第十五話
晴也が目を覚ましたのは、翌日の昼頃だった。
鈍痛が頭の中に響く。生まれて初めての激痛に呻きながら、どうにか体を起こした。
呆然と一点を見つめながら、晴也はここがどこなのかを思い出す。そう、昨日は確か、聖剣を移送するために、魔法研究所という場所へ向かっていたのだ。その道中で、南部監視塔という場所で泊まり、そこで食事をとって……そこから先を、晴也は思い出せなかった。
辛うじて覚えているのは、やけに食事が楽しかったことだろうか。エルノアやジルバにやたらと色々な話をしていたような気がする。そんなことを思いながら、晴也はゆっくりとベッドから降り、脇に置いてあった水差しの水を飲んだ。
生温い水だが、それでも頭の痛みを僅かに和らげるようだった。
「……今、何時だ」
そう呟いて、思わず時計を探してしまう。しかし、エルダフィート王国には時計なんて存在しない。時間を確かめる術は、太陽の位置を見ることくらいだった。
寝過ごしたときのような体にのしかかる倦怠感。体感したことのない頭の痛さ。わからない時刻。それらが、寝起きと頭痛で鈍っている晴也の思考を加速させ、焦られた。
もしかしたら、寝坊したかもしれない。
晴也は慌てて、身に着けていたワイシャツとズボンの皺を伸ばし、手櫛で寝ぐせだらけの髪の毛を撫で、椅子の背もたれにかかっていたジャケットに袖を通し、聖剣を佩いて部屋の外に駆け出た。
外に出て馬車の元にまで行くと、そこにはジルバの姿があった。よりにもよってジルバと会うとは運が悪い。そう思いながら、晴也はゆっくりとジルバに近寄って声をかけた。
「えっと、おはよう。ジルバ」
そう挨拶をすると、ジルバが振り向く。
「随分遅い起床だな。こんにちは、だ」
そんな皮肉を挨拶に盛り込むが、彼女の声音は穏やかな物だった。晴也はてっきり、寝坊したことに怒り散らしているとばかり思っていたが、意外だった。
「怒って、ないのか?」
聞かなければいいものを、気になった晴也は思わず聞いてしまった。口にした後にそれが悪手であったと自覚した晴也は、慌てて言い繕おうとしたが、それよりも先にジルバが口を開いた。
「まあ、順当な日程であれば怒っていたが……問題が発生してはな。怒るものも怒れないさ」
「問題? 何かあったのか?」
そう訊ねると、ジルバは顎で馬車のほうを指示した。そちらのほうを見ると、晴也達が乗って来た馬車があった。しかし、昨日とは違い、車輪がひしゃげ、車軸がぽっきり折れて横転していた。
「な、どういうこと?」
「こちらが聞きたい」
流石に事故とは言い難かった。車輪の一つが曲がりひしゃげていたというのなら理解できるが、四輪全部となると些か奇妙だ。しかも車軸まで折れているとなると、人為的と思わざるを得なかった。
「今はエルノア様とエルメリア様が、第二騎士団の面々と共に騎士や御者の聴取を行っている。この様子となれば、流石にな」
一体誰が、なんのためにこのようなことをするのか。晴也は少し不穏なものを感じ取り、思わず腰の聖剣に手をあてがう。
聖剣の護送。騎士であれば誰もがそのことを知っているはずだ。そして、聖剣はエルダフィートの希望だ。しかし、目の前に起こっていることは、まるでそれを阻もうとしているように見えた。
敵。そんな言葉が脳裏に過って、晴也は思わず身震いをした。
「……ところでお前、体は大丈夫なのか?」
馬車のほうを見ていると、そんな風にジルバが労りの言葉を投げかけてきた。いきなりのことに驚いて、晴也はジルバのほうを見てしまう。
「えっと、どういうこと?」
「いや、昨日随分と飲んで倒れただろ? 怪我はなかったけど、二日酔いとかしてないのかと思って」
それを聞いて、晴也は昨晩の食事のことを思い出した。
料理は質素な物で、城で食べた物のほうが美味しかった。しかし、初めて飲んだ酒は、体を包む重いものを剥ぎ取ってくれるような開放感を得られた。それがまた楽しくて、快感で、初めての酒は随分と速いペースで飲んでいた。
エルノアやジルバに何を喋ったのかまでは思い出せなかった。しかし、今思えば二人とも随分と困っていたように見える。
そして、いきなり記憶が途切れる。つまるところ晴也は、初めて飲んだ酒に興奮して、加減もわからず飲み続けて、酔い潰れたのだ。
「もしかして、覚えてないのか?」
「……今思い出した」
どうやら晴也は、酔っていたときのことをある程度覚える体質のようだ。
恥ずかしい。情けない。そんな思いが晴也の中でこんがらがり、終ぞ膝を挫かせた。
「お、おいっ、ホントに大丈夫なのか?」
「いっそ、首を切ってくれ」
「いや、別にあんな風に酔うのは騎士の間じゃ割と多いから、別に誰も気にしてない」
「……ホントか?」
「ああ。だが、誰にでも接吻しようとするのは止めておいたほうがいいぞ」
ジルバのその言葉に、内側に亀裂が入ったような音が木霊した。
*
もし、馬車の損壊が何らかの意図を以て行われていたのなら、反逆罪や国家転覆罪に問われる可能性がある。
エルノアは王族として、犯人がどうしてそれをしたのか理解し、公正に裁かなくてはならない。それが、王位継承権第一位であるエルノアの義務であった。
しかし、エルノアは今その場において、疎外感のような物を感じていた。
現在、執り行っているのは監視塔の責任者であるアズロー・クレイヴェス・デリフェンの聴取であった。監視塔の狭い尋問室で行われる聴取は、本当に尋問をしているようで、僅かに息苦しさを覚えていた。
「――改めて問う。クレイヴェス・デリフェン、貴様は王族専用馬車の損壊に関与していないのだな」
アズローに対してグライダムがそう訊ねる。それに対して、アズローは明朗な様子で応える。
「はい。昨晩は遅くまで報告書を書いておりました。終わり次第、私はすぐに寝室で横になってしまったので、犯人が犯行に及んだ頃もわかりません」
グライダムのその問いにアズローが答えたのは、既に三度目だった。念を押しているということなのか、あるいは何か確信があってアズローに対してこのような聴取をしているのか。そんな疑念がエルノアにはあった。
何よりエルメリアの存在だ。普段の彼女であれば、この手のことに興味を示さないはずだ。しかし、今回はどういう訳か、自ら率先して聴取に同席している。そして、それを当然のことのようにグライダムと、記録係のシャーンは認識している。
「私から良いでしょうか?」
どのような意図があるにしろ、同じ内容の問いに答えさせるのは酷だ。まだアズローが犯人と決まった訳でもないというのに。故にエルノアはそう口にした。
「クレイヴェス・デリフェン。あなたが馬車の損壊に関与していないことはわかりました。では、犯行に及びそうな騎士に心当たりはありませんか?」
三度の問いに対して答えを変えなかったのだ。ならば、別の方向から攻めていくのが道理だろう。エルノアの質問に、アズローは困ったように首を傾げる。
「いいえ、私の部下にそのような不敬を働く者はおりません。……外部の人間、とは考えられないのですか? 例えば、第二騎士団の面々など」
それはきっと、アズローなりの意趣返しなのだろう。しかし、それに過敏に反応した者がいた。
「へえ、あなたは我々の中に敵がいると?」
シャーンだ。表情にしている優し気な笑みとは裏腹に、声には凍てついた鋭さが宿り、明確な敵意が刃となって肌を切り裂く。
花の騎士。シャーンがそう呼ばれていることを知っている。笑みを浮かべて人を引き寄せ、敵意の棘を以て敵を穿つ。そんな様子が、蔓に棘を有するラトバーの花のようであることから、そう呼ばれるようになった。
今のシャーンは、正しく棘であった。花弁の陰に隠れる鋭い棘。それが刺さったように、アズローの表情に僅かな動揺が見えた。
「いや、その……」
「ええ、あなた方第五は、第二のことをご存知ないのも無理はありません。何せ、合同での任務などほとんどありませんからね。ですが……その程度のことで犯人などと言われるのは、心外ですね」
シャーンと面と向かっていないエルノアにも伝わる圧力。突きつけられるような敵意の刃。突き刺さる言葉の棘。それらがエルノアを震わせ、竦ませていた。
「シャーン、同じ騎士なんだから、そんなにトゲトゲしちゃダメだよ」
そんな棘を意図もしないかのように、エルメリアの声が包み込む。すると途端に、場を支配していたシャーンの圧が収まり、体の震えが収まる。
「それに、シャーン達第二騎士団も、彼と同じように第五騎士団の南部監視塔の騎士を疑っている。どっちもどっちじゃない?」
「それは、そうですけど……」
エルメリアの言葉に、シャーンの語尾が弱り始める。確かにその通りだが、これも第二騎士団の仕事なのだ。そう諫めようとエルノアが口を開こうとして、先にアズローが言葉を発した。
「その通りです。むしろ、要所要人を守るのがあなた方の仕事。だというのに、王族専用馬車を損壊させるに至らしめたのは、あなた方の怠慢ではないですか?」
エルメリアという味方を得たためか、ここぞとばかりにアズローが責め立てる。しかしエルノアには、ことの趨勢がアズローに傾いたとは思えなかった。むしろアズローのその言葉によって、エルノアの知らないところで、何かが致命的になったようにも思えた。
「怠慢ね」
そう呟いたエルメリアの表情は笑っていた。しかし、エルノアにはその笑みが恐ろしく見えた。考えの先が見えないその様は自分の父親と重なり、思わず首を振ってしまう。
「そう言えばアズロー。あなたのところの騎士、本来の職務にない仕事をしてないかしら?」
「……なんのことでしょうか?」
「えっとね、昨日ここに来たとき、泥だらけの鎧の騎士が外から帰ってくるのを見たの」
「周辺の巡回から帰って来たのでしょう。もしかしたら、野生の獣が群れを成していたのかもしれません」
「へえ。監視塔に配属されるほどの精鋭が、今更獣の群れ程度に、泥まみれにされちゃうんだ」
「……先ほどから、一体何なのですか? これは、馬車の損壊に対する聴取ではないんですか?」
アズローの助けを求めるような視線が、エルノアに向けられる。エルノアも、エルメリアが何をしたいのか全くわからなかった。
グライダムやシャーンに視線を向けてみるが、二人がエルメリアを咎める様子はない。つまり、エルメリアがこのような行動に出ることは織り込み済みということだろう。
となれば、エルメリアの言った監視塔騎士の職務にない仕事が焦点になる。あるいは第二騎士団は、そちらのことを調べているのかもしれない。
エルメリアの中で何かが繋がる。今回の聴取が、馬車損壊ではなく、監視塔騎士の仕事への監査ないし尋問が目的であったとする。しかし、何らかの理由でそれを表立って行うことができない事情がある。その場合、どのように動くのが効率的か。
この場には王族がいる。その身分を利用して、逃げられなくするのが効率的だ。
王族専用の馬車が何者かに損壊されたとなれば、騎士であれば身の潔白を示すために、この聴取を受けなくてはならない。逃げ場のないこの尋問室におびき寄せることができる。
そこまで考えると、自ずと答えが出てくる。すなわち、馬車の損壊は監視塔の騎士でも、外部の人間でもない。エルノアらとともに来た、第二騎士団による自作自演だ。
そして、それは一介の騎士が決断し行えるようなものではない。王族自らの指示がなければ、騎士は王族専用馬車の損壊などしないだろう。つまり、全てはエルメリアの策略。エルメリアと第二騎士団が手を組み、南部監視塔の騎士の何かを探っている。
そのことを知らされていなかったのはエルノアだけ。エルノアだけが、何も知らなかった。
*
馬車が壊れたために、魔法研究所へ向かうのを先送りにするらしい。
ジルバからそう聞かされて、思わず晴也は首を傾げた。
王族は王族専用の馬車に乗らなくてはいけないという決まりがあるのならしょうがないのかもしれないが、別にそういう訳でもない。何より、戦争が起こるかもしれないという時分に、随分と悠長な考えだとも思った。
監視塔には幾つか馬車があるのを晴也は見た。それを借りて研究所まで向かえばいいだけの話だ。普段のエルノアならば、そう言う選択をしてもおかしくない。しかし、その選択をしないということは、何か問題があるのだろう。
「いや、考えてみれば王族の物を壊したんだから、反逆とかそう見なされるのか」
自分の部屋のベッドで横になりながら、晴也が気づいたようにそう呟いた。
そもそも、王族の馬車を壊すことにどんな意味があるのだろうか。聖剣を研究所に届けるのを止めることができるというのもそうだが、それを監視塔の中でやるというのは中々にリスキーだ。何より、昼夜問わず監視のいる監視塔の中に容易に入れる人物が犯人だと言っているようなものだ。すなわち、内部犯である可能性を強く示唆する。
それでも馬車を壊したということは、それだけ何らかの意図があったということだ。現在のエルダフィート王国の向きと対立している考えをしている人物の意図が。その意図とは果たして何か。何が、王族と対立しているのか。
「……考えてもわからん」
考えれば考えるほど、晴也の頭はこんがらがっていく。考えを広げるのは得意でも、それを一つにまとめることは苦手なのだ。
ベッドから起き上がった晴也は、部屋を出る。行き詰ったら体を動かすに限る。そう考え、晴也はここ最近の日課である剣を振る練習をすることにした。
騎士から木剣を一振り借りた晴也は、屋外に出て構える。剣は諸手に持ち、右足を拳一つ分ほど前へ出す。呼吸は吸うことを意識、吐くのは無意識に任せる。前を見る視界は広く、前だけではなく左右も意識する。
右足を軸に、剣を振る。姿勢を戻し、再び振る。そうやって素振りを何度か繰り返す。最初は緩慢とした動作しかできなかったが、随分と剣を早く振り回せるようにはなった。
剣を振る強さとは早さなのだと、ジルバは語った。早ければ早いほど、重い剣に力が増す。故に、遅い剣など羽虫が肌を撫ぜるに等しい。
それがこの世界で剣を担う者の常識だった。故に、この世界の剣術は、剣を早く振るうことに重きを置いている。
単純だと思った。しかし、晴也にはそのほうがわかりやすい。とにかく早く振るうことが強い剣。その至極単純な摂理を晴也は気に入っている。むしろ、足運びだとか間合いの選び方だとか心の在り様などを説かれても、晴也の呑み込みはもっと遅かっただろう。
地面と垂直に振り続けていた晴也は、次に水平に剣を振るい始める。右から左へ振るう。左足を前へ出し軸にして左から右へ。一歩戻って軸を入れ変え再び右から左へ。それを繰り返す。体の軸を常に意識し、刃をまっすぐ立てて素早く剣を振るう。
何十と繰り返すと呼吸が乱れてくる。それを無理にでも整え、再び最初の形に戻る。
最初の頃に比べれば、随分と様になったようにも思える。動きも自然に行えるようになった。それでも、それはあくまで形だけのことだ。実際にこれを戦いでやろうとすれば、少し前のジルバとの稽古のように、滅多打ちにされる。
人を前にすると、どうしても練習通りにできなくなる。それはきっと、自分のペースという物を相手に持っていかれるためだ。今の素振りは完全に自分のペース。自分の呼吸でできたが、戦いは自分一人でするものではない。必ず敵がいるのだ。
きっと戦いというのは、如何に自分のペースを相手に押し付けるかという物なのだろう。ジルバとの稽古で、晴也は初めてそれを実感した。
膂力ではない。技でもない。経験と研鑽の収斂こそが、戦いの基盤となる。晴也にはそれがまだない。ゆるぎない呼吸やペースというものを、晴也はまだ掴み兼ねていた。
無心に素振りを続け、何時しか晴也の汗が地面に染みを作っていた。
呼吸を整えようとしても肺は大量の酸素を求めて活発に動く。前に屈みそうになるのを堪えて、空を見上げるように晴也は体を休ませる。
思えば、日本にいた頃はこんな風に自分を鍛えようなどと思ったことはなかった。それを考えれば、こちらに来てからの晴也は随分と健康的に思える。
「素振りか。性が出るな」
晴也の様子を見ていたジルバが、そう声をかけ、晴也に手ぬぐいを渡した。それを受け取った晴也は、汗を拭い始める。
「ずっと部屋にいると暇だからな。それに、息が詰まりそうだ」
監視塔は石造りで、部屋の壁も石がむき出しになっている。石の冷たく重苦しい質感に、晴也はどことなく牢屋を思い出してしまう。あちらはレンガ造りだったが、部屋にいて覚える閉塞感は似たようなものだ。
そんな部屋にいるよりは、外で体を動かしていたほうがいい。そう思わざるを得なかった。
「そうか。だが、昨日は随分飲んでただろ? 体のほうは大丈夫なのか?」
「ん? ああ、起き掛けは辛かったけど、だいぶ良くなったよ」
起きたときに感じた、二日酔いと思しき頭痛は、今はなりを潜めていた。体調が万全になったのも、こうやって外に出て運動をする気になった要因の一つだ。
「それで、何か用があったのか?」
「ああ、いや……そういう訳ではないのだが」
晴也の質問に、ジルバは何か躊躇うように視線を逸らした。いつも厳しい態度を取るというのに、その煮え切らない態度に晴也は首を傾げた。
「なに?」
改めてそう追及するが、ジルバは口を開こうとしない。わざわざ声をかけたということは何か用事があるのだろう。しかし、それはジルバの良しとするものではないのだろう。
そんな風に考えていると、ジルバが意を決したように晴也のほうを見た。
「もしお前のところにエルノア様が来て、何か頼みごとをしたら、きっぱり断ってくれ」
「はあ?」
いきなりそんなことを頼まれて、思わず晴也は間の抜けた声を出してしまった。
流石に意味がわからない。エルノアに何か頼まれたら断れというからには、何かしら意味があるのだろうが、ただそれだけ言われたのでは納得できない。
「なあ、何かあったのか? それだけ言われても、はいそうですかっていう訳には……」
「それは――」
ジルバが事情を説明しようとしたところで、彼女の背後から声が響いた。
「ジルバ!」
そう名を呼んだのは、ジルバの主であるエルノアだった。眉間に皺が寄り、大股気味に歩いて来る姿は、明らかに苛立っているのが伺えた。
「え、エルノア様」
彼女の姿を見てジルバが、たじろぐ様にそう彼女の名を呟いた。まるで想定外であると言わんばかりのその様子に、晴也はただならぬ物を感じた。
「ジルバ、私お願いしたよね。シオタ様を呼んでって」
「は、はい。だから、こうやってこいつの元に」
「でも、何時まで経っても戻らない。挙句、シオタ様に何か良からぬことを言っていたでしょう」
「け、決してそのようなことは……」
なんという地獄耳だ。まさか、晴也とジルバの会話が聞こえたというのだろうか。エルノアがやって来たのは、監視塔の兵舎だろう。聴取を行っていた尋問室はそこにあると晴也はジルバから聞いていた。そこから今さっき出てきたとしても、二人から兵舎まではおよそ五メートル。そこから晴也達の会話を聞き取るとなると、驚くべき聴覚だ。
「もういいわ。ジルバ、あなたは下がりなさい」
「しかし」
「いいからっ!」
いつになく強気のエルノアの物言いに、ジルバはその場を後にした。
普段と違い、どこか苛立ったような様子に晴也は驚きながら、恐る恐る訊ねる。
「えと、エルノアさん? どうしたの、そんなにカリカリして」
「……シオタ様にも、私が怒っているように見えますか」
そんなエルノアの質問に、晴也は首を縦に振る。それを見て、エルノアが深く溜息を吐いた。
「別に、怒っている訳ではないんです。……確かに、気分が良くないのは認めます。けれど、それは怒りいうものではないのです」
どこか自嘲するようなエルノアに笑みを見て、そんな顔をするエルノアは見たくないと思った。
「……何かあったの?」
そんな言葉が口をついて出た。するとエルノは、晴也の手を掴み、そしてまっすぐ晴也のほうを見た。
「お願いしますシオタ様! 何も言わず、私に力を貸してくださいませんかっ」
ジルバの言う通り、エルノアは晴也に頼みごとをしてきた。何をするのかまではわからない。ジルバはこれを断れと言っていたから、余程のことなのだとは思った。けれど、エルノアにまっすぐ見つめられる晴也に、物事を深く考えろなどというのは無理難題であった。
「お、俺にできることなら、喜んで」
深い海のような瞳に魅入られた晴也に、エルノアの頼みを断る選択肢など、浮かびすらしなかった。
第十五話を読んでいただきありがとうございます。
次話もよろしくお願いします。




