フレッド視点
妖精。
それがフレッドのクロエに対する第一印象だった。
フレッドがクロエに初めて会ったのは10歳の時。クロエは4歳だった。
クロエの父親であるランデット伯爵とフレッドの父親が学生時代からの親友で、その日は4年ぶりにランデット伯爵が娘を連れて遊びに来てくれることになっていた。
「やあ、久しぶり。今日は誘ってくれてありがとうな。フレッド君も久しぶりだ。大きくなったね」
ランデット伯爵はフレッドを見て、ニコニコと満面の笑みを浮かべた。
「ランデット伯爵、お久しぶりです」
「ずいぶん大きくなったね。私があった時にはまだこんなに小さかったのに」
そう言って、ランデット伯爵は腰のあたりに手を翳した。
「それで、今日はお前の娘にも合わせてくれるのだろう?」
「あぁ、そうだ。娘を紹介しなくちゃな。クロエだ」
そう言ってランデット伯爵は後ろを振り向いたが、そこには誰もいなかった。
「あ、あれ?どこに行ったんだ?」
「もしかして、逸れたのかもしれないな。メイド達に探させよう。あぁ、フレッドも庭を見てみてくれ」
「分かりました」
フレッドは父親に言われてクロエを探しに行った。
事前に聞いていた話だと、かなりの変わり者だという。
大人顔負けに口が達者で、周囲の人間を困らせていると聞いてフレッドはそんな子供の相手をしなくてはならないのかと内心憂鬱であった。
最近はフレッドの婚約者を選びたいのか、様々な令嬢と会う機会が多く、女性の相手は辟易していた。
フレッドの顔は自覚はないのだが、非常に整っているらしくお茶をした少女達がこぞってフレッドを求めた。
だが彼女らが見ているのはフレッドの外見と伯爵という地位だった。
少しでも彼女達の意向に反した行動をとると怒ったり泣いたりして、フレッドを振り回す。
ただでさえそんな少女たちの相手をしなくてはならないのに、さらに大人も閉口するような我儘な子供の相手をするのはストレスである。
(でもお父様の友人だしなぁ。無下には扱えないか)
そう心の中でため息をついていると、庭の端にあるバラ園へと足を踏み入れ、きょろきょろとクロエを探した。
そしてバラ園の中央にあるガゼボに一人の少女が本を読んでおり、フレッドの気配に気づいたのかこちらに視線を寄越した。
それを見た瞬間、フレッドの体に電流が走った。
煌めく宝石のような緑の目は円らで、肌は抜けるように白かった。
唇はピンクに色づき、ぷっくりと柔らかそうだ。白いレースがふんだんについたワンピースは天使の衣ように見えた。
フレッドを見て少女は無邪気に笑い、その微笑みに目が釘付けになった。
(可愛い……妖精か?)
「あら?この屋敷の方かしら」
可愛らしい透き通った声で少女はフレッドに尋ねて来た。
それがフレッドとクロエとの出会いであり、フレッドが恋に落ちた瞬間でもあった。
出会ったクロエは確かに変わっていた。というのも大人顔負けの知識を有しており、既に初等教育を終えるほどの頭脳の持ち主であった。
だが接してみると普通の少女と何ら変わらなかった。むしろ一緒にいる時間はとても心地よく、フレッドは足しげくランデット伯爵家に行き、クロエとの時間を過ごした。
いつしかクロエはフレッドを「お兄様」と呼んで懐いてくれるようになった。
クロエの笑顔が見たくて、彼女に似合うであろう髪飾りやドレスといった贈り物もたくさんした。その度にクロエは満面の笑顔で礼を言ってくれる。
(でも学術書が一番喜んでくれるんだよなぁ)
ある日、本屋で彼女に贈る本を選んでいると、同級生のジョエルに出会った。
「なんの本を買うつもりなんだ……って、これ医療魔術の本じゃないか!お前そんなものを読むのか?」
「クロエへの贈り物なんだ」
「プレゼントで学術書か。変わった子だな」
「お前はクロエの可愛さも素晴らしさも分からないからそう言うんだ」
そうしてクロエの可愛らしさを説明していると、ジョエルがため息交じりに言った。
「お前、本当クロエちゃんの事になると人が変わるよな」
「俺のクロエをそのように馴れ馴れしく呼ぶな」
そんな毎日を過ごしていると、クロエも14歳になり、社交界デビューすることになった。
クロエをずっと独占してきたフレッドだったが、クロエが年頃になると、少女の愛らしさに加え女性の美しさも現れるようになり、フレッドはますますクロエに魅了された。
だが魅了されたのはフレッドだけではなかった。
以来、クロエは密かに男性陣の羨望の的になった。だから変な虫がつかないようフレッドは目を光らせ、近づく男を容赦なく叩き潰して牽制した。
それでもめげずに男共がクロエに接触しようとする。
(もうこれはクロエと早く結婚しなくては)
ランデット伯爵にクロエとの結婚を申し込むが、首を縦に振ってくれない。だが、粘りに粘った結果、クロエが求める結婚の条件を満たせば許可すると言われた。
「ねぇクロエ。お前が結婚したい男の条件はなんだい?」
「そうねぇ。隣国に留学させてくれる人かしら」
「じゃあ、それを叶える男なら結婚してくれるんだね」
「ええ。嘘はつかないわ」
クロエの言質は取った。
とはいうものの、隣国ラグノイアは閉鎖的な国だ。
国交はあるが盛んではなく、特に学術分野においては世界最先端の技術を有しているが、決してそれを漏らそうとしない。
(さて、どうしたものか)
学術協定を結ぶために、外交ルートの伝手が欲しくて近づいたのはナグノイア侯爵だった。
ナグノイア侯爵との会談ではロザリーを介することになる。どうやら侯爵はロザリーと結婚させたいという思惑があるようだった。
ロザリーもまた結婚に乗り気で、それとなく伝えられた。だが、フレッドはロザリーと会うたびにクロエの話をしてしまう。
「この髪飾り……クロエに似合いそうだな」
「あ、この本はクロエに買って行ってあげよう」
「聞いてくれ、ロザリー!この間クロエが……」
最終的にはロザリーがキレた。
「ほんっとあなたはクロエばかりね。モグラのどこがいいのよ!」
そう言われたので1時間程クロエの素晴らしさを語ったところ、「引くわ!」と言われ、その後は言い寄られることは無くなった。
ただ、公の場では恋人扱いをする必要があり、夜会でもファーストダンスを要求されしぶしぶ応じた。
ファーストダンスだってクロエと踊ろうと思っていたのに、ロザリーと踊る羽目になり、それだけで最悪な気分だったのに、目を離した隙に、クロエはダニエルとかいう冴えない男に言い寄られていた。
(早く婚約しなくては誰かに掻っ攫われてたまるものか)
そうして、ようやく協定が結ぶことができ、クロエの父からプロポーズの許可を貰いに行った。
「プロポーズしてもいいですよね?」
「それはいいんだが……クロエはどうもダニエル・リーセル伯爵令息との付き合いを望んでいるようなんだ」
(ダニエル・リーセル……あの夜会の男か! )
クロエの突然の行動に頭が真っ白になった。
慌てて研究室に押しかけたフレッドに対し、クロエは自分が誰と婚約しようとフレッドには関係ないと怒る始末だ。
つい感情的になったフレッドはクロエにキスをしてしまった。
その唇は柔らかく、甘美な口づけに心が震えた。
話を聞くと、クロエはロザリーとの仲を誤解しており、なんとかその誤解を解くことに成功したが、一歩間違えればクロエを失うことになっていたかと思うと冷や汗がでる。
もしそうなったらロザリーとナグノイア侯爵を社会的に抹殺するところだった。
ようやくプロポーズしたものの、クロエは突然のことに混乱している様子だった。
一刻も早く答えを聞きたかったが追い詰めて逃げられては困る。
仕方ない。時間はたっぷりある。
次に会った時には、プロポーズを了承してもらう。
(絶対に逃がさないよ。俺だけの妖精)
だが、そう思っていたフレッドに悲劇が襲った。
クロエからお茶の誘いがあって間もなく、フレッドは咳が止まらなくなり、微熱が続くようになった。
最初は風邪だと思い、クロエにいらぬ心配をかけたくなくて、そのことを告げなかった、
だが症状は悪化し、気づくと喉の辺りがうっ血し始めていた。その痣はフレッドの体に広範囲に広がっていった。
医者に見せたところ、非常に珍しい病気で、このままだと痣の部分から壊死して、死亡すると告げられた。しかも現時点では有効な治療方法はないとのことだった。
フレッドの目の前が真っ暗になる。
もう少しでクロエを手に入れ、ずっと愛を囁き、幸せにできると思っていたのにその未来は断たれてしまった。
(クロエに会いたい)
だが、体を覆う痣でフレッドの体は醜くなっている。こんな気味の悪い姿をクロエに見せたくはない。
もう死を待つしかないと腹を決めたフレッドに朗報が飛び込んで来た。
ラルドビアで治療法の研究が行われていて、将来治る可能性があるとのことだった。
だがこのままでは治療法が確立するより先にフレッドは死ぬと医者はいい、一つの提案をしてきた。
「病の進行を止めるためにコールドスリープをしてはどうかと思います。現在ラルドビアで開発されたばかりの技術です」
もちろんリスクはあった。だがフレッドはそれに賭けることにした。
ほんのわずかな可能性でも、再びクロエに会うために。