第二話 理想の家族のほつれ
「ねえ、あなた神原慎一さんでしょ?」
頭が割れんばかりの爆音の間を縫うように、トイレから戻ってきた神原慎一に、果鈴は声をかけた。
東京の繁華街にあるクラブ。
神原慎一は、そのクラブの常連客だった。
周囲に派手な化粧を施し露出の多い服に身を包む美女をはべらせ、VIPルームに入り浸っている彼に近づくため果鈴はクラブに通い詰め、数少ない機会を窺っていた。
ナチュラルメイクで制服姿の果鈴が声をかけると、案の定慎一は値踏みするように果鈴を眺め回したあと、下品な笑みを浮かべた。
「女子高生?
未成年がくるところじゃねえぞ」
そういう慎一も、まだ19歳のはずだ。
「本物の慎一さんだ、すごい、握手してください」
満更でもなさそうに鼻の下をのばす慎一の手を包み込むように握る。
すると、急に顔を近づけてきた慎一が、酒臭い息を吐きながら言った。
「俺に声かけるって、どういうことかわかってんの?」
「どういうって?」
果鈴は無垢な女子高生を演じる。
普段、派手な女に囲まれている慎一にとって、女子高生というブランドは珍しく映るに違いない、興味を抱くに違いないと果鈴は踏んでいた。
思惑通り、慎一は果鈴に興味を示した。
「今日は酔ったから帰ろうかと思ってたけど、気が変わった。
高級ホテルに連れて行ってやるよ」
果鈴は頬を赤らめながらうつむく。
その仕草を肯定と捉えたのか、慎一は果鈴の細い腕を取ると、引き留める女たちの声を無視してクラブをあとにした。
慎一は酒に呑まれるタイプのようだった。
ホテルの一室に入るなり、慎一は見栄を張って果鈴が勧めるまま酒を呑み干した。
泥酔した慎一は、果鈴に指一本触れることなく意識を混濁させた。
むにゃむにゃとなにごとかを呟いている慎一をベッドに寝かせると、果鈴はボイスレコーダーの録音スイッチを押した。
「あなたは、神原慎一さんですよね」
果鈴の問いかけに慎一は半分目を閉じながら答える。
「そうだけどお?」
「まだ未成年なのに、飲酒や喫煙をしていますよね?」
「馬鹿にするな、俺は強盗だって詐欺だって暴行だって、なんでもやったよ。
人だって殺したことがある、すごいだろ」
慎一がとろりとした目で口元には誇らしげな微笑をたたえる。
「あなたの悪事が明らかにならなかったのは、お父様の神原富久さんのお陰ですね?」
「そうだよ、あのおっさんは俺のやったことをなんでも揉み消してくれた。
議員さまさまだ」
「神原家は家族仲が良いことで知られています。
それは事実ですか?」
「事実う?
んなわけねえだろ、嘘だ嘘、あんなもん」
「嘘、とは?」
「だからあ、全部演技だって言ってんの。
全部権力とカネのため。
仲が良いふりをすればおカネが転がり込んできますってな。
あのおっさんも相当ヤバいぜ」
「今、慎一さんはアメリカの大学に留学していますよね。
今は休暇ですか?」
「ははっ、俺に留学できるアタマがあるわけねえだろ。
全部あのおっさんの作り話だよ」
「『あのおっさん』とは、神原富久さんのことですか?」
「そうだよ、しつこいな。
早く服脱げよ」
そう言いながらも、慎一のまぶたは今にも閉じそうだった。
それから、いくつか質問を重ねているうちに、慎一は寝息を立ててしまった。
果鈴はボイスレコーダーのスイッチをオフにすると、眠り込んでしまった慎一をそのまま放置してホテルの部屋から立ち去った。
☆☆☆
「すごいじゃない!」
ボイスレコーダーの内容を聞いた夏美は、興奮して果鈴の手を握った。
「よくこんな証言取れたわね、どんな手を使ったの?」
「張り込みの結果だよ」
「張り込み?」
「神原邸の場所は有名でしょ。
だから連日張り込んで、慎一の行動を監視してたの。
慎一がクラブに通っていることを突き止めて、近づいた。
クラブで聞き込みしたら相当女グセが悪かったみたいだし、近づくのは容易かった」
「理想の家庭の象徴である神原家の闇と現実……。
これはすごいスクープだわ、よくやったわね、果鈴」
夏美は酔いと興奮で整った顔を朱く染める。
「証拠になるかな?」
「なるわよ、うちみたいな下世話なネタを扱う週刊誌にぴったりのスクープだわ」
鮮やかな口紅を缶ビールに移すと、夏美は妖艶な笑みを浮かべた。
『理想の家族 神原議員が抱える闇 息子の本当の姿』
『週刊真相』のWebサイトに、酔った慎一が語ったボイスレコーダーの音声が公開されると、世間は上を下への大騒ぎになった。
富久のもとにはメディアが殺到し、慎一が暴露したことは本当なのかと群がった記者がマイクを向けた。
最初は鬱陶しそうに取材を無視していた富久は、連日自宅にまで押しかけるメディアに辟易し、ある日箍が外れたように怒声を浴びせた。
「これは罠だ!
私を陥れようとしている人間が虚偽の告発をでっち上げたんだ!
私は悪くない、こんな出どころもわからない情報を信じるとはマスコミも堕ちたものだな!」
そう吐き捨てると、富久は記者を押し退けて、自宅に入って行った。
「さすが話題の人のスキャンダルよねえ、閲覧数のすごいこと」
スクープをとってきた記者として、愚痴を零していた嫌いな上司に褒められたと、ここ最近の夏美は上機嫌だった。
マスコミに暴言を浴びせた富久は、支持層だった中高年の婦人から冷めた目を向けられ、人気に翳りが出ている。
富久は支持を取り戻そうと躍起になり、暴言を撤回し人気を回復するため頭を下げて回っている。
『理想の家族』に生まれたほつれ、ひび。
──復讐が幕を開けた。
これは序章に過ぎない。
本物の地獄はこれからだ。
果鈴は、まだ公になっていない慎一の暴露の続きを再生しながら、次の手を考えていた。
夏美には、公開された慎一の音声の続きは裏付けをとってから公開してほしいと頼んである。
『お姉さんの麻由さんについてお訊きします。
麻由さんの世間に出せない秘密はありますか?』
泥酔した慎一は思考力も低下しているのか果鈴の質問になんの疑問も抱くことなく素直に答えていく。
『はあ、秘密?
んなもんねえよ、あいつはただの馬鹿だ。
ホストに入れ上げて借金漬けで闇金に追われてる。
馬鹿だよなあ、本当に』
『ホストに貢いでいたということですか?
そのホストを知っていますか?』
そこで再生を停止させる。
「夏美ちゃん」
果鈴は自室を出ると、リビングでソファに座ってノートパソコンを操作していた夏美に声をかけた。
「ん?どうしたの果鈴」
黒縁の眼鏡を外しながら夏美が振り返った。
ルームウェアを着て、メイクも落とした夏美は、すっかりリラックスした様子だ。
ノーメイクでも、ぱっちりとした瞳が印象的で、より幼さを感じさせる。
「明日、時間取れないかな?
一緒にきてほしいところがあるの」
夏美は一瞬思案したのち、すぐに笑みを浮かべてうなずいた。
「いいよ、明日、仕事終わりに時間作る。
……復讐、するんでしょ?」
「うん。
夏美ちゃんがいないといけない場所だから」
「わかった、夕方、駅で落ち合おう」
「ありがとう」
「いいよ、スクープのためならいくらでも時間を割けるのが記者だからね」
夏美は不敵に笑ってみせた。
☆☆☆
翌日の夕暮れ。
夏美と果鈴は連れ立って、ネオンが眩しい歓楽街にきていた。
「慎一が言ってたホストクラブ、この辺だと思うんだけど……」
煌々と光りを放つ看板が乱立する夜の街。
果鈴は制服から私服に着替え、夏美もスーツ姿から女性らしいワンピースを着て普段はひとつに結んだ長い髪をほどき、ナチュラルメイクをしていた。
「ここだ……」
きらびやかな歓楽街にあって、一層華やかな店構えのホストクラブがあった。
「いらっしゃいませ」
夏美とともに入店すると、慇懃に出迎えられ、座席へと案内される。
賑やかな店内には様々な年齢の女性がおり、一様にホストにボディタッチしたり、しなだれかかってみたりして、仮初めの恋を楽しんでいる。
テレビでしか見たことがない風景に、果鈴が興味深げにきょろきょろしていると、夏美が目だけで落ち着けと制した。
「ヤマトさんを指名したいんですけど」
夏美がそういうと、店員が了解の意思を示しその場を離れる。
しばし待つと、長い髪を金髪にした長身のスリーピーススーツをきっちりと着込んだ軽薄そうな男が果鈴たちのもとへやってきた。
「ヤマトさん、ですね?」
夏美が確認すると、ホストの男は物珍しそうに果鈴へと品定めするような視線を流す。
「ご指名ありがとうございます、ヤマトです。
初めてのお客様ですよね?
どうして俺を指名してくれたんですか?」
果鈴と夏美の間に割り込むように座りながらヤマトが軽い口調で訊いてくる。
染みついた煙草と酒の匂いを強い香水で消しているのだろうが、両者が混ざり合って、愉快ではない体臭を放っている。
「なに飲みます?」
長い脚をこれ見よがしに組み、ゴールドのピアスをシャンデリアの光りに輝かせながらヤマトが夏美に訊く。
「こちらのお嬢さんはお酒、飲める年齢じゃなさそうだね。
なんだか……ワケアリの匂いがするんだけど」
さすがは接客のプロというべきか、経験から果鈴たちがホスト遊びをしにきたのではないと察したようだ。
前置きは必要ないと悟ったのか、夏美がスマホに画像を表示させてヤマトに見せる。
「この子、知ってる?」
画像を目を細めて眺めながら、ああ、と思考の糸が解けたような様子でヤマトがうめく。
「神原麻由っていう子なんだけど」
「知ってるよ。
俺の客だ。
ちょっと前までは毎日のようにきてた」
「あなたに貢いでいた?」
「言い方が悪いよ、お姉さん。
俺たちは仕事してるだけ」
「麻由さんは、あなたに貢ぐお金をどう調達していたんでしょうね?」
「さあね、っていうかなに?
おねーさん警察がなんかなの?
取り調べみたいなんだけど」
ヤマトに疑心の目を向けられると、夏美はかばんから名刺を取り出して差し出した。
「週刊真相……おお、聞いたことある。
おねーさん、そこの記者さんなんだ?
へえ、すごいね、じゃあ、今日は取材かなにか?
俺も雑誌に載ったりするの?
それでお金は貰えるわけ?」
「取材に協力していただければ。
早速お尋ねしますが、神原麻由さんは、多額のお金をどうやってあなたに貢いだんでしょう?」
「あの女は他のホストクラブでも豪遊してたって界隈じゃ有名だった。
闇金に手出して、そこに追われて闇バイトやってるってな。
よくやるよ、あいつも」
夏美の眉がぴくりと跳ね上がる。
「……闇バイト?
麻由さんはどんな闇バイトに手を染めていたんでしょう?」
「あー、よくわかんねえけど出し子ってやつ?
じいさんとかばあさんとかを騙して金を引き出すやつとかやってたっぽいな。
言っとくけど、俺のせいじゃねえぞ。
あいつが勝手に貢いだだけだ、俺に罪はない」
果鈴と夏美は顔を見合わせる。
「わかっています、あなたを責めにきたわけじゃありませんよ」
「ならいいけどな。
あいつ、捕まるの?」
「まだ闇バイトをしていると確証はありせんから、すぐに逮捕されるというわけではないでしょうけど……」
「俺、関係ないよな?」
突然ヤマトが不安を覚えたように夏美に言い募る。
「ええ、たぶん……」
「ならよかった」
「……麻由さんが逮捕されると悲しいですか?」
「いや、全然。
俺が巻き込まれないなら、誰が捕まろうと構わないよ」
夏美が一瞬天井を仰ぐ。
──こんな薄情な男のために麻由は真っ当な道を外れたのだ。
やるせなさが先行するのも当然といえた。
果鈴が夏美にうなずく。
果鈴の手にはボイスレコーダーが握られていた。
清廉潔白なイメージでメディアに出演していた麻由に隠されたもうひとつの顔。
「麻由さんが神原議員の娘だということは、知っていましたか?」
「いいや、あいつがテレビ出始めて知った。
議員の娘なのに闇バイトで稼ぐなんて、よっぽど切羽詰まってたんだな。
これをネタに脅したらしばらくは安泰に金が稼げそうだな」
勝手に注文した酒を飲み干すと、ヤマトは下品な笑みを浮かべた。
「ま、最近はホストへの風当たりが強いからできそうにないけどな。
女が勝手に貢いだだけなのに、貢がせたホストが悪いって問題になるんだから世知辛い社会だよ」
昨今、ホストに入れ上げ、犯罪に手を染めてまで金品を貢ぐ女性が問題視されている。
麻由も、その問題の渦中にいた。
もう充分だと、夏美が果鈴に目で合図する。
「今日は楽しかった、ありがとう」
素気なくそう言って夏美が立ち上がるとヤマトは焦った顔をした。
「え、なに、もう帰るの?
もうちょっとお話しようよ」
「用事は済んだから。
果鈴、いくよ」
果鈴も立ち上がると、ヤマトが視線だけを果鈴に這わせる。
「カリンちゃんっていうの?
カリンちゃんいくつ?
カリンちゃんだけでももう少しいれば?」
果鈴の手を取ると、夏美はヤマトを睨みつけ、視線だけで黙らせると、ホストクラブをあとにした。
「いやー、これは予想外。
ホスト遊びに借金三昧、闇バイトにまで手を出してたなんて……。
なにが理想の家族よ、全部まやかしじゃない。
これは警察が動く事態に発展するかも……。
うーん、神原家の闇、意外と深いわね。
記者魂を刺激されるわ。
もっと深堀りしてみましょう」
果鈴が渡したボイスレコーダーで頬をつつきながら夏美があれこれと思案しながら独りごちるように言う。
眩しい歓楽街を歩きながら、世間の反応、釈明に追われるだろう神原富久の反応を想像し、果鈴は少しだけ口角を上げた。
──まだまだやり足りないけどね。
あの日の恐怖を思い出し、悲しみと怒りが胸の内に芽生えたが、今は冷静でいることが重要だと、煮えたぎった感情に蓋をした。
『理想の家族 神原議員が抱える闇第2弾 ホストが暴露した娘の本当の姿』
まだ慎一の騒動も収まらない中、再び投下された暴露によって、神原富久はまたしても話題の人となった。
『週刊真相』のWebサイトに公開されたヤマトの音声は瞬く間に拡散され、クリーンなイメージがつきすぎた反動か、メディアは連日連夜神原富久とその子どもたちの醜態を大袈裟に報じた。
人気議員の転落、暴かれた時代の寵児の本性、嘘で塗り固められた理想の家族。
あれだけ擦り寄ってきた議員たちは、一斉に手のひらを返し、富久には議員の資格がないと言い切った。
富久を当選前から支持していた支援者からも、富久はもう終わりだという恨み節が聞こえはじめている。
立て続けに報じられた子どものスキャンダルに、それでも屈することなく富久は議員の椅子に座り続けた。
『週刊真相』ばかりにスキャンダルは渡せないとばかりに、他の週刊誌やテレビ局、Webメディアなどが神原家に隠された闇を暴こうと動き出しはじめた。
神原はだんまりを決め込んで嵐が過ぎるのを待っている。
慎一と麻由の件について、警察が調査に乗り出したという報道まである。
まさに四面楚歌だが、富久は議員を辞職するつもりは毛頭なさそうだ。
それはそうだろうと果鈴は思う。
欲に忠実に行動するあの男が、ちょっとやそっとのスキャンダルでやっと手に入れた権力を手放すとは思えなかった。




