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動揺

「普通じゃない、かぁ」


そう言って、クロエは研究室の机に突っ伏してそう言って、深く重いため息をついた。

せっかくフレッドが用意してくれた隣国ラルトビアから取りよせた細胞情報の分析方法の学術書だったが、何度読んでもどうしても頭に入ってこない。


気づけば同じ行を繰り返し読んでいて、全くと言っていいほどページが進まない。

その理由は明白だった。

フレッドに恋人がいると分かったせいだ。


(なんで教えてくれなかったのかしら)


もしかしたらあの令嬢が言う通り、誰からも相手にされないクロエを憐れんで傍にいてくれるのだろうか。

だから恋人ができたことを言う必要がないと言ったのか。


クロエは今までも人とは違うと言うことで傷つくこともあったし、不安に思うこともあった。

それでもでも、もっと知識を身につけなくてはと焦燥感にかられる。


何故だか分からないが、少しでも早く多くの知識を身に付けなくてはならないという気持ちだ。


そんなクロエに、フレッドは『大丈夫。俺は何があっても傍にいるよ』と頭を撫でて言ってくれた。


温かい大きな手に触れられると凄く心強くて、金色の髪が太陽の輝きのようにクロエの心を明るく照らしてくれた。

空色の瞳で真っすぐに見つめて、春の柔らかな日差しのような笑みでクロエの心を温めてくれた。


それが憐みだったとは思いたくないし、思えない。


ではこの胸のもやもやとした感覚は何故だろう。

フレッドに恋人ができたのを祝福すべきなのに、それができない自分がいた。


それが何故なのか分からないし、祝福できない自分が嫌な女のようで、そのこともまたクロエの気持ちを重くしている理由だ。


(寂しいからかしら)


ずっと傍に居た存在。

ずっと傍に居てくれると思っていた存在。

それが急に無くなってしまうことを寂しいと思ってしまうのかもしれない。


「はぁー、いつまでもぐだぐだ悩んでても非生産だわ。うん、こういう時は甘いものを食べてリフレッシュしましょう!」


気持ちを切り替えるべく、クロエは財布を握るといつも行っている大通りのカフェへと向かうことにした。


外に出ればクロエの心とは裏腹に、空は快晴だった。


雲一つない青空には、太陽だけが輝き、抜けるような青が目に鮮やかだ。

街路樹は青々と茂り、その木陰は強い日差しを受けていつもより濃い色になっている。


木陰を歩くと暑さが和らぎ、吹き抜ける風は爽やかにクロエのキャラメル色の髪を柔らかく揺らした。


行きつけのカフェの濃い緑色のドアを開けると、チリンとドアベルの音が鳴り、黒いソムリエエプロンをした店員がクロエに挨拶をした。


「あぁ、クロエちゃん、いらっしゃい」

「ラーナさんこんにちは」


明るい太陽のような笑顔で迎えてくれたのは店員のラーナだ。

このカフェの看板娘で、クロエよりも3つ年上で面倒見が良く、いつもクロエを気にかけてくれる。


「今日は食べていく?それともテイクアウト?」

「食べていくつもり。席、空いているかしら?」

「ちょうど窓際の席が空いたから、そこを使って。あ、いつものでいいの?」

「うん。よろしくね」


クロエはこのカフェの常連なので、オーダーを告げることもない。


暫くすると、ラーナがチーズケーキとレモングラスティーを持ってきた。


「で、どうしたの?」


目の前に様々なフルーツとチーズケーキが乗った皿をコトンと置いたラーナが、にこやかにそう尋ねてきた。

そこで、クロエは自分の中の不可解な不快感と胸の痛みを伝え、その原因を尋ねてみた。


「なにかの病気なのかしら?」


クロエの話を聞いたラーナが呆れた表情を向けてきた。

なぜそういう態度を見せられるのか分からず、クロエが首を傾げていると、ラーナがため息交じりに答えた。


「えええ……なんでそれが分からないかなぁ?」

「?」

「クロエちゃんって天才だけど、そういうのは疎いのね。それってフレッド様の事が好きだからよ」

「私が、お兄様を好き?」


いまいちピンとこない。

確かにフレッドのことは好きだ。

だが、それが恋なのか、クロエには分からなかった。

難解な数式を出された方が、まだ答えが出るような気がする。


「でも、そうね。もし好きだとしても、フレッド様には恋人がいるんだもの。どうしようもないわ」

「そっか……。でもこの機会に他の男性と出かけたり、積極的に関わってみたらどうかな?」

「でも今までそんな出会いは無かったのよ。これからそんな機会あるかしら?」


クロエの周りの男性は既婚者か高齢の男性ばかりで、クロエと同世代の男性はいなかった。

夜会に出席しても倦厭されてしまい、男性と知り合うことはなかった。


「それはフレッド様が牽制して邪魔していただけなんだけど……」

「ん?何か言った?」

「ううん、なんでもないよ!まぁ、これから機会があると思うから大丈夫よ!」

「まぁ……うん、そう思うことにするわ」


クロエが答えると、突然名前を呼ばれた。


「クロエ嬢?」


見るとそこには少し癖毛のあるダークブラウンの髪をした青年が立っていた。

一瞬、誰なのか分からずにいたが、よくよく見ると、そのアーモンド形の目と、引き締まった唇、そして感情の読み取れない表情に既視感があった。


記憶をたどると、あの夜会で声を掛けてくれた青年だと思い至った。


「あ……えっと確か、ダニエル様。こんにちは」


一度しか会っていないのに、覚えてくれていたことにクロエは驚いた。


「奇遇だな。誰かと待ち合わせか?」

「いいえ。一人です。ここは研究所の近くだから気分転換によく来るんです」

「あぁ、確かに近いな」

「ダニエル様はお友達といらっしゃったんですか?」

「あぁ」


ちらりとダニエルが後方のテーブルを見ると、その視線の先には二人の男性がこちらを見て、ニコリと笑顔を向けていた。


「すまない。たまたま君を見かけて声を掛けてしまった。邪魔をして悪かったな」

「いいえ、とんでもないです」

「じゃあ、また」


本当に挨拶だけだったのだろう。

それだけを告げて、ダニエルは踵を返した。

と思ったら、三歩ほど歩いたかと思うと、クルリと方向転換をして再びクロエの席へと戻ってきた。


「どうされたんですか?」

「この間の夜会でも話したが、まだ行っていないのであれば植物園に行かないか?それとも、博物館がいいだろうか?今、企画展をやっているようなんだ」


これはデートの誘いだろうか。

突然のことで動揺してしまい、クロエが思わず視線を彷徨わせると、視界の隅にラーナの姿が見えた。

こちらを見て、何故かガッツポーズをしている。


これは先ほど言っていた兄離れのチャンスなのではないか。

クロエは少し考えたのちに、誘いを受けることにした。


「分かりました。是非よろしくお願いします」

「ありがとう。じゃあ、今週末でどうだろうか?」

「はい、大丈夫です」

「時間は追って連絡するのでいいか?」

「はい」


そう話をすると、今度こそダニエルはまた友人たちのいるテーブルへと戻って行った。


その後ろ姿を見送ったクロエは動揺を抑えるように、ハーブティーをこくりと飲んだ。

知らず喉が渇いていたようだ。


(まさかこんなに早く男性と出かける機会が来るなんて……)


フレッド以外の男性と初めて出かけるかもしれない。

少しの興奮と動揺を押さえつつ、クロエはチーズケーキを食べ始めた。


この日のチーズケーキの味は、全く分からなかった。

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