第二十一話
騎士達の後を付けていく。確かにそれが、最も単純に騎士達の動向を探る手段であった。
しかし、それは言葉で言うほど簡単な方法ではない。例えその騎士の階位が最下位であっても、その実力は明らかに晴也よりも上なのだ。そして、人の気配という物にも鋭敏であろう。その手の人間を尾行できるほどの技量を、晴也もエルノアも有していなかった。
それでも、それが実行できたのはエルノアの魔法のおかげだ。
マーデンという魔法だ。これは惑わせるという意味合いを持つ魔法の言葉で、これを口にしてエルディンを発せば、人の目を誤魔化すことができるらしい。机の上にある二つの果物を一つに見せることも、三つに見せることもできる。
本来、エルノアはこの魔法があまり得意ではなかった。それでも、騎士に自分達の存在を気取られないほどに卓越して使えるのは、ひとえにエルメリアがこの魔法を得意としているためだ。彼女に悪戯をさせないためには、この魔法の対策をしなくてならない。対策するにはこの魔法を知らなくてはならない。知れば、ある程度使えるようになる。後は慣れの問題だった。
昔取った杵柄などと、晴也はこの世界にはないことわざを口にした。しかし、騎士達が何をしているのか突き止めた途端に、すぐに姿を見せるという大胆な手に出るとは思いもしなかった。
「……一度だけ問います。あなた達は何をしているのですか」
壁面と見紛うほど切り立った山の斜面にできた、深いくぼみ。晴也にはわからないが、エルノアにはその穴倉が魔法で補強され、崩れないようになっていることがエルディンを通じて理解できる。つまりそれは、二人が通った隠し通路と同じ性質を持った洞窟――隧道だ。
騎士達に問わなくても、エルノアは理解できていた。この山に隧道を通せばどこに通じるか。それは隣国、ガグランダ公国だ。
南部からの侵攻を、エルダフィートは想定していない。想定しているのはあくまでスーリロム領の反乱であって、国家単位の戦力で押し寄せられれば、エルダフィートは滅亡する。すなわち今監視塔騎士達が行っているのは、明確な国家反逆行為だった。
それを理解して、騎士達に数名が狼狽え始めた。しかし、冷静さを保った騎士――トウロが口を開いた。
「我々は、公務に従ってこの場で作業をしています」
「公務? 監視塔騎士の通常の仕事に、土木工事は含まれていません」
「ええ、ですからこれは緊急の案件なのです」
「……建前として聞きましょう。この隧道は、なんのために掘られているのですか」
「国家防衛の観点から、必要な措置であると第五騎士団が判断いたしました」
それは一体、どちら側からの視点なのか。そんなのは問うまでもないことだった。
しかし、第五騎士団。今までの話について行けなかった晴也でも、それが出てきた事の重大さは理解した。それはつまり、国の防衛を担う騎士団の内の一つが、敵の手に落ちているということに他ならない。一方のエルノアは、それをそこまで重視していなかった。目の前の騎士が語る言葉には証拠がない。信じる信じないは全て、それを聞いた個人の裁量に寄る。そう言う意味では、エルノアは彼の言葉を信じていない。そもそも、もし第五騎士団全体が敵方に落ちていた場合、もっと早くエルダフィートは困窮的な事態に見舞われていたはずだ。何せその事態は、国全体の防衛拠点が敵の手に渡ったと断定しても過言ではないのだから。
そうなっていないことを冷静に判断すれば、第五騎士団全体の行為とは言い難い。少なくとも南部監視塔に配属されている騎士によるものだ。
では誰が彼らにこのような事をするよう仕向けたのか。それを確認するほどの余裕を、流石のエルノアも持ち合わせていない。
「例えそうであったとしても、報告を受けていません。この手のことには、必ず報告義務が発生します。それを怠っている時点で、規律違反であることを自覚してください」
「ことは一刻を要します。戦争を前に、律儀に報告などしている暇などないでしょう?」
「ない時だからこそしなくてはいけないことなのです」
トウロとてエルノアの言い分が正論であることを察している。故に、それ以上議論のために口を挟まなかった。
「王女エルノアとして、この場にいる全ての騎士に命じます。作業を中断しなさい。それがなされない場合、反逆罪とみなし、私刑に処します」
「そのような横暴がまかり通ると?」
「義は私にありますから」
それもそうだと、トウロはそれ以上口を開かなかった。
不穏な気配に、晴也は聖剣の柄に手を掛けた。トウロは一度振り返り、隧道の中にいる騎士達を見やった。何人かの騎士が頷いたのを確認すると、再び騎士はエルノアのほうを見た。そして、すぐに全員がその手に持っていた道具から手を放した。つるはしのようなものではなく、もっと小さいトンカチのような魔法の道具。そんな小さいもので隧道を掘ろうとするのだから、魔法の力の強大さを改めて晴也は感じた。
「作業は一時中断します。それで、エルノア様はどうなさるのですか?」
「あなた方から事情を聞きます。……しかし、この場はそれをするのにそぐいませんし、何より適切な人員もいません。ですので、あなた方には一度、第二騎士団のいる監視塔にまで出頭していただきます」
「……なるほど。では、お断りいたします」
明確な敵意を肌で感じ取った。晴也は思わずエルノアの前に出て庇うようにトウロと相対した。
自分でもそれが感じ取れたことが意外だった。しかし、ざらついた不快感は、稽古の際にジルバが時折発するものによく似ていた。
そんな晴也の様子に、トウロは少し感心した。聖剣の使えない出来損ないの勇者であるという情報は耳に届いていたが、勘は冴えているようであった。しかし、未だ正面にしか視点がないことが、未熟さを表していた。
「――シオタ様!」
背後から近寄る騎士――レクファタにエルノアが気づき、晴也の背中を押しのけて騎士の攻撃をかわす。前へ押し出され体勢を崩した晴也は、訓練されている騎士からすれば隙だらけ。トウロは素早く剣を引き抜き、晴也に向けて振り下ろす。
背筋を走る悪寒。しかし、昨晩に感じたそれに比べれば生温く感じるのは、敵の姿が見えることと、振り下ろされる剣を、晴也が見切れていたのが大きい。
前傾に倒れる晴也は、そのままトウロの胴体に向けて飛び込む。それは剣を振り切られるよりも早く、トウロはそのまま後ろへと押し倒される。
「――っ」
晴也の想定外の反応に、されるがまま後ろに倒されたトウロは、馬乗りになった晴也見る。晴也は腰の聖剣を引き抜き、その切っ先をトウロの首筋に突きつけた。
一瞬の攻防であったが、その結果は瞭然であった。晴也に剣を突きつけられるトウロの様を見せつけられた周囲の騎士は、仲間の危機に対して動くことはできなかった。
「動いたら首を斬る」
それができるかどうか、経験のない晴也にはわからない。しかし、そう口にして脅すだけでも意味があった。
「無能の勇者と言えど、これくらいのことはできる、ということか」
晴也の下にいるトウロが、嘲るようにそう口にする。その言葉に、晴也は思わず聖剣の刃を首に近づけた。首の皮膚が裂け、そこから血が漏れる。その様子に僅かに固まった晴也を見て、騎士は笑う。
「だがこの程度で我々が止まると思うなよッ」
ただならぬ気迫をトウロから感じ取った晴也は、彼の意識を強引に落とすために顔面を殴りつけようとする。しかし、それよりも早くそのトウロは口を動かした。
「ヴァンルード・フィグマ!」
それは魔法の言葉。晴也にはそれがどのように魔法を起こすのか意味はわからなかったが、フィグマというのが火に関する魔法であることを覚えていた。魔法を扱う際に起こるキラキラとした粒子の発光が、次第に強く、赤く、熱を帯びていくのを感じる。その刹那には、晴也とその騎士との短い隙間に、赫灼とした業火が炸裂した。
炸裂した炎は爆発のように晴也を騎士の上から押しのける。その上、晴也の左腕と胸、顔の一部を焼いた。
猛烈な痛みが晴也を襲い、痛みに叫び声をあげる。目を見開いているはずなのに痛みで視界は明滅し、自分が何を見ているのか理解できなかった。
「シオタ様、お気を確かに! 傷は浅いです!」
吹き飛ばされた晴也に駆け寄ったエルノアは、騎士達の反撃に備え、すぐに周囲を警戒した。二人の前に立ったのは、晴也を焼いたトウロだった。
「並の相手なら今のでもよかった。だが、我々を相手に止めを刺さないのは悪手だったな」
トウロは晴也以上に重傷だった。鎧は炎の爆裂で剥がれ落ち、その下の肉は焦げ付き焼け爛れていた。呼吸の荒さは痛みに耐えている証左であるが、その表情は涼やかで、晴也へ向ける視線は未だに戦意を窺わせる。
トウロに対して、エルノアは晴也を庇うように立ちふさがり、風の魔法を放つ。しかし、そんな風を散らすように騎士の周囲に炎が起こる。
「無駄ですよ、エルノア様。風は火を強めるだけ。もっと大量のエルディンを込めない限りは、炎をかき消すことはできないでしょう」
トウロの言葉にエルノアは表情を顰めた。それは、地水火風を操る元素魔法の理であった。風は火を強め、火は灰を生み土へ還り、土の中の鉄はいつしか水を滴らせ、水はやがて蒸発し風を起こす。それに則れば、エルノアの風の魔法が騎士の魔法を打ち破ることはない。
風を止め、火を使うという手もある。しかし、同じ元素の魔法がぶつかり合えば、より強いほうが勝るのは当然の帰結だ。そして、魔法によって起こった炎の勢いは、明らかにトウロのほうが強い。つまり、魔法戦においてエルノアがトウロに敵う道理はなかった。
自分にはトウロを止める術がない。その無力感にエルノアは歯噛みした。トウロはにじり寄るように距離を詰めていく。
激痛で飛びそうな意識を掴み取りながら、トウロは周囲の仲間達に視線を送る。それは、自分が倒れても目の前の敵を捕らえろと言う合図であった。幾ら状況はトウロが有利でも、自爆したトウロは重症だ。このまま戦って制圧できるかは微妙なところであった。トウロの意図をいち早く組んだレクファタは、剣を構え直し、何時でも魔法が扱えるようにエルディンを発する。
「あなた方は何がしたいのですか! 自らの術でそれほどの傷を負ってまで、何を成したいのですか!」
エルノアにはわからなかった。晴也がトウロに馬乗りになった瞬間、エルノアは勝ちを確信したのだ。これでこの場にいる騎士全員を監視塔に連行し、事情を聞くことができると。しかし、結果はこの通りだ。自らの身を犠牲にしてまでも、トウロは反撃した。つまり、自らの身を焼いてでも、彼らはこの隧道の建設を遂行させようとしているのだ。
「俺が剣を振るうのも傷つくのも、理由は変わらない。ただ、家族を守るためです」
その言葉は立派でも、しかしエルノアには矛盾しているように聞こえる。エルノアにはトウロが何を守ろうとしているのか知らない。しかし、もしこの隧道が通れば、守りたいものすら戦火に焼かれることは確かなのだ。それほどまでに、この隧道の戦略的価値は大きい。
「戦争を起こすことが、家族を守る方法なのですか!?」
「戦争が起きることで助かる奴らがいる。そして、そう言う奴らが俺達を守ってくれる。そう言う手筈になっているんです」
しかし、相手がそれを守る道理もないだろう。それを聞いてエルノアはそう叫びそうになった。南部監視塔の騎士やその家族の身柄全てを引き取るなど現実的ではない。何より、ガグランダ公国がそれをしたところで何ら利益もないのだ。平民の家族など保護したところで食い扶持が増えるだけなのだ。そんな損を、ガグランダがするとも思えなかった。
ふと過ったのはヴァストンの言葉だった。国民が何を想っているのか、エルノアにはわからないのだ。彼らのことを考えてこなかった訳ではない。しかし、その言葉は今ではあまりにも空虚で、こうして目の前にそれが現れなければ、これほどまでに彼らが逼迫した考えをしていたことなど知る由もなかった。
彼らはガグランダの甘言に惑わされてしまうほど、戦争というものに追い詰められていたのだ。
「悪いが、これが最善策だと俺達は考えている。だからエルノア様、ここで大人しくしてください。そうすれば、これ以上のことはしませんから」
二人を取り囲む騎士達が、ゆっくりとにじり寄る。そんな彼らに対して、エルノアはかける言葉を持たなかった。彼らの行いは破滅的であることは明らかだ。しかし、そうまでして家族を守ろうとするその決意に、エルノアは揺らいでしまった。自分達のしてきたことは、民を無下にしたものであったと。そんな人間が、彼らを守ってみせるなどと口にしたところで、その言葉は薄ら寒くしか聞こえない。
そんなエルノアの肩を、立ち上がった晴也が掴んだ。
炸裂した炎に弾き飛ばされ、体を焼かれた晴也は、未だに激痛に歯を食いしばっていた。体を動かせば痛みが強まるように疼き、火傷は体の芯にまで届くようにジワリと痛む。それは晴也には経験のない痛みだった。しかし、それでも、ここは立ち上がらなくてはいけない。そんな強い想いが晴也を立ち上がらせた。
「あんたらの理由はわかった。立派だよ、そう思う。だけど――」
腕が震える。それでも、晴也は力強く聖剣を握れていた。稽古のとき、ジルバに負けるときは木剣を離してしまうのに、今日は力強く握り続けることができた。
「エルノアさんにも守りたいモノがある。あんたらはそれを、ちゃんと理解したのかよッ」
この国を守るために、エルノアは努めてきた。例えそれが、彼らにそぐわないものであったとしても、それが事実なのだ。故にそれだけで失望し捨てるのは早計だ。エルノアと彼らとが守りたいものには若干のずれがあるのかもしれない。それでも、向いている方向は同じなのだ。ならば、向きはそのままに何かする方法もあったはずだ。しかし、彼らはそれを捨てた。
国を守ることは、すなわち誰かにとっての家族を守ることにもなる。しかし、彼らにはそれが信じられなかった。つまるところそういう話なのだ。
「それを理解したところで、俺達の家族は守られるのか。必要な犠牲として捨て置かれるのなら、こちらが先に捨ててやると考えるのは間違いじゃないだろ」
決意を固めた者に対して、説得など無意味。改めて晴也はそれを感じ取った。ここにいる騎士は――少なくともトウロは、国を捨てることに覚悟を持っている。それくらいのことは、痛みで興奮状態にある晴也にもわかった。
一方のトウロも、晴也やエルノアとは意見が合わないことを改めて認識した。王族と敵対する。それは国を捨て、ガグランダに協力すると決めた瞬間から覚悟していたことのはずなのに、いざそのときが来ると躊躇いが生まれていた。しかし、今の問答でその躊躇いは捨てた。王族に――エルノアに守りたいものがあるのなら、それと自分達とは合わなかっただけ。合わないのなら、相対することもまた必定。
痛みで掻き消えそうな意識を燃やすように、トウロはエルディンを発し、炎を起こす。建設中の隧道全体を猛然に燃える炎は、彼の覚悟の強さを表していた。
晴也は聖剣を構えた。魔法など使えない。エルノアの魔法も騎士に対しては役立たない。ならば、聖剣に頼るしかない。
「――頼むぞ、聖剣。お前だけが頼りなんだからなッ」
未だ力を引き出せないそれに、祈るように晴也はそう告げた。なんとも運任せな戦いだ。あるいはこれは、戦いなんて言えるほど高尚ではないのかもしれない。相手が覚悟を燃やしているのに対して、晴也は聖剣に頼ることしかできていない。これほどまでに不均衡な戦いがあるべきではない。晴也はそんなことを思った。
「大丈夫です、シオタ様。あなたなら、きっと」
緊張に震えていた晴也に、エルノアのその言葉は染み入った。
根拠なんてなかった。それでも、エルノアには晴也がこの場に立ち残る姿が幻視できた。何より、晴也にこそ立っていてほしいとエルノア自身が思っていた。それは、自分達王族側に晴也が立っているからなどという無粋なものではない。もっと純粋で恣意的な、味方に勝って欲しいというものだった。自分に寄り添ってくれている晴也に、この困難を打ち破って欲しかった。
「猛ろよ、炎。フィグマッ!」
叫ぶように魔法の言葉を放つと、視界を埋め尽くすほどの炎が壁のように晴也に迫った。あるいは晴也は、それを大きな波のように思っていた。
これほどまでのことを、魔法はすることができる。自分一人では打ち破ることはできないだろう。しかし、聖剣があれば、勝つこともできる。晴也はそれに賭けた。それを信じた。
迫りくる炎の壁。炎よりも先に熱が晴也達の肌を焼く。次第に極光が晴也の瞼を無理やりに落とさせようとし、目と鼻の先に炎のうねりが押し寄せていることに気づいた。
聖剣は、反応しない。
ここまで来て、自分は聖剣の力を引き出すことができない。物語の主人公のように、何か力を引き出すことができない。期待を打ち砕かれた晴也の慟哭がその場に木霊する。
「チクショオオオォォォッ!」
そして、炎は晴也達を呑み込み、全てを燃やし尽くした。
第二十一話を読んでいただきありがとうございます。
次話もよろしくお願いします。




