とある男の日常
朝が来た。ついこの間まではこの時間であれば暗かったが、今の時期ではもう日も昇っている。
だいたいの鉄道やバスは、あと数十分もすれば「通勤ラッシュ」という誰もが嫌う状態が訪れる(というよりも人の「詰め放題」状態か)。
多くの人々はこれを何十年体験するのか。きっとイタリア人あたりが巻き込まれたら発狂しそうであるが、日本人にとっては当たり前。むしろ電車の屋根の上に乗るほど混雑する某国の鉄道の方がよっぽど恐ろしい。
「いや、お前らも似たようなもんだろっ!!」とイタリア人に突っ込みを受けそうであるが、とりあえず日本人の多くにとっては日常そのもの。とはいっても願わくば椅子に座ってのんびりと出社や通学出来るのならしたいのも事実。しかし、それが叶わなくても「遅れるよりは.....」。
数ヵ月前に山手線の線路脇の架線柱が倒れ大騒ぎになったが、なによりも騒いだことと言えば「日曜で良かった」である。本当に日本人とは一体何なのか。きっと諸外国人と日本人による討論特番を組めば二時間以上はCM無しでもつだろう。
しかし、それでも我が祖国日本。大日本帝國万歳(というのは言い過ぎだろう。白状すると作者が書いているときに街宣右翼が通ったので付け足した)。
少し話が逸れた。
結局、多くの日本人にとって日常。そして多くはそれが永遠に続くと考えているのでないか。たとえ映画やドラマでどんな内容があっても、どこか想像が付かない。それこそ「世にも奇妙な~」のような世界観があるのではないだろうか。
少なくても明日明後日周辺国のどこかが軍事侵攻だの離島占拠など起こらない。どこぞのテロ組織に人質となるのも、そこに行くから悪い。テロだって日本の税関や警察は優秀だからなんだかんだで起きないだろう。弾道ミサイルだって、いつも手前で落ちるか飛び越える。それよりも明日突然「離婚しよう」と切り出されたりしないかどうか...。そもそも「相手」がいつできるのか...。それ以上に会社のこともある。
しかし、それでも何かあれば自衛隊がいる。ソマリア海賊対策の派遣が今でも行われているなど知らないが、地震だの水害だのあれば自衛隊が助けに来る。また10万人体制で助けにくる。``災害救助組織``ではなく``国防組織``との理解をどこまでしているかは定かではないが、「自衛隊を評価して良いだろう」と思っているだろう。「いや、単なる軍隊だ!、憲法違反!!」「自衛隊さんが死ぬ姿はみたくありません。集団的~反対!!」と叫ぶ方々はさておき。
しかし、それもまた日常あっての思考。それで良いのだ。いや、良くないか。
そんな日常、そんな状況、永遠に続く。いや、永遠かどうかも考えるほどでもない日常。日常というよりそのものが時の流れ。
「車内で不審物を発見された方は、絶対にお手を触れずに乗務員、または駅係員へお伝えください」なんていうアナウンスも日常におけるBGM。それに誰のか分からない物、触ったとたん「置き引きー!!」なんて言われそうで触りたくもない。そう考える人もいる。
しかし、必ずしも不審物が「不審物」とは限らない。単に忘れ物かもしれないし、仮に爆弾だとしてもそれに触れたところで爆発するとも限らない。
そんなものだから例え戸棚に見たこともない文字が書かれた大きな袋があっても誰も気にしない。その真下でスマホをいじっている男の物だろう。いや、それさえも考えることもない。そもそもあることこそ日常に感じるのかもしれない。
中身だって考える気にもならない。それより今日の飲み会が一番に気になる。他部署のあの娘は、あのイケメンは来るのか...。
しかし、その袋の中身が一体なんだったのか、誰が置いたのか、そしてそれが次の駅に着く前の大カーブで爆発し、二両目から後続車両が次々と脱線し、向かってきた他路線の列車も巻き込んで重大な惨事となり、死者重傷者含め1,500人以上の日常が、それで鉄道が不通となり10万人近い人々の日常が狂ったことになるとは誰が予想したのか。
爆発する直前、その紙袋の真下に座っていたある男がまだ告白していないが付き合っている彼女にLINEを送った。「たまには非日常の気分でも味あわない?夜のディズニーランドでも行こうよ!」と。男の鞄の中には指輪が大切にしまわれていた。
そして、一人暮らしで家から大学に行く準備をしていた彼女は「いいね!、楽しみっ!!(^w^)」と返した。既読は付かないがきっと歩いてでもいるのかな?、と考えつつTwitterを開く。
そういえばと思い出す。この前タイムラインに「シンデレラ場前で告白したった!!」なんてツイートがあった。それを観て羨ましいものだと感じたが、もしかしてあいつも.....。
その光景を考え思わず頬が緩むのを彼女は分かっていた。そして何よりカップルから夫婦に慣れるかもしれないことに喜びを感じた。
「そうか日常じゃなくて、非日常かぁ~。確かに今この瞬間と比べたら非日常だわ」と思い、そんな洒落が効く「あいつ」を思って心の中で微笑む。
日常から非日常への転換であった。