第五話 暴かれた闇
車は再び深夜の住宅街を走り出す。
小高い丘にある高級住宅街に差し掛かると、車は静かに減速した。
「ここだ、清水邸」
暗がりを街灯が明るく照らし、住宅の窓から漏れている灯りはほぼない。
時刻は午前2時。
静まり返った住宅街には人影も車が通る気配すらなく、まさしく街は眠りに就いていた。
立派な邸宅や高層マンションが立ち並ぶ一画に、目的の清水邸はあった。
すでに明かりは落とされ、昔ながらの日本家屋の屋敷は沈黙している。
果鈴と夏美はコバに指示された通り目出し帽を被り手袋をするとそれぞれナイフを手渡された。
「住んでるのは、じいさんひとりだ。
1階の窓を割って侵入する。
金目の物の在り処を訊き出せ。
渋ったら容赦なくナイフを使え、殺してもかまわない。
ただし、成果は挙げること。
金品は全部奪え」
コバがてきぱきと指示を飛ばすなか、車を降りた果鈴と夏美はどちらからともなく手を握り合った。
コバだけが車内に残り、青年と物静かな男とともに清水邸へ歩き出した果鈴と夏美は凶器を放り捨て、「せーの!」と息を合わせて夜の街を駆け出した。
「あっ、おい!」
一拍遅れて男の声が住宅街に木霊する。
「女が逃げたぞ、追え!」
青年が声を張り上げる。
コバが車を降りる音がする。
振り返ることなく果鈴たちは走った。
「大声出すな!
身元は押さえてある、落ち着け!」
コバが青年を一喝する声が轟く。
果鈴と夏美がアスファルトを蹴る音と荒くなる呼吸音だけが静寂を切り裂いていく。
やがて全ての音が静寂に吸い込まれるようになってやっと、ふたりは足を止めた。
「大丈夫、果鈴?」
前かがみになりながら膝に両手をついて、夏美が苦しげな呼吸の合間にそう訊いた。
「うん……夏美ちゃんは?」
「あたしは全部駄目。
運動不足もいいところだわ」
夏美は汗を拭いながら苦笑いする。
「追いかけてこないかな?」
果鈴が心配そうに背後を振り返る。
「平気じゃない?
あいつら、果鈴の個人情報は押さえてるって気を抜いてたもの。
うまく騙せたわよ」
「うん……」
しばらく息を整えるために暗がりの住宅街を歩いたあと、ひとけのない公園にぽつんと立つ公衆電話に、夏美が硬貨を投入した。
「怪しい車と不審な男がいます」
夏美は電話が繋がるなりそう言った。
「……住所?
住所は、ええっと……」
詰まりながらいくつかやり取りすると、夏美は警察への通報を終え、一方的に電話を切った。
「これで、よし」
夏美は満足そうにようやく薄く笑った。
「私たちが強盗と一緒にいたって、バレないかな?」
「証拠は残してきてないと思うけどねえ。
バレたとしても、今は闇バイトに巻き込まれた人を警察が保護してくれる時代だから、大丈夫だと思うわよ。
まだ犯罪行為に手を染める前だしね」
夏美の自信に満ちた表情に、果鈴は幾分がほっとして緊張で強張っていた身体から力を抜く。
「夏美ちゃんがいてくれてよかった」
「え?」
果鈴は羨望の眼差しで夏美を見上げる。
「私ひとりじゃここまではできなかった。
ありがとう、夏美ちゃん」
夏美は面食らったように目を丸くしたあと、満面の笑みを浮かべて果鈴の頭を撫でる。
「果鈴が疑われることなく犯人グループとやり取りしてくれたお陰だよ。
全部お膳立てしてくれて、偉かったよ、本当に」
えへへ、と果鈴も恥ずかしそうに微笑み返す。
「あの学生証も、よくできてた」
「いつあれが偽造した学生証かってバレないか、ひやひやしたけどね」
「なかなかのクオリティだったわよ。
果鈴、変なところで器用さを発揮するわよね。
紙幣の偽造とか、やったらできるんじゃないの?」
からかい半分の夏美の軽口に、果鈴は頬を膨らませて不快を顕にする。
「やめてよ、もう警察とはできるだけ関わりたくないよ。
今後の人生で、警察にだけは関わらない一生を送ろうって決めてるんだから」
「あら、そうなの」
夏美は再び果鈴の頭を撫でると、ふたりは無言で歩き出した。
果鈴が犯人グループに送った学生証は偽物だった。
顔写真も学校名も架空のものだ。
顔写真との違いを見破られないために、ニット帽を目深に被り素顔を晒さないように気をつけた。
コバがいい加減なのか、その点は詳しく追及されることなく見逃されたので、助かったと果鈴は心の底から思った。
コバたちが果鈴の正体に辿り着くことは不可能、だと考えたい。
清水邸への強盗計画も頓挫したに違いない。
まもなく、コバや組織の末端の実行役たちは逮捕されるだろう。
自分が味わった絶望を、未然に防ぐことができた。
その安心感から一仕事を終え、極限の緊張から解放された果鈴は、安堵の息を漏らした。
しかし、とも思う。
アプリを経由して指示を送っているだけの指示役に辿り着くのは、警察といえど、難しいのだろうとも思うのだ。
コバたちように命令されるだけの末端の実行役が逮捕されても、ピラミッドの頂点にいる指示役は安全な場所から高みの見物を決め込んで、決してボロを出すようなことはしないに違いない。
トカゲの尻尾切り。
末端の実行役が捕まったところで痛くも痒くもない、指示役はまた新たな実行役を探すだけだ。
そしてその人材に困ることないのだろう。
道を踏み外して闇バイトの沼に転がり込んでくる人間はあとをたたない。
メディアでも時々報じられているように、果鈴に仕事の指示を送ってきた指示役も海外に拠点があるのかも知れない。
一介の女子高生にすぎない果鈴が手を出せる相手ではない。
だから、どうにか警察が指示役に近づくまで協力したいと思った。
しかし、正直なところ、望みは薄いことは否定できないが。
どこかでまた、自分のように傷つく人が生まれる。
警察と犯行グループとのいたちごっこ。
大切な人を奪われる不幸が、あってはならないのだけれど、人に欲望というものがある限り、悪意がある限り、不幸の連鎖を根絶できるとは思えなかった。
そのこと思うと、果鈴はやるせない気分になって天を仰いだ。
星の見えない曇った空が気だるげに広がっている。
今にも涙を零しそうな空が果鈴の代わりに泣いてくれているような気がした。
☆☆☆
『神原富久の妻、希実子は別の男性と婚姻関係にあった!』
『希実子へのインタビュー90分!
明かされた神原一家の真実』
『週刊真相』に派手な見出しが躍る。
希実子が夫のX氏と今でも婚姻関係にあること、DVから逃げている生活を送るうちに闇バイトへと手を染めたことなど、希実子が夏美たちに語った懺悔が紙面に綴られていた。
その闇バイトで出会ったのが富久であり、麻由であり、慎一であると読者の興味を煽るように大袈裟な表現で記事は容赦なく神原家の真実を暴いていく。
希実子の元同僚の証言、井上数男の証言などが紙面を埋め、神原一家が誕生するまでの経緯を詳細に追跡していく。
神原一家など、真夏の陽炎のように存在しなかった。
記事は一旦そこで終わりを告げる。
翌週、もっと衝撃的な暴露を用意していると予告した上で。
週刊誌はまさしく飛ぶように売れた。
世間の話題は神原家一色になり、富久と希実子に説明を求め自宅にはメディアが殺到した。
いつか見た光景の再来だった。
富久と希実子は自宅に籠もり、外出することも叶わない状況に追い込まれた。
テレビ番組では『週刊真相』の記事を取り上げて、希実子のインタビューの内容を報じることに時間を割いた。
選挙に当選したときの、完璧にメイクをして着飾った希実子が事務所に集まった支持者たちに頭を下げている様子が何度も映し出されている。
対して近影として、疲れを滲ませ、皺を深く刻んだ表情の希実子が映し出されると、夢から醒めたように、崇拝していたものに騙されていたことがわかり熱が冷めたように、世間は自分たちを欺いていた神原家の面々を攻撃しはじめた。
SNSでは神原家に殺害予告まで出回っている。
「いやー、すごい反響。
富久も、もう保たないわね、議員辞めろって声がすごいもの」
帰ってくるなり冷蔵庫から缶ビールを取り出した夏美は、一気に中身を煽った。
季節はすっかり冬に移ろいでいる。
ビールを一本飲み干すと、夏美はようやくコートを脱いでダイニングの椅子の背に放り投げた。
「お疲れ様」
リビングのソファで『週刊真相』を読んでいた果鈴が夏美に労いの言葉をかけた。
「本当、疲れるわあ。
でも、まだまだやること、やるべきことは山ほどある。
そうでしょう?」
そうだね、と相づちを打って果鈴が立ち上がる。
「夕飯まだでしょう?
私、なにか作ろうか」
「助かるわあ、あたしひとりだったら不健康極まりない食事しか摂らないだろうから」
「夏美ちゃんも自炊したら?
私がこの家を出て行ったらご飯どうするの?」
果鈴は小言を言いながらキッチンへと向かい冷蔵庫の中を覗き、なにが作れるか頭の中で献立を作り上げる。
「簡単なものでいいよね?」
「なんだってかまわないわ、果鈴の料理美味しいもの。
料理のうまさはお姉ちゃん譲りね」
「必要に駆られて身についただけだよ。
誰も作ってくれないからね」
野菜を取り出し刻みはじめた果鈴を眺めながら、夏美が感慨深そうにつぶやく。
「もうすぐ果鈴もここを出て行くんだものね。
あれからもう3年か。
早いなあ、あたしも歳をとるはずだわ」
「なに言ってるの、夏美ちゃんは充分綺麗だよ。
私の憧れのままだよ」
「なによ、照れるわね。
褒めたってなにも出ないからね」
けらけらと夏美が上機嫌に笑う。
「もうすぐ終わるわね、果鈴の復讐も」
「うん。
長かった、かな」
「30過ぎたら3年なんてあっという間になるのよ」
夏美は、覚悟しなさい、と果鈴に冗談めかして言った。
「青春は短いわ。
かけがえのない時間を、復讐のために使うのは、正直反対だった。
でも、それで果鈴が前へ進めるならって協力することにした。
果鈴、全てが終わったら、自分のために、自分の人生を生きて」
真剣な夏美の声に、作業の手を止めて「わかった」と果鈴がうなずく。
自室のドアノブに手をかけて、果鈴に背を向けながら夏美が言った。
「果鈴、クライマックスよ」
うん、と果鈴は湿った声でそうとだけ返した。




