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プロポーズ

※ ※


それは突然の出来事だった。

クロエは研究室でいつものように研究を行っていた。

先日、フレッドから貰った学術書にあった手法を参考にして、新しい細胞情報解析を試していると、けたたましいほどの音を立てて、ドアがノックされたかと思うと返事をすることなく、勢いよくドアが開いた。


「クロエ!」

「お、お兄様、どうしてここに!?」


フレッドが研究室に押しかけてくるなど、今までになかった。

それに息を切らしている様子だとどうも走ってやって来たようだ。


このように慌てた様子をクロエは見たことが無い。

驚いて目を瞠っていると、フレッドが酷く思い詰めた様子で、つかつかとこちらへと向かってきた。

その只ならぬ様子に、クロエは思わず身構えてしまった。


「……まさか……あの男と付き合うつもりなのか?」


フレッドの声が地を這うに低くなった。

それは怒りと焦りが含まれているように感じられた。


「急にどうしたんですか?あの男、とはどなたですか?」


藪から棒に尋ねられても何のことだかさっぱりわからない。

首を傾げながらクロエが逆に聞くと、眉間に皺を寄せてフレッドが吐き捨てるように言った。


「ダニエル・リーセルだ。あの男とデートに行くのだと聞いた」

「なんでそれを?」

「君のお父上に聞いた」


確かに、この間クロエの屋敷に、ダニエルから出かけることへの了承の手紙が届いたので、父はそれを知っていたが、まさかフレッドの耳に入るとは思わなかった。


それよりもなぜこんなにフレッドは怒っているのだろう?


「お前があんな男と出かけるなんて冗談じゃない!絶対に行かせない」

「行かせないって……どうしてお兄様にそんなことを言われなきゃならないんですか?」


「それはお前が心配だからに決まってるだろう!あんな見るからに下心のある男の元に、大切なクロエをみすみす行かせられるわけないだろう!」


「下心って……、ダニエル様を悪く言わないでください。だいたい私が誰とどこに行こうとお兄様には関係ないでしょう?」


クロエの言葉にフレッドは傷ついたように顔を歪めた。

なぜフレッドがそのような表情をするのだろうか。


そんなフレッドの表情を見るのが嫌で、クロエはフレッドの顔から眼を背けるようにして言葉を続けた。

押さえようとするがどうしても苛立ちの感情が出て、棘のある言葉になってしまう。


「お兄様には恋人がいるからいいでしょうけど、私だってそろそろ婚約者を見つけなくてはならないのです。それとも何ですか?ご自分は婚約して、私には婚約者を作るなっていうんですか?」

「あぁそうだ」

「な……」


余りにも勝手な答えに、クロエは絶句してしまった。

自分は恋人を作っておきながら、クロエには恋人を作るなと言うなど、勝手にもほどがある。


だが、フレッドはそのままクロエを見据えると、突然クロエの腕を掴んだ。

そしてぐいと引き寄せられたかと思うと、次の瞬間には目の前にフレッドの顔が迫っていた。


「他の男と婚約なんてさせない」

「!」


息を呑んだときには、既にフレッドに口づけられていた。


柔らかな唇の感触がクロエの唇にも感じられる。感情をぶつけるように荒々しく、呼吸まで飲み込まれそうなほどの口づけだった。


(何?どうなっているの?キス……してる?)


フレッドからの突然の口づけに、クロエは混乱し、考えがまとまらない。

そして唇がゆっくり離れていった。


だが、その距離は殆どないくらいのもので、透き通った青の双眸がクロエを捉える。

その瞳にはクロエを決して離さないという確固たる意志と、溢れるばかりの恋慕の情が見てとれた。


そしてフレッドが掠れた声で言った。


「絶対にお前を他の男に渡したりするものか」


自分の事を好きでもないのに、唇を奪うなどひどすぎる。

そんな嫌がらせをしてまで、ダニエルと出かけるのを阻止したいのだろうか?


「酷い……なんでこんなことをするの?お兄様は私のこと、好きでもないくせに」


思わず涙がクロエの頬をつたい、零れ落ちた。


「何を言ってるんだ!俺はクロエの事を愛してるんだ。他の誰よりも、ずっとずっとお前を見て来たんだ」

「言っている意味が分からないわ。お兄様にはロザリー様がいらっしゃるでしょ?軽々しく愛しているなんて言わないでください」

「何故、そこでロザリーの名前が出るんだ?」


クロエの言葉に、フレッドが怪訝な表情をした。

その反応に、クロエもまた怪訝な顔になってしまう。


「だって……恋人で、ご婚約されるんでしょ?この間話を聞いた時には、恋人だって言ってたでしょ?」

「そんなことは言っていないよ」

「……え?え?」


なにか壮絶に食い違いがある気がする。


困惑しているクロエを見て、フレッドは深いため息を付いた後、クロエをソファへと座らせてその隣に腰かけた。


クロエの手を優しく握りながらフレッドは言葉を探すように逡巡し、そしてゆっくりと口を開いた。


「誤解をさせて悪かったね。前に話したように時期が来たんだ。説明させてくれるかい」

クロエはこくりと頷いた。


「まず、さっきも言ったけど、俺はお前を愛してる。ずっと昔から。それこそ子供の頃から。それで、少し早いとは思ったんだけど、どうしてもクロエが欲しかった。他の誰かに奪われる前に、婚約したい。そう思って君の父上に話をしたんだ」


「そんなこと……全然知らなかったわ」


「だろうね。だって、断られてしまったから。お前と歳が離れていると言うのが理由の一つ。そしてもう一つはお前を守れる男じゃないといけないと言われた。お前は天才と言われる子だから、普通の男じゃ認められないって言われてしまった」


クロエの父は、研究を続けたいと願っているクロエに、それを辞めろという男は絶対に認めたくないと思っていた。


だが、それについてはフレッドは問題はなかった。

クロエに貴族令嬢らしさを求めることはないし、結婚後も貴族として生きるよりも、クロエがしたいことを優先して欲しいと思っていたからだ。


確かに、歳の違いは埋められない。だけどクロエをずっと傍で見て来ていて、これからもクロエだけを愛する自信があると強く主張すると、クロエの父はしばし考えたのちに一つの提案をしてきた。


「結婚したいかどうかは最終的にはクロエに決めさせたいと。だからクロエが提示する結婚の条件を満たせば許すって言われたんだ」

「それであんなに私の結婚の条件を聞いてきたのね」


まさかそんな理由で二人から結婚条件を問われていたとは夢にも思わなかった。


クロエの結婚の条件はクロエの夢を叶えてくれること――つまり隣国ラルドビアに留学することだった。

だが頑なに研究を秘匿するラルドビアが、クロエの留学を簡単に受け入れるはずもない。


「だからラルドビアにコネがあるナグノイア侯爵に近づいたんだ。彼のコネを使ってラルドビア外交官と接触して、学術協定を結ぶ交渉を続けたんだ」

「もしかしてナグノイア侯爵家に行っていたのもそのため?」

「あぁ。ロザリーはその橋渡しをする役目だったんだ。ナグノイア侯爵はそれをきっかけにロザリーと婚約して欲しかったようだけどね」


ロザリーもまた当初フレッドに恋心を抱いていたようだが、フレッドが口を開けばクロエがクロエがと言うので呆れて、諦めたらしい。


だが、その意趣返しとして、公の場でフレッドとは恋仲であるかのようにわざと扱ったり、我儘を言うようになったらしい。


「ロザリーは今回のラルドビアとの交渉を通じて、偶然会ったラルドビアの外交官と婚約したんだ。近々発表されると思うよ。ロザリーの態度のせいで、クロエには辛い思いをさせてしまったし、おまけに変な男に言い寄られてるし……くそっ、思い出しても腹が立つ」


苦虫を噛みつぶした表情をして、吐き捨てるように言った。


「でも、それなら夜会の帰りにロザリー様と恋人じゃないって言ってくれれば良かったんじゃない?」


あの時曖昧にされたせいでクロエはフレッドとロザリーが恋人同士だと勘違いしたのだ。

もし否定してくれれば思い悩むこともなかったし、胸の痛みに苦しむこともなかったのだ。


「学術協定については、国と国との政治的な問題もあって、公にできないからね。さっきも言った通り、侯爵の屋敷に何度も通っていたら不自然だろう?ロザリーと会うために侯爵家に行っているとカモフラージュが必要だったんだ」


(確かにロザリー様と頻繁に会っているのに「恋人じゃないんです」と公言してしまうと、「じゃあ2人の関係はなんなの?」と、いらぬ推測を招いてしまうものね)


全ての謎が解けて、クロエは納得した。

と、同時にこれまでの流れを考え、クロエは驚きに目を瞠った。絶対に無理だと思っていた夢が実現する可能性に思い当たったのだ。


「もしかして……」

「あぁ。ラグノイアと学術分野における協定を結べたよ。これで、お前はラグノイアへ留学することができる」


晴れやかな表情をしたフレッドはクロエの手をぎゅっと握り、愛しさを溢れさせて言った。


「ようやくお前に言える。俺と結婚して欲しい」


信じられない思いだった。

ラグノイアへの留学の夢が叶う。そしてフレッドにプロポーズされている。


嬉しい。

だが、兄と慕っていたフレッドに急に愛していると言われたり、結婚してほしいと言われたり。

もうクロエのキャパシティが超えていて、頭が回らない。


返事をしなくちゃと思っているのに、言葉が思い浮かばないのだ。

なんとか口を開いて言おうと思った時、ノック音がして、クロエはハッと我に返った。


「クロエ様、教授が研究結果を知りたいとお呼びです」

「は、はい!今行きます」


ドアの外から秘書が告げるのを聞いたクロエは、上ずった声で何とか答えると、足音と共に、ドアから人の気配が消えた。


「本当はいますぐにでも連に答えが欲しいけど、まだ混乱しているようだから、少しだけ待つよ。でも……俺はお前を逃すつもりはないよ。ずっと好きだったんだ。断られても諦めないから。俺は誰よりも愛していること、それは忘れないでくれ」


そう言って、フレッドはクロエの頬に口づけて、部屋から出て行った。

クロエは呆然としながら、部屋から出て行くフレッドの後姿を見送った。



クロエは部屋のベッドにそのまま倒れこんだ。


『お前を愛してる。俺と結婚して欲しい』


そう言ったフレッドの言葉が思い出され、じわじわと嬉しさと恥ずかしさが押し寄せてくる。

なんとなく顔が熱い。

ドキドキと鼓動がうるさく鳴っている。

あの胸の痛みは失恋したことによるものだったのだ。


(私も、お兄様が好きだったんだ)


そう思ったらすとんと自分の中に答えが落ちた。


ラーナはきっとすぐこの事を言っていたのだろう。

天才などと評されるが、こんなことにも気づかないなんて天才が聞いてあきれる。


「ちゃんとお返事しなくちゃいけないわね」


キャパシティオーバーで言葉が出なくなったクロエの気持ちを察して、フレッドは時間をくれた。

その優しさに、心がじんわりと温かくなった。

もうクロエの中では答えが決まっている。


だが、こんなに大切な返事を手紙で済ませられない。ちゃんとフレッドと会って、その目を見て返事をしたい。そして告げるのだ。


(私もお兄様を愛しているって、ちゃんと顔を見て言いたい)


そう思うと、クロエは次に会う約束をするための手紙を書いた。

クロエの返事を聞いたら、フレッドはどんな反応をするだろうか?

驚くだろうか?喜ぶだろうか?


クロエはフレッドの反応を想像しながら、これから来る幸せな未来を思い描き、ほほ笑んだ。

まさかこの後に無情な現実をクロエを襲うとは、この時のクロエには知る由もなかった。


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