懸けに飾り布のようなものをしている。首には金色の十字架――いや、剣だろうか。何かの象徴のような飾りを下げていた。
その男性を見て、エルノアは少しだけ固まったように見えた。表情は微笑んでいるが、それでもどこかぎこちなさが見える。まるで、苦手な人に動揺を悟らせないようにしているように晴也には見て取れた。
「……グロムウェル司教。どうされました?」
「いえ、殿下が再びこの聖地にお見えになったと聞きましたので、ご挨拶にと」
そう言って、グロムウェルは深々と頭を下げた。
彼を見た晴也は、少しだけ気味の悪い男だと感じだ。抑揚のない喋り方や、緩慢とした動作。対面していると、どうにも人間が目の前にいるように思えなかった。
信心深い人間は、ときにここまで人間性を失ってしまうものなのだろうか。晴也は自分が感じた気味の悪さに、薄ら寒さを覚える。
「……して、これから一体何を?」
「これから、聖剣を引き抜く策を一つ、ご覧に入れたいと考えています」
「ふむ。殿下。いえ、巫女・エルノア。聡明なあなたともあろうお方が理解されてないご様子だ。故に、この老骨めが一つ教示致しましょう。聖剣とは事実、神の一部です。然らば、それを担う者は只人であってはならない。そして、この場には神に見初められるような素養を持つ者はいない。故に、これまで聖剣はかの柱から抜けなかったのです」
どこか呆れたように、そして自慢するようにグロムウェルはそう説いた。それを聞いているエルノアの表情に変化はないが、少しイラついているようにも見えた。事実、今までの会話ではよく相槌を返していた彼女が、グロムウェルの言葉には一つも相槌を打っていない。
しかし、それもわかる。晴也とてグロムウェルのような男と相対せば、エルノアのような対応をしてしまうだろう。そう言う押し付けがましさがグロムウェルにはあった。
グロムウェルの説明が終わると、エルノアは絶えず笑みを浮かべたまま、柔らかに反論を口にした。
「グロムウェル司教。ご教示、ありがとうございます。しかし、私はその上で、この度の策を上申しました」
「上申? 陛下のお耳にも入っているのですか?」
「ええ。お父さまからは実行の許可も得ました」
それを聞くと、途端に強気な態度であったグロムウェルは及び腰になった。些か厚かましい男とて、一国の主の名が出ると強気にはなれないらしい。
「グロムウェル司教、国王の命令だぜ。流石にこれ以上となれば、それは王命に反する行いだぞ」
撤収作業が完了したのか、人員を率いていたガートルンが戻り、グロムウェルにそう口出しした。どこか勝ち誇ったようなガートルンに、グロムウェルは睨みつけるようにすると、一拍間を置き、彼はエルノアの方を向き直った。
「わかりました。此度のことは、陛下も何かお考えがあるご様子。我々も静観させていただきます。しかし、くれぐれも聖剣や柱を傷つけないように。あれらは重要な文化財ですから」
「ええ、承知しています」
エルノアがそう言うと、グロムウェルはその場を後にした。
彼が去って、エルノアは短く息を吐いた。緊張がほぐれたように見えるのは、やはりあの男が苦手だからだろう。
意外に思えたのは、ジルバがなんの反応もしなかった点だ。晴也から見てジルバは、エルノアが嫌がるようなものは全て排斥するくらいの偏重的な真面目さがあると思っていた。エルノアの話を聞くに、彼女を妄信しているように考えていたが、別段そういうわけでもないという事だろうか。
「……それでは、始めましょうか」
晴也のほうを見ながら、エルノアはそう言った。それに晴也は頷く。
塩の柱までは船で移動する。流石に水の上を歩くような魔法は無いようだ。ジルバは慣れた手つきで櫂を動かし、船を進めていく。
晴也がこの世界に来て、三日は経っているらしい。日の光もまともな食事も与えられなかった晴也には、時間の感覚が既に曖昧だが、ここの来た瞬間のことは忘れられない。何せ、気が付けば水の中にいたのだ。地上と同じように呼吸をしていれば、きっと晴也も、エルノアと同じように大量の水を飲んで溺れていた。
そこまできて、晴也はあることを思い出した。思えばこの湖の水はしょっぱかった。まるで海水のようで、最初は海の中にいると錯覚したものだ。
「エルノアさん。どうしてここの水はしょっぱいんですか?」
船に揺られる最中、晴也はそんなことを訊ねた。
「やはりここが、神の涙によってできた場所だからではないでしょうか?」
「なるほど。いや、最初は俺、てっきり海の中にいると思ったもので……」
そう口にすると、エルノアが目を見開いた。そして、不安定な船の上で急に立ち上がったのだ。
「え、エルノア様!? 落ち着いてください!」
揺れる船のバランスをどうにか取りながら、ジルバが慌ててエルノアを宥める。「失礼」とエルノアは恥ずかしそうに頬を染めながら、ゆっくりと腰を下ろした。そして、紺碧の瞳を見開き、晴也に詰め寄るように近づきながら訊ねた。
「シオタ様は、海をご存じなのですか!?」
興奮したエルノアの様子に、晴也はどうしていいのかわからなかった。助けを求めて後ろのジルバに視線を向けると、ジルバは呆れたように嘆息して口を開く。
「エルノア様、その話は後にしましょう」
「いいえジルバ、これは重要なことです。神がお隠れになる間際、世界の空白を埋めるために満たしたとされる海。しかし、我々はその存在を全く知らない。実在するかもわからないそれを、シオタ様は知っているのですよ!? これは、今すぐにでも突き詰めなくてはいけない問題ですッ」
海が実在するかもわからない。その言葉に、晴也は大きな衝撃を受けた。何せ晴也の常識では、海とは全ての生命の源だ。それが実在するかもあやふやというのは、想像できない文化だと感じた。
「シオタ様! 海とは果たして、どういうものなんでしょうか!?」
興奮した様子のエルノアは、より晴也に近づいてくる。そのせいで、船が少し揺れる。ジルバはエルノアを落ち着かせようと彼女の名を呼ぶが、もはや聞こえていないのか、エルノアは目を輝かせ、興奮が収まることはなかった。
落ち着かせるためにも、まずは海について話さなくてはいけない。ひとまず晴也は、自分の知る海のことを話すことにして。
「えっと、俺の世界の海は、世界の七割も埋め尽くしていて、沢山の生き物がその中で生きているんです。何でも、あらゆる生き物は海から生まれたって言う説があるくらいで」
「あり得ない。少なくとも人は、神の手によって生み出された存在だ」
「ジルバは黙ってて」
今までにないほど刺々しい物言いで、エルノアはジルバを一蹴した。それがショックだったのか、ジルバは少し俯きいじけたように遠くを見て船を漕ぎ続けた。
「それで、シオタ様の世界の海は、どのようなものなのですか?」
まるで子供が、おとぎ話の続きに夢を見るような目でそう訊ねるエルノアは、王女というより、一人の少女だった。つい先ほど感じた、自分とは天と地ほどの差を感じさせない、海という未知に夢を見る少女。その微笑ましさに晴也も自然を笑みが零れてしまう。
「エルノア殿下、興奮しているところ申し訳ありませんが、そろそろ柱に着きます」
晴也の知る限りの海を教えようとしたところで、船頭にいるガートルンがそう口にした。
気が付くと、船は塩の柱のすぐ近くにまで来ていた。
遠くで見たときは気づかなかったが、柱は随分と大きい。誰もが柱という言い方をしているが、晴也には誰かが利用する塔のように見える。
柱の岸にまで着くと、ガートルンはすぐさま船から飛び降り、船の縁を両手でしっかりと掴み、力強く船体を岸へと引き上げた。
なんという腕力だ。人が三人も乗った船を容易く引っ張り上げるというのは、例え鍛えていたとしてもできることではない。あるいはこれも、この世界特有の、魔法のような力が由来なのだろうか。
「おい、何呆けてんだ。今回の主役はあんたなんだから、さっさとしてくれ」
エルノアとジルバが船から降りた後、ガートルンは呆然としている晴也に対してそう告げた。ふと我に返った晴也は、慌てて船から降り、エルノアとジルバの後を追う。
塩の柱の根元は、人一人が潜り抜けられる程度の洞があった。そこをくぐり塩の柱の中に入る。窓のない柱だ、中はとても暗く、明かりが無ければまっすぐも歩けないほどだった。
すると、先頭を歩いていたジルバは右手に淡い青色の光を灯した。ここに来たとき、晴也の意識を奪ったあの光に似ていたが、今回のそれは、前回以上に明かりが強く、暗い柱の中の暗闇を払った。
明かりが灯ると、柱の中の殆どが空洞であることが窺えた。四方の壁には何ら細工はされておらず、天井は非常に高い。これが人為的なものだとして、果たして何が目的なのか、中身を見ても全くわからなかった。
そんな柱の中でも異質なのは、恐らくガートルン達が掛けたであろう梯子だった。あれだけが、この柱の中で何かしらの意図を感じさせるものだった。そう言う物があって、少しだけ晴也は安堵した。一体何に対しての安堵かはわからなかったが、それでも、人の気配というものに安心感を覚えたのだ。
「クレイヴェス・ファーリス。そっちの男を頼む。私はエルノア様を」
「お願いしますね、ジルバ」
ジルバはエルノアの手を取ると、その足元が仄かに青く灯った。すると、無風のはずの室内に僅かに風が流れ頬を撫でる。
「ホーニィ・エマータ」
聞き取れたのは、そんな不可解な単語だった。聞き取れはするが、そこだけまるで言語が違うかのように、違和感を覚える。まるでその単語だけ、この世界本来の言葉で発声されているかのようだ。
ジルバがその単語を口にすると、足元の光が弾けた。すると、上昇気流のようなものがジルバとエルノアの間に吹き、その影響か、二人は重力から解き放たれたかのように宙に浮き、ゆっくりと上へと上昇していく。
「全く。近衛騎士っているのは羨ましいね。それに比べて、俺は何処の馬の骨とも知れん野郎の重りとは」
二人が梯子の終端まで登り終えると、ガートルンは呼吸を整えるように深く息を吸う。そして、力を全身に留めるように、強く地を踏みしめる。
「よい、行くぞ。しっかり捕まっとけ」
そう言ってガートルンは晴也の脇の下に腕を回し、晴也を抱え上げた。いきなりのことで戸惑っていると、すぐさまガートルンは屈伸するように屈んだ。
次の動作を、晴也は咄嗟に理解できた。すぐさまガートルンの体にしがみ付くと、ガートルンは足の筋肉にバネでも仕込んでいるかのような反発力で、一気に跳躍した。
人治を超えた跳躍。そこから生じる風圧や荷重に晴也が目を回している内に、ガートルンは梯子の終端に着地した。
「うし、到着だ」
ガートルンの腕から離された晴也は、そのまま地面に倒れ込んだ。バンジージャンプという物を経験したことはなかったが、あるいはこれは、そう言うものに近いのかもしれない。いや、重力という絶対的な力に逆らっている分、先ほどの跳躍のほうが恐ろしいのではないかとも感じていた。
「シオタ様、大丈夫ですか」
蹲ったままの晴也を見て、エルノアがそう声をかける。
「だ、大丈夫、です……」
そう強がって見せて、晴也は笑う膝を叩きながらどうにか立ち上がる。
ここまで来て、弱気にはなっていられない。晴也はどうにか一歩前へ踏み出した。
梯子を登り終えると、外の通じる出口がそこにはあった。外に出てみると、まるで通路のように人の通れる道がぐるりと塩の柱を一周していた。この部分は、明らかに何かが通ることを想定されている造りだ。
その通路を進むと、ようやく柱の頂上に辿り着く。
この場所に、晴也はいた。エルノアと共に。聖剣の前に。
「あれが、聖剣」
エルノアはそこに突き刺さった剣の威容に、そう声を零した。
そこにあるのは黄金と純白の剣だ。光を剣の形にしたかのような姿と、剣であるが故に放たれる冷ややかな鋭さ。そして、ただの剣と説明することのできない異様な圧力。それを見れば誰もが確信するだろう。それは聖剣――神の器の一つであるということに。
「シオタ様」
エルノアの紺碧の視線が晴也に向けられる。彼女の目から緊張が見て取れた。それは、聖剣の威容に対してのものか、あるいは晴也がことを成すことができるのかという疑念かまではわからなかった。
そんなエルノアに対して、晴也はそこまで緊張していなかった。ここまでくれば、何かに思い悩むよりも、実際に試したほうが早い。その後のことは、試した後考えるしかない。
晴也はエルノアに対して頷き、そして聖剣へと近づく。
黄金の柄を握る。太陽に熱せされた鉄のような熱さを覚え、思わず手を離す。確かに、これは一筋縄ではいきそうにない。晴也は覚悟を決め、改めて黄金の柄を両手で握った。
焼けるような熱さに耐えながら、聖剣を引き抜くように両腕に力を籠める。びくともしない、というほどではないと感じた。まるで、塩の柱に刺さった切っ先側でも、晴也と同じように誰かが聖剣を引っ張っているような、そんな感覚を覚えた。
もう少し力を籠めれば、引き抜ける。晴也はそう確信し、唸るように声を上げながら、腰に力を入れる。
聖剣が僅かに持ち上がる。それを拒むように聖剣は塩の柱の元の場所へと戻ろうと反発する。強力な磁石同士がくっつこうとしているような感じだろうか。いつしか晴也は、全身の筋肉を強張らせ、聖剣を引き抜こうとしていた。
あと少し。晴也にはそんな感覚があった。あと少しで、聖剣は引き抜ける。確信にも似たそれを頼りに、晴也は全身全霊で聖剣を引き抜きにかかる。
「――おおおおぉぉぉぉぉッ!」
裂帛とした叫びが轟く。徐々に、徐々にだが聖剣が塩の柱から引き抜かれていた。
「おい、まさか……嘘だろ?」
その様子を眺めていたガートルンが思わずそう零した。ジルバとしてその様子に思わず目を剥いていた。その中で唯一、エルノアだけが別の感傷に浸っていた。
晴也を保護するためには、彼に何らかの価値がなくてはならない。それは事実だ。けれど、それが詭弁であることをエルノアは理解している。その気になれば、エルノアは彼を保護することもできた。けれど、そうしなかったのは、ひとえに己の保身だった。
全くもって情けない。自らのために、ひいてはこの国のために、何ら事情も知らない異世界人という稀人を利用してしまっている。この国の、その事情も知らぬままに。
ついに、聖剣の刀身の全てが、塩の柱か引き抜かれた。刀身全体に太陽の光が当たると、純白の刀身そのものが光り輝くように太陽光を反射した。
きっとこの剣は、本来暗い湖の底にあるようなものではないのだろうと晴也は思った。太陽の光が当たるような場所が、この剣が納まるべき場所なのだ。
引き抜いた聖剣を、晴也は空へと掲げた。すると聖剣は、より強い輝きを放ち始める。
歴史的瞬間だ。それに立ち会えたことは、エルノアにとっても喜ばしいことだ。しかし、これで晴也には、この国が保護するだけの価値が生まれた。いや、生まれてしまった。エルダフィートは彼の価値を使い尽くすだろう。それは、象徴としてか、あるいは兵器としてかまではわからない。それでも、本来無関係なこの世界の事柄に、彼は巻き込まれてしまう。否、エルノア自身が巻き込んだ。そうしない方法だって、彼女にはあったはずなのに。
聖剣を引き抜いた晴也は、笑みを浮かべてエルノアのほうを見る。それに、エルノアも笑みを浮かべた。
ずるい女だ。大事なことをひた隠し、彼を利用し、心にもない笑みを浮かべている。
――ごめんなさい。笑顔の晴也に向けて、エルノアは心の中でそう謝った。できることならばこの思いが彼に届けばいいと、実現することもないことを祈りながら。
第五話を読んでいただきありがとうございました。
次話もよろしくお願いします。
また、第一話の前書きで今作のコンセプトについて書いたのですが、改めて活動報告のほうで、本作のコンセプトの説明を書いてあります。
興味がありましたら、そちらをお読みください。




