第三十話
「この度、エルノア殿下と勇者シオタ様の護衛を仰せつかりました、第一騎士団所属、ガートルン・クレイヴェス・ファーリスです。よろしくお願いします」
ティカーレン川を渡り切った先の船着き場で待っていたのは、かつてエルンティカで聖剣の回収任務に務めていた騎士の男だった。
船を下りてジルバから早々に水筒を借りその水を飲んでいた晴也は、見覚えのある顔を見て声を上げた。
「確か、聖剣を引き抜いたときいた人」
晴也に覚えられていたことに、ガートルンは微笑む。
「覚えていてくださったのですね。その節は、大変失礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」
確かに、エルンティカで出会ったガートルンの態度はもう少し粗暴な印象だった。ここまでへりくだった敬語を使うような人ではないことは覚えていた。
「別に敬語なんていいですよ。この前みたいなほうがまだ親しみが持てますし」
「そう、ですか。……いえ、仕事中はこのままでいさせていただきます。私情が混ざると不味いので」
そう言われるとジルバも何も言い返せず、妙に違和感のあるガートルンのその敬語を、晴也は流すことにした。
「妙ですね。第一騎士団のあなたが、どうして殿下や勇者様の護衛に? そう言った任務は、我々第二の管轄ですが?」
グライダムがそう疑問を口にする。するとガートルンは背筋を正し、胸の前に腕を横たわらせる騎士式の敬礼をしてから答える。
「軍務大臣の命令です。確かに警護と言った任務は第二の管轄ですが、グリムシャニスには第一の騎士が管轄する施設も多い。いざ殿下と勇者様を守ろうとした際、自分がいたほうが何かと都合がつくと判断されたそうです」
「……なるほど」
ガートルンの言葉に納得を口にしたグライダムは身を引く。
「それでは、よろしくお願いしますね。ガートルン」
自分達の身を守るために来たガートルンにそう笑みを浮かべると、先ほどよりも一層背筋を正し敬礼をした。
「はいっ! では、まずは外へどうぞ。馬車を用意しました」
そう言って晴也達を船着き場の外へと招く。
外には馬車が用意されていた。騎士団の所有物なのか、至る所に鉄板で補強され、塗装には騎士の紋章が施されていた。
「王族専用馬車は広く快適ですが、如何せん防御力に優れません。防衛の観点から、こちらの馬車に搭乗していただきたいと思うのですが、よろしいですか?」
「ええ。私とシオタ様の安全のために、わざわざありがとうございます」
エルノアの言葉に嬉しそうに破顔したガートルンは、馬車の扉を開けた。
全員が馬車の中に乗り込むと、ガートルンは早々と御者台に座り、馬車に繋がれた二頭の馬の手綱を握り、ゆっくりと走らせ始めた。
「あっ、そうだ」
馬車に揺られてしばらくしてから、晴也は思い出したように手に持った水筒をジルバへと渡した。
「ありがとう。なんか、毎度俺この水筒で水飲んでる気がするな」
「気のせいじゃない。ここ最近私は使ってないからな」
確かに、晴也はジルバが水筒を飲んでいるところを見たことがなかった。
晴也の差し出す水筒を受け取ったジルバは、水筒の蓋を開けると、掌にエルディンを集わせる。
「ウォンテル」
水を意味する魔法の言葉を呟くと、ジルバの掌に水が球体となって浮かび上がる。それを操り水筒の中に水を注いでいく。水筒の中身がいっぱいになったところで、ジルバは馬車の外に余った水を全て捨て、水筒の蓋を締めて再び晴也に差し出した。
「お前が持っていろ。今後も乗り物酔いやら変な物口に入れてしょっちゅう使いそうだからな」
「そんな犬みたいな風に言わないでくれ」
そう言いつつ、晴也はありがたくジルバから水筒を受け取った。ジルバの言う通りになるとは思いたくなかったが、そうできるという自信も晴也にはなかった。馬車に船と経験した晴也が早々乗り物酔いをするとも思えなかったが、この世界にはまだ見ぬ乗り物があるかもしれない。そう考えると、水は手放せなかった。
「だがいいのか?」
「水の元素が使える私は、魔法を使えば直接水分補給ができるからな。水筒はあくまで、エルディン切れを想定してのものだ」
「魔法で給水って言うのははしたないから、なるべくしないでね。ジルバ」
ジルバの言葉に呆れたようにエルノアがたしなめる。それに対してジルバは明確な返答をしなかった。いざというときはするということだろう。
がたんと車体が揺れ、晴也は思わず外の様子に視線を向けた。
川辺の森を抜けた馬車は、平原を走っていた。進む先には、大きな壁が何かを取り囲んでいる様子が見えた。そこに向かって、多くの馬車は人が出たり入ったりをしている。
「もしかして、あそこがグリムシャニス?」
「ええ。四方を城壁に囲われた、都市そのものが要塞としても機能する、エルダフィートが誇る商業都市にして前線基地。それがグリムシャニス。我々の目的地です」
商業が盛んで、賑わっているというのは事前に聞いていた。その光景に胸を膨らませていた晴也にとって、二重に驚いていた。一つは壁の存在。街全体を囲ったそれは、遠くから見ても圧迫感を感じる。もう一つは、街の外からでも賑わいを感じられるほど、人の出入りが目に見えることだ。
晴也は『貴光の洞』に向かうまでに歩いた王都の様子を思い出した。木組みの家が立ち並ぶ様子は、古いヨーロッパの街並み思わせ、石畳を踏みしめる感触は、アスファルトよりも冷ややかな印象を抱いた。そして、そんな街を行く人々はとても上品で、覚めるような静けさが街全体を包んでいた。一方で、グリムシャニスは街の中に入る前から、茹る釜の如くその熱気が目に見えている。雑踏の音と交じり合う人々の声が、馬車の中にすら聞こえてきそうなほどに。
「なんていうか、想像以上だ」
思わずそんな声を零してしまうほど、その様子は想像以上だった。
「ある意味、王都以上に人口密度の多い街だ。初めてだと戸惑うかもしれないな」
「自分もグリムシャニスは苦手だ。騒がしいのはともかく、道をまっすぐ歩くのも困難なほど人が溢れている」
口々に語るグリムシャニスの印象は、どことなく東京の渋谷を思わせた。そう考えれば、グリムシャニスという街はエルダフィートの渋谷なのかもしれない。あらゆる流行の最先端、かどうかまでは晴也にはわからないが、少なくとも商人が集まる街という意味では、様々なものを見られる場所ではあるだろう。
ジルバとグライダムの言葉に、御者台のガートルンが笑う。
「確かに、あの街は慣れない方には大変でしょう。それに、王都や南部に比べると、残念なことに治安もそこまで良くはありません。ファーディン・マグラーンやクーラレーン・バルトスがいるとは言え、殿下も勇者様も常に注意を払ってください」
「そんな大袈裟な」
人が密集する場所ともなれば、治安の維持が大変なのもわかる。しかし、街を歩くのにそこまで注意を促すようなことでもないだろうと晴也は笑い飛ばす。そんな晴也に、ガートルンはわざわざ馬を止め、御者台から後ろを振り向いて告げた。
「人の罪を隠すには人の中が最も見つかり難いのです。それが窃盗という小さなものから、殺人という大きなものまで。人の多い場所では容易に隠せてしまう。それができる環境だと、人は自らを留めておくことができなくなるのです」
そう口にしてから、ガートルンは「出しゃばりましたと」謝辞を述べてから、手綱を握り再び馬を走らせた。
「……そんなに悪いのか? グリムシャニスの治安って」
そこまで念を押されると、流石にそう訊ねずにはいられなかった。そんな晴也の質問に答えたのはエルノアだった。
「ガートルンが言うほど殺伐としている訳ではありませんよ。第三の取り締まりは年々強くなっていますから。ですが、毎日その手の事件が起きていることは確かです。軽犯罪に限定しても、年間で十万を超す被害が出ています。報告されていないものも含めれば、もっと多いかも」
「ちなみに、他の場所だと?」
「南部は毎年ほぼゼロです。北部は年間で一万件を切らない程度。王都もその程度ですね」
「それは……」
少し治安が悪い、程度の物ではなかった。むしろ、王国中の犯罪を煮詰めても、西部の犯罪率の高さのほうが勝る。
確かに、街を出歩くのにも警戒しなくてはならない。道で行き交う人が、あるいは窃盗の常習犯ということもあるかもしれないのだ。呑気になんて歩いてはいられないだろう。
「だから、外出の際は自分かファーディン・マグラーンに言ってくれ。我々がついていれば、不用意に人を近づけさせん」
グライダムのその言葉は心強くて、少しだけ警戒の構えをしていた晴也の心を弛緩させた。彼が近くにいれば、そこまで力を入れる必要はない。そう思えるくらいに、彼のその言葉には安心感があった。
「この前のように抜け出すとかは止めてくださいよ。エルノア様」
「わかってますよ」
ジルバの諫言に笑みを浮かべてエルノアは答えた。果たしてその笑みが、本当にわかっているのか、晴也はおろかジルバですら、判断はできなかった。
*
壁の検問を通り抜け、グリムシャニスの街の中を入ると、街の想像以上の賑わいに晴也は目を向いた。
街の真ん中に横たわる馬車専用の舗装路を通る馬車は整然と右側通行がなされ、その脇の歩行者用の道路には、これでもかと人が歩き回り、誰も彼もが体のどこかが誰かの体にぶつかっていた。そして、その軒先には数多の店舗が並び、店主の威勢のいい声が響き渡っている。
煩雑とした様子だが、そんな無秩序の中に明確な秩序がなされ、合理化されている。治安という問題はあるかもしれないが、物資の輸送や商売のしやすさという点において、このグリムシャニスは王都以上に適した地形をしているのだと感じた。
「驚きましたか」
前の馬車にぶつからないよう、御者台で馬を手繰るガートルンがそう口にした。
「はい、まさかこんなに賑わっているとは……」
「まあ、中央道路を逸れると、もう少し人もまばらになりますけどね。ですが、商いへの熱意と物欲という熱気が茹だるこの街がグリムシャニスなのです。そして、その熱にあてられた者が、犯罪に走る」
「……」
魔が差す。出来心。本人の意図とは無関係に罪を犯してしまうことがある。あるいはそれは、こういった熱気にあてられたための熱病なのかもしれない。晴也とて、この場の熱気にさらされ続ければ、正常な判断ができなくなるかもしれない。
「それにしても、今日はやけに人が多いですね? 何かお祭りでもあるのですか?」
些かの人の数に何度も瞬きをしていたエルノアが、ガートルンにそう訊ねる。それに対してガートルンは首を振って否定した。
「俺も詳しくは知らないんですけど、何でも外に出てた商人が帰って来たとかでして。なんて言ったか、えっと……りー? みー?」
「外に出てた……もしかして、イーブラム商会ですか?」
「それです! イーブラム商会が戻って来たって噂が広まって、この有様って感じですね」
それを聞くと、エルノアは納得したのかガートルンに一言礼を言った。
「イーブラム商会って?」
「エルダフィートが国外へ行くことを許している、数少ない商会の一つです。本来は国選――つまりエルチェートの商会しか国外に出ることは許されないのですが、スーリロム侯爵と財務大臣のザーリィの推薦で、特例的に国外へ行くことを許された商会なんです」
晴也の質問に、そう訊ねられるのがわかっていたような速さでエルノアが答えた。
まるで自分のことを理解しているかのような態度に、晴也は少しの心地良さを覚えていた。通じ合っているというには一方通行だが、それでもエルノアに自分のことを理解されていることは、晴也には心地の良いものだった。
「スーリロムさんと、そのザーリィ大臣? 二人のお墨付きって、すごいんだな」
エルチェートとして選ばれた工房『貴光の洞』の仕事の良さは、聖剣の鞘の出来を見れば理解できる。商会とてそれは変わらないだろう。それらと並び立って国外へ行くことを許された商会。俄然興味がわいてきた。
「それじゃあ、後で見に行くか」
そう言ったのはグライダムだった。
「良いんですか?」
「折角グリムシャニスに来たんだ。騎士達の様子だけ見に来たというのは些か勿体ない。幾ら治安が悪いと言っても、自分がいる前では狼藉は働かせんさ」
グライダムの心強い言葉に、晴也は思わず破顔した。
件の商会だけではない。この街全体を見て回りたいと感じていた。どのような品物が売られていて、それをどのようなやり取りで取引しているのか。何せ晴也は、この世界の商いというものにほとんど触れたことがない。そのことに興味を抱くのも無理からぬことだった。
「エルノアさんは? 一緒に見に行く?」
できる事ならば、エルノアと見て回りたいと思った。彼女ならばわからないことも気兼ねなく聞くことができるし、何より一緒にいるだけで晴也は楽しいと思えた。しかし、そんな晴也の言葉にエルノアは首を振った。
「申し訳ありません。行きたいのは山々なのですが、この後はメンティア侯爵の元へ挨拶に行かなくてはいけないので……」
残念そうに表情をしぼませるエルノアに、晴也も釣られて浮かべていた笑みをしぼませていた。
「そっか。まあ、しょうがないか。それじゃあ、時間があるときに一緒に見て回ろうか」
「ええ、シオタ様がよろしいのでしたら」
笑みを浮かべて言った晴也の言葉に、今度はエルノアが釣られて、嬉しそうに笑みを浮かべた。
そんな二人の様子を、グライダムは微笑まし気に見つめていた。そんな彼の穏やかな表情を、ジルバは訝しんだ目で見つめていた。
第話を読んでいただきありがとうございます。
次話もよろしくお願いします。




