第2話:新しい音
早瀬。それがピアノを弾いていた彼の名字だ。
名前は教えてくれなかったけれど、ネクタイが私たちとちょっと違うことから一クラス少人数制の音楽コースの生徒であることはわかった。また、聞いてみると私と同い年だそうで。(はっきり言って、私は最初年下だと思っていた。そのくらい容姿は幼げってことだ)
さて。
もう、私とあいつが出会って一週間が経とうとしている。
が。
「‥‥‥どうかな!?」
「なんていうか、曲調をガラッとここで変えるのはいいと思うけど、サビのこと考えたら歌いづらいかなぁ。リズム取りにくいし」
弾き終えてテンションの高い彼から輝いた目を向けられながらも、譜面を見つつ私は一蹴する。
「相変わらず完成度は高いし、ワンフレーズだけ断片的に聴くとすごくいいんだけど‥‥‥」
「‥‥‥やっぱり辛口コメントだなぁ」
少しむすっとしながら椅子をガタガタ揺らして呟く彼。辛口とは失礼な。ちゃんと見て聞いた上での発言だ。
「んー‥‥‥中々いいのが思い付かないなぁ。神が降りてきてくれないよ‥‥‥。」
「神って‥‥‥。うーん‥‥‥確かにずっとこのサビ前考えてるもんね。いっそ歌詞から考える?」
私はちなみに歌詞から歌を作る派だった。その方がイメージがよりしっかりと固まって、自分好みのものが作れる。あと、曲作るのにすごく時間がかかるタイプだったから、途中で飽きることを防止するってのも理由だけどね。
「歌詞から、かぁ‥‥‥。その場合は君が先に考えるんだよね?」
「え、別に私は歌わないよ?だからそんなこと言われても‥‥‥」
「つまり歌わないのに自分で歌詞はつけたくない、と」
「そーゆーこと‥‥‥」
私はただ、こいつの作る曲を見守ってたいだけ。より完成度の高いものにするために、アドバイスしてるだけ。一応、それはこいつもわかってるはず。
それでもまだ、こいつは私が歌うことを諦めてないんだ。
「うーん‥‥‥気分転換でもするか」
彼はそっと細長いきれいな指を鍵盤に触れさせた。
‥‥‥む。少し低めな音から?
「あ」
思わず、かすかな声が漏れた。これ‥‥‥ショパンの幻想即興曲だ。な、なんか初めて版権の曲を聴いた気がするんだけど‥‥‥‥‥‥。
すごい、流れるような速さの部分もしっかりと弾けてて。ちょうどガラス越しに差し込む夕日のオレンジのベールが鮮やかに彼を包み、より一層美しく幻想的にみせる。
ほんと。ピアノ弾いてる時が一番幸せそうだよね。紡ぎ出される音から、はっきりとわかるもん。楽しいって。
こいつに弾かれるピアノは、愛されて幸せだよね。きっと。
5分くらい‥‥‥経ったんだろうか。
結局、私は聞き惚れてしまって。ずぅっと彼の弾く幻想即興曲に集中して聴いていた。やっぱり‥‥‥彼の奏でる音楽は特別だよ。
「ふぅ‥‥‥」
弾き終えた余韻にひたりゆっくりと、顔をあげる。そして、顔の汗をぬぐいシャツをうでまくりした。春から夏へかわる時期とは言え、あれだけ真剣にピアノと向き合っていたら熱中症になってしまいそうだ。なんだかスポーツ選手みたいに、汗がキラキラと輝いて見える。‥‥‥悔しいけど、綺麗で格好いい。
弾き終えた時の、安堵しつつ曲の持つ繊細さに浸るような表情が何より格好いいけどね。
‥‥‥ってなに考えてるの、私!!!
「あのさ、そっちにあるペットボトル取って?」
「ふぇ!?」
「そんなに驚く!?」
「え‥‥‥あ、いやぁごめんごめん。ぼーっとしてたからさ。ペットボトルね‥‥‥これ?」
「う、うん。ありがと‥‥‥」
ピアノの前の椅子に座ったまま、私の手から半分くらいオレンジジュースが入ったペットボトルを受け取った。彼はくいっと一気に残っていたジュースを飲み込んだ。
「‥‥‥悔しいけどさ、やっぱりピアノ上手いね‥‥‥‥‥‥」
「ありがと。‥‥‥って、なにが悔しいの?」
「‥‥‥あんたを誉めたいくらいに聞き惚れる演奏だったから」
彼は目を丸くしたあと、苦笑した。
「僕には音楽しかないからね。真剣に打ち込めて、真剣に愛せたものが」
「‥‥‥‥‥‥私には、わからないな。音楽ほど壁が近くて高いものはないと思うから」
「そう、かもね。うん。壁しかないね。‥‥‥でも、僕はそれが好きなんだよ、きっと。」
「ドM?」
彼はそんなわけない、と言わんばかりに首をブンブンと横に振る。だって壁にぶつかってくのが好きってことでしょ‥‥‥?
「違う違う!!‥‥‥うーん、音楽の壁で囲ったら自分の世界が作れるでしょってこと」
「その考え、よくわかんないんだけど」
だってそれって、狭い自分の殻に閉じ籠るってことじゃん。
「広い視野で見るのも大切だから、時々その壁を越えるけど。自分の好きなようにするには壁の空間に閉じ籠ってた方が時分を見つめ直せるんじゃないかって思う」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「君に僕の曲を歌って欲しいって思うのはね。壁に囲まれた僕を覗きに来てくれたからだよ。君には僕の演奏が、感情がちゃんと届いてるって知ってるしね」
つまりは。
「あんたの壁を‥‥‥扉を私が開いたの?」
「開かないって思ってた寂れた扉を、ね」
‥‥‥‥‥‥っ。
彼は笑った。爽やかに。儚く。
そしてそれは。私の胸を強く締め付けた。
ああもう!絶対今、顔赤い。林檎みたいに真っ赤なんだろう。私自身が刻み続けるビートが次第に早くなっていく。
「‥‥‥ッ!よ、用事あるから帰る!!」
「え」
「じ、じゃあまた明日!!!」
荷物をささっとまとめて、勢いよくバァン!と音楽室の扉を開け走り去る。ごめん、ごめん、と心のなかで謝りながら廊下を逃げるように走る。
絶対ない!絶対ないよ!!
あいつにときめくとか‥‥‥!!!
てか待てよ?ん‥‥‥?
‥‥‥‥‥‥あ。楽譜‥‥‥持ってきちゃった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
どうしよう!?ああいう逃げ方しちゃったから戻りづらい!!かといってこれないと絶対に困るよね‥‥‥!?
「‥‥‥さすがに今日渡すのは無理だよなぁ」
明日の朝はやくに音楽コースの教室行って、クラスの人に押し付けよう‥‥‥。で、放課後に謝罪すればいいよね。
なんて。能天気な考え方をしていたけれど。
次の日の朝。私は結果的にこういう言葉を言われてしまった。私と彼との関係が壊れるような言葉を。
「早瀬なんて、ピアノ専門の男子なんて‥‥‥このクラスにはいないよ?」
とても遅れてしまってごめんなさい。
次か、その次で今作品は完結します。
次の更新はもう少し早いと思うので、最後までお付きあいいただけたらうれしいです!




