第三話 隠された事実
地元の支援者に平身低頭して謝罪して回っている富久をカメラが追う様を画面越しに眺めていると、励ますように富久の肩を叩く支援者の笑顔が映り、不快になった果鈴はテレビの電源を切った。
「夏美ちゃん」
夏美はいつものように、夕食と風呂を済ませると、ノートパソコンに向かって仕事に没頭していた。
夏美は今、神原希実子について調査中だ。
そんな夏美に、果鈴は切り出した。
「夏美ちゃん、しばらくクールダウンしようか」
いつもの黒縁眼鏡をくいっと持ち上げながら夏美が顔を上げる。
「クールダウン?」
果鈴は夏美が座るソファの隣に腰を下ろす。
「矢継ぎ早に情報を投下しても、ひとつひとつのスキャンダルの衝撃が薄れちゃう気がするの」
「うーん、たしかにそうかもねえ。
神原家の闇は掘れば掘るほど湧き出しそうだから、裏取りする時間も必要だしね。
しばらくは大人しくしていようか」
思案顔で夏美はうなずいた。
☆☆☆
メディアでは、お祭り騒ぎのように神原家を取り上げた報道が続いている。
熱に浮かされたように『神原家』を崇拝し、『理想の家族』像を抱いていた世間の主婦たちは、裏切られたと富久を見放した。
しかし、慎一と麻由が犯罪に手を染めているのではという疑惑報道をピークに、続報がなかったこともあってか、テレビ番組で神原家に割かれる時間も減っていった。
いつしかテレビ番組では、芸能人の醜聞や政局の話題に切り替わるようになり、神原家には平穏な日々が戻ってきた。
これ幸いと、富久は再び人気議員に返り咲くため所属する党の重役との交流を活発化させている。
そんな報道を横目に、内定をもらった果鈴は、就職に向けた準備にいそしんでいた。
復讐のために生きている節はあるが、果鈴としても自分の人生を考える必要がある。
いつまでも夏美の世話になってばかりはいられない。
高校を卒業したら、夏美の家を出て、独り立ちすることになっている。
夏美は大学くらい卒業したほうがいいと助言してくれたが、これ以上夏美の厄介になるのは気が引けた。
なにしろ資産はあの強盗に奪われたまま返ってきていないのだ。
もう資産家の娘ではない果鈴には収入もなく、アルバイトをしてまで大学に通う必然性を見い出せずに、社会人になることを決めた。
今、果鈴には夏美に隠して画策していることがある。
正直に話せばあまりにも危険だと反対されるだろうから秘密にして事を進めている。
──両親を殺した犯人に復讐するためには多少の危険を犯すことは覚悟の上だ。
☆☆☆
「果鈴、取材に行こう」
夏から秋に季節が変わる直前のこと。
夏美が果鈴にそう言った。
「取材?
なにかわかったの?」
最近、神原富久は鳴りを潜めている。
良くも悪くもメディアに取り上げられる機会が減り顔を見る回数も極端に少なくなった。
「神原希実子の秘密を掴んだ」
夏美の言葉に、果鈴はソファから立ち上がる。
「うん、行こう」
果鈴は自分のスマホを夏美から隠すようにポケットにねじ込むと夏美を追って玄関へと駆け出した。
「井上さん、よかったわよねえ、再婚できて」
東京の郊外にあるなんの特徴も変哲もないスーパーマーケットの駐車場で、店の制服を着た中年女性が、頬に手を当てながら感慨深そうに言った。
「再婚?」
ボイスレコーダーを操作しながら果鈴が訊き返す。
「井上とは、神原希実子さんの旧姓ですか?」
夏美が記者の顔をして切り込む。
「そうよ。
まあ、旧姓といっても前の旦那さんの名字だけど」
「希実子さんと旦那さんはいつごろ別れたんでしょう」
「さあねえ……。
あたしも詳しいことはわからないわ。
なんでも前の旦那さんに暴力を振るわれて逃げながら生活していたらしいの。
うちのスーパーで働きはじめてからも、旦那さんが追いかけてこないかといつも不安そうにしていたわ。
彼女が店を辞めてしばらくして、テレビを見てたらあの井上さんが神原議員の奥さんになってたんだもの、本当に驚いたんだから」
そう語ると女性は忙しそうに店へと戻って行った。
話を聞かせてくれた女性に礼を言って別れると、スマホを見ながら夏美が言った。
「希実子の夫、井上数男のところに行くわよ」
「え?
井上って、前の旦那さん?
その人にまで話を聞きに行くの?」
夏美は前を向いたまま毅然と告げた。
「そうよ、井上希実子の今の夫のところにね」
「今の……?」
果鈴は首を傾げながら夏美のあとを小走りに追った。
井上数男は築数十年を越えそうな古いアパートに住んでいた。
東京都内ではあるが、希実子が働いていたスーパーからはかなり離れた距離にあった。
錆が浮いた階段をのぼり、2階の一室の呼び鈴を押す。
ややあって、ドアを軋ませながら頭髪の薄い中年男性が顔だけ覗かせて不機嫌そうに言った。
「誰、あんたら?
新聞なら間に合ってるよ」
「新聞の勧誘ではありません」
「じゃあ、どっかの宗教?」
「宗教でもありません。
週刊誌の記者です。
あなたの奥さま、希実子さんのことを聞きたいと思って訪問させていただきました」
「希実子の?
週刊誌って、話したらいくらかくれんの?」
夏美は呆れたように「検討します」と返した。
開きっぱなしのドアから覗く6畳の部屋は散らかっており、中に入ることを躊躇った果鈴たちは玄関先での立ち話という形で井上数男に話を聞くことになった。
「あなたと希実子さんは、まだ離婚されていませんね?」
夏美の言葉に、えっと小さく果鈴が声を漏らす。
鋭く指摘されても、数男はにやにやと笑うだけだった。
「よく知ってるな、お姉ちゃん。
それがどうかしたのか?」
「希実子さんはあなたの暴力から逃れるために家を出た、そうですね?」
「……まあ、そんなとこだな」
ばつが悪そうに数男が、がりがりと頭を掻く。
「でも、あなたたちは離婚していない。
にも関わらず、希実子さんは今や神原議員の奥さまとしてメディアの前に姿を現しています。
なぜあなたはなにも言わないのですか?」
そりゃあ、と数男が口籠りつつも言った。
「カネのためだよ。
家を出て行った希実子のことは、もうなんとも思ってない。
ただ、希実子と結婚していることを誰にも話さなければ生活費くらいは援助してやると言われたから、その提案に乗っただけだ。
俺は無職だが、希実子との離婚を渋り続ける限り、援助がもらえるというわけだ」
「援助、ですか……。
それは誰から?」
「神原富久だよ。
どこで知り合ったのかは知らないが、希実子を妻にしたいとか言ってきた。
試しに別れないと言ってみたらカネを払うから結婚していることは口外するなと言われた。
くれてやっても惜しくない希実子と婚姻届──紙切れ1枚で契約しているだけでカネが入る。
こんなうまい話に乗らないやつはいないだろ」
「このことを週刊誌で報じます、かまいませんか?」
「好きにすればいいだろ」
「あなたの収入源はなくなりますよ」
数男は唇をへの字にするとなにも言わずに果鈴たちを追い出すようにドアを閉めた。
「希実子さんに対する謝罪はないんですか?」
夏美がドアの向こうに聴こえるような大声で叫ぶ。
返答はなく、周囲は静まり返っていた。
「……これでいいでしょう、果鈴、ちゃんと録れた?」
夏美に聞かれ、果鈴はボイスレコーダーを掲げるとうなずいてみせた。
「しかし、つつけば次々出てくるわね」
希実子の元同僚と井上数男の証言が収められたボイスレコーダーを再生しながら夏美は物憂げに頬杖をついた。
井上数男を訪ねたあと、ふたりは近くのカフェに入り、次に打つ手を相談していた。
「この音声を公開するだけでも充分インパクトはあるけど……希実子自身の証言も欲しいところね」
「突撃するの?」
夏美がうなずいたのを見て、果鈴も決意を固めたように表情を引き締める。
「最後まで食らいつくわよ、果鈴。
復讐はまだまだ途中なんだから」
「わかった」
果鈴の脳裏にあの日の光景が蘇り、頭痛を堪えるようにきつく目を閉じる。
──パパ、ママ。
呼吸が浅くなった果鈴に「果鈴、大丈夫?」と夏美が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……大丈夫」
力なく果鈴は笑みを作った。
あの日の──血塗れの両親の姿は、時々果鈴の頭に再生され、こうして呼吸困難を呼び込む。
冷や汗を拭い、残酷な記憶を振り払うように数回頭を振る。
貧血に似た目眩をゆっくり呼吸することで鎮めていく。
「果鈴、あたしひとりで行ってこようか?」
果鈴は首を左右に振って拒否の意を示した。
「これは私の復讐だから。
全部この目で見届ける」
「そう……」
気遣わしげな夏美の視線に笑って答え、「行こう」と立ち上がる。
普段は明るく過ごしている果鈴だが、その心に負った傷は3年経っても癒えることはない。
そのことが、夏美が果鈴のひとり暮らしを心配する種になっているのだろう。
だから、果鈴は殊更明るい表情を意識して悲しみに蓋をして前に進むために一歩を踏み出した。
「井上希実子さん、ですね?」
高級住宅街に建つ一軒家。
その家に入ろうとしていた買い物帰りとみられる女性は門扉に手をかけたまま動きを止めた。
どこか疲れたような髪の長い中年女性──希実子が、ゆっくりと声をかけた夏美へと振り返る。
「はじめまして、週刊真相の者です」
夏美がかばんから名刺入れを取り出し1枚抜き取ると希実子に渡そうとする。
しかし希実子は自分に向けて伸ばされた夏美の手を無感情に眺めるばかりで受け取ろうとしない。
受け取ってもらえないとみるや、夏美はかばんに名刺を放り投げた。
「お話をお聞きしたいのですが」
希実子の虚ろな瞳が果鈴に移される。
「……あなたたちだったのね、わたしのことを嗅ぎ回っていたのは。
昔の同僚から週刊誌の記者が訪ねてきたと連絡があったわ。
わたしのこと、調べているのね?」
「はい、ぜひお話を伺えればと」
「わたしの、なにを聞きたいの?」
「いくつか質問をさせていただければと思っています」
希実子は重いため息をついて、自宅のほうへ視線を移した。
「富久さん……主人に相談しても?」
「いえ、今、あなたが決めてください、井上さん」
目を固く閉じると、息を吐き出して、なにかを諦めたように首を振ると、わかりました、お話します、とかろうじて聞き取れる小声で希実子はそう言った。
「場所を移しましょうか」
と、夏美が提案すると逮捕される直前の犯人のように、観念した表情でかすかにうなずいた。
薄暗い照明の隠れ家のようなカフェに入り、腰を落ち着けると、ボイスレコーダーと手帳を用意した夏美は記者の顔になり対面に座る希実子へと聴取を開始した。
「旦那さん、井上数男さんにお会いしてきました。
どうしてまだ、数男さんとは離婚されていないのですか?」
「あの人が離婚に応じてくれないからです」
数男の名前を出されても、特に動揺することもなく、希実子は淡々と答えていく。
「富久さんからお金を援助してくれるから、と数男さんにお聞きしましたが」
「ええ。
そうです」
「数男さんから、暴力を受けていたとか」
「……そうです。
だから、逃げるように家を出て、職と家を転々としていました。
でも、なんの資格も社会経験もないわたしが働ける場所は限られていました。
……そこで……」
「そこで?」
ボイスレコーダーをチェックしながら続きを促す。
「……困窮した生活から抜け出したくて、いわゆる、闇バイトというものに手を出しました」
希実子はうつむきながら、懺悔するように言った。
「特殊詐欺、というのでしょうか。
掛け子、出し子、受け子、なんでもやりました。
そこで──麻由と知り合いました。
あの子も身寄りがなくて、犯罪を犯している罪悪感を紛らわせるように励まし合いながら詐欺に加担していた結果、わたしと麻由には絆のようなものができていきました」
「麻由さんは、実の娘さんではなかったのですね」
「ええ、違います」
「他に、どんな闇バイトを?」
「……強盗です。
人間として最低ではありますが、強盗などで成果をあげたときは自分が認められたような気がして自信がついたのです。
他人に必要とされている、そんな感覚がしたんです。
達成感、とでも表現すればいいのでしょうか」
がたん、と音がしてテーブルの上に置かれた水が入ったグラスが倒れた。
半分ほど入っていた水がテーブルの上を侵食する。
「果鈴、大丈夫?」
果鈴が真っ青な顔で希実子を見据えている。
夏美が顔を覗いてきて、初めて果鈴は自分が拳を握っていて、それがぶるぶると震えていることに気づいた。
制御が効かなくなった拳がグラスに触れ、倒れたのだ。
「ごめん、続けて」
果鈴がうつむいていると、物音を聞きつけて飛んできた店員がテーブルの上を拭いてグラスを下げていった。
「詐欺も強盗も立派な犯罪です。
それによって傷ついた人がたくさんいます。
井上さん、あなたはそれをわかっていますか?」
「……わかっています。
ですから、このように正直に話させていただいています」
「あなたはなにもわかっていません!
人の痛みがわかる人が、自分が犯した罪を償おうともせずに、『理想の家族』としてスポットライトを浴びるなど、できるはずありません。
あなたは自分がどれだけ重罪を犯しているか理解していない。
罪悪感も罪も過去の自分に押しつけて、口だけで贖罪というだけで、向き合うことから逃げている、ずるい人です」
夏美の叱責に希実子は額をテーブルに付けそうなほどうつむいて、静かに泣きはじめた。
「罪を忘れたことはありません……。
わたしは人を殺めてしまいました。
でも……おっしゃる通り、わたしは逃げていました。
罪と、向き合おうとしてきませんでした」
夏美が、激昂を鎮めるように深呼吸を繰り返している。
「……自首します、わたし」
希実子が蚊の鳴くような声でつぶやく。
「あなたが自首したところで、救われる人はいない。
亡くなった命は帰ってこない。
自首したくらいで許されると思わないで」
絶対零度の声音で、果鈴は静かに告げた。
希実子が小さく息を呑む。
「最後にひとつ、訊いていいですか?」
やや荒い息遣いで果鈴は言った。
「なんでしょう」
「あなたたち神原家は、本当の家族ではないんですね?」
「ええ。
わたしたちは、闇バイトで知り合った他人です」
希実子は真っ直ぐ果鈴の視線を受け止めながらしっかりとした口ぶりでそう言った。




