1st episode-1
『うわあああぁあっ?!』
『きゃああぁぁあっ?!』
『うっひゃあぁあ♪ 良い眺めえ☆』
青く澄んだ空に、三つの悲鳴がこだまする。天空より降ってくるのは三人の少年少女と女の子。
なぜこんなことになったのか?
それを説明するには、幾ばくかの時を遡らなければならないだろう。
それは、彼らにとってはいつもの事、ありふれた光景、当たり前の毎日だったはずの時間。
その日、少年は殺気を感じて飛び起きた。
「殺気っ?!」
「起っきろぉ~っ!♪」
跳ね起きた少年の背後に、ボスッという音と共にベッドに落ちてきたのは、十七年来の付き合いのある従姉の肘だった。
「……」
「はよっす☆」
あきれたように振り向けば、肘を落としたままベッドに横になった従姉、シルヴィア・K(神崎)・クローヴィスが爽やかな笑顔で挨拶してきた。
鮮やかな蒼い瞳が彼を映す。
少年、金沢 勇樹は、先程の一撃を食らわなかったことに安堵しつつ、楽しげなシルヴィアをにらんだ。
「……おはようシルビー。だけど、早朝から肘を落とすのはいただけないと思うよ? 下手をしたら大ケガだ」
「気にすんなよユウ。あたしも従姉の務めとしてお前を起こすことに遠慮は無え」
カラカラと笑いながら言うシルヴィアに、勇樹は肩を落とした。
切れ長の目に蒼い瞳。流れるような長い金髪の少女。身体のメリハリも利いていて、出るところは自己主張が激しいくらいに出ていて引っ込むところはしっかり引っ込んでいる。
男なら確実に目を引かれるようなナイスバディの従姉。
日本人クォーターの彼女はハーフアメリカンで、さらにフランス人の血も受け継いでいるためか、非常に恵まれた容姿をしていた。
しかし、その性格はといえば残念の一言である。
普段の言動は男のようで、細かいことは気にしない。
がさつという事はないが、基本的にものぐさで面倒くさがりなため、家ではだらけていることが多い。
親戚でありながら比較的近所に住んでいたため勇樹とはかなり仲が良いのだが、彼女の行動に振り回される勇樹はたまったものではなかった。
しかも彼女の両親は考古学者でフィールドワークに出ずっぱりになっている事もしばしばであったため、金沢家に預けられっぱなしになっていたりしており、勇樹の母はすでに娘扱いしている。
勇樹自身にとっても、同日に生まれて新生児室で並んで寝て居た以来の付き合いである彼女は家族そのものであり、シルヴィアもそれは同じであった。
「……はあ。わかったよ起きるよ。着替えるから出てくれる?」
「よしわかった。手伝ってやろう☆」
「僕の話聞いてるっ?!」
噛み合わないやりとりに思わず突っ込む勇樹だが、シルヴィアは気にした風でもない。
「遠慮すんなよ~♪ 昔はきちんと着替えらんないのをてつだってやったろ?」
「何年前の話っ?! とにかく出ていってよ! 恥ずかしくて着替えらんないからっ!?」
「なんだよ、従姉弟同士で恥ずかしいもなにも無いだろ? あっ! そうか、あたしも脱げば恥ずかしくないな」
「なにその発想っ?! って、ブラウスのボタン外すなっ?!」
本当にブラウスのボタンを外し始めたシルヴィアに、勇樹は慌てて止めさせようと掴みかかった。
その行動が突然だったため、シルヴィアも虚を衝かれてしまい二人で揉み合うようにベッドに倒れ込んだ。
まさにそのとき。
「勇樹お義兄ちゃん、シルヴィアお義姉ちゃん、お義母さんが呼んでるから早く降りてきて……」
ガチャリとドアを開けて入ってきたのは半年前に勇樹の義妹になったひとつ年下の少女、金沢 悠真だった。
身長は140をわずかに下回る138センチと小柄で、お尻が隠れるほど長い黒髪に大きな黒い瞳が特徴的な可愛らしい少女だ。にも関わらず目を引くのは、彼女の胸元。女性の象徴たる膨らみは、ボリューム感としてはシルヴィアと大差無い程に感じられる盛り上がりを見せている。
しかしながら彼女は自分の容姿に自信が無いらしく、大きな胸を隠すように猫背で歩くのが常だった。 そんな少女が、勇樹とシルヴィアの様子を見て、顔に三つの○を作った。
「……お、お邪魔しました!」
悠真が逃げるように扉を閉めてパタパタと駆けていくのが聞こえた。
そこで改めて自分とシルヴィアの体勢を確かめる勇樹。
ブラウスのボタンが外されて、ブラのカップに包まれた女性の象徴たる二つの山があらわになった金髪碧眼の美少女を押し倒して馬乗りになった自分。
犯罪か朝からお盛んにしか見えない。朝イチなので、勇樹の男も絶賛生理現象中だ。
つまり……。
「待って悠真ちゃん誤解だ待ってえっ!」
勇樹は慌ててベッドから飛び降りて悠真を追いかけ始めた。
シルヴィアは一瞬キョトンとしてから爆笑し始め、慌てる従弟を見送った。
なんとか恥ずかしがる悠真をなだめて誤解を解いた勇樹は、その後身支度を整えて朝食の席に着いた。
今朝は母謹製卵焼きを中心としたご飯食だ。
僅かな焦げ目だけの、鮮やかな黄色と白のコンストラストに、瑞々しいちぎりレタスの緑とプチトマトの赤が映える。
白いご飯が湯気を立て、味噌汁は豆腐とわかめ。
和洋折衷ではあるが、スッキリとした朝食である。
その片隅で、シルヴィアが上機嫌で鼻唄を歌っていた。
彼女の前にある小鉢には、大量の糸を引く茶色い豆、納豆が異様な存在感を放っていた。
それに醤油とからし、かつおぶしにネギを大量投入し、嬉しそうにかき混ぜる。
今一度言うが、シルヴィアはハーフアメリカンクォータージャパニーズで、金髪碧眼の美少女だ。しかし生まれも育ちも日本であり、国外へは一歩たりとも出たことが無いのだ。英語など欠片もしゃべれない。というか苦手科目の筆頭だ。
そんな彼女の好物のひとつがこの納豆である。
器用に箸を使いこなし、納豆を嬉しそうに頬張る彼女の姿は、勇樹や彼の母には見慣れた光景だが、悠真はいまだに慣れる事が出来ず、違和感を露にしている。
とは言っても、すでに半年同じ屋根の下で暮らしてきているのだから慣れた部分もあった。
特に悠真とシルヴィアは同性で歳も近い。いろいろと相談しているうちに悠真は勇樹よりシルヴィアの方と仲良くなってしまっていた。
これにショックを受けたのは勇樹である。
せっかく出来た義妹が、よりにもよって正式な家族である自分よりも同居中の従姉の方に懐いてしまったのだから。
とはいえ、赤の他人であった異性と急に兄妹だと言われても、思春期、それもどちらかといえば内向的な少女がそれを受け入れるのは容易なことではない。
ある意味、従姉と言う兄妹よりは離れた関係で同性だからこそ、シルヴィアと悠真はすぐに仲良くなれたようなものだ。
その事に、まだ経験の足りない少年は気づいていなかったのだ。
朝食を終えて、食後のコーヒーをいただいてから出発の準備だ。学校指定のブレザーを着込み、一緒に家を出る三人。
とは言っても、勇樹の二歩前をシルヴィアと悠真が仲良く談笑しながら歩く形だが。
「……納得いかん」
「何がだよ」
「……」
ぼそりと漏らした言葉に反応してシルヴィアが振り返り、悠真も窺うように勇樹を見る。
そこに隔意を感じてか勇樹は少し悲しそうな顔になった。
それに気づいた悠真も申し訳なさそうな顔になる。
悠真は決して勇樹の事が嫌いでは無いのだろう。ただ、ふたりが兄妹として家族になっていくには、まだまだ時間が必要なようだった。
そんな二人にシルヴィアは嘆息した。
もう少しふたりとも気を楽にして接すれば。
「……そうすりゃあ良い兄妹になれそうなんだけどなあ」
小さく漏らした言葉は、不器用なふたりには届かない。
シルヴィアは苦笑して悠真の手を取ると、勇樹の方へ引っ張っていった。
「大丈夫だって。とって食われたりしやしないからさ」
「ぁぅ……」
恥ずかしそうに顔を伏せる悠真。しかし嫌がる素振りはない。
けれども、勇樹は困ったように笑いながら地面に膝を着いて目線を合わせた。
「……無理しなくても良いよ?」
そう言って勇樹は笑顔を浮かべた。顔を伏せたまま上目使いで窺っていた悠真は、さらに顔を赤くした。
そんな彼女の頭に、勇樹はおっかなびっくりしながら手を乗せた。
悠真の体がピクリと跳ねた。
「僕は、お義兄ちゃんはいつまでも待ってるから。だから、焦らなくて良いからね?」
そう言いながら勇樹は絹糸を撫でるように優しく、悠真の頭を撫でた。
それだけで悠真は自分の体が、きゅっとなるのを感じた。
そんな二人を見て、シルヴィアは、やれやれとばかりに息を吐いた。
と、その時。
一陣の風が、二人を撫でた。
「……ん?」
「なんだ?」
「……え?」
異様な気配を感じて、勇樹とシルヴィアが表情を険しくし、悠真もびっくりしたように周りを見回した。
彼らの周りから、色が抜け落ちる。
次の瞬間、三人の足元に、黄金に輝く円が出現した。
幾何学模様で埋め尽くされたそれは、回転しはじめる。
勇樹は立ち上がり、シルヴィアと二人、悠真を護るように身構えた。
しかし、突然勇樹が右目を押さえてうめいた。いや、シルヴィアや悠真も同様に右目を押さえる。
「くっ……ぐぅ」
「んだこれっ?! っ痛ぅ……」
「い、痛い……痛いよお……お父さん、お母さん!」
あまりに痛むのか、三人とも涙を溢れさせる。
しかし、光る円の回転は止まらない。
勇樹もシルヴィアも、右目の痛みを必死で堪えながら状況を打開せんと周りを見る。だが、回転を続ける光の円と、色の抜け落ちた景色以外には何もない。
やがて悠真が、崩れ落ちるようにうずくまった。
「痛いよう……痛いよう……た、助けて……お義兄ちゃんお義姉ちゃん」
その声に勇樹とシルヴィアが悠真のそばにしゃがみこんだ。
「悠真!」
「悠真!」
義妹に声を掛けながらふたりは彼女を抱き締めた。そしてお互いの顔を見つめ、ふたりは伸ばした指を絡め合う。
笑みが、こぼれた。
そんな三人を後目に、円の回転速度も光もはどんどん増していき、やがて目が眩むほどの輝きを放ったかと思うと、一瞬のうちに消え去った。
後には何も残さずに。
そう、引っ込み思案な少女も、金髪碧眼の快活少女も、優しく微笑む少年も、跡形も無く消え去っていた。
ただそこには、一陣の風が吹き抜けるだけだった。