第十九話
太陽が夜の闇を散らし始めた頃。
晴也とエルノアは、ヴァストンの案内で最寄りの村に向かっていた。
早朝の森は、夜の森と違って視界が開け、歩きやすく思えた。それでも、夜露に濡れた草や、隠れて見えない盛り上がった木の根などは変わらず人の歩みを拒み、必要以上に体力を使う。
何より、そんな道を歩くヴァストンについていくのが辛かった。狩人として森の中など歩き慣れているのか、彼の歩みは早い。それについていくのがやっとで、既に晴也とエルノアは息も絶え絶えと言った様子だった。
「そこを抜ければ道に出る。それを左にずっと行けば村だ」
ヴァストンは正面を指差してそう告げた。その言葉通り、木々の間を通り抜けると、森の合間を馬車道が横たわっていた。
「やっと森を抜けれた……」
木の根に足を引っ掻ける心配がなくなり、思わずそんな安堵の息を吐いてしまう。エルノアも同じ意見か、額の汗を拭いながら僅かに笑みを浮かべた。
「それじゃあ、俺はここで」
「ヴァストンさんは一緒に行かないのですか?」
森の中へ戻ろうとするヴァストンにエルノアが声をかける。
「村と言っても結局街と変わらんさ。生活に魔法が染みついてる。そんな場所に行きたくはないのさ」
そう吐き捨てると、ヴァストンは森の陰へと消えていった。
彼の姿が見えなくなって、二人は村のあるほうへと歩いて行った。踏みしめる地面の確かな感覚と、雑草や木の根に足が絡まらないことが楽で、疲れの見えていた二人の足取りは、先ほどよりも早いものになった。
しばらく道なりに進むと森を抜けた。森を抜けた先には、人の住む建物が散見する村が見える。
ようやく人の営みの息吹を感じ取れた晴也とエルノアの足取りは、より軽いものになり、何時しか走り出していた。
村に近づくと、朝方だというのに村の中は賑やかだった。見れば、建物全体に飾りを付けたり、道の端に蝋燭を灯したり、何かの儀式めいたものを晴也は感じていた。
「お祭り、でしょうか?」
「こんな時間から? 流石に早すぎないか」
村の様子に二人は首を傾げながら村の中を歩いていると、村の中心に人が集まっているのが見えた。
村の中心にある広間には、木材で組み上げられた舞台のようなものがあった。舞台の枠組みには植物や花などで飾り付けをし、見た目は華やかであった。しかし、それを取り囲む村民達の一様に首を垂れ、まるでかしずくようにしていた。
そして、舞台の上にいるのは一人の女性だった。顔には染料で何かを象徴しているような化粧を施し、衣服は裾が地面を引きずるほど長く、きらきらと音のなる金具が至るところに着いた祭服のような物をまとっている。巫女、晴也の中にそんな言葉が思い浮かんだ。日本でも巫女と言えば特定の服を着る。どことなくそれと同種のようなものを感じ取っていた。
「これは、儀式祭ですね」
「儀式祭?」
星詠みの巫女であるエルノアの言葉に晴也がそう訊き返す。
一年の間に、ありとあらゆる事の始まりのときに行う祭りで、舞や供物を神に捧げる儀式を行い、豊穣や越冬、健康。ときには安産祈願などでも行われるもの。エルノアはそう儀式祭の説明をした。
つまるところ、神様の力を借りてより良い一年にしてほしいとお願いする祭りなのだろう。そう解釈しながら、晴也は舞台の上で舞う女性を見る。
舞どころか踊りのことなど全くわからない晴也からすると、とても不思議な動きをしているように見える。姿勢を低くし、何度も舞台を撫でるように手を動かしたり、時に倒れるように横たわったりして、全身をこすり付けるようにのたうち回る。時折肢体が宙を撫でるように態勢が上下したり、胸部を強調するように胸を張ったりと、その様子は神事というには些か淫靡で、晴也は思わず視線を逸らしていた。
「ねえ、儀式って全部こんな感じなの?」
思わず晴也はエルノアに聞いた。思えばエルノアも、聖剣を回収するために儀式をしていたのだ。もしそのとき、エルノアも今舞台で待っている女性のような舞をしていたのだとすれば……。
そんな想像を頭から振り払う。視線を舞台から晴也のほうへ向けてエルノアが言った。
「舞を捧げる儀式は多いですね。特に豊穣や安産祈願などの儀式はほとんどが舞を捧げます」
そう語るエルノアの語調に混じりけはなかった。つまり、彼女達にとって舞台の上で行われている動きは、至極当然で健全なものであると認識しているということだ。そうなると、あの動きを見ていやらしさを覚えた自分に後ろめたさが芽生える。そう言うものを求めていたということか、あるいは単に心が汚れているのか。
「今行っているのは、豊穣祈願の舞ですね。でも、少しするのが早いですね」
「早い? どういうこと?」
怪訝そうな言葉に晴也が首を傾げる。
「豊穣を祈願する儀式を執り行う機会は三度あって、種蒔きの段階で行う第一期と、実をこさえ始めた頃に行う第二期。そして、収穫後に感謝を伝える最終期があります」
「へえ。それじゃあ、これはどの段階の物なの?」
「……おそらくは第二期だと思います。種蒔きは随分前に終わりましたし、収穫はもっと後ですから。でも、第二期の儀式をするには、実りの時期はもっと後なんです」
それは、確かに奇妙だ。作物ができ始めた頃に行うべき儀式を、まだできていない時期に行うとなれば、それなりの理由があるのだろう。確かに妙ではある。しかし、と晴也は首を振る。
「今はそれを調べてる場合じゃない。気にはなるけど、監視塔の騎士達が何をしているのか調べないと」
「……そうですね。儀式が終わったら、村の皆さんに聞いてみましょう。この辺りの方々なら、何か知っているかもしれませんし」
口ではそう言うエルノアはだが、やはりどうしてこの儀式が執り行われているのかが気になるのか、真剣な様子で儀式を見つめる。
真剣な眼差し。その碧い瞳の深さに思わず沈んでいきそうになる意識をどうにか保ち、わざとらしく咳払いをした。
「まあ、事情を聞くくらいなら大丈夫じゃない。問題があってどうこうとかは難しいけど、それくらいの余裕はあると思う」
そう言うと、驚いたようにエルノアは晴也のほうをみて、そして優しく破顔した。
「気を遣っていただきありがとうございます。ええ、それじゃあ少し、聞いてみることにします」
エルノアのその笑みはとても綺麗で、彼女のそんな言葉を思わず聞き逃して、晴也は彼女の顔に見惚れてしまっていた。
舞が終わるまでは随分と長かったように思えた。晴也達は太陽が空に顔を出し始めた頃に村に来て、終わったのは太陽が昼の明るさを地上に届け始めた頃。感覚的には、四時間近く続いたように思える。それが終わると、村民達は一斉に自分の家へと戻っていた。どこか急いでいる様子のある村民達に声をかけることはできず、仕方なく二人は舞っていた女性の声をかけることにした。
「あの、すみません」
舞台から降りた女性に声をかける。長時間、休みなしで舞い続けた彼女の肌は薄っすらと汗ばみ、白い祭服は僅かに透けていた。思わず視線を逸らした晴也に変わって、エルノアが続ける。
「少しお伺いしたいことがあるのですが、大丈夫でしょうか?」
「――もしかして、エルノア様ですか?」
女性の言葉に、エルノアはバツの悪そうな顔をした。
今のエルノアは、黒袖黒穿きの上に頭巾を被って顔を隠している。それでも、鼻や口元は見え、角度を変えれば目元も僅かに見える。エルノアの顔を知っている者が目を凝らせば、彼女がエルノアであることをすぐさま察することができただろう。それでもこの頭巾を使い続けているのは、ヴァストンが彼女の顔を知らなかったためだ。
全ての平民が王女エルノアの顔を知っている訳ではない。ヴァストンが晴也をそう確信させた。しかし、目の前の女性は、顔を隠したエルノアを見て即座に彼女のことを見抜いた。
「……ええ、そうです。どうしておわかりに?」
被っていた頭巾を外し、素顔を晒して女性に訊ねる。膝をつき、頭を垂れてから話し始める。
「これでも巫女として、神殿の末席を汚す身。星詠みの巫女であらせられるエルノア様のことは存じています」
「神殿の巫女でしたか。道理で綺麗な舞を舞うものです」
「勿体ないお言葉」
彼女が神殿の巫女と口にした途端に、エルノアの警戒心が僅かにほぐれたのを晴也は感じ取った。エルノアは司教のグロムウェルに苦手意識を持っているようだったが、神殿という組織自体にはそこまで苦手意識はないのだろう。そう思えるくらいに、今の彼女からは神殿に対しての信頼が窺えた。
「ねえエルノアさん。神殿の巫女って言ってたけど、神殿以外の巫女がいるの?」
「そうですね。王国としては、神殿でしっかりと修練を積んだ者を巫女として認めています。ですが、小さな村で執り行われる儀式には、村で独自に儀式を学んだ者を巫女とし、儀式を行わせる場所も多いのです」
そしてそれは、決して違法という訳ではない。そもそも、この手の儀式も必ずしなくてはいけないという物ではない。場所によっては、略式の儀式で済ませてしまう場所もあったりする。
そう言う意味では、この村は稀有だ。しっかりと神殿に儀式を執り行う申請をし、派遣された巫女によって儀式を執り行っているのだ。つまり、それだけ村としての蓄えがあるということだろう。
「それで、どのような御用でしょうか? 私にできる事なら、何なりとお申し付けください」
「では幾つか。まず、ここ最近の騎士達の動向について教えていただけますか?」
「騎士、ですか? そうですね、私はここの出身という訳ではないので何とも言えないのですが、ここに来てから、よく騎士を見かけるようになりましたね。五日ほどこの村に滞在して儀式の準備をしていたのですが、毎日見かけましたよ」
ヴェストンも巡回が多いと言っていたが、毎日というのはどうなのだろうか。晴也には騎士の仕事がどのようなものか把握できていないため、エルノアの反応を見た。
「毎日ですか。監視塔も近いですし、巡回もしやすいのでしょう」
彼女からは過敏な反応は見られなかった。表情を変えず、女性の言葉を受け流すように答えていた。
「それで、村に来た騎士は次にどちらへ?」
「恐らく、南のほうへ。ここから南には、別の村もあるので」
「なるほど、ありがとうございます」
その話を聞く限り、怪しいことをしているという感じはない。ということは、この辺りで何かやましいことをしているということはないのだろう。
「次に儀式について聞いてもいいですか? 豊穣の第二期をするには、時期が早いような気もするのですが、どうしてこの時期に?」
エルノアがそう訊ねると、巫女の女性は表情を暗くし、視線を別のほうへと向けた。彼女の見るほうに視線を向けると、一軒の民家があった。
木造の一軒家。小さい民家で、同じ木造でも貴光の洞のような王都で主流の物と比べると貧相で、壁や屋根は薄く、隙間も大きく空いてしまっている。しかし、その家が見た目以上に貧相に見えたのは、そこにいる人々が原因だろう。
彼らは一様に暗い表情をしていた。中年の女性は泣いたように腫れぼったい目をし、同い年くらいの男性は何かを忘れるように懸命に何か作業に励んでいた。
「彼らは……」
「レイキシさんのお宅です。先日、若い娘さんが亡くなったんです」
身内の死。そう言われ、彼らの表情に納得がいった。娘が亡くなれば、誰だって暗い顔をする。そんな彼らの悲しみが、彼らのいる家をより暗く貧しいモノに見せていた。
それがあまり良いことでないと思いながら、晴也はその二人を憐れんでしまった。しかし、次に巫女が言った言葉で、晴也の感情は煮え返る。
「この辺りでは、時折行われているんです。人身御供が」
「そんなっ!」
巫女の言葉にエルノアは悲鳴のように声を上げた。その言葉の意味がわからないほど、晴也は無知ではない。人身御供。つまり、生贄だ。
「元より体の弱いお子さんだったらしいのですが、ここ最近は特にひどくて。それで、村で決めたそうです。娘さんを神に捧げ、神の元で過ごさせようと。それが、彼女にとって幸せだと」
「そんなの、体の良い口減らしの口実じゃないかッ」
沸き立つように晴也はそんな風に声を上げてしまった。
この世界にとっての人身御供がどれほどの意味を有しているのか晴也にはわからない。それでも、体の弱い息子を神に捧げるという名目でその命を奪うという、どう考えても人道に反している。
「……人身御供による強力な儀式の履行。確かに、一昔前まではよく執り行われていた物です。特に、凶作の巡りでは、未だに執り行う地域も少なくない。ですが、ここ最近の星の巡りは豊穣を示しています。人身御供をしてまで、儀式を強化する必要はないのでは?」
取り乱すように声を荒げたエルノアは、咳払いをして冷静さを取り戻しながらそう問いただす。その責めるような言い回しを、この村の出身でない目の前の巫女にするのは酷であることは理解していたが、それでも訊ねずにはいられなかった。
「確かにその通りです。しかし、その影響で、近隣の森に棲むヴォンターが出てきて畑を荒らすのです。そのため、年々この村の収穫量は減っているそうです」
それを聞き、思い出したのは昨晩のことだ。双眸を赤く輝かせ、獰猛に襲ってきた獣。そいつから感じ取れたのは猛烈な飢餓感。あの獣なら、確かに豊作の畑に入り込んで、堂々と作物を食い散らくらいはやるだろう。
「それならやはり、神殿ではなく騎士団に討伐依頼を出すべきなのでは?」
「私もそう思います。ですが、ここの方たちはどうにも騎士団に頼りたくないらしくて……」
「頼りたくない? それはまたなんで?」
気になって晴也がそう訊ねるが、巫女もわからないと首を横に振った。
騎士団を頼りたがらない村。毎日のように巡回にでも来れば、多少の信頼は得られるようにも思える。あるいは、騎士の態度が悪すぎてそもそも信頼していないということもあり得るか。
どちらにしろ、やはり村民から話を聞くのが良さそうだ。晴也とエルノアは顔を見合わすと頷き合った。
「詳しいことは村の方に聞いてみてください。私も村の事情まではわからないので」
「そうですね、聞いてみます。……ところで、あなたはこれからどうするのですか?」
「舞台の片付けが終わったら撤収します。けどその前に、レイキシさんのお宅に寄ってこちらをお渡しします」
そう言って巫女が懐から取り出したのはこげ茶色の糸を束ねて作られた装飾品のようだった。綺麗な石や動物の歯牙が糸に通し、余った糸を編み込んで作られていた。
「遺髪品、ですか」
「本来、人身御供として召される方の髪を残すのは良くないんですが、今時こういった形で娘を亡くすのはお辛いでしょうから」
「ええ、それが良いと思います」
そう言って巫女はエルノアに一礼して離れ、同じ神殿から派遣されたと思しき礼服の人間と共に、舞台の解体作業へ勤しみ始めた。
「この国じゃ死んだ人の髪を残すの?」
その場を離れながら、晴也がエルノアにそう訊ねる。
「女性だけですね。昔からそうして死者を想ってきたのです。装飾品にするというのはここ最近の文化ですけど、亡くなった人を近くに感じられると人気らしいですよ」
未だ親しい者の死を経験したことのない晴也には、そこまでして死んだ人を感じたいと思う感慨を、真に理解することはできなかった。日本にいたときですら、生まれる前に亡くなっていた祖母の仏壇に手を合わせる意味がよくわからなかったのだ。
死者を想う。いない人を近くに感じる。そういう感傷に対して晴也は未だ共感できないでいた。
何時かわかる日が来るのだろうか。もし来るのだとすれば、それはもっと後が良い。そんなことを晴也は思った。
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