第一話
『理想の妹が、お兄ちゃんを待っています』
――なんて馬鹿なキャッチコピーだと思う。怪しいことこの上ない。アダルト関係のものと誰もが思うだろうし、事実、自分でもそうとしか見えなかった。
見るたびにもっと上手い言葉はなかったのかと――嫌悪感とともに――自問自答するのだが、どう考えたところで単純で分かりやすいほうが印象に残ることに気付き、結局いつもそのままになっていた。
(――それに)
実際、どう言い繕おうとも怪しいことには変わりはないのだ。だったら、まだ分かりやすいほうがいい……と自分を無理やりに納得させる。
『レンタル妹』
キャッチコピーの下に少し大きく書かれたその文字。さらに、その下に書かれたサイトのアドレスと、会社の住所。そして、裏に書かれている従業員の名前――源氏名と電話番号とメールアドレス。「また会いにきてねっ」とハートマークつきで書かれたメッセージ。
お客様用に従業員に渡しているその名刺を持って現れた少女を見つめて、責任者である梨シオリは胸の内でそっと溜息を――嫌悪感とともに――吐き出した。
「――ここで、働かせてください」
少女がシオリにそういったのが三十分前。なにが少女にあったのかなんて聞きたくもない。どうせろくでもないことだろう。長い時間泣いていたことが分かるくらいに真っ赤になった目を見ればそんなことはすぐに分かる。
泣いて泣いて泣いて……それで選んだ場所が『レンタル妹』なんて、ろくでもない理由に決まっている。
親と喧嘩して家出か、彼氏と喧嘩か。いじめを受けている、勉強が上手くいっていない等々。人生が上手くいっていないことに対しての――というより、人生が上手くいっている人なんてこの世にいないだろうが――自暴自棄か、または、誰かへのあてつけか。それとも、その両方か。
(…………)
シオリは胸の内でもう一度溜息をつく。本当にろくでもない――こういう子がシオリは一番嫌いだった。
「悪いけど、うちは未成年の子を雇ってないの」
「……未成年じゃないです」
「じゃあ、いくつ?」
「二十歳です」
嘘だとシオリはすぐに気付いた。二十歳を過ぎていても幼く見える子は確かにいる。だけれど、目の前の少女は明らかに幼かった。小学生にはさすがに見えないが、中学生には見える。
(まさかほんとうに中学生とか……)
そんなことを思って、シオリは心の中で首を振った。その想像は、あまりにぞっとしない。
「……はぁ」
三度目の溜息。今度は、口に出てしまっていた。
じっとこちらを見つめてくる少女。その瞳は真っ直ぐで、不安や悲しみなどは不思議と宿っていない。かといって、期待や喜びが宿っているわけでもないのだが。
シオリもまた少女に視線を向け、その姿を見つめる。
セミロングの黒髪に、化粧もしていない幼い顔。白い肌の小柄な身体には袖にフリルのあるランタンスリーブとホワイトのバイカラーのチュニック丈ワンピース。その姿は清楚なお嬢様、または、綺麗な人形にも思える。
女のシオリから見ても可愛らしいと思える女の子。泣いていたはずだというのに全然顔がくずれておらず、逆に魅力としてしまうのは元の素材がいいからに違いなかった。美少女なんて言葉は好きではないのだけれど、間違いなく目の前の少女は美少女といっても間違いではない容姿をもっていた。
『だから』ろくでもなく、嫌いなのだ。
自暴自棄になって『こういう場所』で仕事をしたいといっている目の前の少女。もし断れば、他の場所へと行くだろう。
そして、これだけの容姿を持っていれば、他の場所であれば確実に歓迎される。それは、ろくでもないことにしかならない。
逆にいえば、ここへと来てくれたことは幸運ともいえる――来なければいけなかった理由が不幸だとしても、それ以上不幸にならないことは幸運だ。
だからといって――
(『ここへ来たあなたは幸運よ』なんて皮肉、口が裂けてもいわないけどね)
それに、と付け加える。幸運は幸運だとしても、ここで突き返せば不幸になる。目の前の少女の幸不幸は、自分の手の中にある――なんて、優越感に浸れるわけはなく、シオリには嫌悪感が増えていっていた。
「…………」
目の前の少女はずっとこちらを見つめている。こちらが黙っている時間がかなりあるのに伺うような表情もせず、不快も感じさせないその視線は幼い子の純粋無垢な瞳を思い起こさせる。
問題は、この少女の純粋な瞳は汚れをしらないからか、または、本当に幼いからなのか。年齢を確認する方法は簡単だ。身分証明書を持ってこさせればいい。おそらく、この少女なら素直にいうことを聞くだろう。
(……だけど)
本来なら、『こういった仕事』には身分確認などしない。『だからこそ成り立っている仕事』でもあるからだ。それはお互いを深く知らず、関与しないという保健でもあった。少しでも何かを知ってしまったら、『知らなかった』は通用しなくなる。互いにいつでも縁を切れるように、深く干渉はしない。それが、こういった仕事のルールだった。
シオリも、知らなくていいことまで知りたくなかったし、この少女に深く関わることは危険だと感じていた。情が起これば抜け出せなくなる。
(ほんとに嫌い)
結局、散々考えても答えは出ない。雇うわけにもいかないけれど、突き放すわけにもいかない。
この少女の考えを改めさせるには、深く関わるしかない。
シオリは諦め、一言聞きたくなかった質問を呟いた。
「どうして、この仕事をしようと思ったの?」
「――――」
――少女はじっと見つめていた瞳を僅かに伏せ、そして、もう一度上げると静かに呟いた。
シオリはこの時のことを、後で死ぬほど後悔した。聞くべきではなかったのだ、ここへ来ることに至った不幸の話なんて――
「お兄ちゃんに、恋をしました」
静かな声音はその容姿にとても合って透き通っていて、綺麗すぎてシオリは数秒その言葉の意味を理解することができなかった。
とくんっと知らずに胸が鳴る。
「それは……」
どういう意味と聞きかけて、シオリは口をつぐんだ。お兄ちゃんみたいな人と恋をしたいから、なんて理由でこの仕事を選んだなんてことはないはずだ。
『自暴自棄』『誰かへのあてつけ』……そう見えた少女の様子。そして、少女の言葉はおそらくそのままの意味。
兄に、恋した。
(だからといって……)
それだけではここへと来た理由にはならない。結ばれない恋を思い悩んで、ということであっても、なにかの『きっかけ』がなければこんなところに来ないはずだ。
(……いや待って、これ以上は駄目よ)
深入りしないほうがいい。上手く諭して、家に帰そう――
――だけれど、そんなシオリの気持ちを全部壊してしまうように、少女はもう一言、その綺麗な声を響かせた。
「お兄ちゃんと……彼女さんがエッチなことしているところを見ました」
「…………」
完全に何もいえなくなって、シオリは沈黙した。
これで抜け出せなくなってしまった。この少女は危ない。自分の身を軽くしている。
「……わかった」
――だから、シオリはこう答えるしかなかった。
「考えてあげる。あなたを雇うかどうかを」






