第六話 『理想の家族』の崩壊
希実子のインタビューの余韻も冷めやらぬなか、翌週新たな暴露記事を載せた『週刊真相』が発売された。
『独占スクープ 神原富久の深層 神原富久の隠された過去を暴く』
神原富久が銀行員時代、ギャンブルに溺れ、借金まみれになっていたこと。
返済に追われ同僚で実家が資産家だった早乙女薫に借金を申し込んだが断られて、一方的に恨みを抱いたこと。
首が回らなくなった富久が、闇バイトに手を染めたこと。
簡単に稼げると思い足を突っ込んだ闇バイトの世界で、井上希実子と麻由、慎一と出会ったこと。
上記の4人にコバを加えたグループで、早乙女家に強盗に押し入り、早乙女薫と妻の雪美を殺害したこと。
ともに早乙女邸襲撃事件の実行役だった4人で偽物の家族を演じ、政治家にまでなったこと。
今でも闇バイトの指示役に弱みを握られ金銭を脅し取られていること。
世間に『理想の家族』とまで言わしめ富と名声を手に入れた神原富久の全てが、『週刊真相』の記事によって丸裸にされた。
もう、富久は言い逃れはできなかった。
『週刊真相』の記事を受けて、警察が捜査に乗り出した。
先に逮捕されたコバのスマホから、神原富久らが、早乙女邸へと押し入る様子を映した動画が見つかったという。
神原富久、井上希実子、斉田麻由、橋本慎一は強盗殺人の疑いで、それから間もなく逮捕された。
富久らが連行されていくさまはテレビで生中継され、日本中が時代の寵児の墜落を、ある者は落胆の思いで、ある者は嘲笑いながらその様子を見守った。
一種のエンターテインメントのような異様な盛り上がりのなか、生中継は熱の籠もった実況とともに家庭の、街頭の、パソコンやスマホの画面に映し出され、人々は酔いしれるように富久たちの破滅を愉しんだ。
自分たちとは無関係な世界に生きる画面の向こうの有名人の醜聞ほど心惹かれるものはない。
人々は住む世界が違う有名人の転落に心躍らせ、自分より恵まれた人間が不幸になる様子を見て、自分はまだ幸せだ、と思うことで、退屈な人生にちょっとした意味を見出し、それぞれの日常へと戻っていく。
どこかすっきりとした愉快な気分になりながら。
今はこれだけ騒がれている神原富久も、あと半年もすれば忘れられ過去の人になるだろう。
ずっと注目を集めていることは難しい。
いつまでも同じエンターテインメントの人気は続かない。
すぐに流行りは廃れて、新しいトレンドが生まれる。
それが、世の中というものだ。
今は嵐のようでも、やがて渦巻く暗雲はほつれ、散り散りになり甲高く鳴く暴風は凪ぎ空は晴れ渡る。
富久逮捕の狂乱を冷めた目で眺めながら、果鈴は富久たちへの怒りがほんの少しだけ和らいでいくのを感じていた。
これで、ようやく自分の人生を歩き出せる。
復讐から解放され、自分のためだけの人生を送ることができる。
まだ彼らを赦すことなどできそうにないが、逮捕されたことで、一区切りついた気がする。
実家から持ってきた、幸せだったころの家族写真が詰め込まれた、今も開けないでいるアルバムを、棚の奥から引っ張り出す。
アルバムは、果鈴が赤ちゃんだったころからはじまり、すやすやと寝ている果鈴の横で微笑む若き日の両親が満面の笑みで写っている。
果鈴の成長を追うように切り取られ、焼きつけられた写真は、幼稚園、小学校、中学の卒業式、そして高校の入学式で、校門の前で家族3人並んで写っている写真を最後に唐突に終わりを告げた。
もう新しく写真が増えることはない。
幸せだったあの日々が戻ることはない。
──あのころに戻れたらいいのに。
いつしか果鈴の頬には涙が伝っていた。
悔しさ、悲しさ、やるせなさ、懐かしさが綯い交ぜになって、涙という目に見える形となってその存在を主張する。
きつく瞳を閉ざすと、何滴もの涙が閉じたアルバムの上に落ちた。
☆☆☆
「パパ、ママ、犯人、捕まったよ」
墓石の掃除を終えると、しゃがみ込んで目を閉じ、手を合わせてそう報告した。
隣にいた夏美も同じように手を合わせる。
墓石には『早乙女家の墓』と記され、薫と雪美の名前が刻まれている。
犯人が捕まったことで、果鈴はやっと墓参りにくる決心がついた。
復讐を終えて、両親に無念を晴らすことができたと報告できるまで、墓参りにくることは控えよう、果鈴は密かにそう決意を固めていた。
穏やかな冬晴れの澄んだ空を見上げる。
これまで、空を見上げるのは、涙を堪えるためだった。
上を向いて涙が零れないようにきつく唇を噛んで耐えた。
──だけど、もう解禁していいかな。
私、子どもみたいに泣いてもいいかな。
すうっと、透明な雫が果鈴の頬を伝う。
「会いたいよ、パパ、ママ」
両親の最期の姿が脳裏にこびりついて離れない。
幸せだったころとのギャップに戸惑い続け、空いた穴を埋めようとしてきた人生だった。
でもきっと、心に空いたこの穴は果鈴が死ぬまで埋まることはないのだろう。
だったら、この空虚な喪失感と寄り添って生きていくしかない。
最近、ようやくそう思えるようになった。
果鈴が泣いていることに気づいた夏美が、そっと抱擁してくれる。
「頑張った、果鈴、頑張ったよ、偉かった」
夏美の優しい声に、ますます果鈴は泣き崩れる。
「誰かを恨むのは、もう終わりにしよう。
忘れろなんて言わない。
でも、これからは果鈴は果鈴のために生きるべき。
お姉ちゃんも薫義兄さんもそう望んでいるんじゃないかな」
こくり、と果鈴がうなずく。
腕の中の姪っ子を夏美が優しく抱きしめる。
早乙女果鈴の復讐は、こうして終わりを告げた。
☆☆☆
春がきて、果鈴は夏美のマンションを出て、ひとり暮らしをはじめた。
社会人1年目。
小規模な工場の事務として、果鈴の新しい生活ははじまった。
六畳一間の古ぼけたアパートが新しい果鈴の住まいだ。
思えば、あまり青春らしいことをしてこなかったことが悔しいやら寂しいやらだ。
楽しい学生生活ではなかった。
いつも苦しくて、寂しくて、憤っていて、涙とともにあった。
華やかに青春を楽しむクラスメイトを横目で眺めるだけの日々だった。
果鈴の頭上にだけ、暗雲が垂れ込めているような。
そんな疎外感を払拭できずに貴重な時間は流れてしまった。
「果鈴ちゃん、わからないことがあったらなんでも訊いてね」
工場の社長の奥さんは、なにかと果鈴を気遣ってくれる。
はい、と返事すると、果鈴は屈託なく微笑んだ。
収入の面で不安はないことはないが、アットホームな職場を、果鈴は気に入っている。
なにより、社長夫妻の人柄に魅力を感じていた。
歳は両親よりかなり上だろうが、社長夫妻に両親の面影を重ねていた。
これからは自分のために生きる。
果鈴の胸に、久々の希望が灯った。
☆☆☆
夏美から転送された手紙を果鈴は開封した。
差出人は『神原希実子』。
その名前に少しだけ、息苦しさを感じつつも、便箋を広げる。
神原家が起こした一連の事件の裁判はまだ続いている。
裁判は傍聴希望者が大勢集まり少ない傍聴券を争い、裁判所には長蛇の列ができるほどの大盛況だった。
報道番組でも裁判の様子が盛んに取り上げられている。
神原富久、井上希実子、斉田麻由は罪を認めた。
慎一だけは不貞腐れたように黙秘を続けているらしい。
神原家の面々が起こした犯罪は早乙女邸の事件だけではない。
余罪も含めると、下される刑は、かなり重くなるだろうことは容易に想像がついた。
富久や希実子らが薫と雪美を殺害する様子を生々しく語る場面では、傍聴していた果鈴はきつく目を閉じ涙を堪えた。
裁判が結審するまでは、まだしばらく時間がかかるだろう。
希実子もまだ拘置所にいるはずだ。
希実子から届いた手紙の文面に目を落とす。
飾り気のない白い便箋に書かれた希実子の字は、神経質さを感じさせるやや角張ったものだった。
『早乙女果鈴様
突然お手紙をお送りする無礼をお許しください。
このたびは、本当に申し訳ございませんでした。
あの日、ご両親の命を奪ったのはわたしです。
果鈴様の平和な生活を壊したのはわたしです。
許されようとは思っていません。
どんな刑に処せられようと、受け入れる所存です。
わたしは人間として最も最低な行為をしました。
自分の行動がどれだけ人を傷つけるか考えもせず、自分のためだけに欲望のままに生きてきました。
自分が夫からの暴力の被害に遭っていたというのに、暴力がどれだけ苦痛をもたらすものなのかも知っていたというのに、ご両親がどれほどの恐怖を抱いたか想像も及ばずに暴行を加えてしまったことを心よりお詫び申し上げます。
果鈴様の心に消えない傷をつけてしまったことをお詫びし、深く反省しています』
そこで紙面から目を背け、目頭を揉んだ。
──誠意が感じられない。
希実子が綴った文面からは懺悔も後悔も真摯な姿勢も感じ取れなかった。
ただ言葉で反省していると言うだけ。
謝罪の言葉が上滑りしている。
しかし、自分宛てに送られた手紙を途中で放り出すことも躊躇われた。
仕方なく続きに視線を走らせる。
『井上とは離婚しました。
裁判の結果は受け入れるつもりです。
ですが、もしこれから先、わたしたちに生きることが許されるなら、わたしと富久さん、麻由、慎一と本当の家族になりたいと思っています。
事件を通じて知り合い、偽物の家族として過ごすうちに、表現することは難しいですが、わたしたちには絆と言って差し支えないものが生まれました。
できることなら、4人で人生をやり直したいと思っています。
わたしたちを恨んでください。
憎み続けてください。
わたしたちは極刑をくだされても当然のことをしました。
このような形ではなく、富久さんたちと知り合えたら、と考えることがあります。
そうすればわたしたちは、本当の家族になれていたかもしれません。
どんな歪な形でも、家族として穏やかに生きていけたかもしれません。
全ては自分のやったことでその可能性の芽を摘んでしまった。
自分の愚かさが招いてしまったことです。
果鈴様を傷つけることを書いている自覚はあります。
今後一切連絡を取るつもりもありません。
どうか、お元気でお過ごしください』
──絆が生まれた?家族になりたい?人生をやり直したい?
この人殺しは、なにを言っているのだろう。
あまりにも救いがない。
事件を通して絆が生まれ家族として生きて行きたいと思うようになった。
歪んだ家族愛だと思った。
歪んだ欲望に突き動かされて人殺しまで行き着いてしまった彼らに、そんなことが許されるのか?
──どこも反省していないじゃないか。
果鈴は顔を手で覆い思わず天井を仰いだ。
口角が緩やかに上がる。
──こんな救いのないやつらに、私の人生は狂わされたのか。
果鈴は薄く微笑んでいた。
怒りも憤りも感じなかった。
ただただ、希実子たちと同じ時代に生まれてしまった自分を呪うだけだった。
希実子の、あまりに身勝手な言い分は、もはや笑うしかなかった。
全身から力が抜ける。
──好きにすればいい。
彼らは、もう果鈴とは無関係だ。
彼らのことなんか忘れて、自分の人生をより良くすることだけに意識を集中しよう。
これで、きっぱりと事件のことを忘れられる。
あんな人間を恨む時間すら、勿体ない気がした。
「あ、お風呂掃除しなきゃ」
便箋をくしゃくしゃに丸めると、ゴミ箱に投げ捨てて、果鈴はつぶやいた。
「昨日洗っておけばよかった」
果鈴は掃除が嫌いだ。
掃除すれば綺麗になり、気分がいいことはわかっているのだが、どうにも動き出すまでが億劫なのである。
「頑張るかあ」
果鈴は腕まくりをすると、親の仇でも討ちに行くかのようにバスルームへと向かった。




