Ⅱ「赤目さんは黙っていてください」
「稲葉雛。」
空調の効いた車内に、男と二人。意外と綺麗な後ろ座席で黙って座っていた私に、唐突に声を上げる男。
「なんですか」
「大丈夫か。」
男はミラーから私を覗いていたようだ。事実、不安とか、恐怖とか、兄の最後に見せた表情とか。不安材料はたくさんあって。しかし、あの男には見せることはできない。日常を奪ったあの男には。
「大丈夫で」
「車酔いなら休憩するが」
「赤目さんに心配されるほどではありません。」
どこかおかしな心配のしかたをしていたようだ。車酔いより有りそうな線があるのにこれか。どこか男は抜けているのかもしれない。兄の面影を感じた。
また脳裏に蘇るのは、兄の最後の表情。彼は無の表情になって、私を黙って見送っていた。その表情が、すごく怖くて。兄が兄じゃないように見えて。兄も私を好きでいてくれていると思っていた。勘違いだったのだろうか。
一筋涙が流れたことに気づけば、慌てて拭い。その繰り返しだった。
「稲葉雛。」
「......なんですか。赤目さんは黙っててもらえませんか」
「俺は天だから」
「はい?」
「赤目なんて名前じゃない」
天。大人なのになんか少しかわいい名前だった。ついくすりと笑ってしまう。泣いていたというのに、あの男はよくそれを言えたな。いろいろな意味で笑ってしまう。しかし、素直にはいそうですかと天とは呼びたくなかった。
「黙っててください赤目さん」
そこまで聞いて赤目さんは少し困ったように肩を落とした。
それから要望通り無言になった赤目さんと、沈黙のまま、車内で揺られた。なんか、印象が違った。さっきまでは昔の怖い男、だったというのに、今は抜けた天然気味の赤目さんだと思う。仕事の時だけなのか。少なくとももう、そこまで怖くない。鋭い視線も緩和していた。
心地いい沈黙に少しまどろみ始めた頃、男の着いた、という声で車の微かな振動が止まったことに気づく。
「降りて」
私側のドアは私がもたれかかっていたからか、反対側のドアをあけている。さらりと気づかえることに驚くが、私は反抗して、自分側の扉を自分で開けて降りた。
「...うわあ」
一面が森景色。その中に佇む大きめの屋敷。どうやら此処は門の中のようで、遠くに門らしき大きな扉が見えた。
「入るぞ」
赤目さんが最低限の言葉しか発しないのはもしかしたら、私の黙れ、という言葉を律儀に守ろうとしているからかもしれない。なんか妙に可愛く見えた。
広く複雑な廊下をぬけ、ひとつのドアを開けた赤目さんは、入るように促してきた。黙って中にはいると、簡素なドアの割に小洒落たモノトーンの部屋。
「ようこそ雛ちゃん。会いたかったわ。...あ、あと天ちゃんおかえりなさい。」
視線の先には笑顔の優しげな20代位に見える男の人。そう、男の人。黒髪で、飄々とした雰囲気のある明らかな男。奥の椅子に座っておいでおいでと手を振っている。
「あーもう、ほんと可愛いのねぇ!アタシは9歳の報告書の写真1枚しか見てないから、楽しみにしてたのよー。」
男は立ち上がり、顔をひきつらせる私に抱きついて頬ずりしてきた。なんだこの人は。別の意味で怖い。オカマ、なのか?
ものいいたげな表情に気づいたのか、男の人はニコリと笑って私に向き直った。
「アタシは菊。ここのボスっていえばいいかしら?あと、別にアタシはオカマってわけじゃないからさ。気にしないでくれる?」
「...はあ。」
気さくで、ボスとは思えないほどの覇気の無さ。本当に暗殺者の赤目さんのボス、なのか?赤目さんが話を続けようと菊さんに話を振った。
「頭領。説明諸々は...」
「あーはいはい。聞いたと思うけど、天ちゃんは勿論、ここにいる人間は皆、暗殺を生業としてるの。男しか所属してないから、結構むさ苦しいわよ?で、女の子も欲しいなぁって思っていたら調度良く雛ちゃんの話が来たわけよ。理由はわかってくれたかしら。」
男の人しかいないのか...そして暗殺者しかいないって怖いなぁ...。怯えた私に気づいたのかもしれない、菊さんが言葉を続けた。
「心配しないで。大丈夫よ、変わり者しかいないけど、基本的に皆優しいわよ〜。可愛い雛ちゃん見たら、多分ちやほやして全力で危険から守ってくれるわよ。」
「...赤目さんも、そんなこと言ってた気がします」
「えっ、天ちゃん赤目さんって呼ばれてるのー?かぁわぁいーいっ!」
ちらりと赤目さんを見ていうと、菊さんが楽しそうにカラコロと笑う。
「......俺にも名前があるって」
「結構暇してる子も常に忙しくしてる子もいるけど、まぁ会ったらそんなに怯えないであげてね!」
赤目さんの言葉を遮るように菊さんは言ってまた笑った。よく笑う人だなぁ...
「あ、雛ちゃん。雛ちゃんは戸籍上なくなった扱いになってるからさ、名乗る名前は変えないとね。」
さらりということに驚く。戸籍で私は死んでいる?
「死んでいる...ですか?」
「そ。アナタもこれから仕事が入るわ。跡始末はこっちでするけど、万が一の時に生きている雛ちゃんに疑いがかかるかもしれないからね。」
そういうと、菊さんは不敵ににこりと微笑んだ。けれど、それでようやく少し、暗殺者になった実感というか、現実味が湧いてきて、瞳を落とした。
「...雛ちゃん...雛ちゃん...んー、あ、姫がいいわ!姫ちゃん!」
「ひめ?」
なんて恥ずかしいんだ、と思った。これから自分を姫と名乗るのか?痛すぎる。
『暗殺者の姫です。よろしく。』
『姫だよっ!よろしくねっ★』
色々な自己紹介を考えて頭が痛くなってきた。恥ずかしっ!悶々とする私にフォローを入れる菊さん。
「大丈夫よー。裏業界の偽名なら、もっと痛い子もいっぱいいるからね!」
「姫。気にすんな。結構あってると思う。」
「赤目さんは黙っていてください」
一緒になって褒めてくる赤目さんにすかさず応える私を、菊さんは楽しそうに見ていた。
未だ恋愛みたいな感情はお互い抱けません。ごめんなさい。個性派の暗殺者さんがたくさんこれから出たりしますが、置いていかないよう善処します。これはノーマル寄りの作品ですが、作者自身腐女子なので男暗殺者同士のカップリングもありだなと思う。けどどちらかといえば逆ハーっぽいですね。雛もいいですが、兄や天、菊さんが個人的に好きです。展開的には逆ハーをおしだすつもりはなく、一対一の天雛です。自由に逆ハーさせたりビーエル的展開に妄想したりしたら私にご連絡を←