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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第二章 そして錨が上がる
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第二十二話

 エルメリアは一晩明ければ、エルノアが帰ってくると考えていた。

 たった二人、大した装備もなく監視塔を飛び出たところで、できることは少ない。いくら近くに村があったところで、余所者にそう簡単に寝食の場を貸すとも思えなかった。

 しかし、そんなエルメリアの想定を裏切り、エルノアは一晩経っても帰ってこなかった。監視塔騎士が裏で何をしているのか、それを暴こうとするのを邪魔されているようで、エルメリアは今回のエルノアの行動に普段は抱かないような苛立ちを覚えていた。

 苛立ち、というよりは失望だろうか。エルメリアにとってエルノアは憧れの姉なのだ。その姉の不可解且つ不合理的な行為に失望を禁じ得なかった。

 あるいは、そもそもこれらは全て、彼女が裏で手を回しているのか。そんなありもしない疑りすら脳裏に過り、それがエルメリアをより苛立たせていた。

「殿下、落ち着いてください。焦ってもいいことはありませんよ」

 そんなエルメリアをなだめるようにシャーンが言った。入れたお茶を彼女に差し出すと、エルメリアはそれを受け取り口に含む。鼻に抜ける深い緑の匂いは何かの香草だろう。その香りを嗜むと、苛立ちが僅かにほぐれたように思えた。

「……ありがとう、シャーン」

 何はともあれ、今は姉の安全を祈らなくてはならない。これにどのような意図があるのかなどエルメリアにはわからないが、何はともあれ姉が無事でなくては、小言を言うことすらできないのだ。

 そんな彼女の様子を見て、シャーンは密かに安堵の息を吐く。

 王としての資質。今回の一件はそれを強く認識するものだった。故に、シャーンは自分が仕える主が、少しだけ変わってしまったような不安感に苛まれていた。しかし、事が上手くいかないことに苛立ち、姉の不在を不安に思うような優しさが残っていたことに、安心せずにはいられなかった。

 そう言う意味では、今回のエルノアの騒動はよかった。一概にそうとも言えないが、少なくとも主を正しく認識できるきっかけが生まれた点において、シャーンはよかったと言える。

 廊下を歩いていると、遠目に上司であるグライダムの後姿を見た。誰か部下の騎士と話しているのか、グライダムはシャーンに気づいた様子はない。

 彼に挨拶をするため、シャーンは速足で彼に近づき、敬礼をして挨拶をする。近づいている内にグライダムと話していた騎士はどこかへ行ってしまっていた。 

「団長、お疲れ様です。アズローの尋問、如何でしたか?」

 アズローへの尋問は、エルノアの行方不明騒動によって事実上中断となりかけていた。しかし、グライダムの主導により滞りなく行われていた。

 シャーンの質問に、グライダムは首を横に振った。

「腐っても騎士だ。尋問程度で口は割らないだろう。全く、こういうときノルートルは上手く部下を育てたと感心してしまう」

「団長と第五の団長は、古いお知り合いと聞きますが……」

「大した仲じゃない。ただ、騎士になったのが同じ時期だっただけさ」

 同期の騎士が共に団長になるというのは、あまり聞かない話だ。そう言う意味でいえば、彼と第五の団長であるノルートルは特別であることを窺える。そう思うと、このような形で対立しあっているのは、なんとも因果なものに思えてならなかった。

「……ところで、先ほど騎士とお話ししていたように見受けられましたが、エルノア殿下は見つかったのでしょうか?」

「見ていたのか。……いや、そういうのじゃない。さっきのはここの騎士だ。この状況下で、何時までアズローを拘束しているつもりだと抗議に来たんだ」

 そう言う声が上がることは想定できた。アズローは騎士長(クレイヴェス)で、監視塔における責任者だ。監視塔騎士が動くにしても、代役を立てるよりも彼が出て指揮したほうが、効率面も効果面も段違いだろう。

「どうするんですか?」

「これ以上の拘束はできんからな。解放するさ」

 尋問で埃が出ないのなら、必要以上の拘束はできない。何より、現状を考えれば彼を解放し、監視塔と共同でエルノアを発見するのが賢明だ。

「それで、エルメリア殿下のほうはどうだ? 随分と怒ってらっしゃったが……」

「今は落ち着いています。どちらかと言えば、エルノア殿下の身を案じていらっしゃいます」

 それを聞くとグライダムは一呼吸置き、考えるように顎に手を当てた。そして思い出したようにシャーンに問うた。

「エルノア殿下の近衛はどうした?」

「ジルバですか? 彼女は今、謹慎という形で部屋にいますが……」

 謹慎を言い渡したのはシャーンだった。ジルバにどのような言い分があろうと、エルノアが行方不明になった責任の一端は彼女にもある。近衛騎士はただ単に主を守るだけではいけない。主が過てばそれを諫め、主の危機には身を盾とし、主の征く道に付き従わなければならない。今のジルバは、それらの何一つができていない。そんな彼女に対して、対外的であったとしても、何らかの処罰は必要となる。幸い、王命のない限り近衛騎士の階級は一兵卒(クーレン)程度のもの。彼女に対してこのような罰を与えるのは何ら問題のないことだった。

「素直に従ったのか?」

「ええ。……何か問題が?」

「いや、紛いなりにも近衛だ。そんな彼女が、行方不明の主を差し置いて、何もせずにいるとは思えなくてな」

 確かにその通りだ。シャーンは自分に置き換えて考えた。もし自分が、正式にエルメリアの近衛となり、彼女が行方不明になったら。素直に謹慎命令を呑み込むとは思えない。是が非でもエルメリアを探そうとするだろう。

「……少し部屋を見てきます」

 嫌な予感がする。グライダムに一礼し、シャーンは慌ててジルバを謹慎させている部屋に向かった。

 彼女が謹慎しているのは、エルノアが使っていた部屋だった。普段であればそのようなことは認められないが、自分の責任を感じ取り、猛省するためという言い分と、誰も使わない部屋であるということを加味し、シャーンはジルバにその部屋で謹慎するように伝えた。

 部屋の前までやって来ると、シャーンは乱暴に戸を叩いた。

「ジルバ、いますか? いたら返事をしてください」

 しかし、返事はない。再度、強く呼びかけるが反応はない。戸を開けようとするが鍵がかかっていて開かなかった。

 冷や汗が流れる。シャーンは自身の体をエルディンで活性化させ、膂力を強め、鍵のかかった扉を強引に蹴破った。

 部屋の中はもぬけの殻だった。ただ違うのは、棚の横の壁が魔法によって破られ、その奥に何処かへと続く小さな通路が丸見えだった。

 脱走。そんな言葉が過って、常に浮かべている笑みをシャーンは思わず歪めた。


    *


 白が煌めいた。

 まるで風に乗り宙を舞うかのように、白い砂が場の景色を掻き乱す。

 明らかに場にそぐわない異質な物質。周囲の岩壁や外の土砂とは明らかに性質の異なるそれに、その場の誰もが目を見開き驚愕を露にした。

 いや、そんなことではない。そんなことに目を見開き、無防備を晒している訳ではない。誰しもは、その白い砂が出てきた奇怪な現象に目を見開いていた。

「どういう、ことだ」

 最初にそう口にしたのは、騎士トウロだった。彼は目の前で起こった光景が理解できなかった。炎の壁で視界が遮られていたために理解しえなかった。彼には、自分の放った炎の壁が、太陽のような輝きによって掻き消えたことと、その瞬間に白い砂が宙を舞ったことしか覚えていなかった。

 一方でエルノアは、驚愕と共に熱に浮かぶように興奮していた。彼女はその現象をしかと目撃していた。迫りくる炎の壁。晴也の慟哭。それと同時に聖剣から発された太陽に似た強烈な閃光。その光に目を焼かれそうになり、瞼を閉じようとしたエルノアの視界に滑り込んだのは、聖剣が炎を白い砂に変える光景だった。

「これが、聖剣の力……」

 無意識にエルノアが呟いた言葉に、晴也は聖剣を見つめた。

 エルノアが見た光景を、晴也も確かに見ていた。迫りくる炎の壁が、聖剣の強い輝きに吸い寄せられるように集まり、刀身に触れた瞬間、砂が散るように白い砂に変わった。

 聖剣の力。未だにそれがどのようなものなのか、晴也には把握できていない。しかし、聖剣をどのように使えばいいのか。それだけは、少しだけ掴めた。

 未だ全身に焼けるような痛みが疼く。今にも倒れそうになるのを堪えながら、晴也はトウロを睨む。

 トウロは僅かにたじろぎ、周囲の騎士に視線を見た。晴也達を取り囲むような騎士の配置を確認し、掌に炎を灯しながら全員に呼びかける。

「どんな手品かはわからんが、全員で掛かれば無事では済まないはずだ! 各々、魔法を準備しろッ」

 その呼び声に、レクファタはすぐさまエルディンを発し、それを呼び水に周囲の騎士達も各々得意な魔法を起こし始める。

 四方八方からの魔法。本来であれば絶望的な状況下であるにも関わらず、エルノアは安心感を覚えていた。それは、聖剣の力の一端を見たための興奮による錯覚とも捉えられた。しかし、そうではないとエルノアは確信した。

 今の晴也であれば、このような状況を打破することができる。炎の壁を越えた晴也ならば信じられる。

「――撃てッ!」

 トウロの号令に、一斉に魔法が放たれる。迫りくる魔法に対し、晴也は聖剣を頭上に掲げる。

「来い」

 晴也の言葉に呼応するように、聖剣が再び光り輝く。太陽のような輝きに、魔法は光に集まる蛾のようにその軌道を変え、聖剣のほうへと寄っていった。そして、魔法が聖剣の刀身に触れると、魔法が掻き消え、散らばるように白い砂が宙を舞う。

 その光景を目の当たりにしたトウロは、ゆっくりと崩れ、膝を地に着いた。

「トウロッ!」

 そんな彼に、慌てレクファタが駆け寄る。体を見ると、胸からは多量の血が流れ、呼吸も異様に速い。明らかな重症に、エルノアらに降参する旨を伝えようとし、その腕を掴まれる。

「情けないぞレクファタ。そんなんじゃ、出世も夢のまた夢だぞ」

 レクファタがガグランダに対して協力するのは、ガグランダで高い地位を築くためだ。レクファタの実家、ノルードマー家は男爵位を有する貴族だ。しかし、男爵位などこの国ではお飾りに過ぎない。国政に参加することができるのは伯爵位以上。子爵ともなれば学校などの重要施設を任されることもあるが、男爵で任されるのは、そう言った施設での単なる職員程度の役職。貴族として国を守ることに従事したいのに、大役を任されない。そんな不満が、男爵家生まれの人間にはあったのだ。

 今まではその捌け口が騎士団だった。しかし今回、ガグランダの甘言というものが生まれた。故に、監視塔の騎士のほぼ全てが、ガグランダの提案に乗った。

「しかしトウロッ、これ以上続けたらお前が死ぬぞ!?」

「そうなったら、家族には果敢に戦ったとでも伝えてくれ」

 ぼろぼろの体で立ちながらそう言うトウロは、既に覚悟を決めていた。それは、国を裏切るという覚悟ではない。それ故に断罪されるという覚悟だった。それを感じ取ったレクファタが、如何に自分の目的が浅ましく、彼が本気で家族を守ろうとしていることを感じ、自らを恥じた。

 そして、レクファタも覚悟を決める。この道の先にあるのは栄華ではなく裏切り者という烙印と死であったとしても、選んだ道を裏切ることだけはしないと。

「最期まで俺も戦うぞ、トウロ」

「レクファタ……」

「お前ひとりに任せるには、勇者と王女は荷が重いだろ」

 そんな軽口はレクファタらしいなどと思いながら、トウロはエルディンを発し炎を起こす。そして、レクファタも同じように風を起こす。レクファタの風はトウロの炎をより強め、先ほどの炎の壁よりも強く猛り、うねり狂った大蛇のようになっていた。

「あなた方は、そこまでして……」

 二人のやり取りは、エルノアの心をも強く打つものだった。彼らが如何ほどまでにエルダフィートと敵対し、またそれがどれだけ本気であるのか。そのやり取りはまざまざと示していた。故に、悲しい。命を張ってまで打倒したいと国民が考える敵が、エルダフィート王国であったことが。

 晴也はトウロとレクファタのやり取りを見て、敵というものが何なのか、はっきりと理解した。敵とは自分達に害をなす存在ではなく、彼らなりの守りたいもののために命を張る者達のことなのだと、はっきりと理解した。

 彼らが命を賭して守りたいものと、国が守るべきと考えるもものが重ならない。重なっても、国にとっての重要度が低い。故に、争い生まれる。守りたいものと、守るべきもの、互いにそれらを守るために。

 ままならない。あるいは戦争とはそう言うもので、戦いとはそういうものなのかもしれない。

 果たして晴也に、彼らのその決意や想いを踏み躙ってまで、守りたいと思うものがあるのか。そんな躊躇いがあった。

 しかし、と晴也はエルノアを見た。

 この場で何もしなければ、エルノアがどうなるかわからない。あるいは死ぬかもしれない。そう思うと、何もしないという選択肢など晴也にはなかった。

 例え目の前にいる二人が、エルノアが守りたいと思う国の一部であったとしても、晴也はエルノアを守るために剣を振るう。

 そんな思いを強く結び、晴也は聖剣を握る。

 燃え盛る炎の熱波は、肌を刺すような痛みを与える。しかし、それはそんな炎の近くにいるトウロとレクファタのほうが強く感じているはずだ。全身を焼くような熱源。それを留める二人の覚悟は、さながらそこにある炎のように強烈で、鮮烈な物だった。

「行くぞッ!」

 裂帛としたトウロの声と共に、二人はその炎を放つ。炎は緩慢としながら、死の気配を灼熱に煮えたぎらせ晴也とエルノアの元へと向かっていた。

 晴也は聖剣の切っ先を炎に向けて構える。炎の輝きに負けず劣らぬ光輝を放つと、炎の大蛇はそれに吸い寄せられるように聖剣へと一直線に寄ってくる。

 そして、炎が聖剣に触れる。瞬間に眩い閃光が周囲を焼き、大量の白い砂が吹雪のように吹き荒れた。しかし、未だ炎の大蛇は健在だった。トウロとレクファタは、常に己がエルディンを発し、それを炎と風に変え、連続して炎の蛇を放っていた。

 炎を浴び続けた聖剣が、次第に熱を帯びていくのを感じる。それが炎に熱せられた自然なものなのか、あるいは晴也以外が聖剣に触れたときに感じる熱と同種のものなのかまでは判断できなかった。だが、このまま続けば押し負けるのは明白だった。

 何かできるはずだ。晴也はそう考えていた。炎を白い砂に変えるのは聖剣の力の一端。しかし、この作用は受動的だ。聖剣の力を利用しているというよりは、結果として聖剣の力を確認できる状況なだけ。つまり、もっと効率的に、聖剣の力を発揮する方法があるはずと晴也は考えていた。

 何が引き金なのか、晴也は思考する。刺すような灼熱が思考を乱すが、それでも必死に、生き残るために正解を導き出す。そして、聖剣の形を思い浮かべた。

 聖剣。文字通り聖なる剣。剣の本懐は、斬ることだ。

「――ッ」

 炎の大蛇と拮抗する聖剣を持ち上げるように構えた。そして、右足を強く踏み込み勢いよく振り下ろす。

 刹那、日光の思わせる眩い光が建設中の隧道を照らす。聖剣の刀身が通った部分には、白い砂と同質の物と思われる結晶が生まれ、それが炎の大蛇の進攻を防いでいた。いや、それどころか、その白い結晶は次第に炎の大蛇を侵食していく。結晶は次第に勢いを増していき、土石流のような勢いでトウロとレクファタのほうへと向かっていき、そして二人を呑み込んだ。

 気が付くと白い結晶が隧道を埋め尽くしていた。聖剣から生み出されたその白い結晶に透過性はなく、それに飲まれた者がどうなったのかはわからない。しかし、無事でないことは明らかだろう。

 自分が殺した。あの二人の騎士を。いや、もはや晴也には見えていなかっただけで、他の騎士達も巻き添えになっていたかもしれない。

 それを自覚すると、途端に怖くなる。しかし、震えそうになる体を必死に抑えながら、周囲にいる騎士に向けて聖剣を構える。

 他の騎士達は、トウロやレクファタのような気概はなかったようで、聖剣を向けられると、一目散に逃げていく。それを追いかけよとするが、全身の痛みに晴也は片膝をついた。

「シオタ様。今はお休みください」

 そんな晴也に、エルノアが優しく語り掛ける。

 もはや聖剣も握り直せないほど、晴也は疲弊しきっていた。初めての対人戦闘。初めての大怪我。初めての聖剣の力。初めての殺人。多くの初めてが、晴也から立たせる気力すらも奪い取った。

 しかし、それでも晴也は必死になって聖剣に手を伸ばし、立ち上がろうと力を入れる。興奮状態の晴也の焦点は合っておらず、呼吸も随分と浅いものになっている。そんな晴也の体を抱き留め、エルノアは彼の耳元で囁く。

「大丈夫です。敵はもういませんよ。誰も私達を害しません。だから、今は休んでください。そんな傷でまだ戦ったら、シオタ様も死んでしまいます」

 そのエルノアの言葉を、晴也は理解することができなかった。戦闘と火傷による興奮、死への恐怖。そして、それらからの解放による安堵感が晴也の意識を朦朧とさせていた。そんな中でも、エルノアのその声が優し気であったこと。そして、抱き締めた彼女の腕が温かかったことが、強張らせていた晴也の心をほぐしていく。

 全身の力がゆっくりと解れ、晴也は眠るようにエルノアに体を委ねた。


第二十二話を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。


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