僕と彼女の距離
僕には毎日欠かさない日課がある。その日課を語ると、大抵の人には笑われるか、それか驚かれるかなんだけど、僕はその時間をとても大事にしている。
「おはよう。今日も元気にしてるかな」
少し長い呼び出し音の後、電話を取る音が聞こえると、お決まりとなったそのフレーズを回線の向こうの彼女へ投げかけた。
この朝一番での電話が日課になったのは、昨年の夏からだ。一年半近く、回数で数えるのはもうやめた。電話を掛けるのは決まって僕の方からで、この日課を忘れたことは一度もない。どうしても都合が合わないときは電話しない、ということもあるのだが、そうだったことは片手で数えられる程度しかない。むしろ掛けなかった日のことの方がよく覚えていると言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。
「もう疲れたー。ふかふかのベッド最高、もう離れない」
本当に眠そうな声で欠伸の合間にそう言うものだから、こちららまで眠気に捕まってしまいそうだ。
「またそんなこと言って、こちとらこれから仕事だっていうのに」
通話をスピーカーホンに設定し、身支度を整えながらもそう返す。電話の為にちゃんと早起きしているので慌てる必要はない。しかし、少しでも長く通話するために手段は選んでいられない。
大学を卒業した後、それなりの商社に勤めるようになって二年近くが経過した。希望準位も高い企業だったので当時は喜んでいたが、配属された部署には頭を抱えさせられたが、この日課のおかげで何とかこれまでやってきた。きっと、一生彼女には頭が上がらないだろう。そんなことを考えながら遠くから聞こえてくる声に耳を傾ける。
スピーカーからは、彼女がこの二十四時間で起こったことをあれこれと話し続けている。大半は同僚やら上司やらの愚痴だが、今日は久しぶりに会った大学時代の共通の友人の話をつい先ほどまで会っていたかのように事細かに話している。いつだって彼女が語り手で、僕が従順な聞き役だ。
「ねえ、ちゃんと聞いて」
「聞いてるって。今度は俺も会いたいな」
そう言って、言葉選びを間違えたと焦る。適当に相槌を打っているだけなのは、きっと初めからバレている。それでも彼女はいつも同じように僕の知らない時間の話を延々と聞かせてくれる。それが、彼女が自分を見捨てずに待ってくれているという感じが、とても嬉しかった。
そんな僕の感傷を知ってか知らずか、彼女はのんきに欠伸を繰り返す。そろそろ潮時か。少し迷った末、切り出す。
「もうすぐ時間だから、そろそろ切るね」
そう言うと、彼女も長くは語らなかった。
「そっか。じゃあまた明日ね」
「うん、じゃあ、行ってきます」
名残惜しさを感じつつ、別れの言葉を告げる。
「うん、おやすみ」
地球の反対側で、彼女はそう言って眠りについた。
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