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本当にあった(かもしれない、ある意味)怖い話

本当にあった(かもしれない、ある意味)怖い話 その1 さびれたホテル

作者: こますけ

 その時私は仕事の関係で、近畿にあるとあるさびれたホテルに滞在していました。

 そのホテルは、数十年前に恋愛感情のもつれから若い女が惨殺された、という噂がまことしやかにささやかれているようなところで、そのせいか、客足はまばら。経営も、かろうじて倒産せずに踏みとどまっている、という状態の……はっきり言ってしまえば、さびれ果てた感じの漂うところでした。

(だからこそ、私らが利用するのにはちょうどよかった、ということなのだろうな。それにしたって、まさか、ここに来る羽目になろうとは……。)

 うすぼんやりとした照明の下、すり切れた赤いカーペットの敷かれた長い廊下をゆっくり歩きながら、私は、ひそかにため息をつきました。

 ホテルにたどり着いたのが、この日の夕方。そのまま、休む間もなく働かされ……今はもう、午前2時を回っているというのに、まだまだ眠ることさえできそうにないのです。

(まあ、念を入れるのに越したことはないからな。でもまあ、今までの経験からして、この時間までなにも起こらないなら、きっと、朝までなにも起こらないはずだ。ああ、それにしても疲れた。いい加減、ベッドに入って眠りたい……い!?)

 あってはならないはずの「違和感」が目の入ったように感じ、私の、くしゃくしゃの新聞紙のようになった頭の中を際限なくめぐる数々の「ぼやき」が、ふと途切れました。

 私は目をこらし、廊下の突き当たりにある、エレベーターのあたりを、じっと見つめます。

 と……やはり間違いない。

 この時間には決して動くはずのない、エレベーターの停止階を示す階層表示ランプが、ふっと消え……隣の数字へと移動したのです。

 自分の今いる場所からだと遠すぎて、どのランプが消え、どのランプが点灯したのか、はっきりとは見えません。

(……稼働していない状態のエレベーターが停止しているのは1階。そこから、ランプが、少なくとも2回は動いたように見えたが……)

 私は、じっとランプを見据えながら、急ぎ足でエレベーターに向かいました。

 徐々にランプが、はっきりと見えてきます。

 点灯しているのは……エレベーターの上に等間隔に並んだ数字の、右から二つ目。

 このホテルは5階建てですから、その一つ前。つまり、四階のランプが点灯しているようです。

 四階。

 私は、なんとも苦い予感が、じわりとせり上がってくるのを感じました。

 それは、例の、惨殺事件が起こったとされる部屋のあるフロアだったからです。

 脳裏に、頭からだらだらと血を流しながらうつろに笑う若い女の顔がよぎり……私は慌てて、大きく頭を振りました。

 ばかな!

 つまらないことを想起した自分を叱りつけ、再びランプを注視した、その時。

 モーターの作動音がどこからかうつろに響き、4階に点灯していたランプが「ふっ」と消えたかと思うと、3階のランプが点灯したのです。

 え、と思う間もなく、3階のランプも消え……2階の――私が今、目の前に立っている、まさにその階のランプが、「ふっ」と点灯しました。

 ランプから目が離せないまま、思わず私は「お願いだ、通り過ぎてくれ!」と、祈っていました。

 が……ランプは2階で点灯したまま、動きません。

 体中の毛穴がぶわっと開き、粘つく汗が一気に噴き出します。

 おそるおそる目線を階層表示ランプの下、銀色の、なにやら見つめていると目が痛くなるような模様の彫られた扉に移すと、今まさに、それが二つに割れ……開いていこうとしています。

 廊下の淡い光を圧倒する、明るい――けれども、妙に気がかりな色合いの――蛍光ランプの光が、エレベータの中からあふれ出し……一瞬、細めた目の片隅に、それは、確かに映りました。

 なにかが、立っている。

 はっと目を見開き、改めてエレベータの庫内を注視すると。

 そこには、パジャマ姿のかわいらしい顔だちの少女が、顔中を血まみれにして、立っていました。

 血の赤さと対照的に真っ青な顔色のその子は、全く無表情な顔をゆっくりと持ち上げ……私の顔を見ました。

 そして……にやり、と笑ったのです。


 「樺島。ここなら怖くないだろ?だから、安心して眠りなさい」

 そう言うと、先ほど、エレベーターの中に血まみれで立っていた少女は、大きな絆創膏を貼った額を上下に動かしてこくりとうなずき、弱々しい笑みを浮かべました。

 彼女の名前は、樺島文香。

 5年2組で図書委員を務めている、物静かでやや引っ込み思案な生徒です。

「二十数年前、このホテルができたばかりの頃、若い女が気の狂った男に包丁でめった刺しにされ殺される事件があった。それ以来、このホテルの部屋は幽霊が出るようになった。気がつくと部屋の中に手に包丁を持った女がたたずんでおり、目が合った途端、襲いかかってくるんだ……。」

 就寝時間直前にそんな怪談を聞かされ、彼女はすっかり、怯えきってしまったのです。

 同室の子がすやすやと気持ちよさそうに寝ている中、どれだけ眠ろうとしても眠れず、一人、ベッドの中でさえざえと横になり、ただただ、朝を待っていた。

 そのうち、どうしようもなくトイレに行きたくなったそうです。

 けれど、子どもが夜通し騒いだりすることがないよう、就寝時間が過ぎた後、部屋は、強制的に灯りが消され、朝になるまでつきません。

 それを知っていたので、彼女はどうしてもトイレに行く気になれなかった。

 しかし、時間が経つに連れて、尿意はいや増し、我慢できなくなってきた。

 暗い部屋の中、恐怖に怯えつつトイレに座るか、それとも、ベッドにお漏らしをして、その後学校でずっと、不名誉な立場で過ごすか。ぎりぎりのところで、彼女はふと、思い出したのです。

 そうだ、確か廊下に、トイレがあったはず!

 そう気がついた彼女は、真っ暗な中、ベッドから飛び起き、くらくて怖い部屋を目をつぶって横切り一気にドアを開いて――この時、額を金具で切ったらしく、顔が血だらけになった――明るく照らされた廊下へと飛び出したのです。

 その勢いのまま、廊下の端にあったトイレに駆け込み、用を足し……さあ、部屋に帰ろうとしたのですが、あの暗闇に戻った途端、刃物を持った女が待ちかまえているような気がして、部屋に戻る気にもなれない。とりあえず起きている人がいないか探そうと、エレベーターで上の階へと上り……私と出会ったのです。


 私のベッドで、ほっとしたような笑みを浮かべ、すやすやと眠りに入った樺島を見つめながら、

(やれやれ、この分じゃ、今日はろくに眠れそうにないな……)

と、私はため息をつきました。

 そして、彼女に向けた優しいまなざしを一転、いらだちと恨みのこもった目に変え、隣のベッドでぐっすり眠り込んでいる男に向けます。

 5年2組の担任、今年で教員2年目の、三島輝。

 あれほどやめろと言ったのに、「大丈夫っすよ」と聞く耳持たず、ただただウケたい一心で、子供達にホテルにまつわる怪談を強引に語り聞かせたバカ。

 そのうえ、怯えて挙動がおかしくなった生徒の存在にも気がつかずに、さっさと自室に引っ込み、隠し持ってきたビールをたらふく飲んで……この上なく幸せそうな顔で寝入っている、無神経で傲慢な、どうしようもないマヌケ。

(ったく、こういうことになるから、やめろって言ったんだ!これだから、若造は……若造は……)

 このどうしようもなく考えの甘いガキを今すぐたたき起こして、朝までキツい説教をかましてやる、そうしなきゃ治まらない……と燃え上がっていたはずの私の怒りが、どういうわけか、急速に萎えてきます。

(若造、か……。やれやれ)

 そもそも、このホテルに妙な因縁話ができてしまった、そのきっかけとなる事件を引き起こしたのは、だれあろう、当時まごうことなき「バカな若造」であった、この私だったのです。

 大学時代、チャラいパーティーサークルで、幹部的な地位にいた私は、卒業間近になったある時、当時できたばかりのこのホテルで、卒業パーティーを開きました。

 バブル華やかなりし時代で、投資によりあぶく銭を手にしていた父親が、金にあかせて造ったのが、このホテル。私はそのコネを存分に利用し、最上階である5階すべてを借り切って、酒ありタバコあり薬あり不純異性交遊ありの、乱痴気パーティーを主催したのです。

 その参加メンバーの一人の女の子が、酒と薬に酔ったあげく、急にフルーツが食べたくなったとかで、全裸で5階を抜け出し、片手にナイフを持ったままホテル中をさまよい歩き……結婚式場へと迷い込んでしまった。

 当然、阿鼻叫喚の大騒ぎとなり、式はめちゃくちゃ。

 各方面に手を打ち、新聞ネタになることだけはなんとか免れたものの、妙な噂が流れるのを止めることはできず、ホテルの評判はがた落ち。

 お客様への補償と、経営があっという間に赤字に転落したことに激怒した父親は、私を勘当。家を放り出された私は、一応取得していた教員免許を頼りに、遠く離れた地方の小学校へ就職……今に至る、というわけです。


 父親の会社は、浪費と放漫経営がたたり、バブル崩壊後しばらくして、かなりの負債を残して倒産してます。ですから、あの時勘当してもらってむしろ幸運だった、とも言えるのですが、それでも、あの事件により、大勢の方々に迷惑をかけたあげく、自分の人生を大きく狂わせたのは、間違いありません。

 そのことを思うと、自分にこの三島を責める権利があるのかと、つい弱気になってしまったのですが……。

(いや、しかしだ!あの時の私は、なにも分かっていない、ただの大学生だったのだ!卒業し、就職してからは、大きく道を踏み外すこともなく、きちんと仕事をこなしてきた。それが、この三島のバカときたら!社会に出て1年以上経つというのに、社会人としての道義や責任を、まるで分かっちゃいない!本来こんなやつを教師になどしちゃいけないんだ!それを、あいつ……あの女が……)


 「20数年前、あなたがなにをやったか。そのあなたが、今は何の仕事をしているか。今すぐ週刊誌に電話して、しゃべってもいいのよ?きっと、尻尾を振って飛びついてくるわね。有名私立女子小学校の教頭先生が、実は昔、いかがわしいサークルの主催者で、メンバーの女の子を片端から食ってた、なんて、いかにもウケそうなネタだもの」

 ソファーに深々と腰を下ろし、腕を組んだままたばこを吹かしている中年女を前に、私はただ黙って、険しい顔で相手をにらみつけていました。

「……なにが目的だ」

 食いしばった歯の隙間から押し出すようにそう言うと、相手の女――20数年前、酒と薬に酔っ払って全裸のまま結婚式場に乱入した当の本人である三島麗は、口の両端をつり上げ、にったりといやな笑顔を浮かべました。

「目的って、やあね、それじゃあ、あなたを脅迫してるみたいじゃない」

「違うのか?」

「ええ。あたしはただ、「お願い」にきただけ。……息子がね、来年の春、大学を卒業するんだけど、このご時世でしょ。頑張っているのに、どこからも内定がいただけなくて。そこで、ふと、あなたのことを思い出したの。幸い息子も教員資格は取得しているし、名門私学の先生になれたら、将来も安泰じゃないかなって。ねえ先生、どうかしら、息子のこと、お願いできないかしら……」


 (……無理に無理を重ねて、成績素行共に劣悪なこのバカを採用してやった。その後も、次から次へと起こす問題をもみ消し、尻拭いし、かばい続けてきた。だが、もう限界だ……)

 思わずわたしは、鞄の中に手を突っ込み、底にひそませてきたクスリとロープ、それにナイフを取り出そうとしました。

 そこへ。

「ううーん……」

 私のベッドで眠る樺島が、いかにもつらそうなうめき声を上げ、危ういところで思いとどまります。(そうだ、この子が部屋にいる状態ではまずい。自分が疑われることのないよう、きちんとチャンスを待たないとな。なあに、大丈夫。どうせこのバカは、明日も今日と同じように酔い潰れるだろうし、生徒達も、二日目ともなれば、疲れ切ってみんな寝てるはず。計画は完璧だ。じっくり明日を待って……その後は、あの生意気な母親を……!)

 私――M小学校教頭、王島毅47歳は、額の絆創膏が痛々しい樺島文香に気遣わしげな一瞥をくれると、再び怒りを燃え上がらせつつ――でも、その顔にはうっとりとした笑顔を浮かべて――じっと、三島の顔を眺め続けたのです……。


   




 


 

 

 

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― 新着の感想 ―
噂はただの妄想、事実とは異なるもの。 しかし結局は因果が巡って、惨殺事件が起こることが確定しているこのホテル。色んな人達の怨みが最初から積もっていたのかなぁ…。 大筋の流れはよく出来たホラーなのだけ…
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