第四話
聞いた住所は事務所があるマンションから二駅ほど離れた場所だった。もちろん家までは送らない。家など知りたくもない。近くまでだ。
聞けば財布も持たないまま家を飛び出したらしい。知らずに事務所のあるあそこまで歩いてきたのは――それだけショックだったということだろう。こんな小さな少女が、無意味に歩くには遠すぎる距離だった。
(……ショック、ね)
少女は俯いたまま、こちらが問いかけた時しか話さなかった。
無駄な話はしない、お互いに。
「…………はぁ」
だけれど、少女の家に近づくにつれてとうとう我慢ができなくなり、シオリは車を止めてハンドルに頭を乗せた。
「――ねえ、一つ聞いていいかしら?」
少女はゆっくりと顔を上げてシオリを見つめる。その真っ直ぐな視線に居心地が悪くなりながらも、ついでに余計なことをしている自分のお人よしさに苛立ちながらもシオリは止めるわけにもいかず、続けた。
「あなたは、一体どうしたいの?」
「…………」
少しだけ、少女の頭が揺れた。
考え、そして、俯く。
(――分からないでしょうね)
心で呟きながらも、だからといって、シオリもどうしたらいいかなんて分かっていなかった。
「忘れろ」なんて簡単に言えない。言ったところで、忘れるわけがない。
――『同じ気持ち』を分かった人間でなければ、言葉は伝わらないだろう。
「…………」
シオリは溜息をついた。ほんとに嫌いだ。嫌いすぎて、吐き気がする。
「昔ね」
絞り出すように呟いた声は、思った以上に低くなっていた。これじゃあ脅すみたいじゃない、とも思うが、もうどうなってもいい、とも思い直してシオリは続ける。
「昔ね、あなたと同じように兄を好きな子がいたの」
伝えられた言葉にサクラは視線を上げてシオリを見つめた。
「……その子は、どうしたんですか」
「死んだわ。結ばれないことを思い悩んで、泣いて泣いて……そのまま自分で」
はっきりと伝え、冷たい視線でサクラを見返す。
「あなたはどうしたいの。うちに来たことも、ただ無茶苦茶にされたかっただけでしょ……あのね、迷惑なのよ、そういうの」
「…………」
「ねえ、わかってるの?」
シオリは声を荒立てた。もう、引き返せはしない。だったら、ここで少女が泣いて後悔するくらいにやるつもりだった。
「……ごめんなさい」
「謝るのが遅い」
拳を握り、奥歯を噛み締め、シオリは感情をぶつける。
「私はね、あなたみたいな子が嫌い」
「……じゃあ、どうして」
だけれど、シオリの感情をぶつけられても、サクラは真っ直ぐな視線を外さなかった。
「『レンタル妹』なんてしているんですか」
「…………」
「……後悔、しているんですか?」
「……後悔? 憎んでいるのよ、妹も、兄も。馬鹿みたいだって」
笑うシオリに、サクラは静かに――だけれど、そこには刀のような鋭さも宿して――続けた。
「助けられなかったから?」
「っ……!」
ガンッ――!!
「知ったふうな口聞かないで! あなたになにがわかるっていうのよ!!」
シオリはハンドルに拳をぶつけ、ぐっとサクラに近づいた。
「わかるはずがないでしょ、あなたなんかに――!」
「――わかります」
叫ぶように気持ちをぶつけてくるシオリに、サクラは静かに――そっと近づき、服をきゅっと掴む。
「お兄ちゃんが好きだから」
「っ――――!!」
「だから、シオリさんはお話してくれたんですよね。わたしだったら、分かるから」
真っ直ぐな瞳は、純粋で穢れなく、幼い女の子のように――
「……いいわ、もう好きにしなさい。自己満足で壊れればいいじゃない」
――シオリは掴まれた手を払いのけて、正面を見つめハンドルを握った。
「ほら、ここまでで十分でしょ。あとは一人で帰りなさい」
「…………はい」
サクラもなにもいわない。これ以上聞くことも、話を続けることもしなかった。
「ありがとうございます……」
ドアを開き、頭を下げて外にでる。
「――それで、誰が一番悲しむのよ」
バタン――
ドアが閉まる間際に聴こえた、絞り出すような震えた声のその一言。
「…………」
サクラはただ黙ったまま走り出した車を見送る。
車が見えなくなるまでずっとずっと見つめる。何故か、瞳を逸らすことができなかった。
シオリは泣いていた。それは自分に対してか、それとも過去の『妹』に対してなのかは分からなかったけれど、シオリは泣いていた。
その泣き顔が、サクラの頭からいつまでも離れなかった。