Ⅴ「鍵はかけられるぞ。自腹で作るんならな!」
壱さんの言葉は唐突で、的確で、真っ直ぐだった。泣いていたことに気づいていたのか。そう思うと恥ずかしかった。顔を伏せる。
「...赤目さんのこと、壱さんが叱ってたんですよね。」
そういうと、壱さんは当たり前のように答えた。
「赤目...ああ、天な。ああ、叱ったぞ。殺しそこねたんだからな。やってはいけない失敗だ。愚の骨頂だ!」
そういって、顔を陰らせる壱さん。未だにご立腹だったようだ。
「そのターゲットは私の兄ってことは、ご存知ですか?」
「ああ、知ってるぞ。」
非常にあっさりとした回答だった。淡白に、はっきりと。
「私にとっては大好きな兄を、殺そうとした、憎むべき相手で!...赤目さんだって、すごく面倒事になった厄介な、妹、だと思うんです。」
壱さんは何も言わない。ただ、無言で、私の瞳を見て、話を聞いている。頷きもしないし、首もふらない。
「だから私は、赤目さんを悪者にしよう、そう思ってたのに!!...なんで赤目さんは、あんなに寂しげな笑顔をするんですか。敵の私をいちいち、心配するんですか。」
壱さんはまだ、何も言わなかった。表情も変わらない。ただ、見つめてくるだけ。下手なカウンセラーでももうちょっとマシな反応するぞ、と思ったけれど、その反面すごく落ち着いてきていた。
「...暗殺者の人だって、もっと分かりやすく、狂っているように見えているなら、私はこんな世界に恨みを持って、過ごそうと思えた。なのに。」
「菊さんに会いました。菊さんは凄く優しそうで、悪い人にはとても思えませんでした。禅さんに会いました。とても気さくで、私に忠告もしてくださいました。私は悪い人だとは思えません。壱さんだって、...可愛い物が大好きで、こうやって私の話を聞いてくださるんです。...悪い人じゃないと思うんです。」
「なんで皆、こうやって、素直に敵だと思わせてくれないんですか!...疑えないですよ。...もっと、分かりやすくしてくれないと、私には...」
私も、言葉が続かなくて黙り込んだ。...吐いてみて気付いた。気持ちをぶつけたかったことを。私は、裏社会に入ってしまった。兄にも両親にも会えなくて、日常を壊されてしまって。だから、壊した相手を恨む。なのに恨めない。だから、苦しかった。
「姫、違うぞ。」
最初に彼が発したのはそれだった。否定が来るとは思っておらず、私はあっけにとられて壱さんをみる。
「姫は色々勘違いしてるね。ボクたちのことも、ボクらの思いも。」
壱さんは少し不機嫌そうに顔を歪めた。口を若干尖らせている。
「ボクたちは皆、オマエを敵だなんて思わないし、敵だと思う必要がない。殺しそこねたオマエの兄は知らんが、ボクたちにとっては単なるターゲットの一人。自己防御をするなんて当たり前だし、むしろここまで欺ききることにボクは感心したね。アマチュアに欺かれた天はマジふっざけんなって思ったけど。」
そういうと再び思い出して腹を立てたのか、後でもっかい絞ろうかなと呟いている。
「その妹であり、クズだけど一応プロの天を欺いたオマエを、評価こそしても敵だと思うことはない。」
私は、彼らに敵視などされていなくって、自己防御をしていた私達を評価している...?
「悪いがこっちも仕事だからな。兄を殺そうとしたことを謝るつもりはないが約束はするぞ。オマエはもう仲間だからな、オマエが望むなら家族は確実に殺さないぞ。姫に手出しするクズも追っ払って、守ってやる。」
壱さんは、なんなら誓約書書いてもいいぞ、といって少し口を緩めた。
「ボクたちは仁義とケジメに厳しい世界に生きてるんだ。少なくとも、のうのうとした表社会の奴らよりは約束に厳しい。」
そう言った壱さんの瞳は真剣で、社会に“生きる”人の姿だった。責任ある、ずしりとした雰囲気。
「後もうひとつ。ボクたちは最初から、好きでこの道を選ぶような狂った人間じゃない。...オマエと同じ、ならざるをえなかった奴らだ。...誰かを守るために、な。」
とても悲しそうな表情をする壱さん。もしかしたら、壱さんも、なにかあったのかもしれない。胸がきゅうと縮んだような感覚に襲われ、再び兄を思い出す。しかし兄のことを相談はしづらいので、私は何も言わず瞳を落とした。
「いっちー!ご飯作ったで!そいや噂のひめのんは?」
「あーわかったわかった。煩いからさっさと食堂で待っててくんないかな黒。」
と、明るい関西弁の男の人の声がドアの向こうから聞こえた。苦虫を噛み潰したような表情で答える壱さん。その言葉にケラケラ笑う声がして、気配は去っていった。
「夕食だ。行くぞ。」
立ち上がり鍵を開け、先にさっさと歩いて行く壱さん。やっぱりすぐに追いついた。けれどなんとなく怒られそうな気がして、半歩後ろでついていく。ふと、壱さんが振り返った。
「あ、そういえば、天の部屋、姫の部屋の隣だから。」
「な。」
「結構壁薄いし、鍵もないから正直プライバシーとかなにそれー状態だからよろしくー。」
「な。」
そして彼は、いたずらっぽく笑うのだ。歯を見せて、子供っぽく。
「鍵はかけられるぞ。自腹で作るんならな!」