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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第三章 零れる前に
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第二十四話

 気が付くと晴也は、夕暮れの教室にいた。

 突っ伏していた机から顔を持ち上げて映った、どことなく懐かしい景色に思わず呆然としてしまう。

 はて、自分は今まで何をしていたのか。

 生徒のいない教室。窓から差し込む夕暮れ。吹き抜ける涼やかな秋の風。それらの全てが放課後であることを示していた。

 帰らなくては。おもむろに立ち上がり、晴也は駆け足気味に教室を後にする。

 下駄箱で外履きに履き替え、家路につく。しかし、行き慣れた道のはずなのにどこか心がざわついていた。何か忘れ物をしたように、心が落ち着いてくれない。

 ふと振り向いて学校のほうを見る。しかし、そこには既に学校はなかった。

「えっ?」

 後ろに広がっていたのは、水平線が見える海景だった。

 気が付くと晴也は海浜にいた。アスファルトの道の登下校路を進んでいたはずなのに、どうしてこんなところに。地に足がついていないような浮遊感にも似た奇妙さに、晴也は困惑していた。

 もう一度振り向き進んでいた道を見る。しかし、後ろも同じような海景が広がる。もはや、晴也の見慣れた街の風景はどこにもなかった。

「だ、だれか」

 慌てた晴也は、人を探すように走り始めた。晴也が動くと、晴也が踏みしめている砂浜が海を侵すように移動し、どれだけ進んでも寄せて返す海が晴也の足を濡らすことはない。

 奇妙さが気色悪さになり、晴也は逃げるように駆ける。何がどうなっているのか。わからないということが気持ち悪かった。

 ここから逃げ出したい。誰でもいいから助けてほしい。そんなことを思いながら走っていると、砂に足を取られ、そのまま倒れてしまう。

 体に滲んだ汗に砂が貼り付いて気持ち悪い。そんな風に思っていると、砂浜に着いた手の元にまで海が押し寄せていた。その冷たさに晴也は体を持ち上げる。海はすぐに晴也の膝をも濡らし、晴也は立ち上がる。

 まるで潮が満ちるように徐々に海が砂浜を呑み込んでいく。このままここも沈んでしまうのではないか。そんな恐怖に駆られて、晴也は再び走り出した。

「クソッ、何がどうなってるんだよ!」

 そんな悪態を吐きながら走っていると、晴也は遠くに人影を見た。

 人影は蜃気楼のようにも見えた。しかし、晴也にはそこにいる人だけが救いだった。

「なああんた! 聞こえないのか!? 返事してくれよ!」

 大きな声でそう呼びかけると、人影は振り向くように揺らめいた。蜃気楼ではない。その確証が得られただけでも、晴也を安堵させた。

 しかし、どれだけ走ろうとその人影に近づくことはできなかった。先ほどの海と同じだ。どれだけ進もうと足を濡らすことはなかったように、今はどれだけ進もうとその人の顔すら拝むことはできない。

「どうなってんだよ、これ……っ」

 近づくことができないことに、晴也は再び焦燥する。次第に息が切れ始め、何時しか晴也は足を止めてしまっていた。気が付くと海は晴也の足首を濡らしていた。確実に潮が満ちている。

 再び顔を上げると、目の前に人がいることに晴也は驚いた。

 先ほどまでは斜陽に揺らめく影しか見えなかったのが、ずっと前からそこにいるような自然な様子で、そこに女性がいた。

 白い薄衣と、美しい金髪をした女性だ。だというのに、その顔立ちは日本人のそれだった。奇妙な組み合わせだが、不思議なことに違和感は覚えなかった。それどころか、前からそれを知っているような既視感さえ覚えている。

 その女性は泣いていた。泣きぼくろに通う涙の雫は海に波紋を広げる。夕日を背にした彼女のその様子はとても美しく、神々しいとさえ晴也は感じた。

「――」

 女性が何かを呟く。耳を澄ませていたはずなのに、晴也はその言葉を理解できなかった。単に聞き取れなかっただけなのか、それとも言葉の意味がわからないのか、はたまた知らない言語で喋ったのかまではわからない。それでも、その女性の声が美しかったことだけはわかった。

「なんて言ったんだ? もう一度言ってくれ」

 晴也がそう訊ねると、女性は再び涙を零した。そして、何も言わず晴也に背を向け、そのまま去ろうとする。

「ちょっと待って!」

 どこかへ行こうとする女性を止めようと、晴也は手を伸ばした。しかし、晴也が女性に触れることを拒むように、海が荒れ始めた。つい先ほどまで足首の辺りまでしかなかった海が、大きな波が押し寄せると共に、急に腰の辺りにまで水深を深める。波を被った晴也は全身ずぶ濡れになるが、女性に濡れた様子はない。それどころか、水面に立ち、そのまま何でもないように歩いてさえいる。

 そんな光景に思わず唖然とした晴也だが、彼女を追うように水を掻き分けて進む。

「待ってくれよ! 聞きたいことがあるだけなんだ!」

 進む晴也を拒むように、高い波が晴也を呑み込む。水深を胸の辺りにまで達し、何時しか晴也の全身を呑み込むほど深くなった。晴也は底を蹴るようにして水面に顔を出し、泳いで先に進もうとする。しかし、何かが絡みつくように晴也は一向に先に進めず、徐々に女性との距離が開いていった。

「お願いだから、話を聞いてくれッ」

 遠くに見える女性の影に手を伸ばす。しかし、そんな晴也に立ちはだかる巨大な波。壁のようなそれに呑み込まれた晴也は、強い潮の流れに引きずり込まれる。

 海の底へと引きずり込まれながら、晴也は未だ女性の影に手を伸ばしていた。

 ――ただ、どうして泣いているのか、聞きたいだけなんだ。

 呟いた言葉は水泡となるだけで、強い潮の流れがそれを引き裂く。いつしか晴也は意識を失い、晴也の体は海の藻屑と消えていった。


    *


 水面に浮かび上がるように、晴也の意識は覚醒した。

 気が付くと晴也は寝台の上にいた。その事実に、自分が見た日本の光景やあの海での出来事が夢であったことを自覚して息を吐いた。

 こちらの世界に来てから、晴也が日本の夢を見たのは初めてだった。望郷の念に苛まれなくて済むという意味では都合がよかったが、今回の夢は、そう言うもの以上に晴也の胸に陰を落としていた。

「俺、どうしてここにいるんだ?」

 呟いて首を振る。詮無いことだ。晴也は一度考えることを止める。

 見覚えのない部屋に晴也は体を起こして周囲を見渡す。しかし、体を動かそうとすると、首の辺りや胸の辺りに圧迫感があった。

「あれ、包帯」

 こちらに来てから普段着にしている白襟(ワイシャツ)黒穿き(スラックス)とは違う、チクチクとした感触の衣服の下を見ると、そこには白い包帯がグルグルに巻かれていた。包帯の所々に紋章のようなものが施されているのは、きっと魔法の術式というものだろう。

「そっか、騎士にやられて……」

 思い出せる限りの最後の記憶は、自らの体を焼く炎の熱だった。特に炎を浴びたあたりに重点して包帯が巻かれていた。

 生きているということは、何とか勝てたのだろう。しかし、それは自分の実力とは言い難い。偶然と奇跡によって生かされたと言っても過言ではない。

 そんなときに、部屋の外から人が入って来た。部屋に入って来たのはジルバだった。晴也のことを見ると、ジルバは驚いたように瞠目し、ゆっくりと晴也に近づいた。

「目が覚めたか」

 その言葉に首肯しながら晴也が訊ねる。

「此処は何処だ? 監視塔じゃないだろ?」

 晴也がいる部屋は、監視塔の無骨な石壁とは明らかに違う質感の場所であった。大理石のような艶やかな壁に囲まれた部屋に、晴也は見覚えがなかった。

「お前が倒れている間に魔法研究所に向かった。お前の傷を治すには、監視塔でも難しかったからな。治癒専門の術者のいる研究所に来たんだ」

「つまりここは、魔法研究所……」

「その客室さ。お前はここで三日間は眠りっぱなしだったんだ」

 三日という言葉を聞いて、晴也は驚いた。建設途中の隧道で戦った騎士に受けた傷が、そこまで重症だったとは晴也には思いもしなかった。

 興奮状態で痛みが抑えられていたのだろう。そんな風に思いながら、再び晴也は訊ねた。

「それで、エルノアさんは?」

「エルノア様は現在、聖剣の解析に従事されている。もっとも、力が発現したときの状況説明だがな」

 そもそも魔法研究所に来たのは、それが目的であった。しかし、晴也は隧道での出来事を思い出す。

 聖剣の輝きに吸い寄せられる魔法。魔法が聖剣に触れた瞬間、白い砂となり魔法を無効化した。その上、魔法を斬ると、白い結晶が聖剣を振るった方向に向かって雪崩れ込んでいった。あれこそが恐らく、聖剣の力の本質なのだろう。

「俺、聖剣の力を引き出した」

「……あの塩の結晶のことか?」

「シオ?」

 疑問符を浮かべる晴也に、ジルバは懐から小さな白い塊を取り出した。それは間違いなく、先の戦いで聖剣が生み出し、騎士達を呑み込んだ白い結晶の一部だった。

「シオって、調味料とかの塩ってことか?」

「ああ。隧道を埋め尽くしていた結晶や、白い砂は塩であることが判明している」

 晴也の疑問にジルバは首を縦に振って肯定した。

 魔法を塩の変化させる力。言葉にするとなんとも微妙な能力だと晴也は眉を顰める。これが雪であったり単に真っ白い砂であったりしたほうが、格好がついたなどと考えていた。それらよりも物としての価値が高いのはわかるが、なんとも納得がいかなかった。

「浮かない顔をしているな。だが、聖剣の力を引き出せたんだ。ここは喜ぶところだろう」

「……それもそうだな」

 今まで何をしても聖剣の力を引き出せなかったのだから、それの使い方がわかっただけでも十分な成果だ。何よりこれで、晴也は名実ともに聖剣の担い手として、勇者という立場を盤石なものにしたのだ。随分と回り道をしたが、この国で立つための地盤を晴也はようやく手に入れることができた。

 もっとも、土台となる国自体が、今や崩壊の危機にある。思い浮かべたのは戦った騎士達のことだった。

 塩の結晶が彼らを呑み込んでいく光景が脳裏に過る。きっと死んでしまっただろう。否、自らの手で殺したのだ。その事実に、胸の内側を掻き毟りたくなるような不快感が上ってくる。

 浮かび沈みを繰り返す晴也の表情を見て、ジルバはその心中を悟った。

「……気にするべきではない。お前は、エルノア様やお前自身を守るために、やれることをした。それだけのことだ」

 核心に突き刺すようなジルバの言葉に、晴也は驚きつつも、黙って頷く。それしか生き残る道がなかった。そんな言い訳をオブラートのようにして、殺したという事実を呑み込んだ。

「さて、お前も起きたことだ。エルノア様に報告してくる」

「いや、俺も行くよ」

「だが、起きたばかりで大変だろう?」

「平気だよ。むしろ、横になり過ぎて体が痛いんだ」

 体に感じる痛みは、ずっと同じ姿勢になっていたためではなく、炎に焼かれた傷が未だ言えていない証左であったが、とにかく今は、気分を紛らわせたかった。

「なら、着いてこい」

 ジルバのその言葉に、晴也は緩慢とした動作で寝台から降りる。

 三日も横になっていたためか、立ち上がるのに少しふらつきを見せたが、問題なく歩行できる様子をジルバに見せる。それを見て、ジルバは頷き、晴也を連れて部屋の外へ出た。

 廊下に出た晴也は、その眩しさに目を閉じた。ゆっくりと瞼を開けて、光の強さに目を慣らしていくと、廊下の片面がガラス張りであったことに驚いた。

「すごいな。ガラス張りなんて」

 王城や現代の地球では想像し難いが、この世界でガラスというのはとても高価なものであるらしい。製造自体は魔法を用いれば容易らしいのだが、如何せんその魔法を扱える人間が少ないらしい。そのため、この世界にはガラス製の物が極端に少ない。飲み物を注ぐのは全て木製の杯だ。

 そんな中で、廊下の壁にガラスを用いるというのは、もはや金持ちの道楽と言っても過言でない領域の所業だ。

「ここの所長の趣味らしい。研究費の一部まで流用してガラス張りにしたんだ。一時期はかなり問題になったが、彼無しにエルダフィートの魔法技術の発展は見込めないとして、更迭は見送られたな」

「自由な人なんだな」

「我儘とも言う」

 そんな我儘を国が呑み込まざるを得ないほど、その所長とやらは有能ということだろう。そのことに期待する半面、研究費を流用してまで廊下の片側の壁を高価なガラスにするというのは、やはり変人なのだろう。あるいは、常識知らずということか。どちらにしろ、まともな人間性でないような気がしてならなかった。

 そんな不安が表情から漏れていたのか、ジルバは苦笑いを浮かべる。

「安心しろ。確かにここの所長は非人間染みた外道だが、興味を持ったものを無下に扱うということはない。聖剣とその担い手であるお前に、あの所長が興味を抱かないとは思えないからな」

「むしろ不安なんだが……」

 そんな軽口を打ち合っていると、廊下の突き当りにまで差し掛かった。そこにある扉にジルバがノックすると、中から招き入れるような声が聞こえる。

「失礼します」

 そう口にしてジルバが扉を開けた。

 部屋の中にはエルノアと見慣れない眼鏡の男性がいた。エルノアは晴也のほうを見ると、すぐに笑みを浮かべた。

「シオタ様、お目覚めになりましたか」

「心配かけてすまない。三日も寝たし、もう大丈夫。むしろ、寝過ぎで体が固まったよ」

 肩を回して笑って見せる晴也に、エルノアも安堵したように笑みを浮かべる。そんな一連のやり取りを眺めていた男性は、わざとらしい咳払いをして一同の注目を集めた。

「失礼、勇者シオタ。わたしはエルダフィート王国が魔法研究所の長を任されている、ハーロゥ・イタルスという。以後お見知りおきを」

 晴也を見つめるハーロゥの視線は冷ややかだった。まるで晴也を人間として見ていないような不躾さに、思わず晴也は眉間に皺が寄った。

「ハーロゥ、そのような視線はシオタ様に失礼ですよ」

「そのような視線とは? 見る、という動作にどのような性質が宿っているかなど、個人にしかわからないはず。第三者である殿下の印象だけで諫められては、この国の九割の人間は失礼な視線というものを誰かに向けているものです」

 それが屁理屈であることは明白だった。しかし、ただ見るという動作を咎めることもまた事実ではあった。無論、彼の不躾な視線は誰が見ても明らかで、責任を逃れるための方便であることをエルノアもジルバも理解していた。

 それはそうと、と口にするとハーロゥは椅子から腰を上げ、素早く晴也へと近づいた。

「勇者シオタ。あなたはやっていただきたいことがあるのです」

「ハーロゥ! シオタ様は今目覚めたばかりなのですよ? 無理をさせるものではありません!」

 立ち上がりながらエルノアがそう反論する。そんな彼女に、ハーロゥは睨みつけるような視線を向けた。

「わかっていますかエルノア様? 我々の希望たる聖剣の力が発現した。となれば、それがどのようなものなのか、一刻も早く解析しなくてはいけないのです。それが王国のためなのです」

「理解しています。しかし、あなたのそれは建前でしかないでしょう! あなたが知りたいのは聖剣の力の正体だけ。違いますか?」

 まさにこの二人は水と油な関係なのだろう。雲行きの怪しくなる二人のやり取りを見て晴也はそれを確信した。

 自分の欲求に素直なハーロゥと、公私を分けて欲求を抑圧するエルノアとでは、致命的に相性が合わないのだ。

 二人の言い合いが平行線を突っ走っていることに、晴也は思わずジルバのほうを見る。彼女は彼女で、ハーロゥの無礼な物言いに不満があるのか、射殺さんばかりに彼のことを睨みつけている。

 この二人の緩衝役を、自分がやらなくてはいけないのか。

 病み上がりに酷な大役を任せるものだと思いながら、晴也は口を開いた。

「……とりあえず、ハーロゥさんは俺に何をやらせたいんだ? いきなり走り込みをしろって言われても体が追いつかないけど、できる限りのことはやるよ」

「と、勇者シオタがおっしゃいましたが?」

 晴也の言葉に、我が意を得たりとばかりに優越感に浸るハーロゥに対して、エルノアは小さく嘆息した。

「シオタ様がおっしゃるのなら、ご随意に」

 再び椅子に腰かけたエルノア。それに対してハーロゥは再び晴也のほうを見ながら口を開いた。

「では早速、聖剣の力の検証実験を始めましょう」

 促されるままに晴也は壁に立てかけられていた聖剣を手に持ち、鞘からその刀身を引き抜く。太陽のような輝きを、可能な限り弱め、ハーロゥの指示を仰ぐように彼のほうを見た。

「なるほど、それが聖剣の刀身。鞘越しにはわからなかったが、これは確かに、濃密なエルディンだ」

 刀身の眩い光など物ともしないと言わんばかりに、彼は目を見開き、聖剣の様子や晴也が感じられないエルディンの濃さを感じ取っていた。そして何を思ったのか、彼は聖剣の刀身に人差し指の腹を滑らせた。

「あっ、おい――」

「ふむ。剣である以上、刃に指をあてがえば順当に切れるか。しかし、それ以上に触れた際に感じた熱。指の先が僅かに触れただけであっても、燃える程の熱を感じ、しかし離すとなかったことのように冷める……」

 興味深いと頷きながら、感じているはずの熱をものともせずにしきりに聖剣に触れてくるハーロゥの様子に晴也は驚いた。晴也にはわからないが、聖剣に選ばれていない人間が聖剣に僅かに振れただけでも、焼ける程の熱を感じるらしい。

 自らの体を炙った、あの騎士の炎を思い出す。皮膚や肉をヤスリで削っていくような疼痛が徐々に内側の深いところに進んでいくあの感覚は、二度と味わいたくはないものだった。それを何度もとなると、ハーロゥの精神は生半可でないほどに頑強であることが窺えた。

「さて、観察はこれくらいにするか」

 満足したのかハーロゥは聖剣から離れ、ガンテダの言葉を紡ぎ魔法の土を集める。

「勇者シオタ。今からこれを放ちます。騎士の炎を塩に変えたように、これも塩にしてみてください」

「いきなりそんなこと言われても――」

 自信がない。そう口にしようとして晴也を無視するように、ハーロゥは掌に作り上げた魔法の土の塊を放り投げた。放物線を描くその塊を眺めながら剣を構える。無事に聖剣に当てることができるだろうか。そんな不安に苛まれつつ、聖剣の力を呼び起こすよう心の中で呼びかける。それに呼応するように、刀身の輝きが強まる。

 刀身の輝きが強まると、放物線を描いていた土の塊がその光に吸い寄せられるように落下の軌道を変える。そして土の塊は、晴也が何をするでもなく聖剣に触れ、散らばるように白い塩に変わって床にばらまかれた。

「――興味深い」

 その光景を見ていたハーロゥは目を輝かせていた。真一文字に口を結んだ仏頂面とは打って変わり、僅かに口角を上げ、慣れていないような不気味な笑みを浮かべている。

「単に魔法を塩に変えている訳ではない。明らかに魔法を聖剣に引き寄せている……」

「そう言えば、この前騎士達と戦ったとき、四方から魔法を放たれたけど、全部聖剣に吸い寄せられてた」

 それができる確信があったのは、単なる勘に過ぎない。あるいは、ようやく目覚めた聖剣の力に興奮していたのかもしれない。根拠のない自信が、身を滅ぼすという結果にならなくて良かったと、今更ながら胸を撫でおろす。

 晴也の言葉を聞くと、ハーロゥは考え込むように顎に手をあてがう。しばらくその格好でいると、ちらりと晴也のほうを見て、再び行動を始めた。

 次にハーロゥが持ち出したのは掌に収まる大きさの鉄塊だった。

「次はこれを塩にしてみて欲しい」

「まて、それは魔法ではないだろう?」

 鉄塊を見たジルバがそう口を挟んだ。しかし晴也は、すぐにハーロゥの手から鉄塊を受け取った。

 魔法を塩に変える。それは受動的な効果に過ぎない。晴也はそう感じていた。あの隧道の惨状は、騎士が放った巨大な炎を塩にした訳ではないのだと、晴也は無意識に理解していた。

 受け取って鉄塊を宙に放る。そして、その落下地点に聖剣の刀身を置く。そして、呪力に従って落ちてきた鉄塊は、聖剣の刀身に触れ、塩となって再び床にばらまかれる。

「魔法ではないのに、塩になった?」

 ジルバは聖剣の能力を、魔法を塩にするものだと思っていた。エルノアから聞いた話でも、それに矛盾はない。しかし、ハーロゥが晴也に渡した鉄塊は、明らかに魔法によって顕在したものではない。それが発するエルディンは、紛れもなく鉄鉱石から鋳造したものだった。

「前に、水筒の水を聖剣に垂らしただろ? それと同じだと思う」

 晴也が思い出していたのは、聖剣の力を引き出そうと画策していたときのことだ。あのときは聖剣の力は海や水に関するものだと推測し、ジルバから水筒を借りて中身をかけたのだ。その結果、水は聖剣の刀身に届くよりも早く蒸発した。しかしこれは、きっと蒸発したのではないのだろう。恐らく、目には見えないほど微細な、あるいは少量の塩に変化し、風に乗って飛んでいったのだ。

 一連の光景を目にしたハーロゥは、恍惚気味に嘆息すると、椅子に腰を下ろしながらこうまとめた。

「今のである程度、聖剣の力が判明した。恐らく、聖剣は魔法を塩に変えるのではなく、ありとあらゆるものに内在するエルディンを塩に変えているんだろう」

 神エルシェンディカが創造したとされるこの世界。天地創造に用いられたエルディンという力は、ありとあらゆる被造物に含有されている。すなわちそれは、この世界の全てを塩にして壊すことができる――聖剣と言うには些か悪魔的なまでに、凶悪な能力であった。



第二十四話を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。


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