9 再び日常へ
9 再び日常へ
「では、宜しくお願いします。」
今日はいよいよ引越し。
ブロスナーと別れ日常に戻った俺は、たった今、業者に荷物を運び出してもらったところだ。
あとは、もう1回、掃除機を掛けて箱詰めして、宅配業者に持ち込むだけだ。
その後は退去の立会検査と鍵の返却、飯食ったら会社に今月分の給料の受け取りに行って……
ん?
何か、忙しくね?
くそっ、意外と荷物が多かった。
そう思いながらも、俺は会社にやってきた。
「こんにちは~。」
「こんにちは、神谷さん。
社長ー、神谷さん来られましたよー。」
「おー、来たか。
こっち来てくれー。」
「はい。」
今日引越しすることは会社の皆も知っているので、話がさくさく進むのは大助かりだ。
「ちょっと、そこ座って。」
「はい。」
俺は社長に促されるまま、ソファに座った。
「今まで、ご苦労さん。
それで、これが今月分の給料な。
今日までの有給消化分も入ってる。
で、こっちは退職金。」
「え?
退職金、出ましたっけ?」
「在職期間が5年を超えたら出るぞ。」
「でしたっけ?
てっきり10年居なきゃダメかと思ってました。」
「そりゃ、表向きだ。
きっちり就業規定に載せてるから、税金もかかる。
お前、6年居ただろ?
3年で寸志、5年で退職金を出すが、金額には期待するな。
ただ安い分、税務署には内緒、非課税だ。」
「……脱税?」
「人聞きの悪いこと言うな。
個人的な謝礼として、俺のポケットマネーから出してる。
問題ないだろ?」
(問題、ある気がするけど……
税金関係、そこまで詳しくないしな……)
「グレー……っすよね?」
「給与外所得は10万円未満なら、非課税だ。
それに、グレーはブラックじゃねぇ。」
(10万円は無い、か。
それなら、ありがたく頂いておくか。
かなり、黒に近い灰だと思うけど。)
「ありがとうございます。」
俺は、2つの給料袋を受け取った。
「ちなみに、それはアールグレイな。」
社長は、出された紅茶を指して言った。
「ここで、一発ギャグっすか?」
「お前、そういうの好きだろ?」
「ホント……社長って、従業員のこと、よく見てますよね。」
「当然だろうが。
で、だ。
もう1つ、これな。」
社長は、さらに封筒を取り出した。
「これは?」
「残りの有給、6掛けで買い取った。」
「は?」
(それ、10年ぐらい前に違法になったんじゃなかったか?)
「何だ?」
「それ、何年か前に違法になってますよね?」
「ああ、気にすんな。
どうせこっちも、個人的に買い取っただけだ。
もちろん、経費処理しないから、税務署にも内緒な。」
「…………」
「まさか、上の者が出したものを、突っ返す気じゃないよな?」
「あ、いえ。
ありがたく頂戴いたします。」
俺は、後ろめたさを感じつつも、心遣いに感謝して封筒を受け取った。
「ありがとうございます。
ところで社長、下世話な話ですけど、ちゃんと社長の取り分、確保してますよね?」
「ホントに下世話だな、失礼な。
お前よりは、儲けてるよ。」
「そうっすか。
基本給はともかく、賞与でかなり従業員に還元してる気がしてたんで。
ちょっと、気になってたんですよ。」
「まぁ、高額納税者ってわけじゃないがな。
それでも、これからは自然災害が増えるだろうからな。
ウチみたいな土木関係は、食いっぱぐれることはねーよ。」
「ま、たしかに。」
いかんいかん。
渡す物、渡しとかなきゃ。
「社長、コレ。」
「ん?」
「ただの手土産ですよ。
こういう時は、手土産持参が基本ですよね?」
「下らねー気を使うな。
ま、だからと言って、突っ返したりしねーよ。
ありがとうな。」
「それと、もう一つコレを。
貸与されてた制服です。」
「あぁ、こっちは返してもらわんと困るな。
ありがとう。」
「どういたいしまして。」
「ん?
どうした?」
気付かないうちに、声や表情が変わっていたらしい。
「6年って、長いんだなと思いまして。」
「そうだな。」
俺は6年前、社長に拾われた。
前の職場がリーマンショックのとばっちりで、取引先が不渡り出して連鎖倒産したのだ。
で、次の仕事を探していたところを、社長に声を掛けていただいた、というわけだ。
「あの、社長。」
「何だ?」
「6年前、なんで俺に声を掛けてくださったんですか?」
「面白かったから。」
「は?」
さっぱり分からん。
「求人票出しに職安行った時お前見てさ、「コイツ面白そーだな~」と思ったわけだ。
で、その場で声掛けた。」
「職安ですよ?
ごくごく普通の恰好ですよ?
どこをどう見れば、そうなるんですか?」
「なんとなく。
しいて例えるなら、オーラとかいうやつじゃねーの?」
「…………」
俺は今更ながら、この会社の先行きが不安になった。
こんな気持ちは初めてだ!
「言っておくが、採用面接での決定打なんて、そんなモンだぞ。
もちろん、履歴書や立ち居振る舞いはチェックするけど、本人の雰囲気の方が重要だったりする。」
「それ、本当ですか?」
「本当。
そういう企業、結構多い。」
「…………」
初めて知った採用の内幕だった。
「あと、アレな。
向こう10年ぐらい、お前の席あると思うぞ。」
「何ですか、それは。」
「留意だ。
俺個人としては、お前に戻っ来てほしい。
反対するヤツは、少ないと思うぞ。」
「…………」
(なんでそんなに過大評価なんだ?
仕方ない。)
俺は立ち上がって言った。
「社長、申し訳ございません。
その評価は大変ありがたいのですが、残念ながらご期待には、お応え致しかねます。」
俺は、深々と頭を下げた。
「別に構わんから、とりあえず座れ。」
「はい。」
というタイミングで、来客であった。
……俺に。
「やっぱり居やがったな。」
「師匠。」
師匠といっても、もちろんブロスナーではない。
この会社で、俺を指導してくれた先輩である。
俺が人生で誰かを師匠とよんだのは、この人が初めてである。
「お前のことだから、昼休みを外して来ると思ったぞ。
予想どおりだな。」
「さすが師匠、バレてますか。
といっても、実際は引っ越し作業の都合ですけどね。」
「そうか。
それは別にいいんだが、何で送別会を断った?」
「たかが6年、ですからね。
送別会を開いていただくほど、貢献できたか謎ですし。」
「されど6年、だろうが。
お前の仕事っぷりは、十分貢献したと言えるだろ。」
「そうっすよ、先輩。
先輩が言うと、謙遜よりも嫌味に聞こえます。」
「俺には、その一言が嫌味に聞こえる。」
「やり返してます。」
コイツは、斎川。
俺の後輩である。
少なくともこの仕事に限定すれば、俺より優秀だと思う。
(丁度いい。)
俺は立ち上がると、二人に向き合った。
「師匠、6年間ご指導ありがとうございました。」
そう言って俺は、師と仰ぐ、尊敬する先輩に頭を下げた。
頭を上げた俺は、今度は後輩に言う。
「師匠の知識と技術と経験、全部お前が受け継げよ。
大変だけど、頑張れよ、な。」
「任せてください。
先輩が辞めた後、長谷川さんの下で仕事したいって社長に直訴したんですから。」
「マジ?」
俺は思わず聞き返した。
「事実だ。
おかげでこっちは、どう遣り繰りするか悩んだぞ。」
社長が答えてくれた。
あの後も少し話をして、俺は会社を出た。
会社が見えなくなる最後の交差点で、俺は会社を振り返った。
「…………」
(長い間、お世話になりました。)
そう思って俺は、会社に向かって頭を下げた。
まさか最後に、会社やアパートに頭を下げるとは思わなかった。
ブロスナーと出会った影響、なんだろうな。
やっぱりアイツは、俺の2人目の師匠だ。
俺は、再び駅に向かって歩き始めた。
それではこれにて、一巻の終わりとさせて頂きます。




