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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第二章 そして錨が上がる
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第十四話

 いつの間にか夕闇に星がまばらに見える頃になった。

 休憩をはさみながら進むが、一向に街は見えない。代わりに見えてきたのは、無骨な石の壁に取り囲まれた、塔のような建物だった。

「あそこは?」

「あそこは監視塔です。侯爵領に入る手前には、必ずあのような軍事拠点があるんです」

 軍事拠点という言葉に、思わず生唾を飲み込む。

 戦争という言葉が出る度に、晴也の心はざわついていた。それでも最近は、その言葉を聞き流すことができていた。しかし、軍事拠点ともなれば戦争の気配が他よりも濃いだろう。そんな場所で、果たして自分は平静を保てるのかわからなかった。

「今晩は南方監視塔に泊まり、明朝に再び進みます」

「やっぱり、そうなるよね」

 現代日本から来た晴也は、夜中に移動するというのは特別な物ではなかった。しかしそれは、様々なインフラの整備が整い、尚且つ夜でも常に街灯が輝いているためだ。それらのない夜はとても暗い。目をいっぱいに開いても周りの景色も見えないほどに。

「何か不都合がありましたでしょうか?」

 晴也の反応にエルノアがそう訊ねる。何でもないと答えようとするよりも先に、ジルバが答えた。

「大丈夫です、エルノア様。こいつはまだ、戦いの気配という物に怯えてるだけですから」

「べ、別にそういう訳じゃ……」

 ジルバの図星を突かれて、思わず晴也はそう反駁する。そんな二人の様子を見て、エルノアは驚いたように目を開いた。

「勇者様とジルバは、とても仲が良いのね」

 同じように二人を見ていたエルメリアが、微笑みながらそう口にした。

「エルメリア様。そういう訳ではございません」

 慌てたようにジルバがそう否定し、晴也もそれに続く。

「そうですよ! 遠慮なく木剣で殴りつけるような奴と仲がいい訳ないでしょ?」

 いくら望んでジルバと稽古をしたからといって、容赦なく殴りつけてくるような相手に好感が持てる訳がない。とは言え、最初の頃よりもお互いに打ち解けているのは事実だ。片や無実の罪で牢獄に入れられた者。片や問答無用で牢獄に入れた者。そんな二人が隣り合ってもいがみ合わない間柄になっただけ進歩している。

「ふふっ、そういうところがとても仲良しに見えるんです。ねっ、お姉さま」

「……そうね。ジルバとシオタ様、とても仲良しに見えるわ」

「え、エルノア様まで」

 些かエルノアのその言葉にまで、ジルバは噛みつかなかった。それほどまで、自分とジルバは仲良く見えるのだろうか。そんな疑問を晴也が抱いていると、馬車が止まった。御者の「着きました」という言葉に、ジルバが即座に馬車の扉を開けた。

 最初にエルノア、次にエルメリアがジルバの手を借りて馬車を下り、それに続いて晴也が馬車から飛び降りる。

 軍事拠点と言うからには剣呑な雰囲気なのかとも思ったが、実際はそうでもなかった。見回りか訓練かを終わらせた騎士が、鎧を泥だらけにして開かれた門から疲れ切った様子で入ってくる。塔の周りに併設された建物の小窓からは明かりが漏れ、そこから団欒する声も聞こえる。

 少なくとも、常在戦場といった心持ではないようだ。

「お待ちしていました、両殿下。何もないところではありますが、精一杯のおもてなしを致します」

 晴也達が乗って来た場所の前にいた一人の騎士がそう頭を下げた。

「出迎え、ご苦労様です。アズロー」

「ごめんね。急にアタシまで行くことにしちゃって」

「いえ、南部監視塔は平地にありますので、敷地が広いですから」

 笑ってそう言うと、アズローは早々に晴也達をこれから泊まる部屋に案内した。

 軍事拠点でありながら、賓客が泊まるための部屋が幾つかあることに驚いた。エルノアとエルメリアに一室ずつ。そして晴也に一室。ジルバは他の騎士と同じように、集合寝所で眠るらしい。

「ふぅ、剣って割と重いんだな」

 腰から下げていた聖剣を取り外した晴也は、それを壁に立てかけて思わずそう呟いた。

 聖剣が離れるとどういう訳か落ち着かないのだが、四六時中腰から下げているには邪魔だった。腰を捻って筋肉をほぐすと、晴也は一度ベッドに寝転がった。

 ずっと剣を佩いていたということ以上に、ずっと馬車に揺られていたというのが一番晴也を疲れさせた。何度か馬車に乗って酔うことはなくなったが、ずっと座っている姿勢で、しかも車輪から伝わる振動がダイレクトに伝わる馬車は、長く座っているのはつらかった。

 実家の軽自動車のシートが随分といいもののように思えて苦笑いを浮かべてしまう。

 部屋に備え付けられた窓から外を覗く。周囲を壁に囲まれているここからは、遠くの景色までは見えない。それでも、空を見ると、藍色に染まり星が散り始めた夜空が見える。

 満天の星空は、何もわからない晴也には不変のものに見える。しかし、その星の配置が、魔法に何らかの影響を与えるのだという。特に神覧巡りという星の配置は、世界から世界へ人を飛び越えさせるほどの力を人間に与える。

 星座のようなものだと晴也は考えた。晴也がこの世界にやって来たあの日は、丁度神覧巡りの星座が人の目に見えるときだったのだろう。

 そんな風に星空を眺めながら、晴也はいつの間にか自分の知る星座がないか探し始めていた。似ているように見えるのは幾つもあるが、そもそも星座自体がかなり大雑把な作り方をしている。夜の空を埋め尽くすほど星が現れれば、適当に線を引いても、晴也の知っている星座になるだろう。特に大三角形なんて簡単すぎる。

 そんな風にして部屋で休憩すると、晴也は再び聖剣を佩き、部屋を後にした。

 部屋を出て向かったのは食堂だった。少ししたら食堂に来てほしいとアズローに言われていたのだ。

 食堂には一人、見覚えのある騎士がいた。他の人がいないかと確認するが、エルノアもジルバもエルメリアもいなかった。

 声をかけるか少し悩んでいると、相手のほうが晴也に気づき、先に声をかけた。

「こんばんは、勇者様」

 彼女はシャーン・メリネア。クレイヴェスの階級の騎士で、出会い頭に勇者を認めないと言ってきた相手だった。

 正直、会いたくない相手だった。自分のことを認めないと言った相手と好んで顔を合わしたいと思うほど晴也に度胸はない。しかも、彼女のそのフランクな態度は、思わずこちらに友好的なのではと勘違いしてしまう。

「……こんばんは、シャーンさん」

「あ、あたしの名前覚えててくれたんだ」

「ええ、まあ」

 彼女ほど衝撃的な相手の名前を忘れたりはしない。

 晴也は僅かに警戒心を持ちながら、シャーンと距離を取るような位置取りでその場で待つことにした。

 シャーンが晴也に何か話しかけようとしたところで、彼女が何かに気づいて視線をそちらに向けた。晴也もそちらのほうを見ると、そこにはやけに肌が白い甲冑姿の男が食堂に入って来た。

「団長! お疲れ様です!」

 その男を見たシャーンが、大きな声でそう口にして騎士団式の敬礼をした。

 細く小柄で、病的と言えるほど白い男が、騎士団の団長であることに驚き、晴也は思わずまじまじとその男のことを眺めてしまった。

「君が、勇者か」

 晴也のほうを見た男は、事実を確認するようにそう口にした。彼が口にする勇者という言葉は、他の人のように尊敬の念のようなものがなかった。かといって、シャーンほど敵意のある言い方ではない。そのことに、晴也は少し戸惑った。

「自分はグライダム・クーラレーン・バルトスだ。第二騎士団の団長を務めている。以後、お見知りおきを」

「は、はい。俺は潮田晴也です。よろしくお願いします」

 そう言って晴也は頭を下げた。瞬間、晴也の首を冷たい何かが抑えつけた。グライダムの手だ。

「敵か味方か判断できない相手に、隙を見せるな。容易に狩られるぞ」

 首を抑えるその手以上に、グライダムの言葉は冷ややかだった。少し力を入れて体を起こそうとする。しかし、そんな晴也の意図とは反対に、体は固まったように動かない。

 別に力は入れられていない。それでも、力を入れようとすると硬い壁に抑えつけられているかのような体を起こすことができない。

 何かの魔法かとも思った。晴也にそれを鑑別する術がない。しかし、これほど不可解な現象は、魔法以外では説明できなかった。

 力いっぱいに体を起こそうとしていると、グライダムが手を離した。途端に、晴也の体を抑えつけていた壁のようなモノの感覚は無くなり、晴也は勢いよく体を起こした。

 何が起こったのかわかっていない晴也に対して、グライダムは冷ややかに口にした。

「自分はシャーンと違い、君が勇者であることを認めないなんてことは言わん。だが、勇者として聖剣を担うのであれば、これくらいのことは知っていて欲しい。常に戦いに備えろとも言わん。だが、何時でも戦えるようにしておいたほうが身のためだ。君自身にしても、この国にしても」

 それだけ言うと、グライダムは晴也から離れ、シャーンのほうに行った。

 第二騎士団。どうやら彼らは友好的ではないらしい。シャーンにしろ、グライダムにしろ、晴也に対しての当たりが強い。

 なるべく関わり合いになるべきではないか。晴也はそう考えて、より二人から距離をとることにした。

 そうしていると、エルノアとエルメリアがジルバを連れて食堂に入って来た。

「あっ、シャーン!」

 食堂に入るや否や、エルメリアはすぐさまシャーンの側へと駆け寄った。エルメリアに名前を呼ばれたシャーンと、その隣にいるグライダムはすぐに騎士団式の敬礼をした。

「エルメリア殿下、どうされましたか?」

「ううん。見かけたから話しかけただけ」

 親し気に話しかけるエルメリアに、シャーンの表情は柔らかだった。長年の友人と言った様子に見えるが、その様子はどことなく、エルノアとジルバに近似しているように見えた。

「彼女はエルメリアの近衛騎士候補なんです」

 二人の関係を訝しんでいると、エルノアがそう耳打ちした。彼女の息が首筋にかかって、少しだけこそばゆさを感じながら相槌を打つ。

「候補って言うのはなんで?」

「近衛は、基本的にそれを付ける当人に任命権があるんです。ですが、その任命権は成人しないと行使できないんです。だから、シャーンは候補という形で騎士に属しているんです」

 彼女らが親しい理由はわかったが、一方でシャーンの考えが解せなかった。晴也の知る彼女は、もっと英雄願望染みたものがあるように思える。近衛騎士というのがそれに近しいとは思えない。晴也にとっての近衛騎士は、主に付き従い、ときに戦う侍従のようなものだった。それは、英雄とはかけ離れた姿に思えた。

「ところで、この世界の成人って幾つから?」

「地域によって変わったりもするんですけど、基本的には十五です」

「なるほど。それじゃあ俺は成人してるのか」

 どうやら晴也は、この世界では成人した大人として扱われるようだ。その事実に、僅かな喜びを覚えた。まるで子供のような感慨だと自重しながらも、晴也は少し興奮し。

「えっと……失礼ですけど、シオタ様はおいくつですか?」

 呆然とした面持ちをして、エルノアがそう訊ねてきた。思えば、晴也は自分の年齢を一度もエルノアに言ったことがなかったのを思い出した。

「十六歳だけど……」

「十六歳。申し訳ありません、晴也は若々しい顔立ちをしていらしたので、その、十三か四かと思っていました」

 それはもっと歳を食えば誉め言葉に聞こえるのだろう。しかし、未だ十六歳である晴也には、子供っぽいと言われているように聞こえた。

「いやはや、すみません。お待たせしました」

 無駄話に興じていると、監視塔の責任者であるアズローが頭を下げながら食堂にやって来た。

 その手には、大事そうに瓶のような物を抱えている。

「アズローさん、それは?」

「こちらは年代物の葡萄酒です。メンティア領に個人的な友人がいて、そちらから頂いた物なんです。両殿下に振る舞える嗜好品はこれくらいしかなく、恐縮なのですが……」

 エルメリアの問いに、アズローがそう答えた。

 酒、という言葉に晴也は思わず浮足立つ思いだった。日本では二十歳にならなければ飲むことの許されない物だったが、この世界では違うようだ。

「いえ、ありがとうございます。いただきます」

「そうですか。それでは、お席にお着きください。食事も料理などという上等なものはお出しできませんが、どうぞおくつろぎください」

 そう言うと、アズローはすぐさま食堂を出て行った。

 晴也達はすぐに食堂にあった長机に腰を下ろした。四人掛けの机に、晴也とエルノア、エルメリアとジルバが座り、六人掛けにシャーンやグライダムを含む第二騎士団の面々が腰かけた。

 食堂の中には、晴也達と共に監視塔に来た騎士以外にも、監視塔に駐屯している騎士が集まっていた。彼らの違いは、来ている甲冑の胸元の紋章だった。第二騎士団の甲冑には切っ先を天に掲げる剣の紋章が。監視塔の騎士には盾の紋章が施されていた。

「シャーンさんやグライダムさんは第二騎士団ってところの騎士みたいなんだけど、ジルバはどこの騎士なの?」

 晴也は自分の隣に座るジルバにそう訊ねる。思えば、彼女が甲冑を身に纏っているところはみたことがなかった。今もプロテクターのようなものは衣服の装飾のようにも見えて、甲冑には見えない。

「私は騎士団に属していない。近衛騎士は王族個人に仕える騎士だ。クーレンファーディンとは、傍で守る者という古い言い回しだ」

「へえ。それじゃあ、騎士団って言うのは何なんだ? 第二があるってことは、第一とか色々あるんだろ?」

「はい。騎士団は、エルダフィートを効率的に守るために設立した組織です。騎士団がそれぞれ、第一や第二と別れているのは役割が違うんです」

 晴也に二度目の質問には、エルノアが答えた。

 騎士団は大きく六つ、第一から第六が存在している。第一騎士団は王国の防衛。第二騎士団は要所の警護。第三騎士団は治安の維持。第四騎士団は研究の支援。第五騎士団は基地の運用。第六騎士団は外国への密偵が仕事となっている。

「私達の護衛を引き受けてくれたのが、グライダム率いる第二騎士団。そして、この監視塔にいるのがノルートル率いる第五騎士団になります」

 そう説明を受けて、なるほどと晴也は相槌を打つ。

 改めて、晴也は騎士の様子を見る。同じ卓を囲んでいるのは、甲冑の紋章を見るからに同じ騎士団に所属している同士だった。しかし、どうにも彼らの間に、謎の緊張感があった。同じ騎士団だというのに、晴也がシャーンやグライダムへ向ける警戒と似たようなものが、彼らの間に流れていた。

「やっぱり管轄が違うと、どうしてもいがみ合っちゃものらしいの。もっと仲良くすればいいのにって思うけどね」

 晴也の様子を見て、エルメリアがそう零す。彼女の視線は、隣の机に着いたシャーンに向かっていた。どこか剣呑とした表情を浮かべるシャーンを憂いて嘆息した。


    *


 出てきた質素な食事と、初めて飲む酒に酔って興奮している晴也を余所に、グライダムとシャーンは席を外し、誰もいない部屋に入っていた。

 二人の表情は険しかった。針を呑み込んだような痛ましい顔は、認めがたい何かを必死に理解しようとしているかのようだった。

「……やはり、黒でしょう」

 重苦しい気配が漂うなか、シャーンは普段の気軽さとは一変し、真剣な様子でそう口にした。

 シャーンの言葉に、グライダムは寝台に腰を据え、低い唸り声を上げた。

 要所要人を守るのが、グライダム率いる第二騎士団の主な仕事だ。それは、迫りくる危険を剣で払うだけに非ず。あらかじめその危険に対策を立てることも、また彼らの仕事の一部だった。

 そのため、彼らは独自の情報網を王国中に張り巡らせていた。諜報ともなれば第六騎士団には及ばないが、国内の情報を無作為に集めさせれば、彼らのそれは、第六に勝るとも劣らない実力を有している。

 そこから上がってきた、きな臭い情報。曰く、南部監視塔に不穏な動きアリというものだ。

 監視塔が何故そう呼ばれているのか。それは、反乱に対する抑止が目的だ。侯爵領はその統治を貴族に任せている。それにつけ上がり、領地拡大や国家転覆を企む輩が、歴史上何人かいたのだ。それを抑えるために、各領地の監視のために監視塔が建造された。

 各侯爵領を仮想敵と捉えた前線基地。それが、監視塔の役目だった。

 もしその監視塔が、人知れず敵に落ちていたとすれば。直轄領は無策のまま侵攻されてしまう。

 今回、聖剣や両殿下の護送以外に、彼らは南部監視塔の査察を極秘に行っていた。そして、その結果はシャーンが口にした通りだ。

「奴らの意図は見えん。しかし、確かに監視塔としては妙だ」

 グライダムが言っているのは、先ほど出された料理に対してだった。

 料理自体は質素な作りだ。酒に関して言えば、アズローは元貴族だ。その人脈であれば、取り寄せることも可能だろう。しかし、矛盾する。

 まず料理。確かに料理自体は質素で、元貴族のアズローの口に合うとは思えない。しかし、料理に使われた素材は一級の物だ。監視塔が管理している物資で用意できるようなものではない。そして酒。アズローは葡萄酒の名産であるメンティア領から取り寄せた物と言っていた。しかし、渋さの中にあった仄かな花の甘い香り。あれは、シューエバッフ領の蜂蜜だろう。それを加えて葡萄酒を飲むのは、一昔前に貴族の間で流行った嗜好だ。アズローの人脈ならメンティア領から葡萄酒を取り寄せることはできても、シューエバッフ領の蜂蜜を、護衛していた騎士にまで振舞うほど取り寄せるのは、没落貴族のアズローには不可能だろう。

 次に駐屯している騎士の仕事。監視塔の騎士の仕事は、監視塔の管理・運用の他に、関所として通行人の監査や周辺地域の治安維持などがある。しかし、それらの仕事で鎧が汚れる可能性は少ないだろう。だが、エルノアらと共に監視塔に来たとき、泥だらけの鎧で監視塔に戻ってきた騎士が何人もいた。騎士団合同での野外訓練の拠点に選ばれた際は、訓練地の整備も仕事に含まれるが、今はそういう時期ではない。だというのに、鎧が泥でくすむほどの作業を外部で行っていた。これは奇妙だ。

「料理や酒に関しては賄賂とも思えるが、目的が見えない」

「スーリロム侯爵が、監視塔の騎士に何かやらせている、とか?」

「それなら、騎士団や防衛大臣に直接頼めばいいだけだ。こんな危険な橋を渡る必要はない」

 泥だらけの鎧からして、土木作業に従事しているとグライダムは考えていた。森林を切り拓いているのか、鉱山を掘り起こしているのか。どちらにしろ、正当な理由があれば、騎士団を動かすことを認められるものだ。わざわざ賄賂を使って秘密裏に動かす理由はない。

「そもそも、食材や酒が賄賂だとして、誰からの物なんでしょう?」

「順当に考えればスーリロム侯爵だが……自分には、どうにも彼がそれをするとは考えられない」

 スーリロム領の噂は真実だ。しかしそれは、あくまで事実上のことでしかない。というのも、スーリロム領は極端に犯罪が少ないのだ。窃盗や傷害という犯罪がほとんどなく、年に起こる犯罪も、殺人や強姦が数件のみ。となれば、スーリロム領の犯罪者が、須らく極刑となるのは自明の理だ。

 領地を見れば、領主がわかる。古い識者がそんな言葉を残している。それに基づいて考えれば、犯罪の少ない領地を治めている領主が、卑俗な行為をするはずがないのだ。

 故に、グライダムはスーリロム領の領主であるオーセム・スーリロムが監視塔の騎士を買収したと考えられなかった。

「誰がなんのために賄賂を騎士に渡したのか。現状だとわかりませんね」

「巧妙に隠しているのか、のちに便宜を図らせようとしているのか。……やはり、監視塔が誰と繋がっているのか調査せねばなるまい」

 少なくとも、監視塔が何か良からぬ動きをしているのは事実であった。それがわかっただけでも、安全保障の意味はあった。

「二人とも、面白い話をしてるね?」

 グライダムとシャーンしかいない部屋に、そんな声が響いた。暗く重苦しい雰囲気が漂う室内を吹き飛ばすような少女の声に、二人は背筋が凍る思いをした。

 閉じた扉を見ると、どういう訳か僅かに開いていた。否、扉には魔法が使われた形跡あることを二人は感じ取っていた。人の感覚を惑わす魔法。それは、エルメリアが最も得意とする魔法であった。

 ゆっくりと扉が開く。部屋に入って来たのは、得意げな顔をしたエルメリアであった。

 彼女の顔を見て、グライダムとシャーンはすぐに膝をついた。誤魔化しにすらならない行為だが、それだけが身の潔白を示す行為であると二人は即座に考えたのだ。

「エルメリア殿下、どうしてこちらに」

 首を垂れながら、グライダムがそう訊ねる。

「シャーンの顔が険しかったから。いつももっと花が咲いたみたいに可愛い笑顔を浮かべてるのに。そういうときのシャーンは、隠れて何かしてるときだから。だから、様子を見に来たの」

 よく見ている。思わずシャーンは自らの主の慧眼に歯を食いしばった。

 別段、第二騎士団の動きが王族に知らされることに気まずさはなかった。諜報という観点で言えば、もっと秘密主義であるべきだが、そう言った陰の濃い行いは、第六騎士団だけで良い。故に、今二人が抱いているのは誇りの問題だった。

「それにしても、ここの騎士たちに賄賂ね。やっぱり、王威から離れると人は穢れてしまうものなのかしら」

 何でもないようにシャーンは口にした。そして、彼女は視線をグライダムへ向ける。グライダムは未だ首を垂れ、視線を床に向けている。

「ねえ、グライダム。あなたはこれからどうするの?」

「どう、と申されますと?」

「犯人捜しをするのか、それとも南部監視塔の騎士を全員、査問にかけるのか」

「……現状で査問会議を開くことは難しいでしょう。状況証拠としても、客観性に欠けますから」

 監視塔の責任者が元貴族であるアズローであるのが問題だ。没落する前の彼は伯爵位。エルダフィート王国では高位の貴族だ。彼の人脈によるものと説明されれば、それ以上の追及には証拠が必要になる。

 故に、第二騎士団が現状できるのは、監視塔の騎士に賄賂を渡した人物の捜索くらいのものだ。

 グライダムがそう説明すると、エルメリアは「なるほど」と相槌を打ち、そして笑った。無邪気に、さもそれが当然であるかのように。

「なら、あたしを利用してみない?」

 その言葉の意味を、グライダムもシャーンも理解できなかった。

「騎士が賄賂を受け取っているというのは王国として大問題でしょ。騎士に剣を預けるのは、騎士が高潔であるとあたし達が証明しているから。つまりこの問題は、王族の信用を揺るがしかねない」

「ですが、王族が動き始めたとなれば、誰もが証拠を隠蔽してしまいます」

 王族の名は絶対的だが、それ故に陰に隠れるモノが増えてしまう。密かに動こうにも、その強さ故に、明るみに出てしまう。だからこそ、王族でない王族の手足として、騎士や貴族が存在するのだ。

 グライダムの懸念に対して、エルメリアは首を傾げた。

「隠し事があるってことが、何よりも証拠でしょ? あなた達は、それがわからないほど盲目じゃない。違う?」

 試されている。エルメリアの言葉に、グライダムもシャーンもそれを理解した。

 王位継承権第一位はエルノアだ。故に、順当にいけばエルメリアが王位を継ぐことはない。しかし、大臣の中にはエルメリアに王位を継がせるべきであるとする意見が上がっていることを二人は知っていた。そして、その一端を垣間見た。

 そっくりなのだ。彼女は、彼女の父であるエルガンダに。家臣を信じ、それ故に試すそのやり口は、紛れもない王の所業であった。

 子供のように思えた相手が、巧みに小剣を扱う。そこにいるエルメリアは、紛れもない王女であった。


第十四話を読んでいただき、ありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。

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