第十二話
ここから第二章になります。
よろしくお願いいたします。
土の味に親しみを覚え始めたのは、何度倒れ伏した頃だろう。
全身泥だらけになりながら、晴也は片手に持った木剣で地面を突きながら、フラフラと立ち上がった。
「立ち上がるか。ならば素早くしろ。敵は立ち上がるのを待ってはくれないぞッ」
そんな晴也の体たらくにそう吐き出し、ジルバが手に持った木剣を振るう。頭蓋を叩き割らんとばかりに振り下ろされる木剣に、晴也は慌てて前方に転がり込んでかわし、急いで立ち上がる。
晴也は剣を中段に構える。柄を諸手に持ち、切っ先は相手の喉元で、右足を前に、左足をその後ろに置いている。晴也なりに剣道の構えをしているのだ。しかし、所詮は付け焼刃。素人の晴也の構えは、ジルバから見れば隙だらけで、容易に晴也の間合いの内側に入り込まれてしまう。
「腹がガラ空きだ。殴ってくれと言ってるのか?」
間合いの内側に入り込んだジルバは、勢いのまま晴也の鳩尾を肘で抉り、そのまま押し倒す。ジルバの全体重に加えて勢いが追加されたその肘打ちを食らった晴也は、胃袋の中身をひっくり返されたような嘔吐感に襲われる。しかし、晴也が声を上げるよりも先に、ジルバは晴也の胸倉をつかみ、そのまま勢いよく晴也を持ち上げると、間髪入れずに晴也を地面に叩きつけた。
「――ッ!?」
背骨辺りから乾いた嫌な音が聞こえた気がした。あまりの激痛に肺から酸素が逃げていき、一瞬だけ目の前が真っ白になる。
晴也の視界が元に戻ったときには、ジルバの木剣の切っ先が晴也の顔面に向けて放たれていた。
突然のことに晴也は思わず目を瞑ってしまう。しかし、何時まで経っても顔面に激痛は走らず、耳のすぐ横に土を抉ったような軽い音が響くだけだった。
恐る恐る目を開いてみると、木剣から手を離したジルバが、呆れたように嘆息していた。
自分の左横を見てみると、そこにはジルバの木剣が地面に突き刺さった状態であった。てっきり顔面か胸辺りに強烈な突きを食らうと思っていた晴也だが、突きを逸らすくらいの温情を、ジルバは持っていたようだ。
「お前、本当に才能ないな」
地面に突き刺した木剣を引き抜き、跨っていた晴也の体から退くと、ジルバがそう吐き捨てた。
経験がなかっただけ、というのは通用しないだろう。自分に戦いの才能がないことなど、ここ数日、晴也は強く噛みしめていた。
再び聖剣が晴也の手から離れてからの晴也は、まるで魂が抜け落ちたかのようだった。より正確に言うには、絶望の底に突き落とされていた、というべきか。聖剣の力を扱うことができなかった。それはつまり、国王エルガンダの言った、聖剣を担うに不相応という言葉そのものであったからだ。
不相応である故に、晴也の手に聖剣は戻らないだろう。聖剣がなくなれば、この世界で晴也の価値はなくなる。無価値の晴也をエルダフィート王国がどう扱うかはわからない。恐ろしかった。あるいは、聖剣を扱えないという理由で殺されてしまうのではないか。そんな不安が毎夜胸裏に過った。
それでも、この世界にいるのなら、この世界で生きねばならない。それは例え、価値のない存在であったとしてもだ。
それに気づいたのは、晴也の手から聖剣が離れて三日経った頃だった。そこから晴也は、すぐにジルバに稽古をつけて欲しいと頼んだ。例え聖剣がなかったとしても、自衛の手段として何かが欲しいと思った。あるいは、何かしていなくては、空虚感や絶望感に押しつぶされそうだった。
最初は剣の持ち方や構え方から教わった。そして、その状態から剣を振るう素振り。振るわれた剣のいなし方や、隙の少ない歩き方。疲れ難い呼吸の方法。七日間かけて、ジルバから剣を扱う上の基礎的なことを教わった。
七日でどうにか形になった、と言えば才能があるように思えるだろう。違う。どうにもならないことが多すぎて、知識しか詰め込めなかったのだ。故に、七日間で形だけは知った。七日かけなければ、形すら覚えられなかった。
「どうする? もうやめるか?」
懐から取り出した手ぬぐいで額の汗を拭いながら、ジルバがそう訊ねる。
形は知った。あとは、自分をその形に押し込めるだけだ。いうなれば荒療治。自らを痛めつけて、無理やり自分を基礎的な形にする。これが、今晴也がジルバと共にしている稽古の意図であった。
「まだやる……ッ」
体を起こすと、背骨が軋むように痛む。未だに胃からは何かがせり上がるような気持ち悪さがある。それらを無視して、晴也は自分の木剣を拾い、立ち上がる。
肩を上下に動かし、荒い呼吸をする晴也を見て、ジルバは溜息を吐いた。
その気概は結構。しかし、やり方が杜撰だ。これでは、何時か壊れるのは目に見えている。
ジルバの目の前にいる男は、聖剣に選ばれただけの少年でしかない。勇者だとはとてもではないが言えない。それでも、懸命に足掻こうとする様は、ジルバとしては好感が持てた。才能がないなりに、知識と実績を積んで、形にしようとしている。それでも、物事には限度がある。
今日だけで既に十回以上立ち会っている。その全て、晴也は強烈な打突を受けて地に倒れ伏している。それが休憩もなしに延々と続いている。最初のうちはそれでもよかったが、連続して、しかも毎日続けば、体にかかる負担は想像を超えるだろう。
止めても無駄なら、体でわからせようとも思った。普通なら立ち上がることもままならないほど強烈な一撃を叩き込み、治療ついでに休憩させようとしても、晴也は立ち上がり、木剣を握り、構えてしまう。
まるで、自分が壊れることに厭いがないようだ。
それでもジルバが彼と剣を交えているのは、そうしたほうがむしろ安全であると思ったためだ。変に目を離せば、何をするかわからない。もし、無謀な訓練をして、二度と剣を握れなくなってしまえば、それこそ一大事だ。
例えその力を引き出せなくとも、晴也は聖剣に選ばれた人間なのだから。
故に毎日、ジルバは晴也を壊さない程度にしごいていた。
*
晴也とジルバが稽古に励んでいる間、エルノアは城の大図書室である本を読んでいた。
本、というにはその体裁をなしていない。装丁は崩れ、中身が全てバラバラになってしまっている。エルノアはそれに手を触れず、魔法の力で頁の一枚一枚を捲っていた。
エルノアが読んでいるのは、エルダフィート王国が保管する、エルシェ教の『経典』の一部だ。これが原本か、あるいは写本かまでは高名な魔法使いの手でも調べられなかったが、エルダフィートが建国される以前から存在するものらしい。
晴也が聖剣の力を引き出せなかったのは、この世界の人間が聖剣について、あまりに無知であったためとエルノアは思っていた。何せ、つい最近まで、エルノアらは聖剣が実在するか否かの論議ばかりをしていたのだ。実在する聖剣が、如何様な力を有しているかなど、一部の神学者以外は考えていなかっただろう。
「神が涙を流す。中心に、剣が刺さる、か」
経典をエルシェ教らしく解釈すると、天地創造の最後の一節にはそう書かれている。
この一節だけでは聖剣がどのような権能を有しているのか。想像することすら難しい。
「そもそもどうして、涙が剣になったのか?」
涙と剣。エルノアの印象では、それらは相反するものに思えた。故に、涙が聖剣であるという考え方には、少しばかり違和感を覚えてしまう。しかし、経典を見るからに、流した涙が、世界の中心に剣となって刺さったと考えるのが妥当だ。
「それ以上に、どうしてエルシェンディカは涙を流したのか。そっちのほうが重要?」
涙を流すには、それだけの理由があって然るべきだ。悲哀か歓喜か。世界を創り上げた喜びに涙を流した。あるいは、世界を創ってしまったがために悲しんだのか。それすらも、経典の一節からでは読み解くこともできない。
聖剣と、他のエルレイクスの大きな違いはそこにある。エルシェンディカがエルレイクスを造ったのは、明確な目的があったためだ。しかし、聖剣だけは具体的な目的というものを読み解けない。聖剣だけが異質。それは、エルシェ教が他の教派より長らく指摘されてきたものだった。
まさか、エルシェ教徒の自分が、今さらそのような疑問を抱くとは思いもしなかった。
「だけど、聖剣は実在する」
どれだけその存在に異質さがあろうと、事実として聖剣が存在している。エルシェ教の経典の解釈が、事実としての神話の断片に掠っていたということに他ならない。
それ故に、エルダフィート王国にとって聖剣とは希望なのだ。しかし、その希望を調べれば調べるほど、それが何なのかわからなかった。
自分達は、聖剣に対してあまりに無知すぎる。改めてエルノアはそう自覚した。
どうして神が涙を流したのか。どうしてその涙が剣となったのか。そもそも、涙が剣になるものなのか。そうでなかったとして、聖剣は何からできたエルレイクスなのか。様々な疑問がエルノアの頭に膨らみ、思考の余裕を奪い取っていく。
膨らみ切った疑問をしぼませるように、大きな溜息を吐く。周りに人がいればはしたないと自重していた行為だが、大図書館の中でも一部の人間しか入ることのできない書庫だ。誰の目も憚ることはない。
背もたれに寄りかかり、背筋を逸らしながら天井を見上げる。背中から心地の良い音が響き、僅かな恍惚感に息を吐きながら、再びエルノアは思考する。
聖剣が何なのか。どうして作られたのか。その手掛かりは、やはりエルンティカにあるとエルノアは考えていた。神が涙を落した場所。中心に、剣が刺さった場所。今は聖水の原液たる塩水で満ちる神湖エルンティカ。
そして、今はそこに、聖剣が突き刺さっていた塩の柱もある。
エルンティカと塩の柱と聖剣。そして、聖剣と共に現れた晴也。やはり、それらを詳しく調べなければ、聖剣について理解することはできないだろう。
「……行くしかない、かな」
思わず眉間に皺がよってしまう。
魔法研究所。エルダフィート王国に存在する、神秘を紐解かんとする研究機関。そこに行くことはやぶさかではない。しかし、どうも彼らに協力を要請することに忌避感があった。彼らが神の力を冒涜していると感じているからか、あるいは彼ら自身が、常識を逸する考えの持ち主だからかまでは、エルノアには判断できなかった。
できることならば、関わり合いになりたくはない。しかし、金を肉にはできぬと言う。彼らならば、魔法という新たな視点で、神話を読み解くこともできるかもしれない。
気が重い。まるで腰が椅子に貼りついた様に、エルノアは立ち上がることが億劫になった。しかし、立ち上がって進まなくてはならない。それが、晴也に聖剣を押し付けてしまった、エルノアの責務であった。
何より、晴也が努力しているのに、自分が何もしないというのが堪らなく嫌だった。故に、エルノアは行動を始めたのだった。
「あら、お姉さま」
大図書館を出て最初に出会ったのは、妹のエルメリアだった。
彼女の顔を見たエルノアは、思わず表情を顰めてしまった。ここ最近、エルノアはエルメリアから距離をおいていた。日頃から特別仲が良い間柄ではなかったが、今は意図して、エルノアとの関係を薄くしようとしていた。
自らの心の内に広がるその粘りつくような感情の名前を、エルノアはまだ知らない。しかし、自分が抱くその感情が褒められたものでないことは把握していた。故に、エルノアはエルメリアに後ろめたさがあった。
「こんにちは、エルメリア」
表向きは平静を保ちながら、微笑みながらそう挨拶をする。するとエルメリアも、たおやかに笑みを浮かべた。
「ええ、御機嫌よう。お姉さま。ふふ、同じお城に住んでいるのに、なんだかとても久しぶりな気がするわ」
その言葉が心に刺さる。僅かな痛みを覚えながら、エルノアはそれに応える。
「そうね、私はしばらく大図書館のほうにいたから。エルメリアは? ここ数日は何を?」
「お勉強ばっかり。お友達とのお茶会もいけないの。酷いと思わない?」
今年で十四になるエルメリアは、王族に相応しい知識を身に着けるために、専属の家庭教師をつけ、様々な分野の知識を学んでいる。しかし、奔放なエルメリアは、一日中机にしがみ付くということができず、仕方なく、半日だけ勉強に費やす、という方法を取っている。
それが、茶会に行けないほど勉強とは、どういう都合だろうか。エルノアは思わず首を傾げてしまった。
「エルメリアの先生は、確かシターイン伯爵でしたね。何かご都合が変わったのかしら?」
そう口にすると、エルメリアが首を振った。
「先生に聞いたら、お父さまの命令みたい」
「お父さまの?」
その言葉に、またも眉を顰めてしまう。
どうにも解せない。今は聖剣や勇者の問題で手いっぱいのはずだ。言い方は悪いが、エルメリアの教育方針など、それらに比べたら些事なのだ。だというのに、わざわざ口に出した。それだけ優先順位が高い、ということだろうか。
「……まあ、お父さまの考えなんて深く考えてもわかるものではないわ。ごめんなさい、これから行くところがあるの」
「お姉さまはいつもお忙しそう。たまにはゆっくりお茶を嗜んでみては?」
「そうね。今度、一緒にお茶でも飲みましょう」
少しでもエルメリアと接することが、自らの心の中に巣くう正体不明の感情から自分を救う術だと、エルノアはこの場でのやり取りで確信した。
その場でエルメリアから離れ、エルノアはそのままエルガンダのいる執務室へと向かった。
「――でも」
そんなエルノアの背中に向けて小さく手を振っているエルメリアは、ふと気づいたように零した。
「お父さまの考えって、そんなに難しいかしら?」
*
太陽が沈み、空が赤く焼ける頃。晴也とジルバの稽古は終わった。
体を清めるために、風呂場に行く前に晴也は、今までいた修練場に設けられた水場に来ていた。
晴也の意識は朦朧としていた。幾度とない打突に、体の節々は悲鳴を上げ、立ち合いの最中、自分が気絶しているのかしていないのか、定かでない曖昧な瞬間が幾つもあった。
この方法はダメだ。晴也とてそれは理解している。それでも、やらずにはいられない。何かしていないと、不安に身を掬われそうになるから。
不安が体を震わせる。きっと疲れているせいだと自らに思い込ませ、晴也は水場に設けられた金具に手をかざす。
この世界に上下水道の概念は存在しない。浄水と汚水の概念はあるが、綺麗な水か、汚い水か程度のものだ。その理由の一端は、この魔法の道具によるところが大きいだろう。
この道具は、地球で言うところの蛇口と言えるだろう。触れたものの『力』――『エルディン』に反応し、それを吸収し、術式というものを起動。その術式に則り、水を集める魔法を発動させているのだという。
エルディンが知覚できず、魔法も扱えない晴也だが、こういう道具を用いれば、魔法を扱うことができた。つまり、晴也の体にもエルディンが存在しているということに他ならない。
思わず、壁を殴りつけてしまう。握った拳の皮膚が捲れ、痛みが滲む。
これができるのなら、何故聖剣は反応しない。どうして自分は、エルディンを知覚できない。そんな悔しさが痛みと共に滲んでいた。
水を出す金具を壁から取り外し、シャワーのように扱うことができる。晴也は流れる水を頭からかけ、頭皮や顔にこびり付く泥や汗をひとまず流した。壁を殴りつけた手が少しだけ染みたが、そこは自業自得。痛みに歯を食いしばりながら、汚れを落としていく。
いっそのこと、全身を洗いたい気分だったが、壁もない場所で裸になる訳にもいかず、何より変えの服もない。それはどうにか堪えて顔を洗った。
顔を洗い、壁に金具を戻して手を離すと、次第に水が止まる。エルディンを制御できると、水の量をある程度操ることができるらしいが、それができない晴也が水を止めるには、手を放す以外に方法がなかった。
濡れる髪を絞って水気を抜き、その場を後にしようとした。
「シオタ様」
そんなとき、修練場の中にエルノアの姿を見かけて、晴也は思わず驚いてしまった。
「え、エルノアさん!? ど、どうして……」
エルノアと顔を合わせたのは、久々に思える。聖剣が自らの手から離れてからの三日間や、その後、ジルバに稽古をつけてもらってからも、晴也はエルノアと顔を合わせていない。
十日以上ぶりの対面に、晴也には緊張と、バツの悪さのようなものがあった。
この国を救ってほしいと、エルノアに頼まれた。その手助けがしたいと思った。けど、結果はこの様だ。
自分で会おうとはしなかった。怖かったから。会いに来てくれるのではという期待があった。しかし、彼女とは会わなかった。明確に彼女の口から言われた訳ではないが、晴也のなかである懸念があった。
――彼女は、自分に失望してしまったのではないか。
異世界から来たと言い、聖剣を引き抜き、手助けをしたいとまで言っておきながら、実力の伴わない人間に、嫌気が差してしまったのだろうと思った。だから、ジルバにもエルノアのことは訊かないようにしていた。
「シオタ様にお話ししたいことがあるんです」
その言葉に、何かが起こる予感を晴也は感じた。それに途轍もない恐怖を覚えてしまった。果たして今の自分が、その何かへ向かうことができるのかわからなかったから。
そんな晴也の感慨など知る由もないエルノアは、続けて話した。
「近い内、聖剣を調べるために、聖剣を魔法研究所へ移送します。それに、私とシオタ様はついていくことになります」
「聖剣を……調べる?」
思ってもなかった言葉に、思わず晴也はオウム返しをした。
「えと、もう聖剣は俺のところに戻ってこないんじゃ……」
聖剣を扱えなかった晴也は、聖剣を担うに不相応だ。ならば、聖剣が晴也の手を離れるはずだ。エルガンダの言葉がそれを示している。
そんな晴也に、エルノアが事情を話した。
「確かに、最初にお父さまはシオタ様にそうお話ししました。しかし、現実的に考えて、エルレイクスの選別を超えられる人材を見つけるほどの人手が、今のエルダフィートにはありません。となれば、今いる担い手が、どうして聖剣を扱えないのか。その理由を探ったほうが得策だと判断したんです」
エルノアの説明を聞き納得する。確かに、聖剣の担い手を探すというのは大変なことだろう。エルダフィート王国にどれだけの国民がいるのか晴也にはわからないし、その大きさも定かではない。しかし、一国の中から、聖剣を担えるただ一人を探すのは労力がかかり過ぎるのは何となく理解できる。現実的な判断だ。
安堵の息が漏れた。未だ晴也は聖剣の担い手でいられる。つまり、未だエルダフィート王国という後ろ盾が、晴也を守ってくれているということだ。これは、この世界で生きる上でならば大きな力と言えるだろう。
未だ常識もわからぬこの異世界を、一人で生きていくことなど、晴也にはできない。
「そっか。それなら、安心した」
強張っていた表情が緩んで、自然と笑みが浮かんだのがわかった。
それを見たエルノアも、釣られて笑みを浮かべる。
「……ジルバに聞きました。随分ご無理をなさっているようで」
晴也の様子を見てエルノアがそう口にする。それに対して、晴也はどこか気まずさを覚えて視線を逸らす。
「もし、それが自罰的な行いであれば、シオタ様が思い詰めることではありません。聖剣の力を引き出せなかったのは、決してシオタ様のせいではないのですから」
「それは」
そうなのかもしれない。けれど、そうじゃないのだ。何かしていなくては、無価値な自分という恐怖に震えてしまうからジルバとの稽古に打ち込んでいた。けれど、それだけじゃない。何かしなくては、エルノアの価値すら損ねてしまうと思ったのだ。
城を歩いていると聞こえる、誰かの陰口。無能な勇者を連れた、出来損ないの王女。それが誰を指しているのかわからないほど晴也は愚鈍ではない。
自分のせいで、エルノアの価値が損なっている。それだけはあってはならない。この世界の外から来ただけの人間が、この世界で懸命に努力している人間の足を引っぱってはいけない。
だから、晴也は稽古に打ち込んだ。エルノアが見つけた人間は、例え聖剣を扱えない無能な勇者でも、努力できる人間であると知らしめるために。
視線を逸らす晴也に、エルノアは手に持っていた手拭いを渡した。いきなり渡されたそれを受け取った晴也は、思わず視線をエルノアのほうに向けてしまう。
「あなたが壊れてしまうと、私が困ってしまうのです。ですから、ご自愛ください」
そう告げたエルノアの瞳は真っ直ぐで、目を逸らしたかったはずの晴也も、思わずエルノアを見つめてしまった。
そこにどんな意図があるのか。どうしてそんな優しくするのか。一体晴也に何を求めているのか。色々な考えが一瞬だけ過る。しかし、それらを全て押しのけて、晴也は思った。
――この人は、まっすぐなのだ。
そういう人の意図など、考えるまでも伝わる。彼女は、何ら姦計もなく、ただ晴也を心配してそう言っているだけなのだと。
夜を呼ぶ風が吹き込む。赤く焦げた空が、次第に冷えるように暗く染まっていく。
この日、晴也の内側に溜まっていた澱が、少しだけ晴れたように思えた。
第十二話を読んでいただきありがとうございます。
次話もよろしくお願いいたします。




