第二十五話
しばらくの間、晴也達はハーロゥら魔法研究所の面々と共に、野外の実験場で聖剣の力の検証に従事することとなった。
聖剣を中心としてどの辺りから魔法が聖剣に引き寄せられるのか。どれほどの規模の魔法を一気に塩に変えることができるのか。魔法でないものを塩に変える際の最大効力。そして、騎士達を呑み込み倒した塩の土砂流の再現実験。
それらの殆どは測ることができた。最後の塩の土石流――エルノアによって聖なる浄化と名付けられた――に関しても、隧道で引き起こしたものに比べれば小規模であるが、再現することができた。つまり、概ね順調に聖剣の力は解析されつつある。
「なあ、ハーロゥさん」
そんな検証の最中、聞きたいことがあった晴也はハーロゥに声をかけた。
「何か用ですか。私は集めた情報の整理に忙しいのですが」
慇懃な言葉遣いではあるが、こちらには一切目もくれず机の上で硬筆を走らせるハーロゥに、作業の邪魔をしてしまったかと申し訳ない気持ちになったが、ずっと気になっていたことを聞ける機会に、晴也は抑えることができなかった。
「俺のエルディンのことで相談があるんだ」
その言葉に、ハーロゥは硬筆を止めた。そしてゆっくりと顔を上げて晴也のほうを見る。
「……勇者シオタのエルディン。それがどうしました」
研究者として、勇者のエルディンというものが気になったのか、先ほどとは打って変わって食いついた様相を見せた。わかりやすい人間だと思いながら、晴也は続けた。
「エルディンを知覚できないんだ。どれだけ頑張っても、エルディンを知覚できないし、何より魔法が使えない」
「魔法が使えない。ほほぅ」
顔だけを晴也に向けていたハーロゥは、ついに体を晴也のほうへ向けた。
「エルディンが知覚できず、魔法が使えないか……奇妙な症状ですな」
「ああでも、魔法の道具はちゃんと使えるんだ。水を出す奴とか、火を起こす奴とか。だから、エルディンはちゃんとあると思うんだけど……」
如何せん、晴也にはそれを確かめる術がない。そう思っていると、ハーロゥは何か考えるように顎に手をあてがい、そして泡を浮かべるように呟き始める。
「そもそも、この世界のありとあらゆるものにはエルディンが宿る。生物であれ非生物であれだ。故に、生きている勇者シオタにエルディンが宿っていないなどとは考え難い。となれば、体質の問題か、あるいは聖剣が原因か……」
考え込み始めたハーロゥが、その考えを整理するためにこのように独り言をするのは、会ったばかりの晴也にもわかった。
「少し待っていてください」とハーロゥが告げると、彼はその病弱なまでにか細い足で駆け出し、研究所のほうへと戻っていく。
この世界のありとあらゆるものにエルディンは宿る。晴也はその言葉について考えていた。
もしその通りであれば、果たして晴也にはそれが宿っているのだろうか。何せ晴也はこの世界の人間ではない。そんな晴也に、この世界のありとあらゆるものに宿るエルディンが宿っているものなのか。
魔法の道具さえ反応しなければそれが当たりにも思えたが、如何せん反応してしまう。道具は晴也にエルディンがあるとしっかり認識している。では、何が晴也にエルディンを知覚させないのか。
しばらく待っていると、ハーロゥが息を切らしながら戻って来た。その手には小さい短剣が握られていた。
切れた息を整え、額に滲む汗を袖で拭いながら、持ってきた短剣を晴也に渡す。
「これは人が発するエルディンを取り込み、その総量を測定して可視化させるものです。使ってみてください」
「……使い方は」
促されるまま晴也は使ってみようとするが、短剣型の魔法の道具など使ったことがなかった晴也には、どう扱うものなのか見当もつかなかった。
「短剣に自らの血を少し垂らすだけです。それがしやすいように、これは短剣の形なのですから」
説明されるままに、晴也は短剣の刃に自分の指をあてがった。指先に僅かに感じる冷たさ。それはすぐに湧き出る血の熱さに上書きされていった。
指先から玉のように溢れた血を短剣の刀身に塗る。すると、まるで乾いた綿に水が吸い取られるように短剣に塗った血がなくなり、代わりに刀身自体が薄ぼんやりと光り始めた。
「なるほど。確かに、勇者シオタのエルディンは並の人間よりは少ないようです」
「それじゃあ、それが原因で?」
晴也の言葉にハーロゥは首を横に振った。
「どれだけ少量であれ、エルディンを知覚できない理由にはなりません。となれば、体質的な問題か……」
説明の途中で、一人思考に耽ってしまったハーロゥは、ブツブツと晴也には意味のわからない難解そうな言葉を呟きながら自らの思考を整理する。
エルディンが少なかろうと、それが知覚できない理由にはならない。ますます晴也がこの世界の人間でないことが理由のように思えた。
しかし、未だにそれが人に言ってもいいものなのか晴也にはわからない。あるいは下手な混乱を起こさないためならば、このまま黙っておいたほうが身のためだろう。けれど、そのままでは決して晴也がエルディンを知覚できない理由が解明されない。
そんな二律背反な事情に挟まれ、晴也は思わずため息をついてしまう。一層、この世界で生まれた住人だと胸を張って言えれば、もっと気楽だったのに。
異世界人であることを隠す。それは晴也にとって、重要な核の部分で多くの人を騙しているということなのだ。お世話になった人にも、そうではない人にも。
「勇者シオタ。よろしければ、あなたの血液を少量いただけないでしょうか」
思考の海から浮かび上がったハーロゥが晴也にそう訊ねた。
「血を? どうして?」
「エルディンを知覚できないという症例は極めて珍しいものです。色々検証したことがあるのです」
つまり、晴也がエルディンを知覚できないということは、ハーロゥの興味の琴線に触れたということだろう。
そう言うことならば、と晴也は首を縦に振って快諾した。その様子に、ハーロゥは驚いてみせた。
「どうかした?」
「……いや、大抵の人間は、調べるために血が欲しいなどと言っても気味悪がられるものです。しかし、あなたは違った。それが少し不思議だったのです」
科学技術が発展した地球で育った晴也にとっては、血から様々なことを調べることができるのは最早常識であった。しかし、そう言った技術が発展していない、あるいは一般的ではないこの世界の人間にとって、血が欲しいという言葉は、非常に猟奇的に感じるのだろう。
「まあ、怖くないって言えば嘘だけど、調べるためには必要なことだろ。それに、ハーロゥさんはこういうところで悪用とかしないだろうし」
「そう、ですか」
ハーロゥの反応は淡白だった。しかし、どこか歯切れの悪そうな物言いに、もしかしたら照れているのかもしれないと晴也は思った。
存外褒められ慣れていないのかもしれない。優秀だが変人である弊害を見た気がした。
*
晴也がハーロゥと共に聖剣の力を検証に従事している最中、エルノアとジルバは研究所の応接室にいた。
二人の前にいるのは、魔法研究所があるスーリロム領の領主――オーセム・スーリロム侯爵その人であった。
「まず、ご挨拶が遅れたことをお詫び申し上げます」
そう言って彼は頭を下げる。その様子にエルノアは慌てた様子で答えた。
「頭を上げてください。領主ともなれば忙しいのでしょう。押しかけた上にあのような騒ぎを起こした私達よりも優先すべき仕事がある」
「お心遣い、痛み入ります。しかし、本来であればこの領の問題は領主であるわたしが見つけ出し、裁かねばならなかった。そう言った意味での謝辞でもあります」
「……でしたら、その謝辞を受け取っておきましょう」
今のやり取りで、エルノアはオーセムがここに来た理由を悟った。すなわち、抗議だ。侯爵領の問題を直轄領の人間に持っていかれたことに対する釈明。ことと次第によっては、侯爵領による自治に陰が差す。そう考えているのだろう。
些事と捨て置くこともできる。しかし、それをすれば王族の信頼は落ちるだろう。王族がこの国で絶対の権力者足りえているのはその血筋と信頼だ。特に後者は大きい。血筋はゆっくりと根付くが、信頼は強烈で強大だ。それが覆れば、根差した血筋など根元から引き抜かれてしまう。
「それで、この度はどのような用件でしょうか?」
建前としてエルノアはそう訊ねた。それにオーセムは答える。
「殿下と勇者様にご挨拶と、後は先の顛末をお教え願おうかと」
やはり、とエルノアは表情に見えない仮面をつけ、無表情を装い再び訊ねる。
「南部監視塔の件なら、後日通達があると思いますが?」
「先ほども申した通り、ここは我が領。ならば、そこで起こったことがどのようなものなのか、早くに知る義務があるのです」
それを言われれば、エルノアにはそれに反する論を有していない。仕方なしと、エルノアは事の顛末を掻い摘んでオーセムに伝えた。
「なるほど。事情はわかりました。……しかし、何にしてもこちらに一報は欲しいところでした。事態が緊急を要するものであることは把握しましたが、それでもスーリロム領は我が領。王族であらせられる殿下には小さな問題でも、わたしにとっては大事なのです」
きっぱりとそう言ったオーセムの目には明確な警戒心が見て取れた。それは、これを機に侯爵領の接収をなどと言い出さないようにと牽制しているようにも見えた。一部の貴族は、侯爵達へのやっかみ交じりにそんな意見を出しているが、幾ら協議による王政を敷いていると言えど、国土全てを王が司れば、国としての進展は停滞し、その上貴族達からの不満も一気に王族へ集う。すなわち侯爵領制度は、国王の負担の分散を意味しているのだ。
「承知しています。侯爵領での行動はなるべく各領の領主に報告するようにします」
言質をとったオーセムは、わかり難く安堵の息を吐いた。ひとまず領地接収という事態を回避できて気が緩んだのだろう。
お互いに一息つくと、オーセムは卓に置かれた紅茶で口内を潤してから口を開いて。
「しかし、ガグランダに与していた、か。どのようにしてそれをなしたのでしょう。騎士の一人や二人ならいざ知らず、監視塔騎士が全員となると妙だ」
どれだけ魅力的な提案をされたとしても、それに全員が乗るとは考え難い。それは誰もが脳裏に浮かぶ疑問であった。家族を守るため、あるいは立場を得るために騎士になった者が、より待遇のよいほうに着くのは道理だ。しかし、真に忠心を有する騎士もいたはずなのだ。そんな騎士すらも取り込んだと考えるのは現実的ではない。
「洗脳するような魔法を使われたのでしょうか?」
「流石に無理があるでしょう。監視塔騎士全体を、しかも長期に渡って洗脳し続けるのは、どれだけエルディンがあっても足りません」
オーセムの言葉をエルノアは否定する。しかし、例外があるのも事実だ。儀式のことだ。
特別な星の位置。特定の祭場。決められた祭服。象られた祭具。精緻な演舞。それぞれが別々の要素から成り立つそれらを一つにまとめ上げることで、神の御力の一片を借り受けることができる。
魔法の効力を強めるような儀式を行えば、あるいは可能かもしれない。しかし、少なくともそれをする祭場を用意するのは現実的ではないだろう。それをするには、どうしても広い空間が必要になってしまう。
「ふむ、では監視塔騎士は、魔法に依らずガグランダに加担したということですか」
オーセムの言葉には懐疑的なものが含まれている。魔法に依らない方法で監視塔騎士が落ちた。言葉にするほどそれは現実的ではない。むしろ、洗脳魔法以上に非現実的だ。これならば脅されていたという頭の悪い考えのほうが現実的だろう。
しかし、問題はそこにはないとエルノアは考えていた。
「むしろ、誰が彼らを絆したのかが問題かと」
「ほう、その心は?」
「今回の件は事実上、監視塔を掌握したと言えます。それができるのが外部の人間とは考え難い」
内部の――エルダフィート王国内の、しかもそれなりに地位の高い人間に、裏切り者がいる。それはエルノアのみならず、地位のある者全員の共通認識であった。
「……では、その裏切り者の何某かは、他にも何かしているとお考えですか?」
「むしろ、そのほうが自然でしょう。ここまで大規模な姦計に出たガグランダが、これだけしか策を講じていないとは考え難い」
予備の策を一つや二つ用意して然るべきだ。何より、これが失敗に終わった際の何らかの予防策だって講じているだろう。つまり、ガグランダ公国側で何かしらの動きがあると考えるべきだ。
「ガグランダの動きは第六騎士団が探っているところでしょう。もしかしたら、お父さまの耳には既に入っているかも」
「第六が味方であるという証拠はありませんがね」
確かにその通りだ。むしろ外での仕事が多い第六騎士団のほうが、敵方の手に落ちる可能性は高いだろう。しかし、エルノアはそれもないと考えていた。
第六騎士団が敵方に落ちる可能性は高い。あるいは既に落ちていて、それが明るみになっていないだけかもしれない。だとしても、監視塔騎士を全員丸め込む必要性はない。むしろ、第六騎士団の人員を確保できたのなら、監視塔騎士を味方につける理由はない。練度という意味でも、情報戦の経験という意味でも、監視塔騎士が第六の騎士に勝ることはない。
内よりも外にいる人員のほうが安心というのは、なんとも皮肉だ。
「では、エルノア様は彼奴等が、次に何をするとお考えなのでしょう?」
それを考えるには、やはり今回の件が何故引き起こされたのかを考えなくてはならない。
隧道を建設するために監視塔騎士を掌握したと仮定する。これが成功すれば、ガグランダはエルダフィートの南部から一気に攻め込み、すぐに王国を落とすだろう。エルダフィートが想定している南部防衛は、あくまでスーリロム領が有する兵力に対するもので、真に一国を想定したものではない。しかし、この計画は露見の危険性がついて回る。実際、今回の件でそれは露呈した。そんな事は計画を企てる時点で想像に易い。となれば、今回の件は陽動と考えるべきだ。
何に対する陽動か。考え得るのは、王国内部に潜り込んだ裏切り者から目を逸らさせることだろうか。しかし、実際は今回の件で、その裏切りに者に焦点が当たっている。
――いや、違う。焦点がぼけているのだ。
王国内部に裏切り者がいる。しかし、誰だかわからない。それは人の心に靄をかける。猜疑の靄は見るべきモノへの焦点をずらすだろう。
目を開いていながら誰にも見られない。何某かには動きやすい環境が完成した。
今回の一件は布石としても王手としても機能する。失敗しても次へ、成功したら終幕。随分と上手い策を考えたものだ。エルノアはガグランダの策士に舌を巻く。
では、裏切りに者にとって動きやすい環境を手に入れた今、彼奴はどのように動くか。より自由に動けるようにするために猜疑の靄をより濃い物にするか。あるいは、決定的な王手の道筋を構築するか。
エルノアならば後者を選ぶだろう。靄がかかっているとはいえ、それは人への疑心だ。ふとしたきっかけで、裏切りがばれる可能性をどうしてもはらんでしまう。ならば、王国の内側に多くの視線を釘付けている内に、侵攻のための布石を打つだろう。
「……私個人の考えでは、ガグランダが攻め込んでくると考えています」
「攻め込む? この段階でですか?」
オーセムは心底驚いたように目を開いた。何せ今は、攻め込む機会としては不適当だ。王国内にガグランダの陰をチラつく今は、幾ら視線が王国内部の裏切り者に向いていたとて、外部への防御を適当に済ませるという意味ではない。むしろ、外部からの干渉を防ぐために、国境の防衛は硬くなる。その機会に攻め込むなど考えるだろうか。
「確かに、現在のエルダフィートは内外への警戒を強めています。逆に言えば、不意に脆くなっている。我々にここまで策を見破らせなかった彼らなら、我々の警戒をいともたやすくすり抜け、脛を蹴り飛ばすことでしょう」
自国のことを侮って話すことに、エルノアは悔しさを滲ませた。エルダフィートの周囲を囲う山々は、国を物理的のみならず、情報的にも孤立させていた。故に、周辺諸国の動きが見え難い。彼らがどのような経験をし、策を弄するのか。想像することすら困難なほど、隣国のことをエルダフィートは知らないのだ。
「なるほど。だとすれば、どのような奇策を講じてくるのでしょうか。殿下には何か心当たりが?」
「流石にそこまでは。考えついても、国内にいきなり聖槍や聖鎚の担い手が現れるくらいでしょうか。もっとも、かのお二人を、神器を担がせて国内に入れるのは難しいでしょうが」
国境の警備は厳重だ。外から人を入れる際は、必ず人相と荷物の確認をする。神器の担い手として顔の割れているアースター・ヴァインとルーフィド・ジェーロが訪れれば、確実に止めるだろう。故に、誰にも気付かれずに、というのは不可能だ。
「確かに、いきなり国内に彼らが現れれば大事だ。その上、致命的な不意打ちにもなる。現実的ではありませんが、殿下は聡明ですね」
オーセムの賛辞にエルノアは苦笑を浮かべる。褒められるのは慣れているが、些か今のは突飛な考えだ。あくまでエルノアならばそう考えるというもので、ガグランダや裏切り者がそう考えているとも限らない。
「私など、素人に毛が生えた程度のものです。こういうのは、軍務大臣のジュリオスのほうが長けています」
「彼は本職だ、それも当然でしょう。ですが、殿下のお話を聞き、個人的にも考えをまとめることができました。攻め込んでくる、というのは些か盲点でしたので」
そこまで言われると、エルノアとて流石に照れてしまう。
誤魔化すように一つ咳払いを交え、エルノアは腰を上げる。
「そろそろシオタ様が外での検証を終える頃です。一緒にお迎えに上がりませんか?」
「ご一緒します」
エルノアに続いてオーセムも腰を上げた。ジルバを引き連れ、三人は部屋を出て外へ晴也を迎えに向かった。
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