元、子爵令嬢です
お読みいただきありがとうございます。
エリス・ラーデル公爵家夫人とは、私のことである。子どもを二人もうけ、娘の方は二十歳で嫁ぎ、息子の方は侯爵令嬢と近々結婚し当主になる。
そう、結婚と共に息子が爵位を継承するのだ。私と夫は晴れてご隠居生活の始まりである。新婚生活において不要なものは未来への不安と姑だと相場が決まっている。屋敷に残る気はない。
――私が今悩んでいるのは、それなのだ。
「あなた。私です、エリスです。入ってよろしいですか?」
「え、あぁ! 勿論だよ、ちょっと待っておくれ!」
すっかり寝室は分断され、部屋に入るにも許可が必要になった。
夫がバタバタと部屋を踏み鳴らしている。なにか、見られたくない物でも隠しているのだろうか。秘密♡(←ハートなんて付けちゃった)の恋人からの手紙とか。
――浮気。最近挙動がおかしくなった夫に対し、この二文字が浮かぶのに時間はかからなかった。
「貴方のことがしゅきです♡(←また付けちゃった)」というラブレターにその脂肪がついた頬をとろかしているのだろうか。腹が立つ!
結局夫はそういう女が好きだったのかもしれない。だから結婚◯十年目となった今、私たちの関係は干上がった砂浜のように乾いてしまったのだろう。
だってそんな可愛さに全振りした女とは、昔の私なのだから!
「あなた、入りますわよ!?」
「もうちょっとだけ! 待っておくれ!」
今は鬼ですがなにか!?
◇◇◇
彼――ヘイゼル・ラーデルとは学園で出会った。
貧乏子爵令嬢である私がわざわざお金を捻出し学園に入学した理由はただ一つ。玉の輿に乗ること。
そこで彼は格好のカモとなった。
当時はまだ痩せていたが、他の高位貴族と違って彼の眉尻はいつも下がっていて、分け隔てなく皆に接する人だった。背が高いのに自信がないのかよく丸めていて威圧感がなく、穏やかに笑っている。
狙いを定めて三日目。遂に行動を起こした。
「……きゃっ、あいたた。まぁ、私ったら考え事に夢中になっていて人に打つかってしまうなんて。ごめんなさい、お怪我はありませんか?」
「大丈夫だよ。君の方こそ怪我はないかい?」
廊下の曲がり角。老朽化した木の床は歩く度に悲鳴を上げるから、タイミングを見計らうのは簡単だった。
涙目になりながら謝れば、彼は一層眉尻を下げ優しく私を許した。顔も知らない下級貴族など、下賤な者が! と怒っても変ではないのに。
母様から受け継いだ美しい顔を上気させ、口元に手を寄せる。
「あの、よろしければカフェでお茶でもしませんか? ぜひ、お詫びしたいんです」
「そうかい? 僕はお菓子が大好きなんだ。嬉しいよ」
「――ヘイゼル様、このような怪しい誘いに乗る必要はありません。打つかる直前、足音が聞こえませんでした。ヘイゼル様を狙って待っていたのでしょう」
了承してもらったのも束の間、矢のように鋭い声が飛んできた。
側近であろう男は値踏みする視線を遠慮なく送ってくる。せっかくの誘いに水を差され、二人きりだったら雨の粒数にも負けない罵倒を浴びせただろう。運の良い男だ。
よろ、と額に手を当てふらつく。
「私、そんな気はありませんのに……酷いですわ。うぅ〜おいおい……」
「カイン……女の子を泣かせたら駄目だよ」
「ヘイゼル様! 騙されてはいけません、それは嘘の涙です! 本当においおいと泣く人がいて堪りますか!」
まぁ、この目尻から流れる涙が見えないのかしら。
密かに火花を散らせば、彼が丸い笑顔で間に入った。
「まぁまぁ、別に僕を殺そうとしている訳でもなさそうだから良いじゃない。ただの可愛いお誘いにいちいち目くじらを立てていたらキリがないよ」
「ヘイゼル様ぁ……!」
情けない声に手で隠した口がニンマリと弧を描く。
私の手より一回り大きな手を差し出された。
「素敵なお誘いをありがとう」
勝った、この時確かに心の中でガッツポーズを決めた。
◇
学園には食堂の他にもカフェが併設されている。だが貧乏人は門を叩くことすら許されないそこは未知の領域だった。禁域と呼んでも良い。
そんなお金があるならば、妹と弟に家庭教師を付けてあげられるし、母様が内職の針仕事を休む暇が生まれる。
必要資金。何度も呟き心を落ち着かせる。将来何倍にもするからね、と青く澄み切った空を見上げた。
「どうしたの、立ち止まって」
「あ、いえなんでもありません」
パッと手を振れば、不思議そうにされながらもそれ以上追求はされなかった。
大丈夫。失敗なんてしない! 華麗な愛され術で公爵夫人の座を射止めてみせる!
――と決意したのが十分前。
生兵法は大怪我のもととは良く言ったものだ。先人が記した通り、中途半端な知識はとんでもない災難に見舞われることがあるらしい。
ケーキが、思っていたより高かった。それも、0が一つ多い。
お財布の中に入っているお金の大半は、学園に向かうため乗る一ヶ月分の辻馬車代だ。父様が逡巡もせずくれたお金で、歩いていくことを覚悟していたからとても嬉しかった。
それ以外は、私が針仕事で得たお金。ケーキ一個も買えないほどしかない。完全に見誤った。
「どうしたんだい? 悩んでるの?」
「ちょっと目移りシチャッテー」
冷たい汗が顎を伝う。
辻馬車を諦め歩くことは良い。早朝に出れば間に合う距離だ。父様の優しい笑顔を裏切るような気がして胸が痛むのだ。
「ここはモンブランが特に絶品らしいよ」
「モンブラン?」
働かない頭でオウム返しする。
「栗を練り込んだクリームを使ったケーキだよ」
「栗、ですか」
屋敷の裏には一本の栗の木がある。秋の食料として、実り落ちたトゲトゲを家族と使用人で拾うのだ。落ちてくるトゲトゲ対策で麦わら帽子を被りながら皆で笑い合う。勿論栗も美味しい。
ほわりと頬が緩めば、その隙に彼が注文をしてしまった。
「カイン、僕はショートケーキで彼女にはモンブランを頼むよ」
「かしこまりました」
我に返ったが、既に忠実なる側近は店員に注文しに行ってしまった。
必死に頭の中で勘定する。ショートケーキ一個にモンブランが一個。今飲んでいる紅茶も入れたら、財布の中身は丸々空になってしまうだろう。
父様、ごめんなさい。
「ごめんね、勝手に頼んでしまって。栗は嫌いだったかい?」
「いいえ、好きです。家族でも硬い皮を剥いてよく食べていましたから」
「硬い……皮? なんだいそれは」
首を傾げられてしまった。公爵家の嫡子は栗がどのような状況で実っているかなんて知らないのだろう。貧乏丸出しで頬が赤くなる。
「その、栗の実を守るための皮です」
「へぇそうなのか。見聞が広いんだね」
「あ、ありがとうございます」
「硬い皮に包まれてどのように生えているの?」
優しく話を振られる。凍りついた喉が氷解し、さっきより流暢に口が回る。
「更にトゲトゲとしたものに包まれて木に実っているんですよ。だから帽子を被らないと落ちてきたのが当たって大惨事です」
「それは気をつけないとだ」
「はい」
一段落したところでケーキが運ばれてきた。
淡い茶色の細いクリームが、山を成すように何重にも巻かれている。その上にデンと鎮座する栗は、艶を発していた。
「わぁ……」
子どものような感嘆の声に彼が微笑ましそうに瞳を細めたことにも気づかず、私はモンブランにフォークを突き立てた。
口に含めば、栗のクリームとふわふわの生クリームの味を最初に感じ、噛めば柔らかいスポンジ生地と軽いサクサクとした食感がある。クリームの甘さとスポンジの香ばしさが合わさり、いくらでも食べられる気がした。
「美味しい……!」
「良かった。僕も食べよ」
話すことも忘れ堪能していれば、ようやく帰ってきた側近が眉間に皺を寄せた。
「ヘイゼル様。それを食べたら暫く甘味は禁止ですからね」
「えぇ、そんな……僕の楽しみが」
「食べ過ぎは体に毒ですから」
一転してフォークの端でクリームをちまちま食べる姿に笑いが誘われる。
小さなケーキは、沢山の幸福をもたらしてくれた。束の間のお姫様気分だ。
手が止まる。
だが私はお姫様ではない。貧乏貴族だ。
夕焼けと共に皿は空になり、魔法の時間は終わった。紅茶で口に残った甘さが流されていく。
「今日はお付き合いいただきありがとうございました」
「こちらこそ、楽しい時間をありがとう」
財布を取り出そうと鞄を探る。しかしその手を制された。
「あぁ、もう僕が払ったから大丈夫だよ」
「え」
「カインに会計も一緒にするよう頼んでたんだ」
側近が小さな籠を私に手渡してくれる。所狭しと焼き菓子が詰められていた。
「ご家族と一緒に食べて」
「こんな……っ、貰えません! そもそもケーキ代も私が払うはずですのに!」
優しい表情は大樹のようについとも揺らがない。
「良いんだよ。綺麗な子と一緒にお茶ができただけでお詫びはもう十分だから」
「でも……」
「甘いのは暫く控えなくちゃなのに、君が貰ってくれないと僕が食べてしまうよ。カインに怒られる僕を憐れに思ってほしい」
片目をつむる彼に籠を押し付けられ、そのまま帰って行ってしまった。
行きと変わらない重さの財布を抱えながら、辻馬車に乗り込む。
胸に抱えた籠は、日向に当たっていたようにじんわり温かい気がした。
◇
「おはようございます、ヘイゼル様!」
「やぁ、今日も元気だねエリス嬢」
あれから毎日私は話しかけている。涙ぐましい努力のお陰かこの頃は距離も近づいた気がした。
季節は春を越え、すっかり夏を迎えていた。
私は日々刺繍を売ったりしながら日銭を稼いでいる。学園の授業でも刺繍等は必須科目であり研鑽を積んだ私はレースなんぞも編めるようになり、家計の足しになるくらいには稼げるようになっていた。
……まぁ、雀の涙ほどだが。
「ヘイゼル様、きっと爵位と財産目当てでございますよ。搾り取られますよ」
「エリス嬢はそんな人じゃないだろう」
「そうです、私はヘイゼル様をお慕い申しているだけです」
怒りに顔を染め上げた側近改めカイン様がキエェッと雄叫びを上げた。汚らしい。
眼鏡を割らん勢いで若干慄いていると、彼がペシと額を指の腹で叩いた。
「ここは学園だよ。少し落ち着いて」
「すみませんヘイゼル様。取り乱しました」
でもさすがは公爵家次期当主の側近と言うべきか。しゃんと背筋を伸ばし眼鏡をくいと上げた。
「……あの、ヘイゼル様。今度のパーティーではもう相手の方はいらっしゃいますか?」
学園で定期的に開かれるパーティーは、社交界に出るための練習の場と表向きはされている。だがその実態は婚約者探しだ。パートナーとして出席すれば、世間からはそういう目で見られる。
ここが勝負時!!
ヘイゼル様は爵位も高く顔立ちも悪くない。だが同世代に王太子や宰相の息子、他にも公爵家の嫡子の面々が天文学的確率で揃ってしまい、しかも美形と来たもんだ。つまりヘイゼル様の競争率はそんなに高くない。
「私、ヘイゼル様と一緒に出たいです」
「僕と一緒、か……」
表情が一瞬曇った。
「うーん」
「私、踊るのは得意ですよ。カーテシーだって先生から褒められるほどです……!」
必死にアピールするが依然としてヘイゼル様の眉間の深い峡谷はそのまま。
「ごめん、ちょっと風に当たってくるね」
「ヘイゼル様、それでしたらこのカインもお供させていただきます!」
「いや、一人になりたいんだ……」
「かしこまりました!」
そして二人残される。ヘイゼル様がいないと緩衝材が消えるため、とても気まずい。
「おい」
主人がいなくなった途端口が悪くなった。まぁ、側近の彼もまた侯爵令息と高い身分の人なので当たり前と言ったらそうだが。
「早くヘイゼル様から身を引け」
「無理です」
「くっ、強情な!」
カイン様は眼鏡をかけ直した。
「……これはお前のためでもある。子爵家と公爵家。同じ貴族と一括りにしても、責任や求められることは比にもならない。それについていくことができるのか?」
「頑張りますわ」
「能天気だ。……………………ヘイゼル様はな、お前に、ひっじょーに不本意だが恋をしているんだよ」
「非常に不本意、というところはカイン様の主観ですよね?」
言い返してみるが、それにはなにも答えてくれない。遠くを見つめ物思いに耽っているようだった。
「好きな甘味も、最近めっきり口を付けなくなった。ヘイゼル様は悩んでおられる。お前に苦労をかけさせても良いのかと」
「かけさせてほしいですけどね」
色恋の前に公爵家次期当主としての責任が来るとは、なんと損な性分なのだろう。
だが、彼は良い人なのだろう。初めて会った時から寸分狂わず。
苦労をかけさせたくない。父様と母様の口癖だ。申し訳ない、これも口癖。
私は苦労をしたいのではなく、同じ苦しみを分かち合いたいのだ。
「私もヘイゼル様が好きです。だから、なんだってやるつもりですよ」
「……エリス嬢」
初めて名前を呼ばれ瞠目していれば、今帰ってきたところなのか立ち尽くすヘイゼル様が目に入った。顔は真っ赤になっている。
こうして、私たちは恋愛結婚をすることになった。
◇◇◇
学園を卒業すると共に私たちは結婚をした。幸せの絶頂だったと言ってもいい。
――だが、ヘイゼル様のご両親が事故に遭い亡くなってからが本番だった。
結婚一年目で、先日お腹に子が宿っているとお医者様に太鼓判を押されたばかりだった。
ヘイゼル様に全ての執務が回ってきて、目が回るような忙しさとなった。私も執務を行なったり、重い体を無理矢理動かし社交界で挨拶回りをしたり。
子どもが生まれてからは更に多忙を極めた。乳母に任せきりにするのではなく、父様と母様がそうだったように自分の手でお世話をしてあげたいという目標を掲げたが、現実は甘くない。
五年も経てば色々と落ち着いてきたが、払った代償は大きかった。
まずヘイゼル様は丸くなった。執務の傍らに摘んでいたのが駄目だったらしい。深夜の摂食を甘く見た私にも非はあったのだろう。
忠実なる側近として従事するカインは眼鏡が分厚くなった。視力が落ち、トントン拍子に新しいのに変えていったのだとか。今では目の形を窺えないほどに厚くなっている。
そして私と言えば――
鬼になった。
社交界で貧乏子爵家出身と舐められぬよう覇気を纏い、ヘイゼル様が崩れそうな時に尻を叩くため大きな声も出せるようになり、執務仕事も行う中で数字の不備を見つけるため眼光も鋭くなった。
唯一鬼の仮面が外れるのは息子と戯れる時だけ。
私が公爵家夫人として認められる頃には、鬼というあだ名も台頭していた。
そして私は鬼となったまま、結婚生活◯十年を迎えた。
すっかり髪に白が混じったカインが、ソファに体を沈めている時に挨拶にやって来た。
「お時間よろしいですか、奥様?」
「よろしくてよ」
カインは眼鏡をくいと上げる。
「もう旦那様にはお伝えいたしましたが、この度私も御暇させていただくことになりました。奥様たちもご隠居なさるので、良い機会かと思いまして」
「最近貴方は腰が痛いとよく訴えていたものね。それなのにここまで尽くしてくれてありがとう」
頭を下げれば、ズビとカインが鼻を鳴らした。
「奥様は本当に公爵夫人が板につきましたね。最初の頃は新婚生活を謳歌しすぎてて旦那様共々どうしようかと思いましたが」
顔を上げる。
そうなのかもしれないと思った。あの頃の私は、可愛いだけで良かった。ヘイゼル様とイチャイチャして癒して、ヘイゼル様のご両親に愛嬌を振り撒いて。
そうはできないと知ってから、私は立派に務めを果たすことができたのだろうか。
「旦那様を支える奥様が、貴女様で良かったと今なら心から思います。長きに渡るラーデル公爵家当主の妻としてのお勤め、お疲れ様でした」
「ふふっ、学生時代の貴方に今の言葉を聞かせてあげたいわ」
「きっと困惑するでしょう」
「そうね」
カインが退室する。
そうだ、私は変わった。ヘイゼル様と出会った可愛らしい私とは、良くも悪くも変わってしまった。
最近彼はなにか隠し事をしている。浮気だろう。それに対しなにかしようとは思わなかった。
だが、彼にもお疲れ様でしたと引導を渡す時なのかもしれない。
気づけば私はヘイゼル様の部屋へと向かっていた。
◇
彼が扉を開けてくれたのは、それから十分も経ってからだった。
「ご、ごめん……お待たせ……」
「えぇ本当に」
肩で息をするヘイゼル様にエスコートされ、椅子に座る。彼はベッドに腰を下ろした。
窓が空いている。春を待つ季節と言えどまだ肌寒いのにと目を眇めた。
浮気相手からの愛♡の手紙を外に舞う風の一党にしたのだろうか?
「……今日は、お話があってきました」
「話?」
拳を握りしめる。
言うのだ。丁度良い機会ですし別居しませんか? と。離婚ではなく別居なら世間からの風当たりもそこまで強くないだろうし、彼は本当に好きな人と暮らすことができる。
私が切り出せば全て終わるのだ。
「わ、私……」
この何十年間、止まることなく回った口が錆びついたように動かない。俯く。
そうしなければ、潤んだ瞳がヘイゼル様にバレてしまう。
馬鹿、ヘイゼル様の馬鹿! 愛想尽かすなんて最低!
確かに私にはもう可愛げなんて無くなってしまった。けど鬼になったのは、なにも貴方を嫌いになったからではない。
その逆で。隣で一緒に戦うためにそうなったのだ。ずっと一緒にいたいから。
まだ、私はこんなにも好きなのに。愛しているのに。もう彼の気持ちが向いていないと突きつけられるのが、こんなにも苦しい。
貴方にとっては、きっとなんでもないことだった。けれど初めて出会った日、その優しさに打算ではない恋に落ちてしまった。
家族で美味しいね、と貰った焼き菓子を食べて。ポロポロ涙が溢れた。
「エリス? どうしたんだい」
優しい声に、貴方のせいです! と鬼モードに顔が豹変する。
ベッドから下りた彼が目の前まで来てた。
「……ん?」
「なんだい? って、うわぁ!?」
彼のシャツを掴み、顔を近づける。薄い茶色のなにかが付着していた。すん、と嗅げば甘い香りがした。
まさか、さっきなにかを片付ける音がしたのは……。わざわざ窓を空けたのは……。
「貴方! この間お医者様にも怒られましたのにまたお菓子を食べたのですかッ!!」
「う、ごめんなさい……!」
「このままでは早死にまっしぐらですよ! 私を未亡人にさせる気ですか!」
「ないよ!」
ヘイゼル様は必死に声を上げ、鬼モードと化した私から視線を逸らす。子どもが叱られるのを恐れているようだった。
「違うんだよ……。もう少しで二人きりになるから、お祝いにケーキを用意しようと思ってて……」
「そして、一人で食べたと」
「そうじゃないんだ!」
彼がクローゼットを開ければ、底にトレーと小さなお皿が数枚載っている。
「君と初めて食べたモンブランを再現したくて……シェフたちに頼んで味見をしていたんだよ。あのカフェも代替わりをして、レシピもすっかり変わっていたから作り方が分からなくて……」
「モンブラン……」
「思えば僕たち、結婚してからはのんびり話す機会も失くなったよね。だから、一緒に話をしたくて」
唇を尖らせる。額から伸びていたツノは、いつの間にか縮んで姿を消していた。
「……モンブランがなくても、沢山お話しますわ。それよりも、その、私で良いんですか? こんな、鬼みたいな私で……」
ヘイゼル様が変わらない、輝く笑みを浮かべた。
「なに言っているんだ。エリスはずっと変わらないよ。――ずっと、僕が好きなエリスのままだ」
「……っ」
抱き着けば、大きな手のひらで背を撫でられる。
ふふっと私も笑ってしまう。
「それで、レシピは分かりましたか?」
「うん、今さっき食べたのが同じだったんだよ」
「それは良かった。……けどヘイゼル様は暫く甘味禁止です」
「そんなっ」
そこで会話が止まり、どちらかともなく顔を近づける。
私たちは学園で人目のつかないところで初めて唇を重ねた日のように。
頬を赤らめながらきすをした。
私は元子爵令嬢。現在は公爵家夫人で、鬼でもある。そしてもう少ししたらそんな肩書きは消え、ただのエリスに戻る。
「それでも変わらず、貴方が好きです」
最後までお付き合いいただきありがとうございます
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