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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第一章 水平線を望む
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第二話

 何もわからぬまま、手足を縛られ、口枷を嵌められた晴也は、悪臭漂う地下牢に投獄された。

 そんな認めたくない現実から目を逸らそうにも、騎士を名乗る甲冑姿の人間に厳しい尋問をされ、現実を直視せざるを得なかった。

 精神的に参っているなか、暗がりを見つめる瞳は、自分が今起きているのか眠っているのか、その境界さえ曖昧になっていた。それほどまでに、晴也の意識は薄弱となっていた。

 そんな自失状態に近い晴也でも、考えることだけはできた。半ば全てを諦めてしまっているが、それでも、自分が何に対して諦めたのか、それくらい考えなければ、死んでも死にきれないと思ったからだ。

 考えた結果、わかったことがある。それは、ここが異世界であるかもしれないということだ。

 漫画の見過ぎだと、普段なら一蹴するような考えだ。しかし、何度か繰り返された尋問で得られた情報は、そう推測せざるを得ないものだった。

 最初に、尋問を担当した人間は皆、鉄のプレートで出来た甲冑をまとっていた。時代錯誤な装備だと思ったが、腰に佩かれた剣を見れば、それが彼らの正式な装備なのだと察することができた。

 次に人種。顔立ちは親しみやすい東アジア系の鼻の低い、のっぺりとしたものだ。しかし、その頭髪は金色だったり、赤色だったり、緑色だったりと、明らかにアジア人にしては異様なものが多かった。染めているとも考えたが、それにして色が鮮やかで、天然物のように見えた。

 最後に言葉だ。話し言葉は日本語で、互いに意思疎通が図れた。しかし、彼らが用いている文字は見たことのないものだった。言葉は日本語なのに、文字は全く別の物。ここまで来れば、誰だって何かがおかしいと感じることはできる。

 そうして導き出した答えは、ここが異世界であるというものだった。そう考えれば、気がついたら水の中にいた晴也の事情も理解できる。魔法のようなもので、晴也は現代日本から、この異世界の、あの湖の中に召喚されたのだ。

 それなら、もっと丁重な扱いをしてくれてもいいだろう。そんな憤りと恨みが心の内から漏れ出す。しかし、それも次第に収まり、自分では何もできない、という諦めが晴也を自失にまで追いやっていた。

 そんな晴也にとって、そこに現れた人は一縷の光明だった。

 いつも通り、尋問をしに騎士がやって来たのだろうと思った。しかし、部屋の中に入って来たのは二人の少女で、いつもは尋問室とやらに着くまで外されない口枷が、この場で外された。

 何かが違う。そう思ってその少女達をよく見ると、晴也に対してエルノアと名乗った少女が、あの湖で、自分が人工呼吸をした少女だとわかった。

 気品のあるいで立ちは、最後に見た少女の姿とは全く違った。そう思うと、不思議と安堵がジワリと心に溶けていった。

 こんな状況であるが、自分の行いが、誰かを助けることができた。こんな自分でも、誰かを助けることができた。そのことが嬉しかったのだ。

 そのことを告げると、エルノアがどうして塩の柱――あの真っ白な建造物のことだろう――にいたのか晴也に訊ねた。

 答えるべきか、逡巡はあった。どうせ信じてもらえないだろう。そんな諦めが頭を占める中、自分が召喚されたということは、自分を召喚した人間がいるはずだと考えていた。それが、あるいは彼女かもしれない。そんな考えが過った。

 博打は嫌いだ。しかし、それに賭ける以外に、自分が助かる術は残されていない。

 諦め、薄弱とした意識は、ようやく差し込んだ光に手を伸ばすように、エルノアに対して自分が異世界人であることを、晴也は告げたのだ。



「正解だったな」

 体の汚れを落とし、全身に溜まった痛みやら疲れというものをほぐすように、晴也は湯船に浸かっていた。

 自分が異世界人であるとエルノアに説明すると、彼女はすぐさま、晴也の拘束を解き、身を清めるための大浴場の使用を認めてくれた。正直、非常にありがたい申し出だった。何せあの地下牢の衛生環境は劣悪だ。常に悪臭が漂い、食料は残飯以下の凄惨さ、水などは濁り人が飲む代物ですらなかった。

 ただいるだけで汚れてしまうような場所から出て、すぐに湯船に浸かれたのは非常に僥倖だった。

「しかし、どこまで信じていいものか」

 エルノアを名乗った少女は、確かに自分が助けた相手だ。しかし、その横にいた青髪の少女は、塩の柱で自分に剣を突きつけ、よくわからない力で眠らせ、牢にぶち込んだ女だ。ともすれば、信じることは危ういかもしれない。

「けど、他に頼れるような人もいないし……」

 ここが異世界だとすれば、情報が必要になるのは明らかだった。エルダフィート王国とやらの王女を名乗ったエルノアだ。異世界のことを教えてもらうのなら、彼女がうってつけだ。

 今はエルノアを頼ろう。そのうえで、信用できるのなら信じるし、信じられないとすれば、どこかで見切りをつける。

 これからの方針を決めた晴也は、一度思考を手放し、広々とした湯船に潜り込んだ。普段ならマナー違反だとやることはないが、折角の誰もいない大浴場、久々の綺麗で温かなお湯なのだ。全身でその感触を味わいたいと思うのも無理はなかった。

 考えれば、気づいたときには湖の中にいたのだと晴也は思い出した。そして、そのすぐ近くにはエルノアがいた。

 どうして自分が湖の中に召喚されたのか、それが不可解だった。しかし、順当に考えれば、エルノアが晴也を召喚したのだと考えられる。一国の姫というポジションも、らしいと言えばその通りだ。

 まるでファンタジーの物語のようだ。湯船から勢いよく顔を出し、深く呼吸を吸いこみながら、顔に流れるお湯を両手で撫でるように拭いあげた。

 召喚されたのだとしたら何かしら意味があるはずだ。しかし、召喚主らしき少女エルノアの反応を見るに、その自覚はないように思えた。晴也の見当外れという可能性もあるが、そうだとしても、ここに自分がいるのには、何か理由があるのだと思った。

 誰が、なんのために、晴也をここに呼んだのか。何者かの明確な意図があるはずなのだ。

「……考えてもしょうがないか」

 例えそれが自分の意にそぐわないような理由であったとしても、事実として晴也はここにいる。それなら、どうしてを問うよりも、何をすべきかを問うほうが建設的だ。

「――よしっ!」

 どうにもまだ、あの劣悪な地下牢での感覚が体に残ってしまっている。本来晴也は、物事を深く考えるというのが苦手なのだ。

 湯船から立ち上がった晴也は、浴場から上がる。脱衣場には、予め持たされた着替えと、体を拭くタオルが持たされていた。タオルはとても柔らかで、顔を拭っていると、仄かな花のような香りが鼻孔をくすぐった。

 体を拭き終えて、晴也は受け取った着替えに袖を通す。意外なことに、この異世界の衣服は、晴也のいた現代日本と大した差はないように思えた。王女であるエルノアですら、ワイシャツとスラックス姿だ。この世界の正装も、もしかしたらスーツなのかもしれない。そんなことを考えながら、晴也はワイシャツとスラックスに着替えた。

 着替え終えると、晴也はその着心地の良さに驚いた。ワイシャツとスラックスというのは、どうにも堅苦しい印象があった。晴也の学校の制服はブレザータイプで、余裕をもって一回り大きいサイズを着ている。そんな余裕のある制服ですら堅苦しいと感じていた晴也が、この世界のワイシャツとスラックスには、それを感じなかったのだ。

「材質が違うのかな?」

 肩を大きく回したり、屈んでみたりしても、そこまでの窮屈感はない。あるいは、衣服に関してはこちらの世界のほうが発達しているのかもしれない。そんなショックを覚えながら、晴也は改めて衣服を正し、大浴場から出た。

 そんな晴也を待っていたのは、青髪の少女だ。

 腰に佩いた剣を見ると、冷ややかなモノが背筋を伝う。まるで少女が油断ならない存在であることを訴えているようだ。何より、その剣もそうだが、彼女は魔法のような力で、晴也を眠らせたのだから。

 自分の言い分を聞きもせず、地下牢にぶち込んだ相手に、良い印象など抱けるはずがない。それでも彼女は、エルノアに近しいポジションにいる。そのため、あまり目くじらを立てたりはしない。けれど、その内心を穏やかに保つのは容易ではなかった。

「何の用だよ」

「エルノア様が、お前を部屋まで案内せよとおっしゃったので」

 突き放すような晴也の物言いに、その少女は淡々とした声でそう返した。その態度が気に入らない。こんな状況でなければ、きっと晴也は彼女の襟元に掴みかかっていただろう。

「なるほど、それじゃあ案内してくれ」

 横柄な晴也の物言いに、少女は表情を動かすことなく案内を始めた。

 命令に忠実、ということだろうか。それとも、さほど晴也に対して感慨がないのか。どちらにしろ、その少女の態度が鼻についた。

「……これからお伺いするのは、エルダフィート王国が第一王女、エルノア様の居室だ。本来、血縁でもなければ、婚約者ですらない男が踏み入ることなど許されない聖域。くれぐれも、失礼のないように」

 僅かに低い少女の声。言葉の内容とは裏腹に、少女の本心はその低い声音に宿る凄味にこそあるように思えた。

 その声からは、お前のことが嫌い、と言わんばかりの意図を感じる。

「わかってるさ、そんなこと」

 それに返すように、晴也はぶっきらぼうにそう答えた。

 しばらく廊下を歩くと、大きな扉の前にまでやって来た。豪奢な意匠の、重そうな扉。ここにいる者が、大きな存在であると象徴するかのような扉に、晴也は緊張のあまり喉を鳴らした。

 思えば、自分が会話をした――それ以上に、人工呼吸をした相手は一国のお姫様だったのだ。極限の状態とは言え、そんな人にそんなことができた自分は、まるで自分ではないみたいに思えた。

 劇的過ぎる。妄想みたいで気味が悪い。

「エルノア様、例の男を連れてまいりました」

 部屋の中にいるエルノアに対して、少女がそう声をかけた。例の男、と呼ばれて一瞬顔を歪めた晴也だが、思えばエルノアにもこの少女にも、一度も名乗っていないことを思い出した。少女が晴也の名を知らないのは別に構わないが、エルノアに名前を教えていないのは無作法だと晴也は考えた。

 部屋の中のエルノアが「どうぞ」と言った。それを聞くと、ジルバは「失礼します」と一礼してから、大きな扉を静かに開けた。

 王女様の部屋がどんなものか、内心興奮していた晴也だが、目を見張るほどの広さと豪華さだった。

 部屋の広さは約二十畳。個人の部屋とするには広すぎる部屋だ。天井からは煌びやかなシャンデリアが部屋全体を照らし、その光に反射して、壁に施された金細工がその輝かしさを増していた。高価な品がありそうかと言えば、部屋に置かれたテーブルや椅子、天蓋付きの大きなベッド。床に敷かれた青のカーペット、部屋の隅に置かれてあるチェストケースや衣装棚。花が活けてあるガラス製の花瓶。そこにある全ての物が、晴也が触れてはいけないほど高価なものに思えた。

 しかし、そんな目の引かれてしまう高価な品々を前にしても、晴也の視線はある一点に惹かれていた。

「ようこそいらっしゃいました。散らかった部屋ではございますが、どうぞおくつろぎください」

 その部屋の真ん中に佇んだ、空色のドレス姿を着た少女――エルノアだ。

 太陽の輝きを宿した金髪。空の彼方を覗くような碧い瞳。傷も汚れもない白い肌。触れれば折れてしまいそうな細い指先。ほころんだ花のような笑み。エルノアという人間の全てが、この場で何より、晴也が惹かれたものだった。

 あるいは一目惚れというのは、こういうものを意味するのかもしれない。

「お、俺っ、潮田晴也って言います! よろしくお願いします!」

 興奮と緊張を隠そうとしたが、それが上手くいかず、必要以上に大きな声で晴也はそう名乗った。頭を下げたあと、場違いに大きな声だと恥ずかしくなって赤面した晴也は、しばらく顔を上げることができなかった。

「シオタ・ハルヤ様、ですね。変わったお名前ですが、とても綺麗な音です。改めまして、私はエルダフィート王国の王女、エルノア・ラトレーンです。よろしくお願いいたしますね、シオタ様」

 微笑みながらそう名乗ったエルノアの言葉に、晴也は顔を上げた。再び笑みを浮かべた笑みを見て、思わず視線を逸らしてしまった。

「シオタ様、こちらへどうぞ。ジルバ、お茶を用意してくれないかしら?」

 晴也を部屋に置かれたティーテーブルへと招きながら、エルノアはジルバにそう言った。

「承知しました。すぐ侍女に用意させます」

「いいえ、ジルバ。あなたが入れたお茶が飲みたいの」

「しかし、それでは……」

 この場を離れることになる。そう言おうとした言葉を飲み込んだジルバは、思わず晴也の方を見た。そんなジルバの様子を見た晴也も、彼女が何を考えているのかわかり、思わずほくそ笑みそうになったのを必死に堪えた。

「だめ?」

「……わかり、ました。すぐに用意いたします」

 ダメ押しのエルノアの言葉に、ややあってジルバがそう了承を口にし、部屋を出て行った。

 その様子を見送ったエルノアは、一つ息を吐いてから椅子に腰かけた。それを見てから、晴也も椅子に腰かける。

「ごめんなさい、ジルバは私がいないとダメなところがあって。あの子が執拗にあなたを警戒するのも、私のためを思ってのことなんですけど……真面目すぎるんです」

 どこか呆れたようにそう口にするエルノアの様子は、一国のお姫様というよりも、手のかかる妹を持った姉のような印象だった。

 少しだけ、緊張が和らいだように思える。一国のお姫様という異次元の存在から、妹を持つ姉という認識になったからか、鳴り響く脈動が少しだけ弱くなった。

「えっと、真面目なのはいいことだと思います」

 心にもないことを言っている自覚はあったが、それはジルバのことを言っているというよりも、一般的な認識として、晴也はそう言っていた。

「そうなんですけど、あの子は間も悪いから……。彼女は私のことを完璧な存在みたいに思っているんでしょうけど、それに付き合うのは、正直疲れてしまうんです。ですから、隙を見てこうやって彼女を引き剥がして、休憩してるんです」

 話をすればするほど、お姫様という認識が薄まっていく。まるで部活動が苦しいから、顧問の目を盗んで休憩している不真面目な先輩のようだ。そう言う憎めない不真面目さを有している。そう言う部分に、親近感を感じた。

「エルノアさんと、ジルバさん? はどういったご関係なんですか?」

「姉妹のようなものです。血の繋がりはないし、本人は否定するんでしょうけど。幼い頃から、彼女は私の傍付きなんです。騎士になってからは、近衛騎士として、年中私にべったりになってしまって」

 苦笑いを浮かべたエルノアは、言外に大変であると語っていた。

 ご愁傷様です、なんて言葉が口をついて出そうになったのを抑え、晴也も苦笑した。

 互いの間に流れる雰囲気が和やかになったのを感じていると、エルノアはその紺碧の瞳を晴也へと向ける。真剣な色を見せる紺碧の瞳の美しさに呑まれそうになりながら、晴也は背筋を正した。

「先ほどシオタ様は、異世界から来たと仰っていましたが……それは本当ですか?」

「はい。何か証明できるものがあればよかったんですけど、生憎、服以外何も持っていなかったので」

 なんの荷物もない状態で、晴也はこの異世界に出現した。故に、晴也が異世界人であるという客観的な証明はできなかった。

 この場にスマートフォンがあれば話は早かっただろう。甲冑に剣が標準装備なのだ。文化の程度は、晴也のいた地球ほど発達してないのだと推察していた。

 晴也の言葉に対して、エルノアは少し考えるように顎に手をあてがう。そう言った動作一つをとっても、彼女はとても絵になった。その様子に思わず見惚れていると、エルノアは改めて晴也の方を見て言った。

「まだ、シオタ様が異世界人であるとは信じ切れていません。ですが、ひとまずこの場では、あなたを異世界人として見ることにします」

 妥当な対応だと感じた。そもそも、いきなり現れた人間が、自分は異世界人です、なんて言われて、普通は信じない。そう考えれば彼女の対応は、妥当の中でも僥倖と言える。

「そのうえで、再びシオタ様に質問があります。あなたは何故、エルンティカに現れたのですか?」

 その質問をされる予感はあった。そもそも始まりからして、エルノアらこの世界の人々は、晴也の存在を理解できていなかった。つまり、異世界人の存在を想定していなかったことになる。すなわち、晴也は何らかの意図があって召喚されたわけではないということだ。

 エルノア達からすれば、晴也は突如現れた男。晴也側の意図であの場に現れたと考えているのだろう。そして、事実その通りだ。

「……正直、それはこっちも知りたいところなんです。どうして俺があそこにいたのか。てっきり、こっちの人が何かをした結果だと思ったんですけど」

 その考えは、そう考えるのが一番順当であるという理由でしかない。しかし、そうでないとすれば、どうして晴也がここにいるのか。何者がここに呼んだのか、疑問は尽きない。

「それはつまり、シオタ様には世界を移動する意図はなかったと?」

 入念に確認するように、エルノアが晴也にそう訊ねる。それに晴也は首を縦に振った。

 それを聞いたエルノアは、何かを悟ったように表情を強張らせ、心を落ち着かせるかのように深く呼吸をした。

 晴也が意図してこちらの世界に来たのではないとして、何が彼をこの世界に招いたのか。エルノアには心当たりがあった。言うまでもなく、聖剣と塩の柱。もっと言えば、それを顕現させるために用いた儀式。それが、彼をここに招いてしまったのかもしれない。

 もしそうなのだとしたら、晴也がここにいるのは、明らかにエルノアが原因だった。そう考えるのが、最も無理のない理由だ。何せ神様は、全能であるのだから。

「シオタ様、改めて無実の罪で地下牢に投獄してしまったことを謝罪いたします。申し訳ございませんでした」

 冤罪、という言葉に日本人は敏感だ。もし自分がそうなったとき、晴也はそれを必死に訴えると決めていて、事実そうした。それでもどうしようもなくて、半ば晴也は諦めていた。

 改めて謝罪をされて、晴也が抱いた絶望が晴れる訳ではない。相手がお姫様でなければ、文句も言っただろう。しかし、例え相手がお姫様でなくとも、真摯に頭を下げられれば、そんな文句も引っ込んでしまう。

「別に、いいですよ。二度とこういうことがなければ」

 少し突き放すような物言いで晴也はそう言った。真に許したかと言えば別だが、少なくとも目の前のエルノアに当たるのは違うと思ったのだ。

 晴也の言葉に、エルノアは「ありがとうございます」と頭を下げた。何度も頭を下げられると、自分が悪いことをしているように思えて、少しいたたまれない気持ちに晴也はなった。

「それでは」と頭を下げていたエルノアは、頭を上げて続けて言った。「次は今後の話をいたしましょう」

 晴也にとってはそれが本題であった。

 この世界でどうやって過ごすか。例え元の世界に帰るにしても、帰るまではこの世界で生活しなくてはならない。しかし、晴也はこの世界の常識すらも知らない。そんな人間が、一人で生きていくのは不可能だ。

「本来、あらぬ罪によって投獄された者は、その事実が判明次第、すぐさま身柄を解放するのですが……」

「俺にはこの世界に、帰る場所がないですから……」

 晴也の言葉にエルノアは首肯した。

 解放されたところで、野垂れ死ぬのが道理だろう。晴也の感覚的には、この国で晴也の生活を保障して欲しいところであったが、それができるような法の下にあるのかわからない。

 未だにこの国が信用に値するかはわからない。しかし、エルノアという少女は信用に値すると思っていた。彼女との繋がりが途切れるのは、晴也にとって痛手だ。

「正直、このような事態は想定外で、私もどのような対応をするべきか悩んでいます。しかし個人的には、シオタ様の生活を保障したいと考えています」

「本当ですか!?」

 その申し出はありがたい。しかし、それが実現するかどうかはわからない。そう物語るように、エルノアの表情は暗かった。

「シオタ様を我々、つまりエルダフィート王国が保護するには、どうしても上役の許可が必要になります。そして、許可を出させるには、シオタ様に保護するだけの価値があると見出させるしかない」

 エルノアは非常に言い辛そうにしながら、しかし、事実を口にした。

「価値か……」

 正直、そう言うことに対して晴也はあまり自信がない。自分よりも誰かのほうが上手くできる。晴也はそんな考えを持っていた。事実、頭の回転が早い訳でもなければ、運動神経が良い訳でもない。何か秀でた技能がある訳でもなく、のめり込めるような趣味すらない。ただ惰性に生きているに過ぎない人間だ。そんな人間に価値を問われても、何も示すことができない。

「私が一言言えば、考えては下さるでしょう。けれど、結局決めるのは議会、そして国王です。シオタ様を保護する価値がないと貴族諸侯や国王が判断すれば、それを覆すのは難しいでしょう」

 難問だ。まさか異世界に来て、自分の価値云々を問われるとは思わなかった。

 これが物語の世界であれば、自分には何らかの力が宿っているのだろう。しかし、それはあくまで、それを目当てに呼ばれた場合だ。事故でこの世界に来た晴也に、そんな都合のいい力があるとは思えなかった。

 しかし、ここで何かを示さなくては、文字通り晴也は放り出される。それだけは絶対に避けなくてはいけない。

 考えるのは得意ではない。それでも晴也は必死に考えた。自分には何ができるか。この世界にとって、自分はどのような価値を与えられるか。

 そこで、ふと思い出したことがあった。それが、晴也には天啓に思えた。

「――聖剣」

 それを口にすると、エルノアは目を大きく見開いた。

 晴也はそれが、どういう物なのか知らない。しかし、確かに地下牢で、エルノアはその単語を口にしていた。どうして聖剣の近くにいたのか、と問うたのだ。

 もはやこれは、思い付きに過ぎない。聖剣というくらいなのだから、誰にでも扱えるような代物ではないだろう。もし、それを晴也が扱えたのなら。あるいは、晴也があの塩の柱でみたブロードソードが聖剣なのだとして、未だあそこに突き刺さったままだとしたら。それを、自分が引き抜けたとしたら。

 妄想だ。しかし、今はそんな妄想に賭けるしかないと思った。

 聖剣と塩の柱と晴也。その関係性は未だわからない。けれど、それらに何らかの関係があるのだとしたら。エルノアの中でそんな可能性が芽生えていた。

 聖剣は未だ、何人も引き抜けない。しかし、聖剣と共に現れた晴也ならばどうだ。あるいは、晴也を調べることで、聖剣と共に現れた塩の柱が何なのかわかるのではないか。

 様々な可能性がエルノアの頭に過る。そして、その可能性が事実であれば、晴也という人間には、大きな価値が存在する。

 異世界人である晴也が聖剣を引き抜く。可能性は低いが、同時に最も高い可能性でもある。エルノアはそう考えた。

「……これなら、行けるかもしれません」

 その言葉を聞き、互いに視線を合わせた二人は、何となく同じことを考えていたことを察した。理屈ではなく直感だ。親しい間柄でもないのに、そんな感覚に抱いたことがおかしくて、エルノアは思わず笑みを零した。それに釣られて、晴也も笑った。

「――失礼いたします。お茶をお持ちしました」

 二人が笑い合うなか、扉をノックしたジルバが、二人分のティーカップとお茶の入ったポットをトレイに乗せて部屋へと入って来た。そして、二人が笑っているのを見て眉尻を上げるのだった。


二話を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。

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